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21.南の国の呪いの姫と宝石と人助け②

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 そういうわけで、クラベルも同行して、三人がアルベルトのお目付け役となった。
 これを聞いたクロエは一人、恨めしそうな顔をしていた。同年代で一人だけ置いていかれたのだからさもあろう。が、彼女は彼女で役目がある。今回は留守番の運びとなった。

「魔物調査に行くんだったか?」

 レイナードがそう言うのに、マクスウェルは頷く。

「ああ。天文台に請われてな。ここのところ妙な魔物の出現が相次いでいるだろう」
「……そうだな」

 巨大蝗に、巨大コウモリ。いずれもそうお目に掛からないはずの魔物だ。
 それが立て続けに現れた。これは何か原因があるはずだと、そう考えた研究者と、それを束ねる立場としてクロエが調査を行っている。その要望を受けた魔法天文台の魔導士が魔道具を作っていたのだが、それが完成したと報告があったらしい。

「なんでも、魔力に反応する装置ができたそうだ。それを使えば魔物の動きが分かるかもしれないってな」
「なるほど。であれば、彼女以上の適任はいないな」

 マクスウェルは肩を竦める。

「ああ。それなりに険しい道もあるだろうが、あいつはそんなの気にしないしな」
「そもそも旅慣れてる」
「そういうわけだ。だから恨まれる理由なんてなにもない!」

 はっきりと言って拳を握るマクスウェル。そう、やましい事は何一つないのだ。だからクロエが「ずるいずるいずるい!」と一晩中言っていたとしても、なにもずるくはない。そもそもマクスウェルの方も公務なのだ。どちらかというとより面倒な方に割り当てられたものだから、マクスウェルの方が、父親に恨みを向けていると言ったほうが正しい。
 だけども、何度も言うが公務である。マクスウェルはしっかり役目を果たそうと思っていた。こう見えてトゥイリアース王国の王太子は真面目なのだ。ただそれまでは存分に羽根を伸ばそうと、そう考えているだけで。
 そんなわけで少しばかり賑やかな船は順調に海を行く。普段は貨物を運んでいる船だが、ヴァーミリオンの一家が乗り込むことも考慮して贅を凝らした造りとなっている。長旅となるのに快適に過ごす為だ。一流ホテルよりも豪華なのでは、と思う客室からわざわざ甲板に出ているのは、風が特別気持ちいいからだった。

「いい風ね」

 リリアンは風にそよぐ髪を押さえて目を細めた。遮るもののない海に見えるのは、所々に立つ白波だけ。空の青は目に痛いくらいだ。強い日差しがリリアンを照らすが、その熱は風が和らげてくれる。
 船での旅行は度々あるが、この数年では久しぶりだ。船旅に忌避感のないリリアンは家族だけでなく、マクスウェルとクラベルが一緒なのが純粋に嬉しくて、実は昨夜なかなか寝付けなかった。心地良い風に頰を撫でられていると、忘れていた眠気がふいに頭をもたげる。たまらずリリアンは、ふわぁ、と小さく欠伸をした。

「眠れなかったのか?」

 それを目敏くアルベルトに見つかってしまい、リリアンは誤魔化すように笑みを浮かべる。

「実は、楽しみで寝付けなかったの」
「そうなのか」
「ええ。だって、お父様とお兄様に、マクスウェル様とお義姉様まで一緒なのだもの。エル=イラーフの王女様がどのような状態か分からないから不謹慎かもしれないけれど、楽しみで」
「……そうか」
「船での旅行も久しぶりだからかしら。……お父様はお仕事で参りますのに、わたくしが浮ついていてはいけませんわね」
「そんなことないさ」

 アルベルトはリリアンの微笑みに目を細める。

(輝いている……)

 海面の煌めきがリリアンの背景を彩る。それが彼女の笑顔と合わさると何十倍もの輝きとなった。あまりにも眩い。
 晴れたこの日、青空は確かに美しいが、リリアンの笑顔ほどではない。大海原でさえリリアンを飾る背景にしかならない。普段のリリアンは当然美しいが、いつもと違う場所で見る笑顔はいつにも増して素晴らしかった。

(太陽が、海が、リリアンを照らしている。大自然が祝福しているかのようだ。それはそうだろうな、リリアンは天使なのだから当然そうなるだろう。だが困った……これでは本当にリリアンから目が離せない。一秒ごと違った美しさを見せるだなんて、リリアンはどこまで私の想像を越えていくんだ。どうしたらいい……まったく観察が追いつかん!)

 アルベルトは美しいリリアンの姿を心のアルバムに焼き付けるのに忙しかった。さっきから言葉が少ないのはそのせいだ。
 海風に靡く髪。水面にも大空にも負けない澄んだ瞳。照り付ける太陽を浴びた笑顔はあまりにも眩しい。その輝きを一身に浴びるアルベルトは、多幸感で胸がいっぱいになっていた。

(このアングルも完璧だが、反対側からの光景も記憶に刻んでおきたい。どうしたらいい……どうしたら同時に、向こう側からリリアンを見られる?)

