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第3章 Intervention in Corruption
第61話 分断
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「我にできることを教えろとな? ここまで散々目にする機会はあったはずだが、何故そのようなことを聞く? 言葉を尽くすよりも、お前の目で見たものの方が信頼性も高いはずだが?」
「ああいや、あんたが……ヘリオドが槍で戦うことは見てきた。 俺が聞きたいのは、どの程度の魔物までなら相手にできるんだってことだ」
ヘリオドはやけに長いしなやかな腕を駆使して槍を操る純粋な前衛。 背中には常に二本の長槍──直槍と斧槍とが常に携帯され、戦闘では今のところ直槍しか使っているところしか目撃されていない。彼の戦闘スタイルは槍術というよりは棒術のそれで、槍だけでなく全身の素早いしなりや回転が組み合わされて、刺突以外の部分で敵を翻弄する。 そして相手が引いた瞬間などを見計らって、凄まじい間合い詰めで急所に一撃を叩き込むのがヘリオドの魔物撃退法である。
「どの程度もなにも、我の対応可能な範囲までとしか答えられないが? 力量に見合った成果を得続けてこそハンターは生存が可能で、力量を見誤ったハンターが死ぬ。 敵との相性、仲間の支援の多寡、環境、その他様々な要因が折り重なって結果が算出されるのだから、お前が自ら能力を語っていない以上回答に困ることは想像できたのではないか?」
「それはそうだな……すまん。 俺の支援魔法は身体と武器の強化・軽量化。 受けてもらった方が早いんだが、どうだ?」
「お前は属性すら明かしていなかったが?」
「あー……」
(まぁそうか。 属性が分かるだけである程度運用方法が規定できるしな。 俺は働きで価値を示そうと思ってたけど、それじゃダメっぽいな。 魔法使いはあまり群れを好まないって聞いてんだけど、ヘリオドの口調からは属性を明かすのは普通って感じなんだろうな。 ローカルルール分っかんねぇ……)
「支援魔法は土属性だ」
「……? それなら我に掛けてみろ。 だが不審な動きをすれば即座に敵と判断して攻撃を仕掛ける」
「ああ、気をつける。 じゃあ掛けるぞ……《強化》」
《強化》が適応され、ヘリオドは手足を動かして効果のほどを確認している。 飛んだり跳ねたり、武器を振り回してみたり。
「なるほど。 フンッ!」
ヘリオドが槍を横薙ぎに振るった。 槍の穂先だけが近くの木の幹を通過し、穂先の長さだけしっかり切断面を刻んでいる。 しかし樹海の木々は概ね数メートル級の大木ばかりのため、それだけで切り倒すことなど難しい。
「どうだ?」
「目に見えて身体能力が向上している。 ただ、副作用は先に説明してくべきではないか?」
「副作用?」
自分以外の他人に《強化》を適応したことは初めてだったため、ハジメはヘリオドの言葉に疑問符を浮かべる。
「魔法は全て代償行為だろう? そういうものだと聞いているが?」
(代償って闇属性の特性じゃないのか? 魔法そのものに代償があるというのか?)
「ない……はずだ。 これまで使ってきて何かしら悪い影響を受けたことはない。 代償だというのなら、俺のマナを消費した時点で終えられていると思うんだが……」
「まぁ良い、一旦はお前の言葉を信用しよう。 ひとまずお前を有用な人間とした上で計画を練る」
「助かる」
隊が調査に赴いている間、拠点を守るのがハジメとヘリオドの役目だ。 ここは敵地のど真ん中であり、強力な魔物が平気で跋扈している危険域。 ハジメが思う以上に面倒な魔物、その無数の陰影が近づいてきていた。
その頃、第一調査隊では──。
「ホン殿、どうされたかな?」
「……周囲の全反応消失」
「急に霧が濃くなったと思ったら、敵さんのお出ましか。 ホン、入手可能な情報は?」
「あらゆる生物の反応無し。 魔法による環境の変質と推測」
「確かにマナが濃いですな。 ウル殿、どうされますかな?」
「まずは防御を固めよう。 都合の良いことに、こっちには防御に厚い魔法使いが二人だ。 しばらく様子を見て、相手の目的を掴む。 では始めよう……《要塞》!」
ウルが地面に腕を叩きつけると、三人の周囲から無数の岩の柱が立ち上がり始めた。 それらは地上数メートルで一点に交わるような動きをみせ、三人を覆う簡易要塞が完成した。
「了解しましたぞ。 《細氷》」
ズロワは水の派生で氷属性の魔法使い。 彼の作り出した氷の塵は岩柱のごく狭い隙間から外へ漏れ出していく。
「ワタシの魔法で敵の物理的な動きを拾いますぞ。 ホン殿、アナタの索敵が切れたのはどれくらいの距離ですかな?」
「約30メートル。 私を中心に全て同心円上」
「そこそこの大きさで判断が難しいですな。 “設置型”と推測しますが、ウル殿はどうお考えで?」
「ボクも同じ考えだ。 ただ……」
「ただ?」
「こんな奥地で巻き込まれたことを考えると、“空間型”の可能性も捨て切れない。 “設置型”であれば拘束くらいの効果しか出ないけど、“空間型”の場合はこの空間全てが攻撃手段になってくるから、動きを止めることが致命的になりかねない。 あいにくボクは空間把握には疎いから、判断は二人に任せるけど……っと、お出ましか」
