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第3章 Intervention in Corruption
第50話 サバイバル
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「おま、え……」
ハジメは町の外でダスクを見かけた。 そしてダスクもハジメの姿を確認するや否や驚きの表情を示した。
「ちょっとこっち来い!」
ハジメが何かを言う前に、ダスクはハジメの手を取って物陰に隠れた。
「ちょ……どうしたんですか!?」
「いいから姿を隠しとけ」
ゼラによって破壊尽くされたベルナルダンだが、この半年で復興の兆しを見せている。 と言っても、そこに住まう人数は四十人弱で、規模としては村に相当するほど。 それでも強固な石壁に守られたそこは、多少の魔物程度ではビクともしない様相を呈している。
破壊された町とはいえ元々そこには資材があったわけで、オルソーがそこに魔法を行使する形で一時的な要塞を形成した。 人数が少ないため防壁に使用できるものが多く、一方で家々は簡易的なものばかりだが、一応町のような体裁を保っている。
「俺がいたらマズいんですか?」
「まだ生き残った連中の心の傷は癒えちゃいない。 そんなところに魔法使いのお前がノコノコとやってきたら、あいつらはどう思う? それに、逃げ出して生きていたとなれば良い気もしないだろ?」
「それは、そうですね……」
(ああ、フエンちゃんが言ってたのはコレか。 考えなしに来るのは拙かったな……)
「とにかく、お前が生きていて良かった。 ここへの長居は勧めんがな。 今日はどんな用だ?」
「ダスクさんにお礼を言ってなかったので」
「そんなことか。 お前の姿を見れただけで十分だ。 レスカはどうした……?」
「えっと……」
「いや、話さなくていい」
「え、違います! ちゃんと生きて……っていうか、危ない状態ですが無事です」
「そうか、それなら良かった。 お前、どこから来た? ってか、どこで生きてた?」
「南の森の中にある修道院ですね。 ご存知ないですか?」
「なるほど、あそこか。 タージとかいう奇人が居るってんで誰も近づかんがな」
「ああ……」
(町が危ないのなら皆んな修道院に身を隠せば良いと思ってたけど、タージさんが障壁となってたか……。 というか、それほど多くの人を収容できるわけでもないし、これも安易な考えだな。 ナール様には色々言われているし、軽い考えと言動は控えよう)
「お前には悪いが、ここへの滞在は無理だ。 住民感情を考えたら、お前がここに居ても良いことは起こらない」
「大丈夫です、俺は王都を目指しているところなので」
「何しに向かう?」
「ちょっとやるべきことができまして……」
「……なるほどな」
「?」
「お前の変化を見れば分かる。 以前とは見違えたぞ。 顔つきもどこか凛々しくなってるしな。 確かにやるべきことは即座に実行すべきだ。 あの事件で、俺たちはそれを十分に理解している」
「それは、その……お役に立てず……」
思い出すほどに雰囲気が暗くなる。
(やっぱり、後ろ向きなことは話すべきじゃないな……)
しかしそれでも多少なり関わりがあった以上、ハジメも気になることはある。
「それであの、とても聞きづらいんですが……」
「なんだ?」
「フリックさんや他の人は……」
ハジメは町が完全に消し飛ぶ様を見ていない。 フエンやエスナもそのことについては教えずに旅立ったし、タージが町に向かわなかったこともあって、ベルナルダンの状況を知ったのは今日が初めてだ。
「フリックは死んだ。 ハンスもな」
「そう、ですか……」
「俺たちのチームだと、俺とカミラが生き残った。 あと有力なので言うと、オルソーとゴットフリートの爺さんくらいか。 カーライルの連中は全員死んじまったから、今だとオルソーが町長で俺が副町長って感じで落ち着いてる。 あとは何か知りたいか?」
「いえ、ありがとうございます……」
(フリックはあの時点で、もう……。 レスカの友達のイグナスって子も死んじゃったのか……。 不幸に子供も大人も関係ないんだな……)
「そう暗くなるな。 済んだことだ」
「済んだことって……。 納得してるんですか?」
「納得なんかするかよ。 あいつらのことは今だって憎い。 ただ、誰しも受け入れはしてるな。 弱くて運がなかった自分達が悪い、ってな」
「そんな……!」
「おいおい、熱くなるな。 バレちまうだろうが」
「すいません……」
「ここじゃアレだしな。 町の北にフリックの墓地がある。 寄っていくだろ?」
「はい……」
ハジメはコソコソと身を隠すようにして町を迂回し、ダスクに続いて墓所へ向かう。
「こんなに……」
広大な範囲に、無数の石の柱が突っ立っている。 その数は百や二百では済まないほどだ。 それらは整然としたものではなく乱雑に置かれており、急拵えで行われたことを窺わせる。 ダスクはそのうちの一つの前で足を止めた。
「ここだ。 被害の甚大さから全員を弔ってやれたわけじゃないけどな。 少なくとも、五百人以上は死んだ」
「……」
(フリックも含めて、この人たちはある意味俺のせいで死んだ。 俺はそれを、受け止めなければならない……)
「そうくらい顔をするな。 フリックだって、教え子が生きてるんだから喜んでるだろうよ」
「そうだと、いいんですが……」
「辛気臭い顔すんな。 ここの連中は、お前が逃げ出したから死んだわけじゃねぇ」
「いや……ある意味、その……」
「死んだ連中はもう仕方がない。 お前が真に考えるべきは、今を生きている連中のことだ。 レスカも生きてるんなら、そっちのことを考えてやれよ」
「それはそうですけど……」
「済まないと思うのなら謝ってやれ。 許されるかどうかなんて考えずにな」
「はい」
ここでハジメはツォヴィナールの発言を思い出していた。
『感謝を言葉にしろとは言わん。 形にしろとも言わん。 だがそれでも、想うことくらいはしてやれ。 そこには死した人間もおろうが、其奴らに対しては悼むのではなく偲ぶのだ』
(考えないようにするのか簡単だ。 でもナール様もダスクさんも、そうしろと言ってるわけじゃない。 受け入れて前に進め、と。 そう言ってるんだよな……?)
