Story From The Lethe

鳴世 響

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第一章

4.謎の少女(3)

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「そこに座ってくれ」
 ゼノンはカウンター内に置かれた一つの椅子を指して言う。
 少女は言われるがままに椅子に腰をおろした。

 目の前には球状の青い石がある。ガラスのようにつるりとした表面に、まだらの模様がゆらめきながら光を放っている。
 少女は不思議そうにそれを見つめていると、その石が、瞬間的に強い光を発した。
「な、なに!?」
 少女は目をぱちくりとさせて驚いた顔をする。

「魔法石、ラピスラズリだ。これで今、あんたの顔をスキャンしたんだよ」
 傍に居たローリスは、少女の顔を覗き込む。
「……無いな」
 二人とは離れた位置で、ゼノンは屈んで、デスクの上に置かれている四角いモニターに目を遣っている。

「ありませんか?」
 隣からローリスが覗き込む。
 ゼノンが見ている画面には、今スキャンした少女の顔の画像と、隣に一行の文字列が「該当なし」を示して点滅している。
 ローリスは何かに気がついて思わず吹き出してしまった。

 画面に映る少女は、光に目を細めて歪んでいた。
 少女は無邪気を絵に描いたような見た目をしているが、こうして見ると人相が悪く見える。
 表情ひとつでこうも印象が変わるものだろうか、とローリスは可笑しくて仕方がない。

「おい」
 とゼノンが横目で注意する。
「す、すいません……」
 ローリスは真顔に戻そうとするが、口の端がまだ緩んでいる。

 ゼノンはため息を吐いた。
「……やはり、何度やっても照合できないな」
 今、スキャンした少女の画像を取り込み、海底都市の住民登録データと照合を行った。
 が、該当する情報は無かった。

 そうなると、少女の身元は完全に不明と言うことになる。
「身元が登録されていないとなると、どこかの隠し子か、意図的に情報を消した犯罪者か……」
とゼノンは向こうに座る少女を見る。

 少女はつぶらな瞳で見つめ返し、小首を傾げる。
「……とりあえず、犯罪者の方はなさそうだな」
 ゼノンの言葉にローリスは頷く。

「なんにせよ、身元は分からずじまいか」
 ゼノンはやれやれという風に呟いた。
「どうしましょうか」
 二人はまた少女に聞こえないように声を抑えて話す。

 ゼノンは考える時の癖で、顎先を親指と人差し指で触れて唸る。「……最近、仮設された避難施設なら、あるいは受け入れてもらえるかも知れん」
 ゼノンは言った。

 ここ最近、魔術悪用したテロで、一つのアクアリウムが居住不能となり、住む場所を失った人々が居る。
 その人々のために各アクアリウムに仮設された住居があった。
「確か、まだ空きがあると聞く。連れて行ってやれ」



 ゼノンに命じられ、少女を連れて避難施設の前まで来た時には、街に午後六時を告げる鐘が鳴り響いていた。
 地上の夜に当たる時間になると、明々と街を照らしているほとんどの照明が消灯され、通りの街灯が点灯する。住民たちの眠りを妨げないための配慮らしい。

 暗くなった街中を、中央の大きな建造物群から離れ、古風な石造りの街の方へと戻ってきた。その街の一角に埃っぽい古アパートがある。窓の配置を見るに五階くらいまではありそうだ。
 壁面の色はくすみ、各部屋の窓にある手すりの塗装はところどころ剥がれ、錆びた鉄が下から覗いている。

 避難施設と言っても、場所の限られた海底都市の住居を一気に確保することは簡単ではない。結果、廃墟同然で持て余したこんな場所になってしまうのだろう。
(俺なら住みたくないな)
 ローリスは、後ろにいる少女に悟られないように苦々しい顔をした。

「あんた、手持ちはあるよな?」
 施設の前でローリスは少女に聞いた。
「え、手持ち?」
 少女は相変わらず話が通じない。

 ローリスは頭を掻きむしって、ため息を吐く。
「金だよ、金!最低限生活できるくらいはあるのか?」
 少女は困り顔でローリスを見つめ返す。
「嘘だろ……」
 ローリスは膝から崩れ落ちる。

 手持ちがなくても施設に入居くらいはできるだろう。しかし、諸々の常識すら怪しいこの少女が、その後に生活をしていけるのかというと、甚だ疑問ではあった。
「とにかく、中に管理者が居るから、入居の手続きをするんだ」
「うん、ありがとう」
 状況を理解できたのかはよく分からないが、少女は礼を言った。

 本当に大丈夫かよ、という心の声は胸にしまったまま、ローリスは背を向けた。
「それじゃ、俺は行くからな。あんたもせっかく命拾いしたんだから、しっかり生きろよ」

 しかし、歩き出してから、妙に後ろ髪を引かれる感じがした。
 その引力に負けて、ちらりと後ろを顧みる。
 案の定、そこにじっと立ったままの少女と目が合った。

「……」

 目が合ってしまった二人の間に、気まずい沈黙が流れる。
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