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18.思い出の選考会はとても激しくて①

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 その日、リリアンは領地に付き合いの長い友人達を招き、庭でお茶をしていた。領地の屋敷の庭は、王都の整然としたものとは趣きが異なる。自然に近い形で数多くの植物が景色を作り、まるで森の中に居るようだ。とは言ってもこれは人の手によって美しく見えるよう配置されたものなのだが。
 今リリアン達が居る建物は、ヴァーミリオン家の敷地内にある屋敷だ。と言っても、本邸ではない。本邸にはリリアンの祖父母にあたる、先の国王夫妻も出入りする。それではリリアンの友人達がくつろげないだろうと、彼女達が過ごす為だけに建てられたものなのだ。

「いいお天気ね」
「本当に。お庭でこうしていると、気持ちがいいですね」

 暖かな日差しに目を細めるリリアンに、そう返したのはプレート伯爵令嬢のヴァイオレット。彼女はリリアン同様、空を見上げて微笑む。
 こうしてリリアンと会うのは久しぶりだ。前にプレート伯爵家の領地がならず者に荒らされ、ヴァーミリオン家に世話になってからというもの、事業が忙しくて手紙を出すので精一杯だったのだ。
 そんなヴァイオレットに頷くのは、シャロン・トラウルとミオラル・レンブラント。彼女らもそれなりに多忙なほうなので、こうして四人で会うのは随分久しぶりになる。ミオラルが土産としてお茶を、シャロンがお菓子を、ヴァイオレットは花を持って来て、今はそれを皆で味わい、鑑賞しているところだ。
 この庭に出入りするのも、もう何度目になるだろうか。王都で一般的な、幾何学式の庭園は整っていて美しい。けれどもこの庭のように、自然の姿を間近に鑑賞するのも悪くはない。特に、木々の中でぽつぽつと咲いている小さな白い花は、自然の息吹と季節の変化を楽しめてとても良い。この庭は、計算して植物を配置したと聞いた。人の手で作られた景観とは思えないほど、ごく自然な森としか思えない庭を有した屋敷。これがただお茶会をする為だけに作られただなんて。

(たまに使うだけなのに、建てるのだもの。閣下のリリアン様思いは相当よね)

 ごく一般的な貴族の屋敷、それと遜色のない建物を背に、ヴァイオレット達は微笑みを絶やさずお茶を頂く。
 優しく木漏れ日が落ちるテーブルの上には、スタンドに乗ったお菓子。老舗の焼き菓子は、この庭に来るきっかけともなった、四人の思い出のお菓子だ。
 そのお菓子をひとつ手に取って、シャロンが懐かしそうに目を細めた。

「これを見ると、なんだか懐かしく感じますわね」

 それに頷くミオラルも、同じくお菓子に手を伸ばす。

「本当にね。うちでも購入することがあるけれど、思い出すのはいつもリリアン様にお会いした時の事ばかりなの」
「まあ、ミオラルも?」

 くすり、とヴァイオレットが笑う。

「わたくしもなの。どうしても、あの時の事を思い出すわ」
「ふふっ。やっぱり?」
「ええ」

 そんな三人に、リリアンは笑みを深いものにした。そうなのね、という声は軽快で、嬉しさが滲んでいる。

「なら、今日はこれにして良かったわ。今年は十年目になるでしょう? せっかくだからと、これを準備したの」
「そうなのですね」
「それは、良い案ですね!」

 さすがリリアン様だ、と続けるミオラルがはしゃぐのを視界に収め、ヴァイオレットはひとり驚きを隠せずにいる。

「十年。もう、それほどのお付き合いになりますのね」
「そうなの。わたくし達が出会って、お友達になって十年よ。その間ずっとこうして仲良く居られるだなんて、素敵な事だとは思わない?」
「言われてみれば、そうですわね」
「確かに。凄いことよね」
「この縁は大切にしたいわね」

 最後にヴァイオレットがそう言うのを、リリアンは噛み締めるように頷いた。本当にその通りだ。一緒に居て楽しい時間を共有できる友人、というのは、得難いものに違いない。それが分かるから、友人達と出会うきっかけとなった機会を作ってくれた父親に、リリアンはいつも感謝していた。