そう考えると、ハジメの意識は少し変化した気がした。
「ダスクさん、ありがとうございます」
「まぁ、それくらいは受け取ってやるよ。 祈りの時間は終わったか?」
「もう少しだけ」
「あいよ」
ハジメは心を込めて、死んだ者たちのことを想った。 彼らが生きていた時のことを鮮明に思い出し、死を悲しみ、そして向こうの世界での安寧を祈った。
「ダスクさん、お待たせしました」
「お前、教会関係者か何かにでもなったのか?」
「えっと、どうしてですか?」
「祈りの所作がな。 様になってたぜ」
「……ありがとう、ございます」
それからハジメは、これからの行動を掻い摘んでダスクに話した。 強くなること、世界を巡ること、仲間を募ること、等々を。
「それなら、ラクラ村の方面から北に向かってモルテヴァに入るのが順当な道のりだな。 一人で大丈夫なのか?」
「少しは鍛えましたし、恐らく大丈夫かと」
「……なるほど、楽観的ってわけでもなさそうだな。 自分の力量を理解して言ってるなら大丈夫そうだ」
「そう言っていただけると勇気が出ます」
「だとしたら、そんな軽い皮袋じゃ心許ないな。 保存食を持ってきてやるから、それを持っていけ」
確かにハジメの持ち物はそれほど多くが見えない。 保存食としても数日分が詰められているだけだし、重要なのは食料を加工する器材の数々や野宿に必要な物資なので、それらが皮袋の大半を占めている。 火打ち石だったり多用途の短刀だったり、水を沸かす鍋だったり、細かい持ち物も多い。
「そんな、ベルナルダンは未だ立ち直ってないんじゃ……?」
「俺個人のものを渡すだけだ」
「いいんですか?」
「フリックも言ってたしな。 次に繋げるのが大人の仕事だ、ってな。 若者を門出を応援しない奴がいるかよ」
「あ、ありがとうございます……!」
ハジメは人に見つからぬよう町の北を大きく迂回して西へ。 その間にダスクは町へ戻り、物資を用意してくれるという。
「オルソーさんに会えないのは残念だけど、ダスクさんから伝えておいてもらおう」
暫くすると、ダスクが小さい皮袋を抱えてやってきた。
「ほら、持っていけ」
ずっしりとする重みは、多少では収まらない程度の物量だ。
「こ、こんなに……?」
「重いなら食って減らせ。 あと、これも持っていけ」
そう言ってダスクが手渡してきたのは、レザーシースに入った小剣だった。 これは以前ハジメが使わせてもらったことのあるダマスカスナイフ。
「大事なものなんじゃ?」
「オルソーに無理言って作らせるから心配すんな。 町の防備に関わる人間の武器だし、すぐに作ってくれんだろ」
「だめですよ! そんなものを」
「言っただろ? 大人の仕事は次に繋げるこった。 それを受け取ったお前も、次に繋げるんだからな?」
「そういうこと、なら……」
「安心しろ。 ベルナルダンはじきに大きくなる。 お前が戻ってきた頃には前の状態に元通りになってるだろうよ」
「それならありがたく……受け取ります」
「オルソーには俺からお前とレスカの生存を伝えておく。 ああ、そうそう。 その武器の代金も今度払うってな」
「……あ」
すっかり忘れていたが、オルソーがいるのならしっかりと返さなければならない。 たとえ彼がいなくとも、何かしらベルナルダンには恩返しをしなければならないのだ。
「じゃあな。 次会う時を楽しみにしてる。 死ぬなよ、クロカワ」
「はい……!」
ダスクは戻り様軽く右手を上げると、早足に街へと戻っていった。
「くそ、なんで涙ばっか出てくるんだよ……! いい人が多すぎるだろ」
またも緩んでしまった涙腺を戻すのにそこそこに時間を費やし、ようやく完全な一人旅が始まる。
ダマスカスナイフを革鞘ごと腰に括り付け、革紐で皮袋を纏める。
「……よし、行くぞ」
心持ちを新たに、ハジメはモルテヴァへの道のりを歩き始めた。
クレメント村とラクラ村の消失後、人が介在しない場所は魔物が棲み着くようになってしまっている。 それを知ってか知らずか、ハジメはそちらへ足を進めている。
「やけに気配が多いな……。 こっちの道で本当に大丈夫か……?」
ハジメは背中に大剣とリュックを抱えているために相当な重量が肩にかかり、歩速がそれほど出ない。 なおかつ周囲の気配も相まって、緊張はハジメの歩みを遅らせるには十分だった。
当初ハジメはモルテヴァまで三、四日程度を想定していたが、これでは一週間くらいは見ないといけないかもしれない。
「ダスクさんに食料をもらってて正解だったな……。 あと何気に、このダマスカスナイフが助かる」
急な事態に際して、大剣では対処しきれない場合が予想される。 そんな時でも短剣であれば即座に振り回すことができるし、近距離の対応を素手だけで行わなくて済むのは大変にありがたい。
「やっぱ準備不足が否めないな……。 完全に行けると思ってたんだけどなぁ」
ハジメはこれまで常に誰かと行動を共にしていたため、一人というのがこれほど心細いとは知らなかった。 なおかつ物資の不足は不安を助長する要素足り得ている。 しかしそれも仕方のないことだろう。 なにせハジメにとってここはサバンナの荒野よりも危険な場所なわけで、全てを一人で対処しなければならないという重圧もある。 それらがハジメの恐怖心を煽るのは当然といえば当然だった。
「怖えぇ……」
ついにベルナルダンまで見えなくなってしまうと、ハジメの周囲360度全てが警戒対象だ。 おっかなびっくり進むが、常に背中を誰かに見張られている感じが拭いきれない。
