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12.這い寄る影と女神のしもべ①

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 それは唐突にやって来た。いつも通り、執務室で仕事をこなすマクスウェルとレイナードの元に部下がやって来る。

「殿下、国王陛下がお呼びです」
「陛下が? 場所は」
「謁見の間にて。大至急との事です」
「……何事だ?」

 マクスウェルとレイナードは顔を見合わせた。


 そうして謁見の間に入ったマクスウェルとレイナードだったが、そこには普段いることのないマクスウェルの婚約者、クロエが居て目を丸くする。が、王と王妃の前にいるのが隣国フィリルアースからの使者だった事で納得した。フィリルアースは彼女の出身国であるからだ。
 マクスウェルが到着するよりも彼女の方が早かった。それに危機感を覚え、マクスウェルは足早に王の元へと向かう。

「お呼びですか」
「うむ」

 王は難しい顔をして息子を迎える。

「実は」
「フィリルアースで、蝗害こうがいがあったそうなのよぅ」
「蝗害!?」

 王が言うよりも、クロエの方が早かった。おっとりした彼女が王の言葉を遮った事にも驚いたが、それよりもその内容に仰天する。
 驚愕に目を見開くマクスウェルに、使者が頭を下げる。

「当フィリルアースの西で蝗害が発生致しました。今現在は、領民と騎士とで対応しております。王国内の冒険者にも協力を仰ぎ対処しておりますが、発生源が御国との国境に近く」
「……それで知らせに来てくれたというわけだ」

 使者の言葉を、ちょっとしょんぼりしている王が引き継いだ。そんな王の様子は置いといて、マクスウェルはなるほど、と頷く。

「すぐに対応する為にお呼びになったわけですね」
「そういう事だ。うちでも警戒はするに越したことはないからな。騎士団から人員を割く。マクスウェル、編成を頼む」
「はっ」
「食糧支援の要求があった。これもすぐに纏めて送ろう。使者殿には申し訳ないが、準備が出来るのをお待ち頂きたい」
「有難い事です。よろしくお願い致します」

 そう言って、使者は深々と礼をする。それを、クロエは頰に手を添え、首を傾げて眺めている。いつになく眉間には皺が寄っていて、彼女も相当気を揉んでいるのだと理解できた。

「大丈夫か、クロエ」
「うーん……」

 マクスウェルがそう気遣って声を掛けると、クロエは眉をハの字にしてマクスウェルを見上げた。

「マクス、わたし、このまま国へ戻ろうと思う」
「……なんだって?」

 突然の言葉に、マクスウェルは目を丸くした。
 クロエはフィリルアース王国の王女で、数年前にマクスウェルの婚約者となってからはここトゥイリアース王国で生活をしていた。新年のお祝いには生国へと戻り、両親やきょうだい達に挨拶をしていたのだが、もうすでに王太子妃としての教育を進めている彼女は、実質マクスウェルの妃と同意義だ。トゥイリアース王国では居なくてはならない存在となっている。強気な性格の王妃シエラと、おっとりとした王太子妃となるクロエ。両者は性格は違えど、国民からも臣下からも慕われている。
 そんな彼女が、急に国へ帰るとなると、色々と困ることもあるのだが。マクスウェルはそう思ったのだが、クロエはおかしな事はないとばかりに首を傾げている。

「わたしが行けば、両国間でのやり取りが円滑になるでしょう~?」
「あ、ああ、なるほどそういう事か」

 まさかこれに乗じて離縁でも言い出すのかと、そう身構えていたマクスウェルはほっと息を吐いた。上段で椅子に座る王妃シエラがそれに気付いたようでにやにやと笑みを浮かべているが、そんな母の事は無視して、マクスウェルは父に向いた。

「陛下、お許し頂けますでしょうか?」

 その父も、なんだか微笑ましいものを見るような穏やかな笑みを浮かべているが、今は緊急事態である。「んん!」と咳払いをして見せるマクスウェルに、シエラはにやにやとした表情のまま、夫へと向く。

