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9.君の「素敵!」を数える④

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 後日、集計結果の発表の為、アルベルトはシルヴィアを従えるリリアンと共に王妃の元へやって来た。王妃のところには、王とレイナードが居て、驚いた表情でこちらを見ていた。
 リリアンもちょっぴり驚いている。可愛い。アルベルトの関心がズレた瞬間だった。

「いらっしゃい、リリアン。こっちにおいでなさいな」

 王妃シエラは一人マイペースにそうリリアンを促した。リリアンは、なんだかわからないながらもそれに従う。そのリリアンの真横に椅子を引っ張って、アルベルトはそこにどすんと腰を下ろした。
 王グレンリヒトとレイナードは、それをぽかんと見ている。

「さて、結果を聞きましょうか」
「うむ。シルヴィア」

 それらをまるっと無視するのがシエラとアルベルトだ。二人はリリアンの後ろから一歩踏み出したシルヴィアを、真剣な表情で見ている。
 シルヴィアは一度、丁寧に礼をすると、シエラとアルベルトとを交互に見た。

「シエラ様が七回。アルベルト様が七回。今回は、同点で引き分けとなります」

 そのシルヴィアの言葉に、シエラとアルベルトは息を呑む。

「なんてこと!」
「なんだと……!?」

 もう一度シルヴィアは礼をした。

「間違いございません」

 シルヴィアは姿勢を変えないまま、ポイントが加算された状況を答えた。シエラとアルベルトはそれと自分が確認した状況とを照合する。残念ながら、それらは把握していた状況と一致した。それぞれが、はあ、と長いため息と共に肩を落としたので、それでお互いシルヴィアのカウントが間違っていないのだと理解した。
 悔しそうなシエラとアルベルトを前に、リリアン、そしてグレンリヒトとレイナードも首を捻る。

「お父様、シエラ様、一体なんのこと?」

 リリアンの言葉に、シルヴィアは麗しのお嬢様に向いた。そうして、実はどちらが先にリリアンとの絵を描くのかを決めるのに勝負をしていたこと、先日のお茶会とお出掛けはその勝負の場であったことを説明する。
 話を聞いたリリアンは、あらまあと頬に手を添えた。お茶会だのお出掛けだの、急に色々決まったから変だな、とは感じていたけれど、まさかそれが勝負の舞台だったとは。
 いくら勝負とは言え、シエラとアルベルトはリリアンが楽しんでくれることを優先していたから、寂しいとかそういう気持ちにはならなかったが、だったら教えて欲しかったような気もするけれど。
 リリアンは、同点になるとは思ってもみなかったと言い合う伯母と父親に視線を向ける。その向こうでは、伯父と兄が無表情になっていた。リリアンは知っている。身の回りの人がこういう表情になった時、大抵が呆れている、ということを。
 今で言えば、おそらくシエラとアルベルトが言い合いをしているからだろう。勝負をするというのに引き分けになった場合のことを考えていなかったから、呆れているのだとリリアンは思った。これは半分当たっていたが、それよりも何よりも、「なんでそんな勝負をしたんだ」と、二人はそもそもそれに呆れ返っているのだ。アルベルトの背後に控えるベンジャミンも同じような表情でいるのはそのせいである。

「ねえ、あの時の『素敵』は入るのではない? ほら、宝石を見た時のよ」
「残念ですが、あれは事前に決めた〝感嘆以外はカウントしない〟に入りますので」
「では私の方はどうだ。花束を見た時の表情で倍にならないか」
「ならないと申し上げたはずですが?」
「ちょっと、それはずるいわよ!」
「王妃様、なりませんのでご安心下さい。ついでに言えば王妃様とのお茶会でケーキを頬張った際のリリアン様の笑顔でも、ポイントは倍になりませんのであしからず」
「えっ、ならないの!?」
「当然だろうそれは!!」
「なんでよ!!」

 やんややんやとシエラとアルベルトは喚く。あの時はどうだの、この時はああだのシルヴィアに言っているが、シルヴィアはそれらを冷静な声でひとつずつ捌いている。

「ううむ、おかしいな。シエラは民から賢妃と言われているはずなんだが」
「姪を想う気持ちが強いというだけでは」
「そうか、そうかもな。しかしレイナードよ、本当にそう思うのなら目を背けるでない」