「なるべく山とか森から離れて歩かないとな……」
と言っても、陽が落ちればどこにいようと危険なのは変わりない。
そしてここでもう一つ、心配事がハジメを苛み始めた。
「野宿……か。 どうしよう……?」
まさか平地のど真ん中で寝るわけにもいかないし、かといって森の中も安全ではない。 一応リュックの中には必要なセットが入っているが、それが機能するのは眠ることに対してだけで、防御面に関しては全く意味を成さない。
「寝るなら木の上か、どこか雨風を凌げる場所だよな。 木の上っつったって、食料もあるから手元から離すわけにもいかないし……」
ハジメは想定が甘かったことを改めて思い知った。
「これは先が思いやられる──」
これまでハジメは戦うことばかり念頭に置いて行動してきたが、そもそもの基本的な生存能力が足りていない。 人間集落の外で生活することを考えていなかった。 ずっと安全な場所が確保された生活ばかり続けており、ハジメにはハンターのような生活経験がない。
「──って言ってる時に限って、やばそうなのがいるんだよな……」
進行方向の先には、右の山手から姿を覗かせている獣がいる。 見たところそれは鹿に近い姿で、大きさとしては3メートル程度。 一匹だけなので問題はなさそうだが、刺激して仲間でも呼ばれたら話は別だ。
ハジメは修道院での特訓の中で、何度も山に入って魔物を退治してきてはいるが、いずれも単品の敵ばかりであり、複数戦闘の経験はほとんどない。 複数いたとしてもそれらが連携してやってくることなどもなかったので、これまで無事に済んできたわけだが、敵の知性が高ければそうは行かない。 とりわけ人間に近しい姿の魔物や、歴の長い魔物は知性が高く、それだけで脅威度は爆上がりする。
「目は赤いな。念には念を入れとかねぇとな」
ハジメはまず黒刀を手にして、マナを込めてそこに付与された刻印を起動させる。 すると、黒刀は“強化”により強度と消え味が増し、“減軽”によって軽量武器と化す。 その上で黒刀が纏っているマナを掌握、魔法を発動した。
「《改定》」
本来武器にしか効果のない“強化”。 それがハジメの《改定》によって掴み取られ、そのまま彼の身に写し取られた結果、身体強化を引き起こす効果を発揮するようになった。 身体操作のパフォーマンスは向上し、筋力から敏捷力、防御力に至るまで肉体機能の基礎値が上昇している。
ハジメが現状で把握できている《改定》の発動過程は以下の通り。 まず対象のマナを掌握し、その指向性に作用し変化させ、最終的にどこかへ落ち着けるというもの。 今回の例で言えば、強化効果を掌握→変化させない→ハジメの身体に転写する、といった具合だ。 それぞれの段階にどう作用させるかによって、結果を如何様にも変化させられる。 これは万能というわけでもない。 無いものを有ることには出来ないし、あまりにもかけ離れた変化を促すこともできない。 とはいえ、ハジメにとっては重要な手札である。
「うっし。 これで暫くは大丈夫だな」
現状、ハジメの魔法技能は中級まで上がっている。 位階上昇により可能となったのは、《改定》を自分以外にも作用させられる指向性を得たこと。 本来はハジメ自身にしか作用させられなかったそれも、今では遠隔で他者に応用させることさえ可能だ。
「あれが一匹だけなら少しは気持ちも楽なんだがなぁ……」
魔物とてマナを保有した生物であるため、《改定》の作用で何らかの変化を促すことができる。 思考を乱したり、動きを制限したり。
「まぁでも、魔法なしでも問題解決できるようにもならねぇとな」
『最終的な結果を左右するのは魔法などという外付けの力ではない。 本当に大切な時に信じられるのは、それまで培ってきた経験と心持ちだ。 そなたは多くを経験し、その時々で得られた思考や行動をこそ基準に物事を考えろ』
ツォヴィナールは常々そうハジメに言い聞かせていた。 使い過ぎれば戻れなくなる、とも。 大きすぎる力は思考を奪い、正常な判断力を失わせる。 そうなれば培ってきた経験などは意味を成さなくなってしまう。 そう言っていたのだ。
「『人間で在り続けたければ……』、か。 多分あれは、そういう──」
ハジメは黒刀を振るい、思考を振り払う。
「さて、やるか……!」
ハジメが意識を魔物に向けた途端、魔物は彼を認識して一目散に走り来た。 ハジメは荷物を地面に置き、居合の要領で黒刀を構えつつその動きを注視する。
魔物の基本的な習性は、周囲の生物を見境なしに襲って個の力を付けること。 その上で魔石を摂取し個の限界を目指すものもいれば、周囲を魔界化させて群としての力を求めるものもいる。 今回の場合、魔物は仲間を引き連れておらず、恐らく成長段階のそれだ。
ハジメの数メートル手前で魔物が飛び上がった。 見たところその魔物は元々肉食では無さそうな顔つきのため、繰り出されるのは強力な踏み付けだろう。
ハジメは刀の抜刀に似せた動きで黒刀を斜め上方へ振るった。 武器自体が軽いため、その動きは最初からトップスピード。 魔物が肉薄した時、刃は魔物の腹に触れていた。
魔物も馬鹿ではないが、こいつに限ってはそうではなかった。
魔物は力をつけるごとに知性を増すが、この個体はごく最近魔物化したものなので、人間の武器を知らず、ハジメの構えの意味を読み違えた。 まさかそこから異常な速度で何かが振り抜かれるなど、想像だにしなかったのだ。