魔法には、“展開型”、“設置型”そして“空間型”の三種類がある。 “展開型”は単純に発動された初級から中級までの魔法であり、拘束系統に含まれるもので言えば《枷》や《光檻》がこれにあたる。 “設置型”は中級以上の魔法で、広範囲に敵を捕らえる空間を形成でき、なおかつ使用者は空間内に存在する必要はない。 そして設置型空間は強度に厚く規模に乏しいという性質がある。 “空間型”は使用者が空間内に存在しなければならないが、強度と規模を自由に調節可能だ。
「敵は一人」
「ですな。 ただ、人間というには少し……」
空間内に使用者らしき人物が存在しているということは、セオリー的には“空間型”魔法の展開様式を踏んでいると言える。
「使われたのが“空間型”魔法なら、命をかけなきゃいけないね……」
一方、第二調査隊では──。
「ゼラ、なんでてめぇがここに居やがるんだ?」
ラフィアンが偶然見つけたゼラ=ヴェスパを問い詰めていた。
「しつこいって、どれだけ追ってくるのさ。 あんまり人の嫌がることはするもんじゃないよ?」
「黙れ犯罪者。 逃亡は重罪だって知らなかったのか? そういや魔導具も付けていねぇよなァ?」
「外したんだよ。 邪魔だからね」
ひらひらと振られるゼラの両手には魔導具の類は一切装着されていない。 当然彼の足首にも。
「今や国中てめぇの指名手配書が出回ってる。 こんな辺鄙な場所にいても見つかっちまうとは、運がなかったなァ」
「せっかくいいところなのに、邪魔はしてほしくないんだけどな」
「何を企んでる?」
ゼラはキョロキョロと周囲を見渡してからラフィアンに向き直った。
「ま、いっか。 どうせ殺すんだし、話をするのも良いかもね。 僕はね、実験をしているんだよ。 強力な魔物を生み出したり、その他色々なことをね」
「なに……?」
「ラフィアン、こいつと話しても無駄だって。 捕まえて町で吐かせるべきじゃん」
「当然そのつもりだ。 おい、さっさと支援しやがれ」
支援魔法を使用し始めたレイシとゲニウスを見て、ゼラはやれやれと言った様子で魔導書を出現させる。
「うーん、光属性が二人か。 ゲニウスがいるから、ちょっとだけ面倒臭い感じかな。 まぁ、やるって言うんならやるんだけどさ。 でも良いのかな? 今こうしてる間にもお友達は危険な目に遭っているかもしれないのに、助けに行かないのはまずいんじゃない?」
「こいつ何のつもりー?」
「得意の時間稼ぎだろうよ」
「あーらら、僕の話をまともに聞いてくれないのかい。 残念だよ。 君たちにも、魔人に蹂躙されてる君たちのお仲間にもお悔やみを申し上げるよ」
「何を言っている?」
「僕より強い魔人がいるって話」
「んなもん、ここで即座にてめぇを始末すりゃあ済む話だ」
「随分とナメられてるね。 僕も“空間型”魔法が使えるようになったというのに」
「ラフィアン、そいつマナを──」
「気づくのが遅いよ。 《幻覚世界》」
レイシの忠告虚しく、特殊空間が周囲を飲み込んでいった。
ゼラは会話の最中こっそりとマナを放出していた。 ラフィアンの指摘通り、ゼラは会話を引き伸ばして時間稼ぎをしており、これは空間を支配するために大量のマナを必要とするためだ。 必要な空間に満遍なくマナを満たすことでようやく空間型の魔法は完成に至り、工程が大変なほど効果も大きくなる。
《幻覚世界》は酩酊したような風景を映し出し、全員の視界は360度全て──地面すら同じ色に塗られている。 ラフィアンたち三人はなぜかまともに立つことすらできなくなり、落下するような感覚を抱えながら地面と思しき場所に倒れ込んだ。
「全ての感覚が乱れるこの世界で、君たちはどうやって僕を殺すんだい?」
立ち上がろうとするも、手をつくことすら出来ずに無様に転がる三人。
ゼラの質問を正常に知覚できる者は、すでに一人もいなかった。
▽
ドミナが商業区画の路地を歩いていると、普段滅多に目にしない集団が通り過ぎる瞬間を目にした。
「あら、珍しい。 仕事帰り……にしては汚れてないから、今から出発か。 熱心ね、ユハンも」
モルテヴァ領主ロドリゲス=ヒースコートの息子ユハン。 180cmを超える長身に灰色の長髪、赤い目、病的なほど白い肌。 人間離れした外見は侮蔑の対象だが、貴族という地位がその全てを跳ね除ける。
(ユハンはあまり処理対象として数えてないけど、どうなのかしら。 魔法も仲間にしか見せないようだし、仕事もハンターギルドを介さないし、謎が多いわ。 情報を集めるべきなんでしょうけど、イレギュラー要員だから読めないのよね。 彼の興味も未開域にばかり向いているし、無視はできるんだけど……難しいわね)
ユハンは高頻度で未開域を訪れ、時には何日も町に戻らぬまま魔物退治に明け暮れることもある。 そんな彼を町中で見かけることは滅多にない。
(領主ロドリゲスを殺した場合、後の統治はユハンに任せて問題ないと思うんだけど、リセスはユハンも殺すべきって言ってるのよね。 確かに国がコントロールしづらい人材ではあるんだけど、それ以外の欠点もなさそうなのよね。 こういう機会もなかなか無いし、観察してみようかしら)
ドミナは壁に張り付くと路地から顔を覗かせ、歩み去るユハンを視線で追う。
ユハンに追随するのは二人。 騎士モノ=クレールと、魔法使いリヒト=アルゼン。 貴族区画では二人とも実力者として知られているが、商業区画以下で彼女らのことを知る者は少ない。 そもそも貴族区画は他の区画とは隔絶された世界であり、平民などはそこに住む人間をあまりお目にかかることはない。
