【完結 R18】ほかに相手がいるのに

～抑制のとき～

逃避

出勤後。

私はいつものように、給湯室でドリップコーヒーをセットしていた。あまりに眠気が強いので、苦めのものを選んで。

「おはよう。」

背後からのその声に、私の肩が無意識にビクリと震えた。低くて…甘い声…杉崎さんに…間違いない。

振り返ると、もちろん声の主は、杉崎さん。
…ああ…顔をまともに直視することができない…。

「お…おは、おはよう…ございます。昨日はありがとう、ございました…結果的に…何度も送っていただいて…」なんとか答える。

一瞬だけ目が合うが、極度の緊張感から継続して杉崎さんの目を見続けることができず、咄嗟に彼の顎のあたりに目線を下げる。

不意に、杉崎さんの唇が目に映り、余計に鼓動が速くなる… ああ…この唇が…私の唇に…触れたんだ…それだけじゃなくて…舌が…中に…

身体の体温が、一気に上昇する…場所は給湯室、余計に…熱がこもってくる気がする。

今、なんでこんな場所で思い出すのか…ここは職場だ…仕事仕事…公私混同はだめ。
とりあえず、別の話、別の話…関係ない話…

そうやって必死に脳に指令を出しても、一切反応してくれない私の思考回路…だめだ…何を話していいか、さっぱりわからない、言葉が出てこない…

代わりに、杉崎さんが会話を続けてくれる…

「あの…昨日はお疲れ様でした。なんだか遅くまで連れ回してごめんね。若い女の子を…あんな時間まで付き合わせて、俺…かなり反省してます。」

「あとね…昨日の…あれ…」そう、彼が続けようとしたその時、

「あ！杉崎さ～ん、おはようございます！こんなところにいた～… 朝からすみません、今、いいですか？聞いてくださいよ～…」

廊下から給湯室へひょっこり顔を出し、杉崎さんに声をかけてきたのは、人事部の細野さん。

薄い桃色のキャミソールにピンクのカーディガン、レースの膝丈の白いスカートを揺らしながら、かわいらしく杉崎さんに話しかけている。

私と2歳ほどしか変わらない彼女は、私とは対照的なファッションをしていた。
女子の代表のようなフェミニンな服装。

私は基本、黒、紺、茶…頑張ってボルドー…
年齢の割に服装が地味過ぎると、今まで友人や同僚に、何度言われたか分からない。

細野さんの性格は甘えたがりで、やたらと懐っこい。

杉崎さんも、まるで妹と接するように、優しく何度も対応しているようで、今日も彼女は杉崎さんに何かの相談があるのだろう…今にも杉崎さんを連れ去りたいような勢いがあった。

私は内心、ホッとしながら珈琲のマグカップを片手に「では杉崎さん、失礼します」小さくお辞儀をしてそう言って、その場を後にした。

「あ…うん、はい、また…ね」

杉崎さんは、やはりまだ何か言いたげではあったが、状況的にも諦めた様子で、
「どうしたのかな？何か悩み…？」そう話しながら細野さんとともに、休憩室へ消えていった…

こんな場所で、昨日の話は…とても続けられない。

きっと、昨夜のキスの…謝罪とか、説明とか…そんな話だったに違いないけど…

私自身、杉崎さんと話すのが怖かった…

だから、逃げた…

私は…本当は、どうしたいのか…

自分でもまだ…よく、わからないままだった