気づいた魔物が空中姿勢で身体をくねらせて回避に走る。 だが、それよりも早く刃は肉に触れた。
「ッ……!」
ハジメは武器の刻印魔法──“減軽”を解除して、一瞬だけ“過重”を展開させた。 これにより黒刀はトップスピードで最大重量を持つ。
魔物の身体を通り過ぎていくのは、軽い薄刃ではなく分厚い斬撃。
「ギ──」
黒刀はそのまま円弧を描いて地面に激突し、大きな穴を穿っている。
その速すぎる斬撃は魔物の勢いを邪魔しなかった。 魔物は空中でゆっくりと二つに分かれると、そのままハジメの頭上を通過しながら地面に叩きつけられ、とめどない血液をぶち撒けながら絶命した。
「……ふぅ」
ハジメは激しく脈打つ心臓に静止命令を出しながら魔物の死体に近づく。
「すまんな。 これも生きるためだ、許してくれ。 《改定》」
魔物に魔法を指定し、あるものを探す。
「っと、そこか」
中級の《改定》は対象を指定する過程で、遠隔でマナを送り込む。 その上で自分のマナを用いて特定の部位や現象に指向性を付与するわけだが、必ずしも何らかの効果を付与する必要はない。 単に対象の内部を調べることにも使用できる。 今回は魔物の体内で最もマナの濃い部分を探しており、それが魔石の存在場所でもある。
「やっぱり心臓のあたりだな。 切り裂いた面に近くて良かった」
ハジメはリュックから解体用のナイフを掘り出すと、魔石のある心臓の辺りを迷うことなく掘り進んだ。
「うげ、くっせぇ……」
これまでそれなりに獣に触れてきたはずだが、この作業は何度やっても慣れない。 未だ血液は温度を保っているし、革手袋につく血液も不快でしかない。 しかし時間が経てば肉質は硬化してナイフが通りにくくなるし、何より匂いが増す。 こういった作業は速度が命だ。
「取れた取れた。 にしても小っさいな……。 魔物と魔石の大きさは比例しないってことか。 それにしても、装備も一生もんじゃないな。 手袋とかは定期的に買い替えねぇと。 モルテヴァまでの道のりが急がれるぜ……」
ハジメは自分で穿った穴に魔物を転がし、土を掛けて埋めておいた。
(肉は持ってけないし、置いといても別の獣が来るだけだ。 一応ここは馬車も通る道だしな)
ハジメ一人が生きるだけならそこまでしなくても良いのだが、まだまだ日本人としての感性が抜けきらないハジメは一々周囲を気にしてしまう。 しかし彼はそんな自分を嫌っていない。 この世界には似つかわしくない習性だが、それで良いと思っている。
(この世界に順応するだけが生き方じゃない。 俺は俺の考えで生きていく)
開始されたサバイバル生活。 その道のりは危険と面倒事のオンパレードだが、ハジメの足を止めさせるものではなかった。
▽
「ダスク、探したぞ。 どこに行っていた?」
町に戻ったダスクに早速、オルソーが接触してきた。
「クロカワが来てたんでな」
「な……! 生きていたのか」
「修道院に居たってよ。 レスカも無事らしい」
「それなら俺を呼べ」
「んなことしたら騒ぎになんだろ。 ようやく皆の精神状態も落ち着いてきてるんだ。 騒ぎは避けたい」
「……まぁ良いだろう。 無事な人間が多いのは何よりだ。 彼は西へ向かったのか?」
「やることがあるらしく、モルテヴァから王都へ行くってよ。 ああ、そうそう。 あんたが作ってやった武器の代金請求はしといてやったから安心しな」
「それはどうでも良い。 そうか、モルテヴァか……」
「モルテヴァでなんかあんのか?」
「いやなに、今のモルテヴァは少々荒れているらしいから忠告できればと思ったんだが、出発したのなら仕方がないな」
「まぁでも、以前の弱っちい感じじゃなかったから大丈夫だと思うぜ」
「それなら良いんだがな……」
何やら不安を含んだオルソーの発言もダスクは気になるが、それよりも探されていた理由が気になるところだ。
「それで、なんで俺を探してた?」
「俺が数日以内に東のリーヴス領へ向かうように命令が出ているから、その間のことをな」
「また外出かよ。 うちの領主も人遣いが荒いな」
「そう言うな。 ベルナルダンの再興が俺の仕事だ。 付随する魔石回収はお前の仕事だがな」
「領主はそんなに魔石を欲して何がしたんだろうなァ? ……あ」
「どうした?」
「武器をな、クロカワにやっちまったからもう一本欲しい。 あんたが出発する前に仕上げてくれ」
「は!? おま……! 怒るに怒れない内容なのがアレだな……」
「町を守って欲しけりゃ、あんたも頑張るんだな」
「お前も俺の使い方を心得てきたようだな……。 まぁいい。 リーヴスに赴いた際には、なるべく鍛治師を優先して連れ帰ってこよう」
「すまねぇな」
他愛ない会話を交えたのち、それぞれ仕事に戻った。
「モルテヴァをややこしい状況にしているのは恐らくエスナとフエン。 そこにクロカワが入ると、いよいよヒースコート領自体がどうなるか分からないな……」
オルソーはモルテヴァの方面に視線を向けつつ、ベルナルダンの──ヒースコート領の行く末を憂うのだった。
ハジメは町の外でダスクを見かけた。 そしてダスクもハジメの姿を確認するや否や驚きの表情を示した。
「ちょっとこっち来い!」
ハジメが何かを言う前に、ダスクはハジメの手を取って物陰に隠れた。
「ちょ……どうしたんですか!?」
「いいから姿を隠しとけ」
ゼラによって破壊尽くされたベルナルダンだが、この半年で復興の兆しを見せている。 と言っても、そこに住まう人数は四十人弱で、規模としては村に相当するほど。 それでも強固な石壁に守られたそこは、多少の魔物程度ではビクともしない様相を呈している。