(クレール家の若手騎士と、モルテヴァの重鎮……いつも同じ顔ぶれね。 他のメンバーを入れないあたり、密接な関係の人間しか信用しないというのは聞いていた通り。 おっと……)
モノ──鎧を着込んだ女騎士が勢い良く背後を向いた。 兜を被っているため顔は見えないが、兜の下では視線が動き回っているのだろう。 ドミナは寸前で気がついて身を隠したため、ギリギリ目撃されてはいないだろう。
(へぇ、この距離で気がつくんだ。 ただの若い娘ってわけでもないのか)
「モノ、何を立ち止まっている?」
「……何者かからの視線を感じましたので」
モノは誰かが隠れていそうな場所を見つめながら、腰の剣に手を当ててじっと動きを止めている。 彼女らのいるここは建物は路地が複数合流している道のため、いくら感覚に鋭いモノといえど把握しかねている様子だ。 これを見たリヒトはやれやれと言った様子で肩をすくめた。 これは今に始まった事ではないらしい。
「いつも思うが、過敏すぎやせんか?」
「モノの感覚に助けられる場面もある。 素人か?」
「……素人ではないかと」
「では行け」
「ハッ!」
モノは鎧姿からは信じられない速度で飛び出し、次々に路地を確認して回る。 周囲の人間は何が起こっているのかわからず、ただ呆然とモノの奇行を見つめている。
数秒のうちに、モノはドミナのいる路地へと到達した。 しかし風が吹くばかりで、そこには誰一人として存在していない。
「……逃げられましたか」
モノは長い路地と高い壁の上を見つめる。 彼女が身体能力に優れているといえども、さすがに5メートル以上の壁を駆け上がることは難しい。
「追手がいたことを確認できただけ良しとしましょう」
壁面の数箇所がシュウシュウと音を立てて溶けているのを横目に、モノはユハンの元へと戻っていく。 ドミナは建物の屋根の上でちょこんと座りながら眼下のモノを観察していた。
(動物みたいな娘ね。 感性だけで動いているというか何というか。 私の視線に気づくあたり、ユハンは優秀な手下を抱えているのね。 あの三人でほぼ年中未開域を過ごしてるんだから、全員優秀なのは当然か。 あんまりちょっかい出すのはよろしくなさそうね。 モノって番犬がいる以上、遠隔攻撃も先に気づかれる恐れがあるし、上級魔法使いのリヒトを本気にさせて無傷で逃げるのも難しいからね)
「追手がおりました。 恐らくは単独ですが、素人ではない者の存在は確かかと」
「若に喧嘩を売る者がおるとは驚きじゃのう」
「処理しますか?」
「時間を無駄にする必要はない。 小物であれば未開域まで付いてくることもないからな。 しつこいようなら相手してやればよい」
「それもそうですね。 以後──ユハン様……」
モノが言葉を切り、一点を見つめている。 そこには、大量の荷物を抱えてトボトボと歩くエマの姿がある。 エマの方もすぐにユハンたちに気がつき、壁に寄って足を止めた。
ユハンも一瞬だけエマを見たが、エマは下を向いて震えるのみだ。
「ふん、愚物が」
ユハンが侮蔑の言葉を吐きかけると、エマは怯えるようにビクリと身体を跳ねさせた。 彼はそのまま興味を無くしたようにそばを通り過ぎていく。
(ユハンがエマに反応するなんて、ちょっと違和感があるわね。 モノが過敏に反応したからかしら?)
ドミナは依然、屋根の上から遠目にユハンたちの姿を追っている。 さすがに距離を離すとモノは先ほどのような行動はとらないようで、ドミナは悠々と観察を続けることができていた。 ユハンたちが完全に視界から消えるまで一向に動こうとしないエマを見て、ドミナは不信感を強める。
「こんにちは、エマ」
「……!? え、っと……」
ドミナは、再びトボトボと歩き出したエマの前へ。
「ちょっと付き合ってくれる?」
「あ、あの……」
「いいから来なさい、被虐民。 自分で歩けないなら無理矢理にでも連れて行くけど?」
「ひっ……」
ドミナのドス黒い目で脅され、エマは絶句して動けない。
エマは直接的な暴力でればある程度耐えられるが、言葉にはめっぽう弱い。 こうやって直接悪意をぶつけられるだけで何もできなくなってしまう。
エマはドミナに腕を引かれ、人の居ない路地へ。 薄暗い空間は、それだけでエマの不安を煽る。
「私はドミナ。 率直に聞くんだけど、あなたユハンとどういった関係?」
「っ……! あ、あたしは何も──い゛ッ!?」
ドミナは右手でエマの首を絞め、左手には魔導書を展開。
「直接身体に聞くから答えなくてもいいわよ。 《記憶遡行》」
闇属性の読心魔法。 これは使用者と相手の間に力量差があること、使用者が精神的優位に立っていること、その他様々な要因が成功率に影響する。 しかしモルテヴァにおいてエマは圧倒的下位に存在する人間であり、誰に対しても引け目を感じるため、問答無用で《記憶遡行》は効果を最大限に発揮した。
「あ……が……」
エマは魔法を受け、脳へ無理矢理に腕を突っ込まれるような気持ち悪さを覚えた。 不快感を感じながら痙攣し、それでもドミナに首を絞められているため脳へ酸素が回らず、力なくドミナの腕にしがみつくのみだ。
「日々酷い目にあって大変ねのね。 さて、ユハンの記憶──ッなに……?」