 シルヴィアの声よりも冷静なのはグレンリヒトとレイナードだ。不毛な争いを見守るが、一向に収まる気配が無くって遠い目になってしまう。というか、やはりどうして同点になることを想定していなかったのかとそればかりが気になる。二人とも、絶対に自分が勝つとしか思っていなかったのだろう。普段計算高く采配をしているくせに、こういう事になると途端へっぽこになる。おかしいなあと首を捻るグレンリヒトに、目を逸らすレイナード。リリアンはそれらの混沌とした場で、そうだわ、と明るく手を叩いた。
 アルベルトはその軽やかな天使の囁きに、シエラはぱちんという軽い音に、レイナードとグレンリヒトはその場にそぐわない声に、それぞれ視線を向けた。リリアンはそれらをものともせず、変わらない調子で続ける。

「でしたら、いっそのことみんな一緒に描きませんこと?」

 室内は一気に静まり返る。アルベルトとシエラは目を見開いて驚きの表情を浮かべていた。いや、それすら考えていなかったのかと、グレンリヒトは呆れてしまう。はあ、と一息吐いてから、

「その手があるじゃないか。なあ、いい案じゃないのか」

と妻と弟に向かった。
 シエラの方は、なんだかムッとした顔だったが、意外にもアルベルトの方は普通の顔だった。
 おや、とグレンリヒトは眉を上げる。

「まあ、リリアンのお願いとあれば、それもいいだろう」

 アルベルトの言葉に、グレンリヒトは、おお、と色めき立つ。これで不毛な争いが収まるのではないか、そう思った時だった。

「だが! それはそれ、これはこれだ! 私はリリアンとのツーショットのが欲しい!!」

 だめだこりゃ。グレンリヒトは続いた言葉に再び表情を無くす。

「なんでだ……」
「待ってちょうだい、わたくしもやっぱりツーショットは欲しいわ!」
「それは、全員で描くのとは別に、と言うことか?」
「ええそうよ。そうでしょう、決まってるわ」

 決まってるのか、と呟いたグレンリヒトは、ふと疑問に思った。さっきから勝負だなんだと言っているが、それはそもそも何を決めるものなのか。
 グレンリヒトは、なあ、とシエラに声を掛ける。

「そう言えば何の勝負だったんだ?」
「どちらの絵を先に描くか、それを決めていたの」
「先に? どちらかのものしか描かない、とかではなく?」
「ええ、優先順位よ。だってわたくしもアルベルトも、描かないという選択肢はないもの。何枚も描くとなるとリリアンが疲れてしまうから、どっちから先にやるのかという話をしていたの」

 ふうむとグレンリヒトは考える。

「いっぺんに描けばいいんじゃないのか?」
「えっ?」
「えっ」

 聞き返されたグレンリヒトはびくりと肩を揺らした。ぱちぱちと瞬くシエラは、文字通り目を丸くして彼を見ている。

「なんか変なこと言ったか?」
「あ、いえ、変ではないけれど……あなた、それはどういう意味?」

 その言葉に今度はグレンリヒトの方がぱちぱち瞬いた。

「いやだから、同時に複数枚分描いてしまえばいいんじゃないのか。そうすれば一枚分の時間で済むだろう。まあ、それよりは多少かかるかもしれないが。……どうしたんだ?」

 シエラは、あんぐりと口を開けている。淑女らしくないその姿は珍しいが、そのまま静止してしまっている。
 その向い側で、はあ、とグレンリヒトの提案に長いため息を吐いたのはアルベルトだ。

「その手があったか……」
「気が付かんかったのか、お前ら」

 何をやっているんだか、というグレンリヒトの声はばっちりシエラとアルベルトに届いていた。アルベルトはじとっと彼を見、シエラは気まずそうに横に視線を逸らした。やれやれ、と首を振ったグレンリヒトに、それまで黙っていたレイナードがすっと手を上げる。

「リリーに負担が掛からないのなら、僕も欲しいです。リリーとのツーショット」
「レイナード……お前もか……」

 唯一まともな人間、のはずだった甥からの希望に、もうなんでも好きにしたらいいんじゃないと投げやりに返す。するとレイナードはほんのちょっぴり口角を動かした。どうやら喜んでいるらしいと判断して、グレンリヒトはそうだ、と切り出す。