破壊された町とはいえ元々そこには資材があったわけで、オルソーがそこに魔法を行使する形で一時的な要塞を形成した。 人数が少ないため防壁に使用できるものが多く、一方で家々は簡易的なものばかりだが、一応町のような体裁を保っている。
「俺がいたらマズいんですか?」
「まだ生き残った連中の心の傷は癒えちゃいない。 そんなところに魔法使いのお前がノコノコとやってきたら、あいつらはどう思う? それに、逃げ出して生きていたとなれば良い気もしないだろ?」
「それは、そうですね……」
(ああ、フエンちゃんが言ってたのはコレか。 考えなしに来るのは拙かったな……)
「とにかく、お前が生きていて良かった。 ここへの長居は勧めんがな。 今日はどんな用だ?」
「ダスクさんにお礼を言ってなかったので」
「そんなことか。 お前の姿を見れただけで十分だ。 レスカはどうした……?」
「えっと……」
「いや、話さなくていい」
「え、違います! ちゃんと生きて……っていうか、危ない状態ですが無事です」
「そうか、それなら良かった。 お前、どこから来た? ってか、どこで生きてた?」
「南の森の中にある修道院ですね。 ご存知ないですか?」
「なるほど、あそこか。 タージとかいう奇人が居るってんで誰も近づかんがな」
「ああ……」
(町が危ないのなら皆んな修道院に身を隠せば良いと思ってたけど、タージさんが障壁となってたか……。 というか、それほど多くの人を収容できるわけでもないし、これも安易な考えだな。 ナール様には色々言われているし、軽い考えと言動は控えよう)
「お前には悪いが、ここへの滞在は無理だ。 住民感情を考えたら、お前がここに居ても良いことは起こらない」
「大丈夫です、俺は王都を目指しているところなので」
「何しに向かう?」
「ちょっとやるべきことができまして……」
「……なるほどな」
「?」
「お前の変化を見れば分かる。 以前とは見違えたぞ。 顔つきもどこか凛々しくなってるしな。 確かにやるべきことは即座に実行すべきだ。 あの事件で、俺たちはそれを十分に理解している」
「それは、その……お役に立てず……」
思い出すほどに雰囲気が暗くなる。
(やっぱり、後ろ向きなことは話すべきじゃないな……)
しかしそれでも多少なり関わりがあった以上、ハジメも気になることはある。
「それであの、とても聞きづらいんですが……」
「なんだ?」
「フリックさんや他の人は……」
ハジメは町が完全に消し飛ぶ様を見ていない。 フエンやエスナもそのことについては教えずに旅立ったし、タージが町に向かわなかったこともあって、ベルナルダンの状況を知ったのは今日が初めてだ。
「フリックは死んだ。 ハンスもな」
「そう、ですか……」
「俺たちのチームだと、俺とカミラが生き残った。 あと有力なので言うと、オルソーとゴットフリートの爺さんくらいか。 カーライルの連中は全員死んじまったから、今だとオルソーが町長で俺が副町長って感じで落ち着いてる。 あとは何か知りたいか?」
「いえ、ありがとうございます……」
(フリックはあの時点で、もう……。 レスカの友達のイグナスって子も死んじゃったのか……。 不幸に子供も大人も関係ないんだな……)
「そう暗くなるな。 済んだことだ」
「済んだことって……。 納得してるんですか?」
「納得なんかするかよ。 あいつらのことは今だって憎い。 ただ、誰しも受け入れはしてるな。 弱くて運がなかった自分達が悪い、ってな」
「そんな……!」
「おいおい、熱くなるな。 バレちまうだろうが」
「すいません……」
「ここじゃアレだしな。 町の北にフリックの墓地がある。 寄っていくだろ?」
「はい……」
ハジメはコソコソと身を隠すようにして町を迂回し、ダスクに続いて墓所へ向かう。
「こんなに……」
広大な範囲に、無数の石の柱が突っ立っている。 その数は百や二百では済まないほどだ。 それらは整然としたものではなく乱雑に置かれており、急拵えで行われたことを窺わせる。 ダスクはそのうちの一つの前で足を止めた。
「ここだ。 被害の甚大さから全員を弔ってやれたわけじゃないけどな。 少なくとも、五百人以上は死んだ」
「……」
(フリックも含めて、この人たちはある意味俺のせいで死んだ。 俺はそれを、受け止めなければならない……)
「そうくらい顔をするな。 フリックだって、教え子が生きてるんだから喜んでるだろうよ」
「そうだと、いいんですが……」
「辛気臭い顔すんな。 ここの連中は、お前が逃げ出したから死んだわけじゃねぇ」
「いや……ある意味、その……」
「死んだ連中はもう仕方がない。 お前が真に考えるべきは、今を生きている連中のことだ。 レスカも生きてるんなら、そっちのことを考えてやれよ」
「それはそうですけど……」
「済まないと思うのなら謝ってやれ。 許されるかどうかなんて考えずにな」
「はい」
ここでハジメはツォヴィナールの発言を思い出していた。
『感謝を言葉にしろとは言わん。 形にしろとも言わん。 だがそれでも、想うことくらいはしてやれ。 そこには死した人間もおろうが、其奴らに対しては悼むのではなく偲ぶのだ』
(考えないようにするのか簡単だ。 でもナール様もダスクさんも、そうしろと言ってるわけじゃない。 受け入れて前に進め、と。 そう言ってるんだよな……?)