突如ドミナは弾かれたように腕を離し、その場から飛び退った。
「ぃ、ぎっ……!」
エマは支えを失って地面に叩きつけられ、涙目で呻きながら咳き込んでいる。
ドミナは一瞬、生じた頭痛の意味が分からず呆然とした。 片手で頭を抑えながら、しかしすぐに頭痛の原因を分析する。
(この娘、さっき会ったはずのユハンの記憶が曖昧にボヤけてる……。 関連があると思ってついでに領主の記憶も覗こうとしたら弾かれた。 あらあら、思わぬところから面白いものが出てきたわね)
「げほッ……ごほッ……。 え、ひィ……!?」
エマは咳き込むことも忘れて悲鳴を上げた。 ドミナの手が肩に置かれ、怖い顔で覗き込まれていたからだ。
「エマ、ちょっと教えて欲しいんだけど」
「ご、ごめんなさい……! あ、あたしは何もして、ないです……!」
「いいのよ、あなたが悪いんじゃないんだから。 今のは私の魔法が弾かれただけ。 領主の記憶を覗こうとしたらこうなったんだけど、とっても不思議よね?」
「っ……」
「あなたの記憶って、私より上位の存在によってプロテクトされているの。 これってどういう意味かしら? すでにある程度は推測できているんだけど、あなたの口から教えてもらえる?」
「え、と……あの……」
「明らかにマズい記憶を封じられてるのよ? それなのに殺されもせず放逐されているのはどうしてかしら?」
「……」
「何か言って欲しいんだけど、これに関しては魔法を使っても読めなくされているのよね。 困ったわ」
「何も、知らない……」
「知らないはずないじゃない。 だって領主ロドリゲスはあなたの父なんだから」
「えっ……?」
ドミナは幸運に恵まれていた。 ユハンを見つけたばかりか、彼がエマと遭遇する瞬間さえ目撃していたのだから。
エマはたった数分でユハンに関する記憶が欠落するほどになっていた。 これは魔法によって意図的に記憶を消去されているためであり、普通の人間ではそうはならない。
ドミナが決定的瞬間を目撃していたこと、そしてスピード勝負でエマの記憶を読んだこと。 これらによってドミナはエマの記憶からとある単語を拾うことに成功していたのだ。
「あなたの記憶に、ユハンを兄と認識するものが残っていたわ。 もう少し私が遅ければ見つけられなかったでしょうけど、今回ばかりはお相手の運が悪かったわね。 こうなるくらいなら、ユハンとあなたが接触しないように注意を払うべきだったのにね」
「あ……あの、えっと、その……」
明らかに動揺し狼狽しているエマを見て、ドミナの99%の確信は100%へ引き上げられた。
「ユハンが兄なら、ロドリゲスは父。 こんなの子供だって分かるわよね?」
「あの……だめ、です……。 それを知られたら、あたし……」
「自分でバラしちゃってるじゃない、おつむのかわいそうな娘。 でも安心して。 私はこれを誰かに話したりはしないから」
「そんなの、信用できるわけ……」
「本当よ? ハジメ君が心配してる娘を悪いようにはしないわ」
「……え? ハジメ、さん……?」
「ハジメ君、あなたのことをとっても心配してたわ。 被虐民なんて無視してたらいいのに、ちょっと変わってるわよね。 彼が渡そうとしたポーションも断ったんだってね。 貰っちゃえばよかったのに」
「そんな高価なもの、貰えるわけ……」
「でも優しくされて、あなたに酷いことをした人に対して怒ってくれて嬉しかったんでしょ? それならハジメ君の気持ちを受け取ったらいいじゃない。 彼って見返りとか何も求めずにそんなことやってるから、あなたが気にする必要もないのよ?」
「あなたは、ハジメさんの何……?」
エマは全てを見透かしてズケズケと内面へ踏み込んでくるドミナに嫌悪感を抱きつつ、ハジメと彼女の関係も気になってしまっている。 見透かされているのは記憶を読まれているからなのだが。
(この娘の恋心は利用すべきね。 結構重要な情報を握ってるし、利用価値は十分にあるわ)
「ある目的で、彼と私は協力関係よ」
「そう、ですか……」
「恋人じゃなくて安心した?」
「えっ!? いや、そんな……」
「まぁいいわ。 あなたが私に従えば、ハジメ君にはあなたの秘密は知らせないであげる。 ハジメ君が知っちゃってどこかでポロッと漏らしちゃったら、彼は殺されるかもしれないしね」
「……脅すんですか?」
(馬鹿ね、この娘。 ハジメ君が重要だって自分で言っちゃってるようなものじゃない)
「脅すもなにも、私はあなたの記憶を全部見ちゃったからね。 あなたが日々奴隷区画から持って帰ってきてる魔導具とか、私はもういっぱい知ってるの。 だからあなたのすべき返事は一つ。 分かったら首を縦に振りなさい」
「……はい」
エマはドミナに従うことを余儀なくされ、仕方なく肯定の意を示した。
「ここからあなたは私の手下ね。 しっかり働きなさい」
「あたしに何をさせるんですか……? 目的って何ですか?」
「私の指示通り動けばいいわ。 目的は領主を殺すことだから」
「何を……言ってるんですか?」
「あの醜悪な人間は殺さなくちゃならないの。 目的を達したらあなたは自由になるかもしれないし、ハジメ君と一緒になれるかもしれないわよ」
「え……? そんなの……」
「そう言えば、ハジメ君はあなたに自由になって欲しいって言ってたわ。 どうしてかは知らないけどね」
「本当ですか……!?」
「信じられないなら本人に聞いてみるといいわ」
