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18.思い出の選考会はとても激しくて④
しおりを挟む「わたくしは、あなたとなんかお友達になりませんわ!」
「えっ?」
「セ、セレスト!?」
にこやかなリリアンに返したセレストの言葉はとんでもないものだった。ぎょっとシュナイダーは目を見開く。その僅かな隙に、セレストはくるっと踵を返して走り去ってしまった。
二言目でのまさかの拒絶。リリアンは呆然として、走り出したセレストの背中を見送る。
「……シュナイダー君。あれはどういうわけだ?」
そんなリリアンの後ろ、アルベルトが低く呟く。その声にはっとして、シュナイダーはそちらに視線を向けた。
「理由も無しにあんな事をする娘ではないんだ。嘘じゃない。なにか……理由があるはずだ」
「理由があろうと、リリアンにあんな態度を取るのは許せん」
「うぐっ……そ、それは」
先程までのにこやかな笑顔は鳴りを潜め、アルベルトの冷ややかな視線がシュナイダーを射抜く。それは記憶の中にあるアルベルトの姿そのものだ。疑っていたわけではないが、信じきれていなかった者達が息を飲んだのが分かった。シュナイダーも息を詰まらせたが、今はそれよりもリリアンだ。彼女はまだセレストが走って行った方向を見て、呆然としてしまっている。
その姿が痛ましい。リリアンとセレストは同じ年齢なのだ、いきなりの出来事に傷付いていないはずがなかった。シュナイダーは地面に片膝をつき、リリアンと視線の高さを合わせる。
「リリアン嬢、娘が失礼をした。本当に申し訳ない」
「……セレスト様、とても怒ってらしたわ」
リリアンは顔色を悪くしているが、声色はしっかりとしていた。眉を下げ、にこりと笑んではいたが、気丈に振る舞っているのが見て分かった。
「知らないうちに、セレスト様になにかしてしまったようです。アズール公から謝罪をつたえていただけますでしょうか」
「いや、君のせいではない。あの子なりの理由があるんだろうが……とにかく悪いのはセレストだ、君ではないよ」
「でも、あんなに怒っていたわ」
リリアンはぐっとスカートを握る。全く心当たりは無かったが、あのセレストの厳しい目。あんなものを向けられるからには、何か気に障る事があったに違いない。言うなり走り去るくらいだ、リリアンからの言葉なんて届きはしないだろう。シュナイダーも、理由は分からないが同じ事を思った。あんな風に初対面の相手に強く出る娘の姿なんて初めて見たのだ。
ともかくその理由が分からなければ誠意のある謝罪など出来ないだろう。シュナイダーはよくよくリリアンに娘の非礼を詫びた。
「後日改めて謝罪をさせて頂く。今は……あの子が心配なので、我々はこれで失礼するよ」
リリアンはもとより、あんなセレストをそのままにはしておけなかった。駆け出したセレストの事はすぐに妻が追いかけたけれど、シュナイダーもよく話を聞かなければならないだろう。優しくリリアンに声を掛けたシュナイダーは立ち上がると冷めた雰囲気のままのアルベルトへと視線を向けた。
「そういうわけだ、アルベルト。きっとこの詫びは必ず」
そうか、とだけ返したアルベルトに頷いて、シュナイダーはその場を辞した。
(リリアンを相手になんて無礼な娘だ……!)