「思い出しますわ。あの時のこと」

 リリアンは、遠い日に思いを馳せる。


◆◆◆


 十年前、リリアンがそろそろ四つになる頃の事だ。それまで文字通りアルベルトの腕の中で、大事に大事にされていたリリアン。言葉が増え行動範囲も広がって、大人達とも会話が続くようになっていた。が、レイナードはいるものの、それ以外は大人ばかり。王都には親類が居るが、彼らに会うのは新年を祝う場所がせいぜいだ。同じ年齢の子にリリアンは会った事がない。いくらなんでもこのままの状態では良くないと、かつての王妃フリージアは言った。

「そろそろリリアンにも、話し相手が必要じゃないかしら」

 アルベルトはそれを、膝の上にリリアンを乗せたまま聞いていた。ぎゅっと眉を寄せると遠慮なくフリージアを睨み付ける。

「私が居るだろう」
「身内ではない、外の人間でという意味よ。理解しているくせに、そんな風に言うのはどうかと思いますよ」

 フリージアは息子の鋭い目付きもなんのその、優雅にお茶を啜っている。睨みがこれっぽっちも効いていないと理解したアルベルトは、ふん、と鼻を鳴らした。

「今のリリアンに必要か?」
「早過ぎるという事はないでしょう。いずれは必要になるのだし、今からでも良いのではないかしら」
「仮に友人が出来たりしたら、リリアンとの時間が減る」
「今が多過ぎるのよ」
「こんなに完璧なリリアンに相応しい友人が存在するとは思えん」

 アルベルトの言い分に、フリージアはため息が溢れるのを止められない。なんとも酷い言葉だが、アルベルトの場合、本気でそう思っているからタチが悪かった。娘を見る目には強い輝きが秘められている。全くもって、自分の言葉を信じて疑っていないのだ。
 フリージアは、鈍く頭が痛む気がして、こめかみを揉みほぐす。

「早い子はすでにコミュニティに参加しているでしょう。将来のリリアンの不利益になりかねないわ、決断は早い方がいい」

 リリアンの不利益になる。そう言われた為か、アルベルトの表情がぐっと歪んだ。ただそれでもすぐには納得がいかないのか、険しい表情のまま、落ち着きなくテーブルを指で叩いている。
 カツカツという音にか、それとも父親の不機嫌を悟ってか、リリアンが不安そうにアルベルトを仰ぎ見た。

「おとうさま?」

 その声に、はっとアルベルトは意識を戻す。
 幼い頃からの他者との交流は、成長に不可欠と言える。それは生物学的に見ても間違いないだろう。そしてそれは、リリアンにも必要だった。地位のある立場でなら尚更で、早いうちからの交流というのは悪くない話だ。古くからの知り合いは、それだけで価値がある。親しくなれば情が湧く。そうなれば相手の為に何かしてやろうと思うものだ。特に、リリアンは特別愛らしい。そんな彼女であれば、あらゆる者を魅了するに決まっている。
 止めようとしたってリリアンの愛らしさを隠せるわけでもない。だからそれ自体は問題ないのだが、魅了された者の中に妙な輩が紛れ込まれては困る。

「……仕方がない」

 そういった異分子を排除するのは、保護者たるアルベルトの役目であろう。こればかりは他の誰にも譲れない。リリアンの親は、アルベルトだけなのだ。

「オーディションをする!!」
「は?」

 突然そう叫んだアルベルトに、フリージアは目を丸くした。それがいい、と言う息子はうんうんと頷くばかりで、言葉は要領を得ない。

「アルベルト。分かるように言って頂戴」

 眉を顰めるフリージアだったが、続くアルベルトの言葉にそれがますます険しくなっていく。

「妙な人間がリリアンに近付くのは看過できん。まずはそういう連中を除外する」
「まあ、それは必要でしょうね」
「リリアンの利益になる人間を国中から探そう。爵位に関係なく、同じ年齢の娘の中から選ぶ必要がある」
「そうね。爵位と人柄は、必ずしも一致するというわけでもないから、いいかも知れないわ。国中というのは、どうかと思うけれど」
「それだけ探せば、友人になれるくらいの娘が見つかるだろう。リリアンは完璧だからな。対等な人間なんて居ないが、友人くらいの付き合いなら、まあ、百歩譲って目を瞑れば、許容してやらんでもない」

 そう言うと、アルベルトは膝の上のリリアンに視線を移す。

「私がお前に相応しい友人を探してやるからな」

 首を傾げるリリアンに、優しく微笑みかけるアルベルト。その笑顔は実に穏やかだったが、目はぎらりと光っている。
 ああ、これは本気なのだな、と周囲は確信した。アルベルトは本気で、国中からリリアンの友人に相応しい令嬢を探すつもりなのだろう。
 無事に思惑通り進めばいいがと、そう思わずには居られなかった。