「そんなの、無理です……。 あたしに関わったら迷惑がかかっちゃうし……」
(卑屈ね。 面倒臭い娘)
「なんでもいいけど、まずはあなたが奴隷区画から回収している魔導具を寄越しなさい。 話はそれからよ」
「ああいや、あんたが……ヘリオドが槍で戦うことは見てきた。 俺が聞きたいのは、どの程度の魔物までなら相手にできるんだってことだ」
ヘリオドはやけに長いしなやかな腕を駆使して槍を操る純粋な前衛。 背中には常に二本の長槍──直槍と斧槍とが常に携帯され、戦闘では今のところ直槍しか使っているところしか目撃されていない。彼の戦闘スタイルは槍術というよりは棒術のそれで、槍だけでなく全身の素早いしなりや回転が組み合わされて、刺突以外の部分で敵を翻弄する。 そして相手が引いた瞬間などを見計らって、凄まじい間合い詰めで急所に一撃を叩き込むのがヘリオドの魔物撃退法である。
「どの程度もなにも、我の対応可能な範囲までとしか答えられないが? 力量に見合った成果を得続けてこそハンターは生存が可能で、力量を見誤ったハンターが死ぬ。 敵との相性、仲間の支援の多寡、環境、その他様々な要因が折り重なって結果が算出されるのだから、お前が自ら能力を語っていない以上回答に困ることは想像できたのではないか?」
「それはそうだな……すまん。 俺の支援魔法は身体と武器の強化・軽量化。 受けてもらった方が早いんだが、どうだ?」
「お前は属性すら明かしていなかったが?」
「あー……」
(まぁそうか。 属性が分かるだけである程度運用方法が規定できるしな。 俺は働きで価値を示そうと思ってたけど、それじゃダメっぽいな。 魔法使いはあまり群れを好まないって聞いてんだけど、ヘリオドの口調からは属性を明かすのは普通って感じなんだろうな。 ローカルルール分っかんねぇ……)
「支援魔法は土属性だ」
「……? それなら我に掛けてみろ。 だが不審な動きをすれば即座に敵と判断して攻撃を仕掛ける」
「ああ、気をつける。 じゃあ掛けるぞ……《強化》」
《強化》が適応され、ヘリオドは手足を動かして効果のほどを確認している。 飛んだり跳ねたり、武器を振り回してみたり。
「なるほど。 フンッ!」
ヘリオドが槍を横薙ぎに振るった。 槍の穂先だけが近くの木の幹を通過し、穂先の長さだけしっかり切断面を刻んでいる。 しかし樹海の木々は概ね数メートル級の大木ばかりのため、それだけで切り倒すことなど難しい。
「どうだ?」
「目に見えて身体能力が向上している。 ただ、副作用は先に説明してくべきではないか?」
「副作用?」
自分以外の他人に《強化》を適応したことは初めてだったため、ハジメはヘリオドの言葉に疑問符を浮かべる。
「魔法は全て代償行為だろう? そういうものだと聞いているが?」
(代償って闇属性の特性じゃないのか? 魔法そのものに代償があるというのか?)
「ない……はずだ。 これまで使ってきて何かしら悪い影響を受けたことはない。 代償だというのなら、俺のマナを消費した時点で終えられていると思うんだが……」
「まぁ良い、一旦はお前の言葉を信用しよう。 ひとまずお前を有用な人間とした上で計画を練る」
「助かる」
隊が調査に赴いている間、拠点を守るのがハジメとヘリオドの役目だ。 ここは敵地のど真ん中であり、強力な魔物が平気で跋扈している危険域。 ハジメが思う以上に面倒な魔物、その無数の陰影が近づいてきていた。
その頃、第一調査隊では──。
「ホン殿、どうされたかな?」
「……周囲の全反応消失」
「急に霧が濃くなったと思ったら、敵さんのお出ましか。 ホン、入手可能な情報は?」
「あらゆる生物の反応無し。 魔法による環境の変質と推測」
「確かにマナが濃いですな。 ウル殿、どうされますかな?」
「まずは防御を固めよう。 都合の良いことに、こっちには防御に厚い魔法使いが二人だ。 しばらく様子を見て、相手の目的を掴む。 では始めよう……《要塞》!」
ウルが地面に腕を叩きつけると、三人の周囲から無数の岩の柱が立ち上がり始めた。 それらは地上数メートルで一点に交わるような動きをみせ、三人を覆う簡易要塞が完成した。
「了解しましたぞ。 《細氷》」
ズロワは水の派生で氷属性の魔法使い。 彼の作り出した氷の塵は岩柱のごく狭い隙間から外へ漏れ出していく。
「ワタシの魔法で敵の物理的な動きを拾いますぞ。 ホン殿、アナタの索敵が切れたのはどれくらいの距離ですかな?」
「約30メートル。 私を中心に全て同心円上」
「そこそこの大きさで判断が難しいですな。 “設置型”と推測しますが、ウル殿はどうお考えで?」
「ボクも同じ考えだ。 ただ……」
「ただ?」
「こんな奥地で巻き込まれたことを考えると、“空間型”の可能性も捨て切れない。 “設置型”であれば拘束くらいの効果しか出ないけど、“空間型”の場合はこの空間全てが攻撃手段になってくるから、動きを止めることが致命的になりかねない。 あいにくボクは空間把握には疎いから、判断は二人に任せるけど……っと、お出ましか」
魔法には、“展開型”、“設置型”そして“空間型”の三種類がある。 “展開型”は単純に発動された初級から中級までの魔法であり、拘束系統に含まれるもので言えば《枷》や《光檻》がこれにあたる。 “設置型”は中級以上の魔法で、広範囲に敵を捕らえる空間を形成でき、なおかつ使用者は空間内に存在する必要はない。 そして設置型空間は強度に厚く規模に乏しいという性質がある。 “空間型”は使用者が空間内に存在しなければならないが、強度と規模を自由に調節可能だ。