そう考えると、ハジメの意識は少し変化した気がした。
「ダスクさん、ありがとうございます」
「まぁ、それくらいは受け取ってやるよ。 祈りの時間は終わったか?」
「もう少しだけ」
「あいよ」
ハジメは心を込めて、死んだ者たちのことを想った。 彼らが生きていた時のことを鮮明に思い出し、死を悲しみ、そして向こうの世界での安寧を祈った。
「ダスクさん、お待たせしました」
「お前、教会関係者か何かにでもなったのか?」
「えっと、どうしてですか?」
「祈りの所作がな。 様になってたぜ」
「……ありがとう、ございます」
それからハジメは、これからの行動を掻い摘んでダスクに話した。 強くなること、世界を巡ること、仲間を募ること、等々を。
「それなら、ラクラ村の方面から北に向かってモルテヴァに入るのが順当な道のりだな。 一人で大丈夫なのか?」
「少しは鍛えましたし、恐らく大丈夫かと」
「……なるほど、楽観的ってわけでもなさそうだな。 自分の力量を理解して言ってるなら大丈夫そうだ」
「そう言っていただけると勇気が出ます」
「だとしたら、そんな軽い皮袋じゃ心許ないな。 保存食を持ってきてやるから、それを持っていけ」
確かにハジメの持ち物はそれほど多くが見えない。 保存食としても数日分が詰められているだけだし、重要なのは食料を加工する器材の数々や野宿に必要な物資なので、それらが皮袋の大半を占めている。 火打ち石だったり多用途の短刀だったり、水を沸かす鍋だったり、細かい持ち物も多い。
「そんな、ベルナルダンは未だ立ち直ってないんじゃ……?」
「俺個人のものを渡すだけだ」
「いいんですか?」
「フリックも言ってたしな。 次に繋げるのが大人の仕事だ、ってな。 若者を門出を応援しない奴がいるかよ」
「あ、ありがとうございます……!」
ハジメは人に見つからぬよう町の北を大きく迂回して西へ。 その間にダスクは町へ戻り、物資を用意してくれるという。
「オルソーさんに会えないのは残念だけど、ダスクさんから伝えておいてもらおう」
暫くすると、ダスクが小さい皮袋を抱えてやってきた。
「ほら、持っていけ」
ずっしりとする重みは、多少では収まらない程度の物量だ。
「こ、こんなに……?」
「重いなら食って減らせ。 あと、これも持っていけ」
そう言ってダスクが手渡してきたのは、レザーシースに入った小剣だった。 これは以前ハジメが使わせてもらったことのあるダマスカスナイフ。
「大事なものなんじゃ?」
「オルソーに無理言って作らせるから心配すんな。 町の防備に関わる人間の武器だし、すぐに作ってくれんだろ」
「だめですよ! そんなものを」
「言っただろ? 大人の仕事は次に繋げるこった。 それを受け取ったお前も、次に繋げるんだからな?」
「そういうこと、なら……」
「安心しろ。 ベルナルダンはじきに大きくなる。 お前が戻ってきた頃には前の状態に元通りになってるだろうよ」
「それならありがたく……受け取ります」
「オルソーには俺からお前とレスカの生存を伝えておく。 ああ、そうそう。 その武器の代金も今度払うってな」
「……あ」
すっかり忘れていたが、オルソーがいるのならしっかりと返さなければならない。 たとえ彼がいなくとも、何かしらベルナルダンには恩返しをしなければならないのだ。
「じゃあな。 次会う時を楽しみにしてる。 死ぬなよ、クロカワ」
「はい……!」
ダスクは戻り様軽く右手を上げると、早足に街へと戻っていった。
「くそ、なんで涙ばっか出てくるんだよ……! いい人が多すぎるだろ」
またも緩んでしまった涙腺を戻すのにそこそこに時間を費やし、ようやく完全な一人旅が始まる。
ダマスカスナイフを革鞘ごと腰に括り付け、革紐で皮袋を纏める。
「……よし、行くぞ」
心持ちを新たに、ハジメはモルテヴァへの道のりを歩き始めた。
クレメント村とラクラ村の消失後、人が介在しない場所は魔物が棲み着くようになってしまっている。 それを知ってか知らずか、ハジメはそちらへ足を進めている。
「やけに気配が多いな……。 こっちの道で本当に大丈夫か……?」
ハジメは背中に大剣とリュックを抱えているために相当な重量が肩にかかり、歩速がそれほど出ない。 なおかつ周囲の気配も相まって、緊張はハジメの歩みを遅らせるには十分だった。
当初ハジメはモルテヴァまで三、四日程度を想定していたが、これでは一週間くらいは見ないといけないかもしれない。
「ダスクさんに食料をもらってて正解だったな……。 あと何気に、このダマスカスナイフが助かる」
急な事態に際して、大剣では対処しきれない場合が予想される。 そんな時でも短剣であれば即座に振り回すことができるし、近距離の対応を素手だけで行わなくて済むのは大変にありがたい。
「やっぱ準備不足が否めないな……。 完全に行けると思ってたんだけどなぁ」
ハジメはこれまで常に誰かと行動を共にしていたため、一人というのがこれほど心細いとは知らなかった。 なおかつ物資の不足は不安を助長する要素足り得ている。 しかしそれも仕方のないことだろう。 なにせハジメにとってここはサバンナの荒野よりも危険な場所なわけで、全てを一人で対処しなければならないという重圧もある。 それらがハジメの恐怖心を煽るのは当然といえば当然だった。
「怖えぇ……」