「先日の礼ということで、俺が許可しよう。好きなものを何枚でも描かせるといい。ああそうだ、絵師の手配もしないとな」
「陛下はどうなさいます?」
「いやぁ俺はいらん」
「はぁ!? いらない!!?」
「えぇっ、怖っ!」

 くわっと目を見開くレイナード。その勢いはなんなのだ。前のめり過ぎてちょっと怖いぞとグレンリヒトは付け加える。

「リリアンはそれでいいか?」

 最後に当人であるリリアンを振り返るグレンリヒト。リリアンはおっとりと成り行きを見守っていたが、伯父の一言でなんとか話が纏まったと喜ぶ。にこりと笑んで頷いた。

「ええ。ご配慮頂きありがとうございます」



 かくして、五枚同時に肖像画を描くということになった。
 内訳は、リリアンのブロマイド用にリリアン一人だけのもの、アルベルトと王妃とレイナード、それぞれがリリアンとツーショットになっているもの、それとあの場にいた全員のもの。全員のものの中にしっかりとグレンリヒトが入っているのはリリアンからの申し出によるものだった。折角だからご夫妻で入って頂けませんか、というのを、しっかりとリリアンの希望と受け取ったアルベルトが「まさか断らんよな?」と脅したのだ。弟の迫力に、黙って従っておいた方がいいと判断した王は、仕方なしにそれを了承した。実現するのに様々な会議を調整させて時間をもぎ取ったのだから、アルベルトのやる気はすごい。普段の執務にそれを発揮して貰いたい。
 そうしてこの日の為に、大勢の絵師が呼ばれた。もちろんヴァーミリオン領からもだ。普段リリアンを描き続けている人物が呼び出されている。
 助手を連れてやって来た彼は、そこでキャンバスが五つあるのを見て目を丸くした。

「あのう旦那様。これは一体?」
「説明していなかったか? 同時に五枚描くんだ」
「は?」

 五枚、と繰り返す絵師は、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。

「冗談ですよね?」
「私がそんな冗談を言うと思うか」
「いえ……えっ? ほ、本気で?」

 アルベルトの様子は、絵師が見る限り普段通りである。美しく着飾ったリリアンを前にして、柔らかい表情でそれを見つめる。これはいつもの事だ。今この瞬間の彼女の姿を記憶に焼き付けているそうだ。今からその姿を残しておけるように絵にするというのに。「鮮度が違う」とのことなのだが、多分リリアンの姿を見ていたいだけだと思う。
 とにかく、いつもの通りの様子だ。つまり悪ふざけでも冗談でもない、本気ということになる。
 絶句する絵師にアルベルトは向く。

「下書きくらいまでならなんとかなるだろう。というかしろ、やれ。いいな」
「な、なんて無茶な!」
「王と王妃は、王宮の絵師が描くそうだから」
「でも全部にリリアン様居ますよね。私が描く量は変わらないのでは!?」
「これだけたくさんリリアンを描けるのだから幸福なことだと思わんか」
「それは思いますけどぉ!」
「思うんかい」

 と、横槍を入れたのは、賑やかな一室にやって来た呆れた表情のマクスウェル。と、なぜかルーファスも一緒だった。部屋に入ったところでルーファスはある一点を見たままぽかんと惚けている。ある一点、というのはもちろんリリアンだ。今日のリリアンは、お気に入りのドレスを纏い完璧な化粧を施して着飾っている。まあ、とても美しいわけで。それで見惚れているのだろう。
 気持ちはわかるが、もう少し取り繕って欲しい。レイナードはそう思いながらルーファスを横目に、マクスウェルの元へ向かった。

「マクス、何かあったか?」
「いや、用があるのはお前じゃない。陛下にちょっとな」

 そう言ってマクスウェルはグレンリヒトに書類を見せる。急ぎのものにサインの抜けがあり、それを届けに来たのだと言う。王はそれはいかんと、急いでペンを取った。
 サインを待つ間、マクスウェルは室内を見渡す。

「なんだ、随分大所帯だな」
「時間が無いから数枚まとめて描くんだ」
「ああ、それでか」

 どうしてそうなったのかはわからないものの、状況を把握して頷きはしたが、それにしたって絵師が多い。それにキャンバスもたくさんあるな、と首を捻った。

「何枚描くんだ?」
「五枚だ」
「ごっ!?」

 せいぜい三枚くらいだと思っていたマクスウェルは驚きの声を上げる。

「それじゃあかなり時間が掛かるだろうに……ああ、その為の人数なのか」
「そういう事だな」
「なんでまたそんな事に? 叔父上がなにかしたのか?」
「まあ。あとはシエラ様も」
「……母上も?」
「色々あったみたいだ。それで結局収集がつかないから、一度に全部描こうってことになって」