「敵は一人」
「ですな。 ただ、人間というには少し……」
空間内に使用者らしき人物が存在しているということは、セオリー的には“空間型”魔法の展開様式を踏んでいると言える。
「使われたのが“空間型”魔法なら、命をかけなきゃいけないね……」
一方、第二調査隊では──。
「ゼラ、なんでてめぇがここに居やがるんだ?」
ラフィアンが偶然見つけたゼラ=ヴェスパを問い詰めていた。
「しつこいって、どれだけ追ってくるのさ。 あんまり人の嫌がることはするもんじゃないよ?」
「黙れ犯罪者。 逃亡は重罪だって知らなかったのか? そういや魔導具も付けていねぇよなァ?」
「外したんだよ。 邪魔だからね」
ひらひらと振られるゼラの両手には魔導具の類は一切装着されていない。 当然彼の足首にも。
「今や国中てめぇの指名手配書が出回ってる。 こんな辺鄙な場所にいても見つかっちまうとは、運がなかったなァ」
「せっかくいいところなのに、邪魔はしてほしくないんだけどな」
「何を企んでる?」
ゼラはキョロキョロと周囲を見渡してからラフィアンに向き直った。
「ま、いっか。 どうせ殺すんだし、話をするのも良いかもね。 僕はね、実験をしているんだよ。 強力な魔物を生み出したり、その他色々なことをね」
「なに……?」
「ラフィアン、こいつと話しても無駄だって。 捕まえて町で吐かせるべきじゃん」
「当然そのつもりだ。 おい、さっさと支援しやがれ」
支援魔法を使用し始めたレイシとゲニウスを見て、ゼラはやれやれと言った様子で魔導書を出現させる。
「うーん、光属性が二人か。 ゲニウスがいるから、ちょっとだけ面倒臭い感じかな。 まぁ、やるって言うんならやるんだけどさ。 でも良いのかな? 今こうしてる間にもお友達は危険な目に遭っているかもしれないのに、助けに行かないのはまずいんじゃない?」
「こいつ何のつもりー?」
「得意の時間稼ぎだろうよ」
「あーらら、僕の話をまともに聞いてくれないのかい。 残念だよ。 君たちにも、魔人に蹂躙されてる君たちのお仲間にもお悔やみを申し上げるよ」
「何を言っている?」
「僕より強い魔人がいるって話」
「んなもん、ここで即座にてめぇを始末すりゃあ済む話だ」
「随分とナメられてるね。 僕も“空間型”魔法が使えるようになったというのに」
「ラフィアン、そいつマナを──」
「気づくのが遅いよ。 《幻覚世界》」
レイシの忠告虚しく、特殊空間が周囲を飲み込んでいった。
ゼラは会話の最中こっそりとマナを放出していた。 ラフィアンの指摘通り、ゼラは会話を引き伸ばして時間稼ぎをしており、これは空間を支配するために大量のマナを必要とするためだ。 必要な空間に満遍なくマナを満たすことでようやく空間型の魔法は完成に至り、工程が大変なほど効果も大きくなる。
《幻覚世界》は酩酊したような風景を映し出し、全員の視界は360度全て──地面すら同じ色に塗られている。 ラフィアンたち三人はなぜかまともに立つことすらできなくなり、落下するような感覚を抱えながら地面と思しき場所に倒れ込んだ。
「全ての感覚が乱れるこの世界で、君たちはどうやって僕を殺すんだい?」
立ち上がろうとするも、手をつくことすら出来ずに無様に転がる三人。
ゼラの質問を正常に知覚できる者は、すでに一人もいなかった。
▽
ドミナが商業区画の路地を歩いていると、普段滅多に目にしない集団が通り過ぎる瞬間を目にした。
「あら、珍しい。 仕事帰り……にしては汚れてないから、今から出発か。 熱心ね、ユハンも」
モルテヴァ領主ロドリゲス=ヒースコートの息子ユハン。 180cmを超える長身に灰色の長髪、赤い目、病的なほど白い肌。 人間離れした外見は侮蔑の対象だが、貴族という地位がその全てを跳ね除ける。
(ユハンはあまり処理対象として数えてないけど、どうなのかしら。 魔法も仲間にしか見せないようだし、仕事もハンターギルドを介さないし、謎が多いわ。 情報を集めるべきなんでしょうけど、イレギュラー要員だから読めないのよね。 彼の興味も未開域にばかり向いているし、無視はできるんだけど……難しいわね)
ユハンは高頻度で未開域を訪れ、時には何日も町に戻らぬまま魔物退治に明け暮れることもある。 そんな彼を町中で見かけることは滅多にない。
(領主ロドリゲスを殺した場合、後の統治はユハンに任せて問題ないと思うんだけど、リセスはユハンも殺すべきって言ってるのよね。 確かに国がコントロールしづらい人材ではあるんだけど、それ以外の欠点もなさそうなのよね。 こういう機会もなかなか無いし、観察してみようかしら)
ドミナは壁に張り付くと路地から顔を覗かせ、歩み去るユハンを視線で追う。
ユハンに追随するのは二人。 騎士モノ=クレールと、魔法使いリヒト=アルゼン。 貴族区画では二人とも実力者として知られているが、商業区画以下で彼女らのことを知る者は少ない。 そもそも貴族区画は他の区画とは隔絶された世界であり、平民などはそこに住む人間をあまりお目にかかることはない。
(クレール家の若手騎士と、モルテヴァの重鎮……いつも同じ顔ぶれね。 他のメンバーを入れないあたり、密接な関係の人間しか信用しないというのは聞いていた通り。 おっと……)