 そういうわけで、リリアンの友人になり得る娘を探すという、公爵家総動員の大仕事が始まった。
 まずはリリアンの年齢に近い娘を持つ家のピックアップからだ。三歳から七歳頃ならば適切だろうという事になった。その年頃の娘のいる爵位のある家となるとかなりの数がある。そこから過去の犯罪履歴を洗い出す事になった。もちろん親族にまで調査は及ぶ。本人にそのつもりはなくとも、家族を盾にされてしまったらこちらを裏切る可能性がある。リリアンを裏切るだなんて、どんな事情があれ許される事ではない。だからその可能性を持つ家は、その時点で除外するしかなかった。
 ヴァーミリオン家と派閥違いの家門は最初から除外している。アルベルト個人であればどうとでもできる相手だが、標的をリリアンにされるのは困る。相手を家門ごと潰すしかなくなるからだ。だが、あまりたくさんの家門を潰してしまっては、国民の生活がままならなくなる。それは困るから止めて欲しいと、アルベルトはかつてグレンリヒトに言われた事があった。かなり真剣に言われたからよく覚えている。だから最初から除外する事にしたのだ。
 そこまででかなり絞れたが、大事なのはここからだ。友人候補となる令嬢と、その両親の人柄を調査し、不適切な者から省いていく。最も手間と時間のかかる工程だが、そこはフリージアの人脈が役に立った。可愛い孫の為だと存分に手腕を振るってくれたのもあり、アルベルトの手元にはかなりの量の情報が集まった。先の王妃の伝手だ、情報の精度も相当なものだろう。
 アルベルトは勿論、フリージアも駆け回っている。屋敷の中が慌ただしくなる中で、リリアンは大人しく、シルヴィアを相手に人形遊びをしていた。

「みんな、なにをしているの?」

 こんな風に騒がしいのは、新年を迎える時か、リリアンの誕生日くらい。リリアンは、今がそういう時期ではないとうっすら感じていた。だから、どうして皆がこんな風に忙しそうにしているのか分からなかったのだ。
 首を傾げるリリアンに、シルヴィアは優しく微笑みかける。

「皆様は、リリアン様のお友達を探す準備をしているのです」
「おともだち?」

 おともだち、とリリアンは繰り返す。丁度その時、リリアン成分を補充しようとしたアルベルトが彼女を抱き上げたから、リリアンは父親に尋ねた。

「おとうさま、おともだちってなあに?」
「友達か? 友達というのはな……」

 アルベルトは腕の中のリリアンに微笑みかけるが、言葉が続かない。

(友達……とは……?)

 なぜならアルベルト自身に、そういった存在と関わった経験が無いからだ。
 友達。友人。きっかけはどうあれ、同等の立場で言い合える近しい他人。辞書なんかだとそう記されているだろうか。だが、それが自分にどういう影響を与えるか、それを示さなければ、リリアンの質問の答えにはならないだろう。それを作る利点も一緒に伝えなければならない。が、どうしてもアルベルトには続けられる言葉が浮かばなかった。
 首を傾げるリリアンを前に硬直する父親をどう思ったのか、書類を眺めていたレイナードが間近までやって来て、アルベルトごとリリアンを見上げた。

「リリー。友達というのは、家族以外の親しい人の事だよ」
「かぞくいがい……?」
「そう。僕で言えば、マクスウェルがそうかな」
「マクスルさま?」
「うん」

 レイナードの言葉に、リリアンはその人物を思い浮かべる。従兄弟のマクスウェルは、レイナードと違って活発で、いつも兄を引っ張って庭を駆け回っていた。無理矢理にも見えたけれども、兄はいつだって楽しそうだった。屋敷では見せない笑顔は、リリアンに向ける優しいものとは違う、力強くてきらきらしたもの。リリアンは、いつも見る優しい笑顔も好きだったけれど、マクスウェルと一緒にいる時の兄の事も大好きだった。
 レイナードを、そんな風にしてくれる存在。それが〝お友達〟。それがリリアンにもできるのだと言う。なんて素晴らしいんだと、リリアンは頰を紅潮させた。