 それと同時にそんな考えも浮かぶ。長年その方法を考えてはいるが、この世が物質世界である以上、どうしたって限度がある。
 いや、手段はともかく解決法ならある。次元を超越すればいいだけだ。

(リリアンが次元を超えた完全な存在なんだから、それくらいしないといけないのは分かるんだが……くそ、その手段が、私には無い……! ただの人の身であることが忌まわしい。そのせいで全方向から同時にリリアンを観察できないのだから!)

 アルベルトは心の底から本気でそう考えている。そのせいで妙に真剣味を帯びた表情となっているが、誰もその原因が思考にあるとは思わなかった。リリアンでさえも、久々の海外旅行だからだと思ったくらいだ。父親の思考があまりにぶっ飛んでいるとは気付かなかった。
 けれども、父親が喜んでいるのは明白だ。だからリリアンは目一杯の笑みを浮かべる。

「エル=イラーフの王都は、どんなところかしら」

 トゥイリアース王国から海を挟んだ対岸が、かの王国だ。大きな港町が多く、諸国との交流も盛んである。
 海路に力を入れているからか、昔からよく魚を食す文化だ。そのせいか海産が主な産業だと思われがちだが実は違う。エル=イラーフ王国と言えば、宝石の大産出地帯なのだ。
 その宝石を目当てに、アルベルトはリリアンを連れて行った事があった。

「お前がまだ小さい頃に行ったが、覚えていないか?」
「それが、あんまり。綺麗なオレンジ畑のオレンジが、とっても美味しかったのは覚えているのですけれど。旅行の後半は、何があったのか、記憶が朧げで」
「そうか……」

 正直にそう言えば、なぜだかアルベルトはほっとしたような、けれども残念なような、複雑に感情をないまぜにした表情を浮かべる。それがどうにも不思議な気がして、リリアンは首を傾げた。

「それがどうかしましたか?」
「ああいや、なんでもない。覚えていないならいいんだ」

 首を横に振るアルベルトの言葉は歯切れの悪いもので、余計にリリアンは不安を覚える。
 小さい時、確かに船に乗ってどこかへ出掛けた事があった。それがきっとエル=イラーフ王国だったのだろうが、言った通り旅の終わりに何があったかは、あまりよく覚えていない。
 それでふと、その間に何かがあったのではないかと、そんな考えがリリアンの頭をよぎった。

「……お父様、ひょっとして、わたくしなにか粗相を……?」
「いや、違う! そういうんじゃない。それは確かだ」
「そう……?」
「そうだとも。そうだ、寝不足なら少し休むといい。まだ先は長いからな」

 アルベルトは慌てたように言って露骨に話を逸らした。これはもう決定的だろう、リリアンの覚えていない何かがあったに違いない。
 それがなんなのか気掛かりではあったが、この様子では教えて貰えないだろう。この場は大人しく従う事にした。
 少しばかり肩を落とすリリアンの姿は憂いを含んでいて、気分を下げさせてしまったというのにアルベルトは彼女から目を離せなくなっていた。
 幼い頃のリリアンは初めての船にはしゃぎ、戸惑いながらも楽しんでいた。その時と今のリリアンとを比べると、どうしてもアルベルトは冷静でいられなくなる。
 今のリリアンは、何度も繰り返して言いたくなる程立派な淑女だ。そんな完璧な令嬢に成長したリリアンの横顔は、あの無邪気にはしゃぐ頃と何も変わらない。つまり完全な美しさの中に、幼い頃の愛らしさも兼ね備えているということ。

(なんて素晴らしい……)