モノ──鎧を着込んだ女騎士が勢い良く背後を向いた。 兜を被っているため顔は見えないが、兜の下では視線が動き回っているのだろう。 ドミナは寸前で気がついて身を隠したため、ギリギリ目撃されてはいないだろう。
(へぇ、この距離で気がつくんだ。 ただの若い娘ってわけでもないのか)
「モノ、何を立ち止まっている?」
「……何者かからの視線を感じましたので」
モノは誰かが隠れていそうな場所を見つめながら、腰の剣に手を当ててじっと動きを止めている。 彼女らのいるここは建物は路地が複数合流している道のため、いくら感覚に鋭いモノといえど把握しかねている様子だ。 これを見たリヒトはやれやれと言った様子で肩をすくめた。 これは今に始まった事ではないらしい。
「いつも思うが、過敏すぎやせんか?」
「モノの感覚に助けられる場面もある。 素人か?」
「……素人ではないかと」
「では行け」
「ハッ!」
モノは鎧姿からは信じられない速度で飛び出し、次々に路地を確認して回る。 周囲の人間は何が起こっているのかわからず、ただ呆然とモノの奇行を見つめている。
数秒のうちに、モノはドミナのいる路地へと到達した。 しかし風が吹くばかりで、そこには誰一人として存在していない。
「……逃げられましたか」
モノは長い路地と高い壁の上を見つめる。 彼女が身体能力に優れているといえども、さすがに5メートル以上の壁を駆け上がることは難しい。
「追手がいたことを確認できただけ良しとしましょう」
壁面の数箇所がシュウシュウと音を立てて溶けているのを横目に、モノはユハンの元へと戻っていく。 ドミナは建物の屋根の上でちょこんと座りながら眼下のモノを観察していた。
(動物みたいな娘ね。 感性だけで動いているというか何というか。 私の視線に気づくあたり、ユハンは優秀な手下を抱えているのね。 あの三人でほぼ年中未開域を過ごしてるんだから、全員優秀なのは当然か。 あんまりちょっかい出すのはよろしくなさそうね。 モノって番犬がいる以上、遠隔攻撃も先に気づかれる恐れがあるし、上級魔法使いのリヒトを本気にさせて無傷で逃げるのも難しいからね)
「追手がおりました。 恐らくは単独ですが、素人ではない者の存在は確かかと」
「若に喧嘩を売る者がおるとは驚きじゃのう」
「処理しますか?」
「時間を無駄にする必要はない。 小物であれば未開域まで付いてくることもないからな。 しつこいようなら相手してやればよい」
「それもそうですね。 以後──ユハン様……」
モノが言葉を切り、一点を見つめている。 そこには、大量の荷物を抱えてトボトボと歩くエマの姿がある。 エマの方もすぐにユハンたちに気がつき、壁に寄って足を止めた。
ユハンも一瞬だけエマを見たが、エマは下を向いて震えるのみだ。
「ふん、愚物が」
ユハンが侮蔑の言葉を吐きかけると、エマは怯えるようにビクリと身体を跳ねさせた。 彼はそのまま興味を無くしたようにそばを通り過ぎていく。
(ユハンがエマに反応するなんて、ちょっと違和感があるわね。 モノが過敏に反応したからかしら?)
ドミナは依然、屋根の上から遠目にユハンたちの姿を追っている。 さすがに距離を離すとモノは先ほどのような行動はとらないようで、ドミナは悠々と観察を続けることができていた。 ユハンたちが完全に視界から消えるまで一向に動こうとしないエマを見て、ドミナは不信感を強める。
「こんにちは、エマ」
「……!? え、っと……」
ドミナは、再びトボトボと歩き出したエマの前へ。
「ちょっと付き合ってくれる?」
「あ、あの……」
「いいから来なさい、被虐民。 自分で歩けないなら無理矢理にでも連れて行くけど?」
「ひっ……」
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エマはドミナに腕を引かれ、人の居ない路地へ。 薄暗い空間は、それだけでエマの不安を煽る。
「私はドミナ。 率直に聞くんだけど、あなたユハンとどういった関係?」
「っ……! あ、あたしは何も──い゛ッ!?」
ドミナは右手でエマの首を絞め、左手には魔導書を展開。
「直接身体に聞くから答えなくてもいいわよ。 《記憶遡行》」
闇属性の読心魔法。 これは使用者と相手の間に力量差があること、使用者が精神的優位に立っていること、その他様々な要因が成功率に影響する。 しかしモルテヴァにおいてエマは圧倒的下位に存在する人間であり、誰に対しても引け目を感じるため、問答無用で《記憶遡行》は効果を最大限に発揮した。
「あ……が……」
エマは魔法を受け、脳へ無理矢理に腕を突っ込まれるような気持ち悪さを覚えた。 不快感を感じながら痙攣し、それでもドミナに首を絞められているため脳へ酸素が回らず、力なくドミナの腕にしがみつくのみだ。
「日々酷い目にあって大変ねのね。 さて、ユハンの記憶──ッなに……?」
突如ドミナは弾かれたように腕を離し、その場から飛び退った。
「ぃ、ぎっ……!」
エマは支えを失って地面に叩きつけられ、涙目で呻きながら咳き込んでいる。
ドミナは一瞬、生じた頭痛の意味が分からず呆然とした。 片手で頭を抑えながら、しかしすぐに頭痛の原因を分析する。
(この娘、さっき会ったはずのユハンの記憶が曖昧にボヤけてる……。 関連があると思ってついでに領主の記憶も覗こうとしたら弾かれた。 あらあら、思わぬところから面白いものが出てきたわね)