ついにベルナルダンまで見えなくなってしまうと、ハジメの周囲360度全てが警戒対象だ。 おっかなびっくり進むが、常に背中を誰かに見張られている感じが拭いきれない。
「なるべく山とか森から離れて歩かないとな……」
と言っても、陽が落ちればどこにいようと危険なのは変わりない。
そしてここでもう一つ、心配事がハジメを苛み始めた。
「野宿……か。 どうしよう……?」
まさか平地のど真ん中で寝るわけにもいかないし、かといって森の中も安全ではない。 一応リュックの中には必要なセットが入っているが、それが機能するのは眠ることに対してだけで、防御面に関しては全く意味を成さない。
「寝るなら木の上か、どこか雨風を凌げる場所だよな。 木の上っつったって、食料もあるから手元から離すわけにもいかないし……」
ハジメは想定が甘かったことを改めて思い知った。
「これは先が思いやられる──」
これまでハジメは戦うことばかり念頭に置いて行動してきたが、そもそもの基本的な生存能力が足りていない。 人間集落の外で生活することを考えていなかった。 ずっと安全な場所が確保された生活ばかり続けており、ハジメにはハンターのような生活経験がない。
「──って言ってる時に限って、やばそうなのがいるんだよな……」
進行方向の先には、右の山手から姿を覗かせている獣がいる。 見たところそれは鹿に近い姿で、大きさとしては3メートル程度。 一匹だけなので問題はなさそうだが、刺激して仲間でも呼ばれたら話は別だ。
ハジメは修道院での特訓の中で、何度も山に入って魔物を退治してきてはいるが、いずれも単品の敵ばかりであり、複数戦闘の経験はほとんどない。 複数いたとしてもそれらが連携してやってくることなどもなかったので、これまで無事に済んできたわけだが、敵の知性が高ければそうは行かない。 とりわけ人間に近しい姿の魔物や、歴の長い魔物は知性が高く、それだけで脅威度は爆上がりする。
「目は赤いな。念には念を入れとかねぇとな」
ハジメはまず黒刀を手にして、マナを込めてそこに付与された刻印を起動させる。 すると、黒刀は“強化”により強度と消え味が増し、“減軽”によって軽量武器と化す。 その上で黒刀が纏っているマナを掌握、魔法を発動した。
「《改定》」
本来武器にしか効果のない“強化”。 それがハジメの《改定》によって掴み取られ、そのまま彼の身に写し取られた結果、身体強化を引き起こす効果を発揮するようになった。 身体操作のパフォーマンスは向上し、筋力から敏捷力、防御力に至るまで肉体機能の基礎値が上昇している。
ハジメが現状で把握できている《改定》の発動過程は以下の通り。 まず対象のマナを掌握し、その指向性に作用し変化させ、最終的にどこかへ落ち着けるというもの。 今回の例で言えば、強化効果を掌握→変化させない→ハジメの身体に転写する、といった具合だ。 それぞれの段階にどう作用させるかによって、結果を如何様にも変化させられる。 これは万能というわけでもない。 無いものを有ることには出来ないし、あまりにもかけ離れた変化を促すこともできない。 とはいえ、ハジメにとっては重要な手札である。
「うっし。 これで暫くは大丈夫だな」
現状、ハジメの魔法技能は中級まで上がっている。 位階上昇により可能となったのは、《改定》を自分以外にも作用させられる指向性を得たこと。 本来はハジメ自身にしか作用させられなかったそれも、今では遠隔で他者に応用させることさえ可能だ。
「あれが一匹だけなら少しは気持ちも楽なんだがなぁ……」
魔物とてマナを保有した生物であるため、《改定》の作用で何らかの変化を促すことができる。 思考を乱したり、動きを制限したり。
「まぁでも、魔法なしでも問題解決できるようにもならねぇとな」
『最終的な結果を左右するのは魔法などという外付けの力ではない。 本当に大切な時に信じられるのは、それまで培ってきた経験と心持ちだ。 そなたは多くを経験し、その時々で得られた思考や行動をこそ基準に物事を考えろ』
ツォヴィナールは常々そうハジメに言い聞かせていた。 使い過ぎれば戻れなくなる、とも。 大きすぎる力は思考を奪い、正常な判断力を失わせる。 そうなれば培ってきた経験などは意味を成さなくなってしまう。 そう言っていたのだ。
「『人間で在り続けたければ……』、か。 多分あれは、そういう──」
ハジメは黒刀を振るい、思考を振り払う。
「さて、やるか……!」
ハジメが意識を魔物に向けた途端、魔物は彼を認識して一目散に走り来た。 ハジメは荷物を地面に置き、居合の要領で黒刀を構えつつその動きを注視する。
魔物の基本的な習性は、周囲の生物を見境なしに襲って個の力を付けること。 その上で魔石を摂取し個の限界を目指すものもいれば、周囲を魔界化させて群としての力を求めるものもいる。 今回の場合、魔物は仲間を引き連れておらず、恐らく成長段階のそれだ。
ハジメの数メートル手前で魔物が飛び上がった。 見たところその魔物は元々肉食では無さそうな顔つきのため、繰り出されるのは強力な踏み付けだろう。
ハジメは刀の抜刀に似せた動きで黒刀を斜め上方へ振るった。 武器自体が軽いため、その動きは最初からトップスピード。 魔物が肉薄した時、刃は魔物の腹に触れていた。
魔物も馬鹿ではないが、こいつに限ってはそうではなかった。