「おとうさま、リリーもおともだちがほしいです!」

 そうしてアルベルトを降り仰ぐリリアンの愛らしさったら。アルベルトは思うがまま表情を蕩けさせた。

(ぬわぁあ可愛いっ!! あー可愛い、本当に可愛い。こんな現実があっていいのか素晴らしい……これは一刻も早く友人を準備してやらないと。はあ、リリアンさえ膝に乗せていれば三日だろうと一週間だろうと徹夜できるんだが、それではリリアンの健康に影響が出てしまう。残念だ、リリアンの為にならいくらでもこの身を粉にするというのに)

 そうして蕩けたままの顔をリリアンに向ける。

「すぐに準備するから、もう少し待っていてくれ」
「はい!」

 リリアンは特に気にしていないようだったが、アルベルトの顔はどこからどう見ても締まりの無いものだった。レイナードはそれを見ると、いつも「人の顔はここまでだらしない表情が出来るのか」と思う。
 が、今日はそれともう一つ思う所があって、ちらりとそのだらしない横顔を見上げた。

「父上、友達居ないんですね……」
「うるさい」

 父親からの一言は、実に冷たいものだった。

 ◆

 厳選に厳選を重ね、ついにその招待状は完成する。それはリリアンの、友人選考会の招待状だ。
 突然の公爵家からの招待状に社交界は騒然となった。それもそうだろう、アルベルトは元々そういった催しに関わる事はしなかった。それがいきなり主催側として招待状を送るのだから、受け取った誰もが狼狽えた。
 リリアンが生まれてからと言うもの、ろくに領地から出ず、祭典にも出席しない。彼自身は社交界では有名でも、本人がそこに関わる事はない。そんな中で爵位に関わらず送られた招待状。勘繰る者が出て当然だろう。

「な、なぜうちに、ヴァーミリオン家からの招待状が? ほ、本物か?」
「でもあなた、この紋章は間違いなく、ヴァーミリオン家のもの。公爵家を騙るだなんて畏れ多い事をする者が居るでしょうか」
「だが、こんなものを受け取る道理がないぞ」
「そ、それは……」

 人格の優れた人物を中心に選んだ結果、ヴァーミリオン家にまったく縁の無い家門も含まれていた。それが余計に、受け取った彼らの猜疑心を煽る。

「令嬢のご友人を選ぶ……それが本当なら、うちにも利点はあるが、しかし」
「こ、公爵家のご令嬢と……!? そんな、無理よ。お断りして」
「気持ちは分かるが、公爵家からの誘いを断れると思うか!?」
「だって、うちは子爵家よ!? 釣り合うと思うの!?」
「だがしかし、こうして招かれているのだし」

 子爵はそう言うが、夫人は真っ青になって娘を抱き締める。彼女は恐ろしいものを遠ざけるように、そのまま寝室へ篭ってしまった。
 妻の気持ちは痛いほど理解できるが、たかが子爵にはどうする事もできない。ともかく参加するしかないが、そもそも高位貴族との接点が無い為に、彼には作法というものが分からなかった。長く勤めている執事も、額に汗を浮かべてそれを拭うばかり。手に余る、というのが彼らの本音だった。
 なにもそれは、公爵家からもたらされたからというばかりではない。差出人がアルベルトである、それ自体に問題があった。

「あのアルベルト様からの招待……。どうしたらいいんだ」

 子爵の声は震えていた。というのも、社交界で噂されるアルベルトの逸話というのが、どれもこれも背筋が凍るようなものばかりなのだ。
 やれ、反発したら社交界から排除されるだの、彼の気を損ねたら家ごと潰されるだの。実際、トラブルがあった家が取り潰しになり、それにアルベルトが関わっていたというのを子爵は知っている。
 彼の気を損ねなければいいだけなのだが、あまりにも表に出てこない為に、何がその引き金になるか分からない。だったら不参加であれば良さそうなものだが、行かなかったら行かなかったで目を付けられそうで怖い。どちらを選べば良いのか分からず、子爵は当方に暮れた。
 それで仕方なく、子爵の他に招待状を受け取った人物を探す事にし、相談しようと思い立つ。幸いにも連絡しようと思っていた知人の方から、招待状についての確認があった。子爵は同じ境遇の者が居た事にほっと胸を撫で下ろす。

「ああ、君の所にも来たというのは、本当だったか」
「ええ、そうなのです。声を掛けて貰えて良かった。私ではどうしたらいいのか分からなくて」
「そうか、なら力になる……と言いたい所だが、残念ながらうちも似たようなものなのだ」
「そんな。伯爵家でもですか」
「相手があのヴァーミリオン家では、従う他ない」