「げほッ……ごほッ……。 え、ひィ……!?」
エマは咳き込むことも忘れて悲鳴を上げた。 ドミナの手が肩に置かれ、怖い顔で覗き込まれていたからだ。
「エマ、ちょっと教えて欲しいんだけど」
「ご、ごめんなさい……! あ、あたしは何もして、ないです……!」
「いいのよ、あなたが悪いんじゃないんだから。 今のは私の魔法が弾かれただけ。 領主の記憶を覗こうとしたらこうなったんだけど、とっても不思議よね?」
「っ……」
「あなたの記憶って、私より上位の存在によってプロテクトされているの。 これってどういう意味かしら? すでにある程度は推測できているんだけど、あなたの口から教えてもらえる?」
「え、と……あの……」
「明らかにマズい記憶を封じられてるのよ? それなのに殺されもせず放逐されているのはどうしてかしら?」
「……」
「何か言って欲しいんだけど、これに関しては魔法を使っても読めなくされているのよね。 困ったわ」
「何も、知らない……」
「知らないはずないじゃない。 だって領主ロドリゲスはあなたの父なんだから」
「えっ……?」
ドミナは幸運に恵まれていた。 ユハンを見つけたばかりか、彼がエマと遭遇する瞬間さえ目撃していたのだから。
エマはたった数分でユハンに関する記憶が欠落するほどになっていた。 これは魔法によって意図的に記憶を消去されているためであり、普通の人間ではそうはならない。
ドミナが決定的瞬間を目撃していたこと、そしてスピード勝負でエマの記憶を読んだこと。 これらによってドミナはエマの記憶からとある単語を拾うことに成功していたのだ。
「あなたの記憶に、ユハンを兄と認識するものが残っていたわ。 もう少し私が遅ければ見つけられなかったでしょうけど、今回ばかりはお相手の運が悪かったわね。 こうなるくらいなら、ユハンとあなたが接触しないように注意を払うべきだったのにね」
「あ……あの、えっと、その……」
明らかに動揺し狼狽しているエマを見て、ドミナの99%の確信は100%へ引き上げられた。
「ユハンが兄なら、ロドリゲスは父。 こんなの子供だって分かるわよね?」
「あの……だめ、です……。 それを知られたら、あたし……」
「自分でバラしちゃってるじゃない、おつむのかわいそうな娘。 でも安心して。 私はこれを誰かに話したりはしないから」
「そんなの、信用できるわけ……」
「本当よ? ハジメ君が心配してる娘を悪いようにはしないわ」
「……え? ハジメ、さん……?」
「ハジメ君、あなたのことをとっても心配してたわ。 被虐民なんて無視してたらいいのに、ちょっと変わってるわよね。 彼が渡そうとしたポーションも断ったんだってね。 貰っちゃえばよかったのに」
「そんな高価なもの、貰えるわけ……」
「でも優しくされて、あなたに酷いことをした人に対して怒ってくれて嬉しかったんでしょ? それならハジメ君の気持ちを受け取ったらいいじゃない。 彼って見返りとか何も求めずにそんなことやってるから、あなたが気にする必要もないのよ?」
「あなたは、ハジメさんの何……?」
エマは全てを見透かしてズケズケと内面へ踏み込んでくるドミナに嫌悪感を抱きつつ、ハジメと彼女の関係も気になってしまっている。 見透かされているのは記憶を読まれているからなのだが。
(この娘の恋心は利用すべきね。 結構重要な情報を握ってるし、利用価値は十分にあるわ)
「ある目的で、彼と私は協力関係よ」
「そう、ですか……」
「恋人じゃなくて安心した?」
「えっ!? いや、そんな……」
「まぁいいわ。 あなたが私に従えば、ハジメ君にはあなたの秘密は知らせないであげる。 ハジメ君が知っちゃってどこかでポロッと漏らしちゃったら、彼は殺されるかもしれないしね」
「……脅すんですか?」
(馬鹿ね、この娘。 ハジメ君が重要だって自分で言っちゃってるようなものじゃない)
「脅すもなにも、私はあなたの記憶を全部見ちゃったからね。 あなたが日々奴隷区画から持って帰ってきてる魔導具とか、私はもういっぱい知ってるの。 だからあなたのすべき返事は一つ。 分かったら首を縦に振りなさい」
「……はい」
エマはドミナに従うことを余儀なくされ、仕方なく肯定の意を示した。
「ここからあなたは私の手下ね。 しっかり働きなさい」
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「私の指示通り動けばいいわ。 目的は領主を殺すことだから」
「何を……言ってるんですか?」
「あの醜悪な人間は殺さなくちゃならないの。 目的を達したらあなたは自由になるかもしれないし、ハジメ君と一緒になれるかもしれないわよ」
「え……? そんなの……」
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「本当ですか……!?」
「信じられないなら本人に聞いてみるといいわ」
「そんなの、無理です……。 あたしに関わったら迷惑がかかっちゃうし……」
(卑屈ね。 面倒臭い娘)
「なんでもいいけど、まずはあなたが奴隷区画から回収している魔導具を寄越しなさい。 話はそれからよ」
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