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学園都市編1
その1:みんなのアイドル
しおりを挟むほくほく気分で帰路を急ぐわたしを、誰かが、踏んだ。ぷきゅる。
「あれれ、今、足の裏から良い感触が」
可愛らしく驚く声が上からする。おねえさん、おねえさん、その良い感触、わたし。わたしを踏んでますよおねえさん。踏み踏みしないでー。
「あ、空ちゃんか~」
ひょいと足を上げたおねえさんがどこか楽しげに言う。
わたしを踏んでおいて、楽しそうとか何と言うどえす。だが嫌いじゃない。
おねえさんは、おねえさんだけあって性別はおねえさんで、年は……年は多分おねえさん。ううんと、確かちゅうとうぶのにねんせいだから、じゅう、じゅう、十四歳? 髪の毛は肩までの長さな金色で、瞳はパッチリおめめの紺碧。快活な女の子。 着てる服はちゅーとーぶの制服で、茶色と赤色のチェックのスカート、上着はええと浅黄色? わたしとお揃いかも!
「空ちゃん、何してるの。先輩は~?」
わたしをつまみ上げて、おねえさんは問いかける。そのまま掌に乗せられて、なでなでしてもらえた。うむ、苦しゅうない。あと先輩……セラくんはいませんよー。いつもいつもべったりな訳ではないのだお。
「先輩が空ちゃんといない時は……、ああ、事務員さんからお菓子貰った帰りかな?」
ピンポンですよおねえさん。事務室行って、クッキーさんを貰った帰りですよ。今日はチョコチップくんと結婚しちゃったクッキーさんですよ。さくさくチョコチップクッキー様ですよ。ぐれえとあっぷ。事務員のおねえさまが彼氏が出来たからご機嫌急上昇で、ぐれえとあっぷしてくれたー。今はセラくんにあげる為に、わたしの中に保存してる。
「空ちゃんの邪魔をしちゃダメだよね。先輩によろしくね」
そっと床にわたしを降ろして、おねえさんはスカートを翻して去って行った。おねえさーん、いつかはお名前教えてくださいねー。セラくんの後輩と言う情報しかないんだよー。セラくん、「うん」とか「ああ」とか、相槌くらいしか打たないんだもんよー。名前分かんない。
ぺったんぽよりんと、わたしはセラくんの元へと向かう事にする。大理石の床つめたーい。跳ねるように進むわたしの行進を止めるものはない。時々顔見知りのおにゃのこが手を振ってくれる。ひゅー、おにゃのこ、かわいー。
わたしが目指すのは高等部の一年一組だ。さっきまでおねえさまと戯れていた事務室は、職員室や医務室などの様々な機能を持つ総合棟にあるから、教室のある教育棟から少し離れてるんだよね。
ちょっと苦労して進んでいると、またもやひょいっと持ち上げられた。ちょっとゴツい手だから、相手は男の子だろう。しょぼん。おにゃのこなら柔らかひゃほーいなのになー。
「空色……、お前、ソラコだろ。ひとりか」
聞き覚えのある低めの耳障りの良いこの声、それにわたしの事をソラコと呼ぶのはセラくんのクラスメートの男の子だけである。
掌でころんと向きを変えれば、わたしの知覚範囲に見慣れた高等部の制服。高等部は藍色を基調とした爽やかなブレザーだよ。ネクタイにもちょっとした模様があってかっこいーですお。更に身体を捻って見上げたら、知っている顔が見えた。やっぱり、セラくんのクラスメートのジョイノくんでしたかー。ジョイノくん、運んでくださーい。
「セラは確か、委員会だったよな? 何かお使いでもしてたとか?」
ぷにぷにとわたしの柔肌をつつきながら、ジョイノくんは首を傾げた。むう、ジョイノくんは茶色短髪に碧のおめめの、硬派なイメージのあるスポーツ少年である。全然硬派じゃないけどねー。お年頃らしく、男の子同士のいやんな話にも参加してるよ。ワイな談が始まるとセラくんはいつも嫌そうな顔をする。ジョイノくんはセラくんのせーへきとやらがひととは違うんだろとか良く言ってる。せーへきは男にとって、すごーく大事なんだって。
ジョイノくんはわたしをぷにぷにするのをやめると、突然笑い出した。
「なんっか、ソラコは、普通の空スライムとは違うんだよな」
なんと、わたしが普通ではないと。そんな事をおっしゃるか。こんなにぷにぷにきゃるんなスライムに向かって! 怒るよ!