 同じシチュエーションのせいで、それを実感してしまったアルベルトはもう、感無量だった。
 だからこそ、今のリリアンの笑顔を守ろうと、固く誓ったのだった。


 それからは穏やかな船旅を続ける。その間は実に平和なもので、各々自由に過ごしていた。
 リリアンはクラベルとお茶をしたり、レイナードと船の中を見物したり。マクスウェルとは、この後訪れるエル=イラーフの王都・ジュードの歴史について語ったりして過ごす。
 夜に満点の星空を眺めた時には本当に感動してしまった。水平線の限りまで星空が広がっているので、自分が空の中にいるような錯覚を覚えた。あまりに星が多くて怖くなったくらいだ。
 振り返ってみればなかなか充実した時間だったのではないかと思う。その間中、当然リリアンの隣にはアルベルトが居て、マクスウェルが「うわ、マジでずっといる……」と呟いていたのが印象的だった。
 そのマクスウェルだが、隙を見てはアルベルトに頼み事をしていた。なんでも「凄い武器」というのが欲しいそうだ。
 それはグレンリヒトとレイナードの持つミスリル製の武器のようだったが、にべもなく断られて、マクスウェルは肩を落としていた。間を取り持とうにもアルベルトはすぐに話題を変えてしまって、口を挟む隙がない。力になれずに落ち込むリリアンだったが、高純度のミスリルは精製するのが難しいと聞いている。そういう事情で応じる事が出来ないのだろう。そう思うことにした。
 そうこうしているうちに、あっという間に五日が過ぎた。異国の地は色鮮やかに見え、目に入るすべてのものがリリアンを楽しませてくれる。
 この後、どんなものが見られるのだろう。建物に施された装飾に見入っていたリリアンは、まだ見ぬ王宮に思いを馳せた。
 そんなリリアンの姿に魅入るアルベルトとクラベル。レイナードは人数の都合でマクスウェルと同じ馬車に乗っていた。そんな彼は、リリアンと居られないのをずっと嘆いており、マクスウェルを辟易させる。
 途中休憩の為に馬車が停まると、その度に以下のようなやり取りが行われた。

「父上、馬車を代わって下さい」
「譲るわけないだろう」
「……ベル」
「わたしがマクスウェルと同じ馬車に乗るわけにはいかないでしょ?」
「俺は気にしないぞ、クラベル嬢。変わってやってくれないか、ずっとリリーリリーってうるさいんだ、こいつ」
「あら、わたしも同じ事を言うと思うけれど。どっちがいい?」
「……うーん……」

 リリアンの隣は、このように激しい奪い合いが繰り広げられていた。もちろんそれはリリアン本人には知られていない。
 ちなみに、誰からも『交代で座る』という案は出なかった。


 港町から馬車で半日すると、王都ジュードに入る。王都の中心部まではそれからまだしばらくかかった。
 からからという車輪の音を聞きながら窓の外を眺めるリリアン。そんなリリアンの姿に、アルベルトは密かに心配を募らせていた。

(美し過ぎる……こんなに美しいリリアンを王宮へ連れて行きたくない。まず間違いなく王宮中の視線を集めるだろう。可憐で輝くリリアンに見入ってしまうのは当然だからな、ある程度は仕方がないが……つまらん羽虫が寄って来るのは防がないと)

 リリアンは他国の王宮へ向かう為に、煌びやかな衣装を身に纏っている。それはこのエル=イラーフ王国の伝統的な衣装で、ゆとりのあるワンピースを着た上に、金糸で縁取った薄い布を幾重にも重ねる。ドレスのスカートを膨らませる祖国の衣装とは違った華やかさがあって、リリアンは楽しそうに生地をはためかせていた。
 リリアンの動きに合わせて波打つ布はいつまでも見ていられた。そのはためく薄い生地が、縁取りの金の糸が、リリアンの笑顔を彩る。

(そんなリリアンに見惚れないわけがない。……くそ、私としたことが……! リリアンの美しさを見誤っていた。これでは国中の男を虜にしてしまう……!)

 そうして魅了された不遜な連中は、光に吸い寄せられる羽虫のようにふらふらとリリアンに寄って来るに違いない。
 それらはアルベルトからしてみれば害虫で間違いなかった。リリアンの利益にもならず、神々しい彼女には相応しくない。名も無き羽虫ごときをリリアンに近寄らせるわけにはいかない。
 事前に良からぬ輩がリリアンに近付かないよう、エル=イラーフの王宮には伝えてある。だが絶対に、隙を見て近付く者が出るはずだ。アルベルトにはそう言い切れる絶対の自信があった。

「お義姉様のドレスも本当に素敵。お兄様の髪色と同じ優しい金色は、お義姉様にとっても似合うわ」
「ありがとう。でも、リリアンの方が素敵よ? 本当に綺麗だわ……光の加減で銀にも見える白のドレスに、金の刺繍。まるで女神のよう」
「嫌だわ、お義姉様までそんな事を仰るなんて」
「だって、事実なのだもの」

 薄いベールを重ねたリリアンの姿は、クラベルの言う通り女神に相応しい神々しさを湛えている。銀の髪がそこから覗いて光を返せば、金糸に負けない輝きを放った。

(一匹残らず潰す。それしか無いな)

 うむ、と結論を出したアルベルトは頷く。
 女神に群がる悪鬼を滅するのは信徒の務めであろう。つまりアルベルトの役目だ。密かに魔力を練って維持を続ける。リリアンに近付こうとする男共を即座に排除できるようにしているのだ。
 そんな不穏な魔力を漂わせた馬車はそのまま王宮へと入っていく。豪奢なはずなのに、おどろおどろしい雰囲気を撒き散らしているせいで、王宮では体調を崩す者が現れた。その原因がまさか異国からの来訪者であるとは、誰も思わなかった。
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