魔物は力をつけるごとに知性を増すが、この個体はごく最近魔物化したものなので、人間の武器を知らず、ハジメの構えの意味を読み違えた。 まさかそこから異常な速度で何かが振り抜かれるなど、想像だにしなかったのだ。
気づいた魔物が空中姿勢で身体をくねらせて回避に走る。 だが、それよりも早く刃は肉に触れた。
「ッ……!」
ハジメは武器の刻印魔法──“減軽”を解除して、一瞬だけ“過重”を展開させた。 これにより黒刀はトップスピードで最大重量を持つ。
魔物の身体を通り過ぎていくのは、軽い薄刃ではなく分厚い斬撃。
「ギ──」
黒刀はそのまま円弧を描いて地面に激突し、大きな穴を穿っている。
その速すぎる斬撃は魔物の勢いを邪魔しなかった。 魔物は空中でゆっくりと二つに分かれると、そのままハジメの頭上を通過しながら地面に叩きつけられ、とめどない血液をぶち撒けながら絶命した。
「……ふぅ」
ハジメは激しく脈打つ心臓に静止命令を出しながら魔物の死体に近づく。
「すまんな。 これも生きるためだ、許してくれ。 《改定》」
魔物に魔法を指定し、あるものを探す。
「っと、そこか」
中級の《改定》は対象を指定する過程で、遠隔でマナを送り込む。 その上で自分のマナを用いて特定の部位や現象に指向性を付与するわけだが、必ずしも何らかの効果を付与する必要はない。 単に対象の内部を調べることにも使用できる。 今回は魔物の体内で最もマナの濃い部分を探しており、それが魔石の存在場所でもある。
「やっぱり心臓のあたりだな。 切り裂いた面に近くて良かった」
ハジメはリュックから解体用のナイフを掘り出すと、魔石のある心臓の辺りを迷うことなく掘り進んだ。
「うげ、くっせぇ……」
これまでそれなりに獣に触れてきたはずだが、この作業は何度やっても慣れない。 未だ血液は温度を保っているし、革手袋につく血液も不快でしかない。 しかし時間が経てば肉質は硬化してナイフが通りにくくなるし、何より匂いが増す。 こういった作業は速度が命だ。
「取れた取れた。 にしても小っさいな……。 魔物と魔石の大きさは比例しないってことか。 それにしても、装備も一生もんじゃないな。 手袋とかは定期的に買い替えねぇと。 モルテヴァまでの道のりが急がれるぜ……」
ハジメは自分で穿った穴に魔物を転がし、土を掛けて埋めておいた。
(肉は持ってけないし、置いといても別の獣が来るだけだ。 一応ここは馬車も通る道だしな)
ハジメ一人が生きるだけならそこまでしなくても良いのだが、まだまだ日本人としての感性が抜けきらないハジメは一々周囲を気にしてしまう。 しかし彼はそんな自分を嫌っていない。 この世界には似つかわしくない習性だが、それで良いと思っている。
(この世界に順応するだけが生き方じゃない。 俺は俺の考えで生きていく)
開始されたサバイバル生活。 その道のりは危険と面倒事のオンパレードだが、ハジメの足を止めさせるものではなかった。
▽
「ダスク、探したぞ。 どこに行っていた?」
町に戻ったダスクに早速、オルソーが接触してきた。
「クロカワが来てたんでな」
「な……! 生きていたのか」
「修道院に居たってよ。 レスカも無事らしい」
「それなら俺を呼べ」
「んなことしたら騒ぎになんだろ。 ようやく皆の精神状態も落ち着いてきてるんだ。 騒ぎは避けたい」
「……まぁ良いだろう。 無事な人間が多いのは何よりだ。 彼は西へ向かったのか?」
「やることがあるらしく、モルテヴァから王都へ行くってよ。 ああ、そうそう。 あんたが作ってやった武器の代金請求はしといてやったから安心しな」
「それはどうでも良い。 そうか、モルテヴァか……」
「モルテヴァでなんかあんのか?」
「いやなに、今のモルテヴァは少々荒れているらしいから忠告できればと思ったんだが、出発したのなら仕方がないな」
「まぁでも、以前の弱っちい感じじゃなかったから大丈夫だと思うぜ」
「それなら良いんだがな……」
何やら不安を含んだオルソーの発言もダスクは気になるが、それよりも探されていた理由が気になるところだ。
「それで、なんで俺を探してた?」
「俺が数日以内に東のリーヴス領へ向かうように命令が出ているから、その間のことをな」
「また外出かよ。 うちの領主も人遣いが荒いな」
「そう言うな。 ベルナルダンの再興が俺の仕事だ。 付随する魔石回収はお前の仕事だがな」
「領主はそんなに魔石を欲して何がしたんだろうなァ? ……あ」
「どうした?」
「武器をな、クロカワにやっちまったからもう一本欲しい。 あんたが出発する前に仕上げてくれ」
「は!? おま……! 怒るに怒れない内容なのがアレだな……」
「町を守って欲しけりゃ、あんたも頑張るんだな」
「お前も俺の使い方を心得てきたようだな……。 まぁいい。 リーヴスに赴いた際には、なるべく鍛治師を優先して連れ帰ってこよう」
「すまねぇな」
他愛ない会話を交えたのち、それぞれ仕事に戻った。
「モルテヴァをややこしい状況にしているのは恐らくエスナとフエン。 そこにクロカワが入ると、いよいよヒースコート領自体がどうなるか分からないな……」
オルソーはモルテヴァの方面に視線を向けつつ、ベルナルダンの──ヒースコート領の行く末を憂うのだった。
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