「あなた。クロエに任せましょう」

 王は、妻の言葉に頷いた。

「その方がいいだろうな。書状をしたためる故、持って行け」
「ありがとうございます」
「気を付けるんだぞ」
「はい。承知しておりますわぁ」

 王の言葉にクロエはほっと胸を撫で下ろし、それでようやくいつものようにふわりと笑った。はあ、というため息は、そんな彼女の様子に同じく胸を撫で下ろしたマクスウェルのものだ。

「そういうわけだから、行ってくるわねマクス」
「ああ、うん、くれぐれも気を付けて」
「大丈夫よぉ」
「うーん、そうだといいんだけど……」

 彼もまたいつも通りクロエに返すが、どうしたって不安は拭えない。フィリルアースからの使者に早速日程の調整を伝えるクロエが、なんだか危なっかしく感じた。

「すぐに終息すればいいが……」

 王の呟きに、言葉を発する事はなかったが、誰もがそれに同意した。けれど、誰もの心の中に、どうしようもない不安がわだかまりとなって残るのを、自覚せずにはいられなかった。


◆◆◆


 トゥイリアース王国にフィリルアース王国からの使者が来てから、丸三日が過ぎた。マクスウェルはレイナードと共に派遣する騎士を編成した。同時に国境沿いの領地に蝗害こうがいの警戒を告知する。そこへも王都から騎士を出す事になって、騎士団はおおわらわとなった。
 クロエが先遣隊として連れて行ったのは近衛騎士の一部だ。それに調査を名目に二十名ばかりを第四騎士団から割き、連れて行かせた。彼らは現地の様子を纏め、マクスウェルに知らせる事になっている。
 その彼らからの調査書とクロエからの手紙がようやく届き、マクスウェルは内容に目を通した。

「どれどれ……」

 クロエからの手紙には次のように書かれていた。

『マクス、大変なの! すぐに来て~。なんだかね、退治しても退治しても妙に数が減らないのよぅ。おかしいな~って思っていたら、急に増えちゃって! このままじゃ、フィリルアースが丸坊主になっちゃうわぁ。急いで~』

 マクスウェルは、すっと顔を上げた。

「すぐに出発準備を! 分隊を連れてフィリルアースに向かう。レイは俺と来い。まずは陛下に報告を入れる」

 レイナードはマクスウェルの言葉に瞬いた。

「そんなにか」

 マクスウェルは頷く。

「ああ。あいつがこう書いてくるってことはまずい。本当に手遅れになりかねん」

 マクスウェルが言いながら手紙を差し出してきたので、レイナードはさっとそれを読んだ。クロエの文字は大きめで書かれており、文体からは緊張感が感じられない。これをそのように読み取るのはごく一部の者だけだった。ただ、そのごく一部にはレイナードも含まれている。王太子妃となるクロエとは、それなりに付き合いのあるレイナード。彼はマクスウェルと共にその内容を的確に読み取った。
 はきはきとしたマクスウェルとは対照的なクロエは、かなりおっとりしている。それが口調にも現れているわけだが、慌てず騒がずにいる割には的確になすべき事はやる。それをきちんと把握する為に、落ち着いて行動しろと教育された結果、妙におっとりしてしまったそうなのだが、その彼女が慌ててマクスウェルに助けを求めていた。

「これは……」

 レイナードは顔を顰める。過去、クロエが慌てていた時の事を思い返していた。あれは、クロエがマクスウェルの婚約者に決まるかどうかという時の事だった。トゥイリアースとフィリルアース、二国に跨る大騒動があった。その時くらいだ、クロエが慌てていたのは。そしてその大騒動は両国の後継者問題にまで発展した。のみならず、いくつかの爵位持ちの家が取り潰しとなり国内は荒れに荒れた。それと同じか、いや、それ以上の事態が起きようとしているのだと、その手紙から感じ取る事が出来る。

「急ぐぞ」
「分かった」

 マクスウェルの短い言葉に頷いて、レイナードは準備していた書類を掴んだ。手紙を届けてくれた部下には出発予定を繰り上げる旨部隊に伝達するよう指示を出す。はっ、と短く返答をした部下は、すぐに部屋を出て行った。それを追うようにしてマクスウェルとレイナードも部屋を出る。急がなければならないので、処理が遅れてはまずい書類をすべて掴んで持って来た。これは王か王妃に、代わりに裁決して貰おうという腹である。
 それを確認して、レイナードは改めてクロエからの手紙と、共に送られてきた報告書、それから当初予定していた派遣部隊についての資料を見比べた。