そんなシュナイダーを見送るアルベルトは、心の内で嵐を起こしていた。
リリアンが軽やかに明るく声を掛けたというのに、あの娘はそれを踏み躙ったのだ。いくら顔見知りの娘であっても到底許せないと、そう拳を握り締める。
そっと視線を向ければ、可哀想に、リリアンはしゅんと勢いを無くしてしまっている。心なしか微かに肩が震えているように見え、そうだ、と思い至った。無礼な女児に憤っている場合ではない、まずはリリアンを慰めるべきだったと慌てて手を伸ばそうとした、その時だった。一人の令嬢がすっとリリアンの前に出て、その手を取ったのだ。
驚いて顔を上げたリリアンに、その令嬢はふっと微笑む。
「リリアン様、どうかお気になさいませんよう。セレスト様は、理由もなく意地悪をするような方ではありませんわ。とても責任感が強く、面倒見の良い方です」
「……そう、なの?」
「ええ。アズール公の言ったように、きっとなにか理由があるのです。ですので、リリアン様のせいではございません。……と思います」
最後、取ってつけたように言ったのは、やはり確信が無いからなのだろう。令嬢が恥ずかしそうに小首を傾げてみせたのにくすりと笑って、リリアンはセレストが走り去った方向へ視線を向けた。
「いつか、お友達になれるかしら」
「きっと大丈夫ですわ」
と、そう言い切れるくらいには、この子の言う通りセレストは意地悪な子ではないのだろう。だとしたらきっと、いつかリリアンと話くらいはしてくれるようになるかもしれない。
「……そうね、そうだとうれしいわ」
だったらもう、この場はいいだろう。セレストは居なくなってしまったから、今はその他の残ってくれている子を相手にすべきだ。そう考えてリリアンは、もう見えない背中を追うのをやめた。優しくリリアンの手を取ってくれた令嬢へ、柔らかな微笑みを向ける。
「教えていただいて、ありがとう。あなたのお名前をおしえてくださる?」
「失礼いたしました。わたくしはプレート伯爵家のヴァイオレットと申します」
ヴァイオレットはリリアンの手を離すと、一歩退がって頭を下げた。そうして披露されたカーテシーは様になっている。ふらついたりもしていなくて綺麗だった。
彼女はリリアンよりも背が高い。しっかりとした動作と発言からも年上なのだろうと予測がついた。普段歳の離れた女性としか接していないリリアンからすると、ヴァイオレットとの会話は新鮮だった。正直なところ、同じ年頃の女の子とちゃんとお話しができるかしらと不安を抱いていたリリアンは、かなりほっとした。セレストとは会話を打ち切られてしまったから、余計にそう感じるのかもしれない。
「ヴァイオレット様というのね。良ければわたくしと、お話ししてくださらないかしら」
「ええ、リリアン様。喜んで」
とヴァイオレットがそう答え、リリアンが微笑むと、緊張していた会場の空気が和らいでいくのが分かった。注目されていたのだと、そう理解したリリアンの前で、ヴァイオレットがどこかほっとしたように肩の力を抜いていた。彼女は自分にだけでなくこの場の人全てに気を遣ったのだろう。ヴァイオレットの気遣いに、リリアンは目を見開く。
彼女の事は信頼できるのではないか――そう思い話題を切り出せば、ヴァイオレットは軽やかな声で応じてくれた。その声に誘われるようにして、他の令嬢達も順番にリリアンの元を訪れる。そうしてあっという間に、会場に賑やかな声が溢れていった。
その中央で楽しげに挨拶に応じる妹の姿に、レイナードはほっと息を吐く。
(良かった。リリー、ちゃんと友達を作れそうだな)
いきなりどうなる事かと思ったが、セレスト以外の子達とはきちんと挨拶ができていた。見た限りではしっかりした子ばかりだ、あれならリリアンと接するのも問題ないだろう。
「あの、レイナード様」
そうやってリリアンを見守るレイナードの元へ、数人の令嬢が親を伴ってやって来た。リリアンにではなく、レイナードへ挨拶をする。それがどういう事なのか理解しているレイナードは、すっと表情を消した。
「初めまして、あの、わたくし」
「残念だったね」
「え?」
名乗ろうとする令嬢の言葉を遮って、レイナードはちらりとその子を一瞥する。
「君達は不合格だよ」
「えっ」
「それは、どういう」
突然そう言われた令嬢達は目を白黒させるが、それには構わず、レイナードはそれ以上彼女達に取り合わなかった。どれだけ後について来られようとも、しつこく話しかけられようともだ。他の子が話しているのを遮って前に出ようとした子が、別の子のドレスの裾を踏んで諍いが起きてもレイナードは我関せずだった。
いくら何でもその態度はどうなのか。保護者のうちの一人がレイナードへ声を掛けようとした時、ふとレイナードが視線を上げる。
何かあったのだろうかとその視線を追えば、そこには娘の肩に手を乗せたアルベルトが、彼女に向けて微笑みを向けていた。そしてそのまま、ヴァイオレットへと向く。
「合格だ」
「は」
驚くヴァイオレットには構わず、アルベルトはすっと視線をこちらに向けた。そして、レイナードの周囲に居る少女達を順番に指差していく。
「お前と、そこのお前。ああ、そっちの青のドレスのお前もだ」
指差された子達は、驚きながらもどこか得意そうにしている。その子達とリリアンは、まだ挨拶もしていない。あの子達がどうかしたのかしらと、内心首を傾げながらリリアンは父親を見上げていた。
そのリリアンの目の前で、アルベルトははっきりと言い切った。
「お前達は不合格だ。即刻出て行くがいい」
「えっ」
「は?」
その言葉に少女達は驚愕し、あれほど得意げだった表情を歪めた。彼女達の両親も同じような表情を浮かべる。
何が起きたのか理解出来ないでいる彼らをレイナードが振り返った。その表情には憐れみが浮かんでいてようやく彼らは失敗を悟る。
誰もが戸惑い、様子を伺う中で、アルベルトが指差した令嬢とその両親が揃って連れ出されて行った。それで、ようやく誰もが把握した。
(そ、そんな)
(ここから更に選考されるだと!? ここに居る者すべてがそうなのではないのか!)