にょにょにょと、まんまるぼでぃから細い触手を二本伸ばして、ジョイノくんの掌をぺにょぺにょと乱打してやる。弱い空スライムだから、迫力も攻撃力もないけどね。ぬぐう、ジョイノくんが更に笑ってる。ぺにょぺにょはダメかー。
まあ、しょうがないよ。わたしは、スライム界最弱の、目に優しい空色の空スライムだからね。でも人間界では最強だよ。無害すぎて愛玩されてるアイドルスライムなのだ。すごいでしょー。
空スライムは、大人の掌にちょこりと乗ってしまう大きさで、特性は「圧縮空間」である。おなかの中にひろーい空間を持ってて、何でも収納出来ちゃう。んで、その空間はおなかの中で圧縮されて納まってる。なんでひろーいのに、圧縮なんだろうね。よくわかんない。セラくんは分かるんだって。凄いね。ジョイノくんも分かるんだって。のうきんじゃないんだね。すごーいね。
で、そんなみんなのアイドルであるわたしは、今はジョイノくんに連れられて、セラくんの教室に向かってる。
大人しく運ばれるのもなんだから、ジョイノくんの指に身体全体で巻き付いて遊んでみる。気分はわんこが頭をぐりぐり押し付けて甘えているのに近いよ。ジョイノくんは楽しそうにわたしの身体を指で押したりしてる。
わたしは、変わり種のスライムなんだって。人懐こくて珍しいんだって。空スライムは最弱で、収納庫以外の能力がないから、他生物に対して警戒心が強い。なかなか捕まらない。少しでも何かの生き物の気配があれば、すぐに隠れちゃう。最悪の場合は死んじゃう。
でも、わたしは違う。警戒心ないよ。心は全開だよ。踏まれても喜ぶよ。えむじゃないけどね。わたしの唯一無二のセラくんへの愛は全力前進だよ。突っ込むよ。めり込む勢いだよ。
空スライムは、ひとに馴れるまで時間が掛かるんだけど、わたしは一瞬でセラくんに馴れた。びったーんと顔面に張り付いたからね。
これだけ心全開だと、みんなからは当然可愛がられる。意地悪なひともいるけど、そうゆうひとには近付かな~い。「そういう」を「そうゆう」と言っちゃう時点で、わたしのあざとさが分かるもんだろう? 人間には伝わんないけども。
「そろそろセラも戻ってるだろ」
セラくんは緑化委員会のお仕事で、中庭にしゅっちょー中。その間にわたしは事務員のおねえさまからチョコチップクッキー様を貰っていた。セラくんがいると、おねえさまはクッキーさんをくれないんだよ。しょくいくに悪いとかで、セラくんが断っちゃうんだー。しょくいくはわたしの身体を作るために大事なんだって。でもクッキーさん食べたいお。
クッキーさんに思いを馳せている内に一年一組に着いた。やっぱり人間に運んで貰うとはやーい。
「よう、セラ」
ジョイノくんが扉を開けると、セラくんがすぐ目の前にいた。
セラくんは天使だ。ゆるふわの薄い金色の髪は、耳に掛かるくらいの長さ。目はややつり上がり気味のアーモンド形、瞳の色はジョイノくんと同じ碧なんだけど、澄んだ瞳である。別にジョイノくんの瞳が濁ってると言う訳ではないよ。セラくんは別格なのだ。唯一無二なのだ。カミさまが間違えて天使を地上に作ってしまったのだ。
もうすぐ十六歳になると言うのに、ジョイノくんみたいな筋肉質な身体にはならず、たおやかな正に天使としか言えない美少年な姿なのである。ちなみにジョイノくんは精悍。セラくんはあんまり背が高くはない。女の子よりは高いけど。常に無表情。口数も少ない。そのせいか、静かに座っていると彫像に見えてしまう。ううむ、芸術的な美貌すてき。
セラくんは、ジョイノくんに声を掛けられても返事をしない。じっとジョイノくんを見つめてる。正確には、ジョイノくんの手から肩に移動したわたしを。凝視、である。
「…………」
ものすごーく見られている。穴が空きそう。実際に自力で空けられるけどね。ドーナツみたいな形になれるんだよ。わたし、形が決まってないから。少し潰れたまるが基本型だけど、いろんな形になれるよ。立方体バッチコイ。
