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はじまりの物語

お嬢様、ご無事ですか

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昼食を食べ終え、レストランを出た三人と一匹は、その足で最寄りの教会へと赴いた。

「さて、ここの神父様はどこかしら」

まずは神父を捕まえ、事情を説明しなければならない。
セシリアが教会内を見まわし、それらしき人物を探す。と、ちょうど教会の一角にある扉が開き、キャソック姿の男性が姿を見せた。懐中時計を確認し、キョロキョロとあたりに首をめぐらす。そしてその目がセシリアの後ろに向くと、彼は嬉しそうに歩み寄ってきた。

「もういらしていましたか。お久しぶりです、ノーウッドさん」
「お久しぶりです、リウス神父殿」

その国の言語であいさつをしながらにこやかに握手を交わす二人に、セシリアの怪訝な顔が向く。カルロスは握手を終えると、すぐにセシリアのことを神父に紹介した。
「リウス神父殿には以前お話だけしましたか。こちらが、私がお仕えしているセシリア様です」
「セシリアです。どうぞよろしく」

ワンピースを軽くつまみ、貴族のような一礼をするセシリアに、神父は嬉しそうな笑みのまま軽く礼を返した。

「あなたがクレハートさんのご息女でしたか。私はリウスと申します。貴女のことは、ノーウッド殿より沢山伺っていますよ」
「まあ、カルロスが?」

それを聞いただけで、神父がセシリアについて何を聞かされたか容易に察することが出来る。実の親よりもセシリアを溺愛するこの執事は、外でも大抵「春の女神の祝福を受けた至高のご令嬢」的なことしか言わないのだ。

「執事がおかしなことを申していないとよろしいのですが」
「いいえ、まったく。いつもセシリアさんに尽くす喜びを語ってくださるだけですので」
「……あら、そうですか」

ちらりとカルロスの方に目を向けると、彼は咳払いをして話をそらしにかかった。

「リウス神父殿、実はもうお一方、ご紹介するべき方が。こちらはお嬢様のお客人であるジュセ様、そしてロノン様です」
「ほう、お客人ですか」
「ジュセ・レーニアスだ。よろしく頼む」
「リウスです、よろしく」

ジュセに挨拶をしたその目で、神父がジュセの腕に抱かれている獣を見つめる。そしてその目は、ロノンの特異な姿に釘付けになった。

「……この子は、犬ですか? ……鳥ですか?」
「聖獣だ。実は今日ここに来た理由が……」

ジュセ自ら事情を語った末に、神父はにこやかに頷いた。神父は神秘的な現象に弱いのではないか、と思えてくる。現にこの神父にも、セシリアの地元の神父と同様に、「そばで見ていても良いか」と輝く瞳できかれた。


そして、数時間後。
三人は、また別の教会に到着していた。最初の教会を出てから昼食をとり、教会巡りを開始、ここの教会は本日四ヶ所目となる。

「セシリア、疲れていないか?」

教会の外で、神父との交渉に向かったカルロスを待つ間、ジュセがセシリアの顔を覗き込んだ。

「ええ、大丈夫。ありがとう」

そう返したセシリアの笑みには、隠しきれない疲労が滲んでいる。

「今日はここで終わりだ。ここを出たら、ホテルでのんびりしよう」
「まだもう一つくらいは回れるわ。もう一ヶ所行きましょうよ」
「いいや、もう休もう。明日は国を変えて動き回るんだろう?」
「……そうね」

セシリアが申し訳なさそうに視線を下げる。と、その時だった。
教会に面した広場の方で、複数の悲鳴が上がり、セシリアとジュセはそちらに顔を向けた。
どうやら、なんらかのトラブルで喧嘩が始まったらしい。男二人が揉み合い、それを必死に一人の女性が止めている。その側には、地面に座って泣いている女性もいた。周囲の人々はというと、喧嘩を止めることもなく、遠巻きに彼らの様子を伺っているようだ。
男性の片方が、止めに入っていた女性を突き飛ばす。女性は呆気なく地面に倒れ、自身の脚に手を添えて俯いた。

「あの人、脚を……」

そう呟くやいなや、セシリアが喧嘩の現場へと駆け出す。そして、女性のもとへ行き、怪我の状態を確認した。

「……捻挫しているのね。ここで安静にしていてください。すぐに救急車を呼、」
「あたしのことはいい! 早くこの二人を止めて!」

痛みなのか、哀しみなのか、女性の目にはたしかに涙が浮かんでいる。
女性が必死に涙をこらえ、男性達の方を向く。その瞬間、彼女の口からは悲鳴が漏れた。

「やめて!」

彼女の叫びで、セシリアも男性達の方を見ると、男性の一人がナイフを取り出し、振り回そうとしていた。ナイフを向けられたもう一人の顔に色はない。ただ怯え、何かを呟いているだけだ。

「あなた、ナイフを放しなさい!」

女性の声で動かなかった男性が、セシリアの声でこちらに目を向ける。その目は正気を失い、瞳孔が開ききっていた。

「部外者は、黙ってろ!」

ナイフの切っ先がセシリアに向き、渾身の力で振り下ろされる。……はずだった。

「手の内のものを捨てろ」

決して怒鳴っていない。それでいてたしかに耳に響く声が、彼の動きを封じた。何かが止めたわけでもないが、その声は絶対的だった。

「聞こえなかったか。捨てろと言っている」

そう言いながらセシリアの前に立ったのは、他でもない、ジュセだった。刃物を前にしても怖気付くことなく、堂々と背筋を伸ばして男性と対峙する姿は、たとえ後ろ姿であっても、類稀なる威厳があった。
ジュセを見つめていた男性が、はっと我にかえり、ナイフを持つ腕を下ろす。そして、ナイフを地面に落としたその音を合図にするように、震えながら地面に崩折れた。
セシリアが庇うように抱きしめる女性を視界に入れ、彼女の怯えた表情に瞳を揺らす。

「あ……おれ……」
「恋人の言葉にすら耳を傾けられない程の荒い感情は、金輪際捨てるんだな。……彼女を大切に想うならば、すぐに医師のもとへ連れて行ってやれ」

ジュセの言葉に力なく頷き、男性が震える声で女性に呼びかける。自分が怖がられるのではと思ったのだろう。ところが、女性はむしろ安心した様子で、堪えていた涙を溢れさせた。

「ごめん、ごめん……」

ひたすら謝りながら、男性が女性を抱きしめる。その姿にジュセとセシリアは目を見合わせ、微笑みを交わした。

「……セシリア、お前は何ともないか?」
「ええ、ありがとう、ジュセ」

ジュセの手がセシリアに差し出され、その手を取ったセシリアが立ち上がる。
張り詰めていた空気が穏やかな空気に変わり、笑顔が見え始めた広場だが、ある声によって、瞬時に空気が凍りついた。

「お嬢様に何をしたのです」

絶対零度の声が、女性の涙すらぴたりと止めた。
全員がブリキ人形のように首を巡らせた方には、冷え切った眼差しの男。

「か、カルロス……」
「お嬢様、お怪我は」

流れるような動きでセシリアに寄り添った執事に状況を説明し、彼の激情を鎮めるまでに、この後お嬢様達は太陽が完全に隠れるまでの時間を費やすことになるのだが……今回は特に触れないでおこう。
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