一人頷いているアルベルトを前に、思わず驚きが顔に出てしまう者が大半だった。なぜ不合格なのか、まさかそれをこの場で問うわけにもいくまい。
それでさり気なく周囲の様子を伺う。それで分かったのは、どうやら彼女達の目的はリリアンではなくその兄、子息のレイナードのようだ、という事だった。
リリアンの友人を選ぶのに、わざわざレイナードを伴っていたのはこれが理由だ。リリアンを踏み台にレイナードに近付こうとするような子は、リリアンの友人に相応しくない。リリアンが居るというのにそちらへは視線を向けず、レイナードしか見ていないのであれば、まず除外されて当然だった。その為だけにアルベルトは息子を同席させたのだ。もっともそれはレイナードの方も承知済みである。リリアンの為ならと、むしろ自分から申し出るくらいには乗り気だった。
そうやって強制退出させられる子が出て、さっと青褪める子が何人も居た。顔色を悪くさせるのは純粋な証だろう。けれども顔に出してしまった以上見過ごされるはずがなく、彼女達にも次々と使用人が声を掛け、退室していく。
そうして残ったのは半数ほどだろうか。会場はすっかり寂しくなってしまったが、その分リリアンは緊張せず令嬢達と挨拶を交わす事ができた。一人当たりに割く時間も多いから人となりもなんとなく分かる。それでお互いに合わない子も居たけれど、それは仕方がない。寂しくはあるが、そういうこともあるのねと、リリアンは人付き合いの難しさを学ぶいい機会となったのは間違いないだろう。
セレストが立ち去った後とは打って変わって笑顔となったリリアンを見て、アルベルトはようやくほっと息をつく。
(リリアン。なんて……なんて素晴らしいんだ)
最高に緊張していただろうに、立派に挨拶をこなしてみせた。その緊張が解れきらないまま直後に起きた、無礼極まりないシュナイダーの娘の愚行。それを乗り越え、リリアンは友人を獲得してみせたのだ。ついこの間まで赤ん坊だったのにと、そう思うと立派な姿に驚きと喜びを隠せない。しかもリリアンは、相手が自分を気遣っているのを察してさり気なく礼を述べるのだ、すでに立派な貴族の女性のようだった。もう素晴らし過ぎて、いっそ尊い。リリアンの小さな背中を頼もしく思い、アルベルトは感嘆の息を漏らす。
アズール公爵一家が退室した時とは打って変わって、またしてもにこやかな表情になったアルベルトは残った令嬢の両親達を振り返った。
「リリアンが喜んでいる。決まりだな、彼女達をリリアンの友人と認めよう」
それに対峙した保護者達は、一応は喜びを顔に乗せる。
(うちの娘もリリアン嬢も、楽しそうだ。それは喜ばしい。が……)
(残った家門も申し分ないのは事実だが……この方と縁を結んで良いものかどうか)
今日、これまでで彼らは充分に察した。このアルベルトという男が、一見温厚になった様に見えても、その実なにも変わっていないという事を。方向性が変わっただけで特異性は変わっていない。むしろ娘に一直線になった分、厄介になったかも知れない。
リリアンに対して、接し方をよくよく娘に言い聞かせなければと各々が心に刻む中、アルベルトがそうだ、と声を上げた。
「リリアンの友人であればもはや他人でもないな。そうだな、何か困り事があれば声を掛けるがいい。一度くらいであれば手を貸そう、この私がな」
得意げに言い切ったアルベルト。
(出来るわけあるか!)