 そこでレイナードは大まかに聞いた経緯と、絵の内訳を伝える。話を聞いたマクスウェルは「え、なんで?」と言った後、「どうして……?」と呟いて動かなくなってしまった。

「そういうわけで、大変なんだ。絵師が、だけど」
「そりゃあそうだろう。リリアンが中心なのは分かるが一人と全員と、あとはペアのものを複製するような感じで描くんだろ? いくらリリアンとのツーショットが欲しいからって無茶な……」
「リリアンとのツーショット!?」

 聞き捨てならない、とばかりに声を上げ、ルーファスはレイナードに駆け寄る。興奮気味のルーファスは捲し立てた。

「え、俺、俺も欲しい! なあ、いいだろレイ」
「お前はだめだ」

 と、そこへ、ルーファスの後ろから声がかかった。ぬぅ、と見下ろすその影は、もちろんアルベルトである。レイナードは、さり気なく後ろへ下がった。巻き込まれるとめんどくさいからだ。

「お前と描かせてやる理由が無い」
「い、いいじゃないか。減るもんじゃないし」
「そうだな減らないな、増えるだけだ。リリアンの負担がな! そんな事をこの私が許すと思うか?」
「え、あ、いや。じゃ、じゃあ、俺も入れてくれ。父上と母上と一緒のやつに」
「だから、それにも入れてやらんと言っているんだ!」
「な、なんでだ。いいじゃんか!」
「良くない!」
「なんで!」
「なんででもだ!!」

 アルベルトはそう言って、絶対にルーファスが加わることを許さなかった。なんでどうして、と喚くルーファスを嗜めることなく、ひたすらに拒絶する。そのせいで更にルーファスが激昂することになるのだが、それでもお構いなしにアルベルトは拒否し続けた。
 が、いつまで経ってもその調子では、作業に入れない。仕方なくシエラはリリアンの元を離れ、息子に声をかける。

「まあまあルーファス、落ち着きなさいな。全員で描くというのは、本当はついでなの。今回のことがちゃんと決まった時、そこに居た全員で、という話で決まったから、今から入るのは無理よ」
「母上、でも」
「あのねルーファス。これが決まるまで、わたくし達、壮絶な戦いをしたの」
「た、戦い?」
「そうよ。わたくしは、自らの手でもぎ取ったの。リリアンと一緒に描くという権利をね」

 拳を握り、熱く語る王妃シエラは、その拳を解くとぽん、とルーファスの肩に乗せた。

「だから、あなたには参加する資格はなくてよ」
「ええっ!? レイと父上は」
「まあ、それは事故みたいなもので」
「事故!?」
「事故よ」
「えぇ……」

 納得いかない表情のルーファスをその場に放置して、シエラはそそくさと定位置へ向かって行ってしまった。さり気なくリリアンに被って見えなくなるようにしている気がしなくもない。椅子に腰掛け、準備が整うのを待っているリリアンがシエラで隠れてしまった。右へ回り込んだり左へ向かったりしてなんとかリリアンの姿を見ようとするルーファスだったが、シエラやアルベルト、それにレイナードがさり気なく動いてそれを阻止する。あまりに巧みなせいでリリアンを拝めなくなったルーファスは地団駄を踏む。グレンリヒトは、サインのインクを乾かす傍らでそれを見ていた。

「なんて大人げない……」
「黙っていたのはこれを防ぐために?」

 マクスウェルがやって来たので、その手に書類を渡してやって、グレンリヒトは重苦しく息を吐いた。

「どう考えても面倒なことにしかならんだろ」

 確かに。目の前の景色を眺めて、マクスウェルはそう思った。
 その後、無事に準備が整い、作業に入ったが、やはり五枚同時進行というのは無理があった。下書き、スケッチをしたものの、人物もそうだが背景も衣服も全てに手が足りない。特にリリアンは、五枚全てに描かれているのでヴァーミリオンの絵師だけでは描ききれなかった。王宮の絵師に描かせてもいいのだが、それはアルベルトが許さない。美しいリリアンを、生半可に描くのを認めなかったからだ。元よりリリアンを描くだけに特化した専属の絵師がいるくらいだ、当然の結果と言える。
 そこでリリアン専属の絵師には主にリリアンの顔を描かせることにして、それ以外は極力分担させることになった。それでも五枚を描くのは難しい。グレンリヒトは苦肉の策だが、と切り出して手を打つことにした。