「………………」
立方体になっても、場は和まなかった。セラくんの視線に険が少し増した。今はそれどころじゃない、と。立方体になれても誉めないよ、と。つまりそういう事ですな。了解した。
びしっと、今度は直立するように縦長の長方形になったわたしを、ジョイノくんはセラくんに差し出す。
「あー……、もしかして、ソラコは無断外出だった、か?」
ジョイノくんの気まずげな問いに、セラくんは重々しくこくりと頷く。ジョイノくんにバレたー。バレても問題ないけどね。気分的には「ガーン」ですよ。言い訳とか受け付けてますかね。まあ、人間には伝わらんのですがね。
セラくんがわたしを受け取ると、ジョイノくんは健闘を祈る的な目を向けてきた。祈らんで援護してくださーい。
セラくんはわたしをにぎっとする感じに掴むと、ちょっと怒った顔でわたしを見下ろしている。無表情だけど、何となく分かるよ。セラくんは怒ってもキラキラびしょーねんだね。
違うんですよセラくん。無断外出じゃないんですよ。せいぞんをかけた「生物としての狩猟本能」が勝っただけなんですよ。生きるためには食べなくてはならんのですよ。待ってるだけでは食べ物はやって来ないんですよ。ならば狩らねばならんですな。それで狩猟しに行ったんだよ。セラくんがいない時におなかがぺっこりしちゃったから、許可を貰えなかったんだお。だからやむをえないじじょーで、しかたなく、教室から無断外出しちゃったのー。それで学園内には獲物を狩猟する前に、お菓子をくれちゃう人間がいぱーいだから、結局遊びに行った風にしか見えないだけなのですお。分かったかい、セラくん。
「…………」
わたしなりにキリッとして見上げたセラくんは、無言。無表情。やだ、こわーい。にぎにぎしないでー。
怒ったままのセラくんに、仕方ないからもにょんと身体全体をくねらせて、セラくんの掌との間に出来た隙間にぽとんとチョコチップクッキー様を落とした。セラくん用に事務員のおねえさまから貰ったお土産。圧縮空間から取り出したんだよ。どうやって取り出すかはよくわかんないお。こう、んにゃっとなって、ほああぁとなったら出てくるんだお。ネ、カンタンデショー。衛生面も圧縮空間とわたし自身の身体は別物とか言う話であんぜーんらしいよ。よくわかんないね。
セラくんはチョコチップクッキー様からわたしをどかすと、それをじぃっと見つめる。見つめてばっかりだね。おめめ、痛くなるよー。
「…………これ」
ぽつりと、セラくんの唇から天使の声がした。セラくんの声は、男の子にしてはやや高めである。歌声なんかサイコーに可愛いよ。あんまり歌ってくれないけどねー。
取り敢えず、セラくんの言葉の意図を察して、にょるにょると触手を伸ばしてチョコチップクッキー様をセラくんへと差し出した。これはセラくんのですよー。貢ぎ物ですよー。
いっつも忙しくしてるから、甘いものくらい摂って欲しいんだよ。
「…………」
チョコチップクッキー様を手に取りながら、セラくんの眉間に皺が寄る。葛藤してる。
「良かったな、セラ。ソラコに愛されてるな」
ジョイノくんがセラくんの肩をぽめぽめ叩いた。ジョイノくんもまさかこんな良い話の流れで、わたしに奇怪な擬音を付けられているとは思わんだろうね。わたしは揺るぎないスライムなのですよ。
ふふんと背っぽい部分を反らしてみると、セラくんは深々と溜め息を吐き出した。
「……もう、今回は、良い」
訳すと「脱力感半端ないから、もう許す」だな。
ちょろいとか言わないよー。冗談でも考えちゃうと何故かセラくんに伝わるから。すごーく怒られるよ。一週間あまーいもの禁止されるよ。泣いちゃうよー。
「……セラ、お前、ちょろいな」
セラくんの教科書がジョイノくんの頭に炸裂した。ジョイノくん、ざんねん!
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