国内で最も影響力のあるヴァーミリオン家の介入。カードが強過ぎる。そんなもの切れるわけがないだろうと、保護者一同の心は一つになった。
そんな事が起きているとは知らず、リリアンを中心とした幼い少女達の笑い声が晴れやかな庭に響く。
「あなたはシャロン様というのね」
「よろしくお願いいたします、リリアン様。こちらはレンブラント家のミオラル様ですわ」
「は、初めまして、リリアンさま」
「ミオラル様。初めまして。お二人はもともとおともだちなの?」
「いいえ。実はわたくし達も、さっき友人になったばかりなのです。ね、ミオラル?」
「しゃ、シャロン」
「まあ! なのにとっても仲良しに見えるわ。わたくしも混ぜていただけると、うれしいのだけど」
「リリアン様なら当然、大歓迎ですわ」
早速リリアンはヴァイオレット以外の友人も得たようだ。なんて素晴らしい。
小鳥の囀りのような軽やかな声は、ヴァーミリオン家の庭に良く合った。その只中のリリアンの輝かしい笑顔にこそ笑みを浮かべて、アルベルトは一人、うんうん、と頷いていた。
◆◆◆
「その時のテーブルに配されていたのですよね」
「そうそう。あの時、がちがちに緊張したミオラルがお菓子を落としそうになって」
「言わないで、シャロン。あの後両親に強く注意されたのを思い出すの」
「仕方がないわ。わたくしでも、とても緊張したもの」
「あらヴァイオレット、そうだったの? とてもそうには見えなかったけれど」
「だって、必死になって取り繕いましたからね。お側で拝見したリリアン様がとっても素敵だったものだから、わたくしもそれに相応しくないといけないと思って」
「ふふ。そんな事ないのに」
友人の言葉に、おかしな事を言うのねと笑うリリアンを、当のヴァイオレットが否定した。
「いいえ! だって本当に素晴らしかったのですよ。今も、勿論ですが。あの時ヴァーミリオン公に連れられたリリアン様のお姿は、わたくし達の脳裏に焼き付いて離れないのです」
「ヴァイオレット様の言う通りです、リリアン様」
「本当にそうです! なんならあの場に居た全員にご確認なさいませ。全員が全員、同じ回答をなさいますわ」
「嫌だわ。そんなはずがないではないの」
ころころと笑うリリアンだったが、ヴァイオレット達は真剣そのものだった。さっきの彼女達の言葉に嘘偽りはないし、あの場の全員が同じ事を答えるだろうというのも本心だ。それだけ、白い花弁が舞う中現れたリリアン達ヴァーミリオンの一家は強烈だった。参加者の中にはあまりの光景に感涙した者も居たそうだ。彼女達はそこまでではなかったが、今でも鮮明に思い描ける一幕はそれほどの衝撃があって然るべきだと思える。
その後、セレストが非常識とも取れる行動をしたという事件はあったものの、会はつつがなく終了したと思う。思う、と不確かなのは、その間彼女達は幸福感でいっぱいで、夢現だったからだ。気が付いたら楽しい時間が終わってしまっていた。
覚えているのは、お互いが緊張しながら挨拶を交わした事。まずは緊張を和らげましょうとお茶を飲んだ事。そのお茶が美味しくて、その供となるお菓子もほっぺが落ちそうなくらい美味しくて――それを喜んだリリアンが、「とっても美味しいお菓子だわ!」と歓声を上げて、アルベルトがリリアンの背後で拳を高く突き上げていた事くらい。
そのリリアンの笑顔が忘れられなくて、ヴァイオレット達は家に戻ってから、両親にあれがまた食べたいと強請ったのだ。折につけそれをよく食べるようになり、毎回思い出すのだ、リリアンが心の底から喜んで食べていたことを。
それからこの老舗の焼き菓子は売上げが倍増したと聞いた。その当時はなんとも思わなかったが、今なら分かる。リリアンの友人達の家がよく購入するようになったのと、ヴァーミリオン家からの発注が増えたのだろう。それが評判を招き、更に売れるようになったに違いない。
「ヴァイオレット様が声を掛けてくれて、本当に嬉しかったの。それからシャロン様とミオラル様も。もしかしたら、誰にも相手にされないんじゃないかって、そう思っていたから」
「まさか! そんなはずがありませんわ、リリアン様」
「シャロンの言う通りです、リリアン様。皆リリアン様とお話したくて仕方なかったんですから」
シャロンとミオラルは強くリリアンの言葉を否定した。ただの事実なのだが、リリアンはどこか寂しげに微笑んでいる。
「……ええ。皆さんがそう言うのなら、そうなのでしょうね」