「部隊は再編成した方が良さそうだな」
「そうだな。第四と調整しないと」
「第一は?」
「近衛は連れて行けない、というか、第四の方が適任だろう。近衛の連中は名のある貴族令息だぞ、農民と協力しないとならない状況じゃ、居るだけ邪魔だ」
「でも、王太子が行くっていうのに」
「そりゃ問題ない。お前っていう心強い戦力が居るからな」
「…………」

 言われた途端レイナードはむぎゅっと眉を寄せる。顔にははっきりと「行きたくない」と書かれていた。

「おい、そこは返事をしろ、仕事だぞ!」

 廊下を進みながら怒鳴りつけるマクスウェル。だが、レイナードの眉間の皺が取れることはなかった。

「リリーと会えなくなる……」
「仕方ないだろう。蝗害の対策の為だ、リリアンならむしろ行けと言うんじゃないか?」
「それは、そうだけれど」

 ふう、とレイナードは息を吐く。

「あの笑顔を見ないと、一日が始まった気がしないんだ」
「お前な……」

 緊張感のないレイナードに半目になるマクスウェル。だが、レイナードにとっては、リリアンに会えなくなる、というのは何よりも重要な事だった。アルベルトがリリアンに会えない期間があると弱体化するのと同じで、レイナードも体調に悪影響が出る。いつも穏やかな魔力が荒れるのだ。アルベルトほどではないものの、それに周囲の魔力を持たない者があてられて、ちょっと場の雰囲気がピリピリする。レイナードとアルベルトの違いは本人が自覚しているか否かだ。レイナードにはその自覚があるので、自分を律しようという意思がある。ただ意思があってもうまくいかないだけで。
 けれどもレイナードとアルベルトの最大の違いは仕事に対する姿勢である。極めて真面目なレイナードは、己の役割を放棄したりしないのだ。
 仕方なく、レイナードはふうと重い息を吐く。

「さっさと片付ければいいんだよな」
「……まあ、そうだな」

 変なやる気を出されても困った事態になることがある。それを思い知っているマクスウェルは、レイナードにも劣らない長いため息を吐いた。


 王に報告書とクロエの手紙を差し出すと、すぐに緊急で会議が開かれる事になった。顔色を変えたのは王だけでなく王妃もだ。すぐに各大臣を集めると有無を言わさず指示を出した。

「急ぎ食糧の試算を。どのくらいなら出せるかを、今日中、いや午前のうちに報告せよ」

 王からの指示に頭を下げ退室しようとする大臣を、王妃が止める。

「待って頂戴。殺虫薬ももっと必要になるでしょうから、それも同時に確認を」
「はっ」
「医薬品はどうなっているかしら?」

 それに答えたのは宰相だ。

「すでにマクスウェル殿下からご連絡を頂いており、対応しております」
「そう。ならいいわ」

 頷く王妃の姿を横目に、王は息子を向く。 

「マクスウェル、急ぎ出発せよ。何かあれば報告を。出来得る限り対応しよう」
「はい。行って参ります」
「レイナード、マクスウェルとクロエを宜しくね」
「はっ」

 レイナードはシエラの言葉に短く返して、マクスウェルと共に退室した。
 駆けるように王城の廊下を進む。城内では、あちこちで人が慌ただしく動いていた。文官から騎士、メイドに至るまで駆け回っているのは、蝗害対応で王からの指示があったからだろう。マクスウェルとレイナードの進む先を阻まないよう、誰もが配慮しているのが分かった。