 子爵はさあっと青褪める。

「ですが……ああ、どうしたら。とてもではありませんが、ヴァーミリオン公にお会いするなんて無理です。なんて恐ろしい……!」
「気持ちは分かるが、それ以上は口にしない方がいい」

 伯爵は声を顰めて、子爵をそう嗜めた。はっとした子爵はすぐに口を噤む。その顔色は悪い。
 顔色が良くないのは伯爵も同様だった。公爵家との関わりは薄く、目の前の子爵家を経由して、いくつか取引があるくらい。それも大々的なものではなくて細々としたもので、正直言って見向きもされていないくらい、立場に隔たりがある。伯爵家でさえそうなのだ、子爵はそれがもっと酷いに違いない。
 彼らには、確かに指定の年齢の娘が居るが、とてもではないが公爵令嬢の友人としての立ち振る舞いは不可能だ。本人的にも、家格的にも。
 公爵家が望む通りに応じるしかないだろう。だが、その為には様々な準備が必要になる。ドレスなんかの物はなんとかなるだろうが、まだ幼い娘に、公爵令嬢に無礼をしないよう覚えさせるのが大変だ。指定の日時までそう日が無い。それに、作法を学ばないといけないのは自分達もだ、公爵家での客人としての振る舞いなんて自信がない。
 それ以外にも考えなければならない事は山のようにある。出席した後の立ち振る舞い、各家門との距離。そのどれもが頭痛の種となった。
 はあ、と何度目かのため息が伯爵の口から漏れた時、子爵がぽつりと呟いた。

「……そもそもこの招待状、本物なのでしょうか」

 思ってもみない言葉が聞こえて、伯爵は瞬く。

「そんな。偽物のはずがない」
「ですが、このサインが本物という確証もありません」

 子爵は、そもそもが真面目な男だ。ふざけているはずがない。現にその表情は真剣そのものだった。ただ可能性の話をしているのだと、伯爵には理解出来たものの。言われてみれば子爵の主張はもっともかもしれない。万が一を思えば、彼の言葉を否定するのもおかしな話だ。

「ううむ……ヴァーミリオン公と言えば、政治には全くの無関係の方だ。そんな人物のサインであれば、誰が見ても本物と……そう確信できるものでもない、か」
「引いて言えば、この招待状が本物と確信できるわけではない、という事です」
「偽物だったとして、こんなものを出した利点があるとは思えないが……君の言い分ももっともかもしれない。この二通の招待状の署名を、鑑識して貰おう」

 伯爵はそう言うと、早速招待状を筆跡鑑定に出した。公爵家に対して無礼なのは承知の上だったが、何も信じられなくなっていた彼らには必要な事だった。伯爵の気迫に、受け付けてくれた者が気圧されていた。
 依頼先から返答があったのは三日後の事だった。やけに時間がかかったが、どうやら同様の依頼が殺到しているらしい。彼らの他にも同じ事を考えた者がそれだけ居たという事だ。心強いやらなにやら、複雑である。
 肝心の鑑識の結果だが、伯爵と子爵にとってはあまり良い結果ではなかった。

「ほ、本物……」

 子爵の顔には絶望が浮かぶ。なんとも無礼な話ではあるが、いっそ偽物であるなら良かったというのが本音だったのだ。
 だが彼らも貴族の端くれ、その当主である。腹を決めなければならないだろう。

「参加するしかない」

 伯爵がそう言えば、子爵は顔色の悪いまま頷いた。彼も、これでも一端の貴族なのだ。

「ええ。ですが、これはどういう意味なのでしょう」

 子爵がそう言うのには理由があった。招待状には開催日時の他に、注意事項がいくつか書かれていた。
 まず最初に、参加は自由ということ。この招待状が送られたからと言って、必ずしも参加しなければならない、というわけではない、と書かれている。参加を断ったとしてもそれまでで、それ以上公爵家から接触はしない、との事だ。これは、圧力をかけたりはしない、という意味だろう。
 パーティーには、当事者の娘と、必ず両親が同伴する事。小さな子を連れ出すので、途中退室も、なんなら帰宅しても良いという事。それによって不利益とならないよう、配慮するともあった。最後に『なお、人柄を重視しますので過度な手土産はご遠慮下さい』とあって、それで全てだった。