その翳りのある笑みに、ヴァイオレット達はそっと視線を交わす。リリアンはあの後、なにかにつけて相手が不快ではないかと確認をしていた。それは言わずもがな、知らないうちにセレストの不快を買ってしまったことに由来する。
あれにはヴァイオレット達も驚いたが、今思えばあの行動は第二王子のルーファスが関わっていたのだろう。その後セレストがルーファスの婚約者に決まった頃には、すっかりセレストはリリアンを邪険にするようになっていた。リリアンにその気がなくともだ。
長い事その状況が続いていたのだが、昨年セレストの心境に変化が訪れたようだった。会えばリリアンのドレスを褒めたり会話をしたり。更にはセレストがその手でリリアンのドレスを作り、発表した。
それを聞いた時、ヴァイオレット達は正直に言えば仰天した。彼女は責任感が強く真面目で実直なのだ。その分、融通が効かない所もあったのだが――どうやらそれも変わったようだ。
「でも、リリアン様。わたくしの言った通りでしたでしょう?」
何かは言葉にせずそう言えば、リリアンは一変、晴れやかな表情を浮かべる。
「ええ。ヴァイオレット様の言った通りでした。ドレスのお礼にと、セレスト様とお茶をしたのですけれど。このお菓子をお出ししたら、とても喜んでくださったの。嬉しくなって、つい食べ過ぎてしまったのよ」
自分達の思い出の品をセレストも気に入ってくれたのだと、そう笑うリリアン。ヴァイオレット達はその花が綻ぶような笑顔に魅入った。リリアンは、友人達が同じものに思い入れを持ってくれている、その事に喜んでいるのだ。
だとしたら、この場は全力で美味しくお菓子を頂こう。それが何よりもリリアンの為になる。ヴァイオレット達がこのお菓子を好んでいるのは事実だ、それで彼女達はめいっぱい堪能する事にした。例え数日前に家でたらふく食べていたとしてもだ。リリアンの笑顔の為ならば、彼女達はなんだって出来るのだ。
笑顔でお菓子を頬張る友人達を、リリアンは見渡す。十年前、リリアンの前に現れた彼女達は、リリアンからしてみるととてもお姉さんっぽく見えた。実際にはほとんど差はないのだが、それでもリリアンを気遣い、貴族然としたシャロンはずっと年上に見えた。ミオラルはとても弁が立って賢いし、ヴァイオレットはほんの僅かな気持ちの振れを察してくれる。それらを自然とこなす友人達は、リリアンには勿体無いと思えるくらいだった。
勿論、彼女達以外の友人も似た様なものだ。誰もがリリアンを尊重し、思いやってくれる。そんな友人達と、こうして思い出話に花を咲かせてゆったりとお茶が出来るのを尊く感じた。リリアンがこうして楽しんで居られるのも、全部彼女達との出会いのきっかけを作ってくれた父のお陰だ。ひっそりと心の内で感謝を述べるリリアンだったが、そこへ当のアルベルトが顔を出したものだから、思わずくすりと笑ってしまった。
そんなリリアンとは対照的に、ヴァイオレット達は表情を引き締めてすっと立ち上がる。
「これは、ヴァーミリオン公」
「いい、座りなさい。リリアンとのお茶を中断する必要はない」
「恐れ入ります」
いつも通りのやり取りを経て、友人達が席に着く。アルベルトはその場に同席したりはしなかった。あくまで様子を伺うだけに留め、リリアン達の邪魔はしない。が、この時はどこかそわそわしてテーブルの横についている。
「お父様? どうかなさいましたか?」
リリアンがそう首を傾げると、アルベルトはなぜか視線を逸らす。
「いや、少し昔を思い出してな。どんな様子かと思って見に来ただけなんだ」
「そうなの?」
「ああ」
と、アルベルトはちらちらとリリアンを見たり視線を外したりと落ち着きがない。リリアンはどうしたのかしら、と反対側に首を傾けるが、アルベルトはそれにすら心を乱している。
(あの時の事を思い出して傷付いていやしないかと思っていたが、杞憂だったようだな。良かった。遠目でそれだけ確認しようと思っていたというのに、自然を背景にお茶をするリリアンの姿を見たら、ついうっかり出て来てしまった……! なんという事だ、邪魔をするつもりはなかったのに! 友人達との時間を邪魔されたにも関わらず私に気を使うなど、ああ、本当にリリアンは優しいな。天使なだけはある。……しかし)
ちらっとアルベルトはリリアンに視線を向けた。
(この、なんの変哲もない白い花を背景に、友人と語らうリリアンの姿。十年前はあどけなさ全開で愛らしかったが、なんだ、今のリリアンの、この美しさは!)