「殿下ぁーーッ! こちらですぞぉーーーーー!!!」
「うおっ」

 馬場に出ると、そこにはすでに編成された部隊がマクスウェルがやって来るのを待っていた。

「総員ッ、けいれぇーーーーいッ!!」

 部隊を引き連れるのは第四騎士団副団長のガードマン・ハウリング。副団長である彼がそう号令を出せば、部隊は一斉に姿勢を正す。
 ガードマンは自ら部隊への参加を志願したと聞いた。第四騎士団からの部隊も、そして彼自身も、つい最近魔物の大群とやりあったばかり。なにがあるか分からない場所へ連れて行くのには最適と言えた。
 ただ、このようにとてつもなくやる気に溢れすぎているせいで、いつも以上にとてもうるさかった。思わず耳を塞ぎたくなるくらいには。
 とは言え、本当に耳を塞ぐような仕草はできないから、マクスウェルは王太子らしくぴしりと背筋を伸ばして彼らに答えた。そうして自らの愛馬に跨がると、出発を促す。それに従うのは五十名ばかりの騎士。先にクロエに付き従った二十名と合わせると、さほど多いとは言えない。
 だがそれも、マクスウェルとレイナードが居れば問題なかった。まだ年若い彼らは王宮魔導士顔負けの魔法使いである。人数は多いとは言えないが、戦力で言えば充分と言える。フィリルアースでも騎士を現地に出しているだろうし、それで言えば例え友好国とは言え、他国からこれほどの戦力が入るのは問題になりかねない。だが、フィリルアースには魔法使いがいない。虫が相手とは言え、これだけの戦力は、フィリルアースには救いとなるはずだ。
 後はもう、どれだけ被害を抑えられるか。今はただ先を急ぐだけだ、レイナードは気を引き締め、馬を駆る。そうして王都を出る頃に、はっとした。

「リリーに挨拶してない!」

 声をあげるレイナードにマクスウェルはかくりと力が抜ける思いをした。

「お前、本当ぶれないな」
「なにが」
「いや、なんでもない……」

 いつ帰れるか分からないものだから、レイナードにとっては死活問題だろうが、今はそれどころではないはずだ。だが、いつもと何の変わりもない従兄弟の姿に、マクスウェルは呆れずにいられなかった。


 さて、そのレイナードが隣国へ向かった、と連絡を受けたヴァーミリオンの屋敷では。アルベルトが使者から受け取った書簡をリリアンに手渡しているところだった。

「フィリルアースで蝗害があったそうだ。その対応にクロエ嬢とマクスウェルが向かい、レイナードを連れて行った」

 そう聞かされて、リリアンは目を見開く。

「まあ、それでは」
「ああ。当分は戻らないだろう」

 リリアンは、そうですよね、と呟いて、視線を下げた。
 リリアンの記憶にある限り、トゥイリアースを含めた近隣の国で、蝗害が起きた事はない。あるとすればリリアンが生まれるよりも前の事で、対策が進んだ現在では干ばつも蝗害も縁遠いものだった。
 その遠い話と思っていた事象に、兄が立ち向かっている。起きてしまった蝗害に対して、出来る事は少ないと歴史書にはあった。事前に起きないようにする事が最も効果的であると、リリアンはそう学んだ。きっと困難しかないだろうと予測がつく。

「大丈夫かしら……」

 その声は自然と重くなる。ぎゅっと両手を握り込むリリアンに、アルベルトがそっと肩に手を添えた。

「あいつの事だ。すぐに帰ってくるさ」
「だと、いいのだけれど」

 リリアンはそっと窓の外に視線を向ける。窓の外には王城の尖塔が小さく見えた。その向こうはもうすでに夜の帳が下りて夕闇に覆われている。夕闇のその下はフィリルアース王国だ。リリアンは隣国の民の事も想って、優美な眉を下げている。
 その事にアルベルトは目を瞑った。

(リリアンは本当に優しい。兄のみならず、見た事もない土地の民の事も思いやるとは……さすがはリリアンだ、こうでなくては。うーんやっぱり天使かな、いや天使だ)

 うんうん、とそう頷くアルベルト。リリアンの素晴らしい姿を再確認出来て満足していたが、当のリリアンは沈んだ表情のままだった。それで慌ててリリアンを宥め、どうにか夕食の席に着かせる。リリアンの好物ばかりが並ぶその席で、「でも、フィリルアースでは困っている人がいるのに……」とますます可愛らしい顔を歪めるものだから、更にアルベルトは慌てた。
 結局、ヴァーミリオン家から多く支援物資を出す事にして、ようやくリリアンに笑顔が戻ったのだった。
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