「普通のパーティーにも見えるが……」
「あのヴァーミリオン公が、普通のパーティーを行うでしょうか」

 何気なく、といった風の子爵の言葉に、伯爵ははっと顔を上げる。

「そうか。それだ。閣下は我々がどう振る舞うかによって、今後の扱いを決めるに違いない」
「扱い……?」
「ああ。端的に言えば、我々の所属を見極めるのだ。招待状を受け取った家は、いずれもヴァーミリオン公爵家寄りか、あるいは中立派なのだと聞いた。だが、全てが全て、そうだと思うか?」

 そこまで言えば、子爵にも分かったらしい。息を呑んで、伯爵と視線を合わせる。

「つまりこれは……ヴァーミリオン公爵家に反する家門の、炙り出し……!」

 うむ、と伯爵は頷く。

「これほどきっちり拾い上げられるとは思えん。ならば怪しい家が混じっているはずだ。しかも、ご令嬢の友人探しという内容であれば油断する者も出るだろう。目的はどちらかというと、そちらなのではないか」
「なるほど……!」
「ならば話は早い。我々に反目の意志は無いと、閣下にそう示す。とにかく、それを目的にすればいい」

 伯爵の言葉に、子爵は頷いた。であれば、と改めて招待状を見る。公爵家の思惑は分かったが、ではどのように振る舞えばいいのか。公爵家は何を望んでいるのか。それは、この招待状から読み取るしかない。

「参加は自由、とありますね」
「勿論、後ろめたい事がある者はその表記だけで逃げるだろう。それを狙ってのものではないか」
「ですがそれではあまりに分かり易過ぎるのでは。怪しまれるのを避けるのであれば、普通に参加するやもしれません」
「では、自由参加という部分には、それほど意味は無いと?」
「そうかも知れません」
「なるほどな」

 二人は更に招待状を読み進める。だが、読めば読むほど混乱していった。

「途中退室をしても良い……ああ、そんな事出来るわけがない。パーティーに不満があると言っているようなものじゃないか」
「手土産不要。いや、公爵家に招かれて、全くの手ぶらで行けるか! 過度で無ければいいんだろうが……それはどの程度だ……?」

 内容を何度も読み返し、公爵家の意図を読み取ろうとするが、全体でも五行程度の文章からは、思惑など分かりようもない。見ているうちに思考の深みに嵌り、なにが正しいのか判断がつかなくなっていった。ああではないか、こうではないかと議論を重ねるが、どれも正しい気がしない。
 結局最後まで不安を残したまま、伯爵と子爵は当日までを過ごした。


 ところで、リリアンの友人選考会の招待状は、王都のアズール公爵家にも届けられていた。当主のシュナイダーは、突然の招待状にやはり目を丸くする。

「なんだ、この奇怪な招待状は?」

 シュナイダーがそう言うのは、パーティーの名目が異様だったからだ。

「なんだ、友人選考会というのは。友とは、そんな風に選ぶものではなかろうに」

 呆れて息を吐く。その指摘は至極真っ当なもので、恐ろしい事にヴァーミリオン家では誰の口からも出なかった言葉だ。
 ごく常識人のシュナイダーは、はあ、とため息を吐いた。

「リリアン嬢を憐れに思うのは不敬かもしれんが……父親があれだものなぁ」

 会った事の無いアルベルトの娘に、思わず憐れみを向けてしまったシュナイダーだったが、直後にアルベルトの顔を思い浮かべると考えを改めた。

「あいつの娘、か。……父親似だったら……すぐ帰ろう……」

 シュナイダーはぶるりと身を震わせる。
 彼の記憶の中のアルベルトは、とにかくもう無茶苦茶な人間だった。常識が通じないとかいうレベルではなく、もう別次元の存在だと感じるほどには、理解が及ばない人格だった。
 婚姻して公爵家を継いでからはそういった話は鳴りを顰めたが、だからと言ってそう変われる程、人間は単純ではない。更に加速している可能性だってある。そうなったら本当に、手の付けようのないモノになっているかも。
 そんなのとは関わりたくなかったが、ただ、このパーティーへ参加するというのは悪くない。同じ年頃の令嬢が多く参加するパーティーへの出席は、シュナイダーの娘、セレストにとっても、機会はいい経験になるかもしれなかった。そう思い、シュナイダーは迷う事なく参加を決めた。
 招待状に書かれていた注意事項は読み流していた。アルベルトの言う事を間に受ける必要はないと、彼はこれまでに学んでいたのだ。
 まさか文字通りだとは、誰も思わなかった。
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