ぎり、と奥歯を噛み締め、アルベルトは開眼する。
あの時、できたばかりの友人相手におしゃべりを楽しむリリアンは、大きな瞳を輝かせながらころころと表情を変えていた。そんな娘の姿は赤ん坊だった時と比べると、本当に大きくなったなと感動したものだが。それが今や、愛らしさは限界を超え、磨かれた美しさを更なる領域へと押し上げている。もはや彼女の美貌は、神の域に達しているのだ。それが喜ばしく、同時に切ない。いや、こんなに立派に成長したのは素直に嬉しいが、おとうさまおとうさまとアルベルトの後を追いかけていたリリアンはもういないのだと、そう思い知らされてしまう。
これが子を持つという事なのかと、アルベルトは目を瞑った。
(リリアン。君というラビリンスから、私はいつ抜け出せるのだろうか)
これっぽっちも抜け出す気などないくせに、そう思わずに居られなかった。
(むしろ永住したい)
自分の素直な感情に目を向ければそんな想いが溢れ出てくる。そして一旦それを自覚してしまえば、もう自分の気持ちに逆らうのが馬鹿馬鹿しくなった。というか抜け出す必要性を感じない。それで、なんだ、悩む必要はないじゃないかと結論付けた。
思わぬ所で長年の悩みが解消され、アルベルトは一変晴れやかな表情を浮かべる。そんな姿さえ見慣れたリリアンは、「あら、うふふ」と可憐に笑った。
そのリリアンの微笑みに、ふと思い至るものがあったアルベルトは、ふわりと魔力を立ち昇らせる。
「お父様?」
「あれ以来やっていなかったからな。まあ、見ていなさい」
と、そう言ってつむじ風を起こした。風は渦を巻いて花弁を空へと運んでいく。その様子に、リリアンもヴァイオレット達も見覚えがあった。十年前のパーティーの時と同じだ、白い花弁が、辺り一面に降り注ぐ。
「凄いわ、綺麗!」
「花弁が少なかったから、雪の結晶を混ぜてみたが。気に入ったかい?」
「ええ! あの時とそっくり、とっても綺麗。さすがお父様だわ!」
父子のその会話で理解した。あの時の花吹雪は、アルベルトがリリアンの為に起こしたものなのだろう。きらきらと輝く光の中、うっとりとそれを見上げるリリアン。あまりにも神々しい姿は確かに、引き起こしてでも見たい光景だった。
だからだろうか。アルベルトが、ふとその場で片膝を突こうとして、その途中でハッとなって姿勢を戻していた。多分、跪こうとしたのだろう。それを娘の友人達の手前、すんでの所で思い留まったに違いない。
アルベルトの奇行は見えなかった事にして、ヴァイオレット達はその一時を楽しんだ。
後日、白い花弁が舞う中で笑みを浮かべ、友人達とお茶をするリリアンの姿を描いた絵が出来上がる。それはリリアンが友人達と過ごす為の屋敷に置かれ、思い出を振り返るのにとても良いと彼女達は大いに喜んだ。
同じ構図だが、そこから令嬢達の姿を消したものがアルベルトの部屋に飾られた。視線も友人にではなく、こちらに向けたものに変わっている。白と緑のコントラストの中で微笑むリリアンの青い双眸は一際輝いて、アルベルトを射抜いた。それでより一層迷宮からの脱出が難しくなるのだが、やはり抜け出す気なんてさらさら無いので、思う存分浸かる事にした。
その絵の隣には、幼いリリアンが、やはり白い花吹雪の中ではしゃいでいる絵が掛けられている。全くもって素晴らしい瞬間を目に出来た己の幸運に感服するアルベルトだった。
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