「これはもう、数には数で解決しよう」
「具体的には?」
「絵師を増やす」

 パワー的な解決方法である。
 王宮の絵師はすでに駆り出されており、ヴァーミリオン領からはブロマイド修復の研究がされており人手が出せない。仕方なしに他家から借りることになって——白羽の矢が立ったのはアズール家であった。宝飾品や衣類を統括する立場にあるアズール家は、その特性から絵師を多く抱えているのだ。
 後日、王に呼び出され登城したら、そこにアルベルトが居たことに目を丸くした。そうして絵師を寄越して欲しいと言われ、シュナイダーは叫んだ。

「なぜうちが!?」
「王命だぞ、受けたまえよシュナイダー君」
「はぁ!?」

 アルベルトの言葉に青筋を立てるシュナイダー。そんな彼に、王は眉を下げて詫びた。

「悪いな、アズール公」

 そうして大まかな事情を説明する。勝負のことは省いて、アルベルトへの褒美という名目で絵を描かせることにしたと。実際、演習では高い効果を出したのだ。今後障害となりそうな魔物を排除し、第二騎士団の訓練にも貢献する結果になった。内容はともかくとして成果があったのだから、それに対する報酬を与えないといけない、と。
 真面目なシュナイダーは、その言い分はもっともだと理解したのだ。だが、なんとなく、上から目線のアルベルトの態度だけが気に入らなかった。

「ぬぐぐぐ……」

 だが王にはそれを言えなくて、口をひん曲げる事しか出来なかった。すまないなと王に言われてしまえば受け入れるしかない。シュナイダーは渋々ながらもそれを受け入れ、準備の為と言って辞した。これでようやく制作が進むと満足げなアルベルトの向こう、「しくじったかなあ」とグレンリヒトはため息を漏らした。
 その城からの帰り、馬車の中で、ふとベンジャミンはある事が気になった。アルベルトは引き続き機嫌が良さそうだ、ならばこのまま聞いても構わないだろう。なんてことないような調子でベンジャミンは訊ねた。

「そういえば、アルベルト様。もう悪夢は見ないので?」
「……そういえば見なくなったな」

 指摘されて、アルベルトはその事に気付いた。あれ程までにアルベルトを苦しめた強烈な映像は、今は見る影もない。思い出されるのはリリアンの可憐な笑顔だけだ。

「きっとここの所ずっとリリアンと居たからだろう。リリアンの清浄な雰囲気で浄化されたに違いない!」

 アルベルトはそう言ったが、きっと時間が経って記憶が薄れただけだろう。まあ、もしかしたらそれ以上に集中することがあったから、そっちに気を取られて思い出す暇が無かっただけかも知れない。もしもそうだったとしたら、絵を描く必要はなかったのかも知れない。
 そう思うと何もかもが徒労となる。それはいけないと、ベンジャミンはご機嫌なアルベルトを前に、その考えはなかった事にして振り払った。


 完成した絵に描かれたリリアンは、どのパターンのものでも同じ笑みを浮かべていた。眩く輝く瞳はサファイア以上で、白く透き通る肌はまるで絹のよう。淡く紅に染まる頬は滑らかで、共に描かれた彼女の父親と同じ銀の髪は夜に輝く月光と似た色をしている。
 王と王妃、それからヴァーミリオンの一家が描かれたものは王城に置かれ、王妃がそこに映るリリアンの美しさを見せびらかしたのだが——それを見せられた女性の多くは、彼女の父親の方に魅入ってばかりだったものだから、早々にその絵は王妃とリリアン、二人が描かれたものに差し替えられたという。
 アルベルトとレイナードは、それぞれがツーショットのものをブロマイドの元絵にした。ブロマイドが完成するまではしばらく時間が掛かった。出来上がったものをそそくさと懐に仕舞い込む姿はそっくりであったと、後にベンジャミンは語る。
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