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四十一、憧憬
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雑踏に足を踏み入れると、自然と周りに目がいく。
楽しそうに連れ立って歩いていく人、スラリとしたスーツに身を包んだ人、何やら眉間に皺を寄せながら携帯を耳にあてる人。そんな慌ただしい中にいると、いかに自分が劣っているかを思い知らされる。
こそこそとなるべく脇の方を進む。冷たい風は少しよれた安物のスーツとコートを容赦なく突き抜け、痩せた身を芯から冷やしていた。
自分より優れた人々はなんだか眩しくて、追いつこうとすら思わせてはくれない。ざわめきを避けるように裏道へ入ると、途端に静けさに包まれた。
隔離されたような感覚に奇妙な安堵を覚えたのも束の間。突然背後から聞こえた音に肩を跳ね上げる。
ズル、ガぽ…ズル、ガぽ…
恐る恐る振り返ると小さな人影が立っていた。おそらく、自分の胸ほどまでの背丈しかない。
大きな赤い長靴はサイズがあっていないようで、脱げそうになるソレを引きずっては奇怪な足音をたてている。雨も降っていないのに雨の日用の黄色いレインポンチョを着て、そのフードを目深に被っている。
「…いいなぁ。」
一瞬、誰の声か分からなかった。
子供が、一歩、こちらに向かって踏み出した。
「いいなぁ。」
様々の声が幾重にも重なった様な音。その発信源が目の前の、子供のような形をしたナニカ。また一歩、距離が短くなる。
「いいなぁ。」
まるでなにかの呪文の様に、同じ言葉を繰り返す。羨望や憧れのような美しく飾れるような感情ではない。
「いいなぁ。」
その不協和音から滲むのは、嫉妬であり、妬みであり、嫉みである。ドロリとした感情が足元から這い寄ってくる。
頭の中では煩いほどの警鐘が鳴り響いているのに、身体は縫いとめられたようにその場に立ち尽くす。
「いいなぁ。」
一歩ずつソレが近づいてくる。捨てたはずの感情。捨てて、諦めて、綺麗な言葉でその穴を埋めた。
「いい、なぁ。」
もう手を伸ばせば触れられる距離。
ポタリと地面に丸い染みができた。
「いいな、いいなぁ、いい、なぁ…。」
グスグスと目の前のソレが泣き出した。
正直なところ泣きたいのはこっちの方だ。
しかし、あまりにも悲しげに泣くものだから、思わず手が伸びる。
ポンポンとフードの上から頭を撫ぜると、一瞬泣き声が止まり、今度はすすり上げる音に変わった。
さて、どうしたものかと困り果てていると、泣いているソレがふいに腕を上げた。まるで抱っこをねだるように両の手をあげ、
「いいなぁ。」
ズブリ、と。
一瞬にして全身が総毛立つ。
ソレの手首までが自分の胸元に沈み、内臓を弄るかのように心臓のすぐそばで手が動いている。怪我はしていないのだが、確かに内部まで探られている感覚。膝から力が抜け声も無くその場に崩れ落ちると、今度は肘まで差し入れてきた。
「いいな、いいな、いいな」
プツプツと呟きながら体内を掻き乱す。
引き剥がそうにも身体が言うことをきかず、生きながら解体されているようだった。
「いいな」
ズルリと何かが引きずり出され、地面に打ち捨てられる。心にポッカリと穴が空く。
「いいな、いいな」
これまで必死でかき集めてきた綺麗な感情が引きずり出され、踏みつけられ、叩き壊され、後に残るのは自分の抜け殻だけ。
指一本動かすことができず人形のようにへたり込んだ身体に、ソレが、また、手を伸ばしてきた。
「いいなぁ」
指先が、手首が、肘が、肩が、ズルズルとナカに入ってくる。無理やり作った空洞に今まで捨ててきたソレが、入り込み、ほぅ、と息をついた。
同時に、自分の口から空気が漏れるのを感じる。
「いいなぁ。」
喉の奥で声帯が空気を揺らした。
楽しそうに連れ立って歩いていく人、スラリとしたスーツに身を包んだ人、何やら眉間に皺を寄せながら携帯を耳にあてる人。そんな慌ただしい中にいると、いかに自分が劣っているかを思い知らされる。
こそこそとなるべく脇の方を進む。冷たい風は少しよれた安物のスーツとコートを容赦なく突き抜け、痩せた身を芯から冷やしていた。
自分より優れた人々はなんだか眩しくて、追いつこうとすら思わせてはくれない。ざわめきを避けるように裏道へ入ると、途端に静けさに包まれた。
隔離されたような感覚に奇妙な安堵を覚えたのも束の間。突然背後から聞こえた音に肩を跳ね上げる。
ズル、ガぽ…ズル、ガぽ…
恐る恐る振り返ると小さな人影が立っていた。おそらく、自分の胸ほどまでの背丈しかない。
大きな赤い長靴はサイズがあっていないようで、脱げそうになるソレを引きずっては奇怪な足音をたてている。雨も降っていないのに雨の日用の黄色いレインポンチョを着て、そのフードを目深に被っている。
「…いいなぁ。」
一瞬、誰の声か分からなかった。
子供が、一歩、こちらに向かって踏み出した。
「いいなぁ。」
様々の声が幾重にも重なった様な音。その発信源が目の前の、子供のような形をしたナニカ。また一歩、距離が短くなる。
「いいなぁ。」
まるでなにかの呪文の様に、同じ言葉を繰り返す。羨望や憧れのような美しく飾れるような感情ではない。
「いいなぁ。」
その不協和音から滲むのは、嫉妬であり、妬みであり、嫉みである。ドロリとした感情が足元から這い寄ってくる。
頭の中では煩いほどの警鐘が鳴り響いているのに、身体は縫いとめられたようにその場に立ち尽くす。
「いいなぁ。」
一歩ずつソレが近づいてくる。捨てたはずの感情。捨てて、諦めて、綺麗な言葉でその穴を埋めた。
「いい、なぁ。」
もう手を伸ばせば触れられる距離。
ポタリと地面に丸い染みができた。
「いいな、いいなぁ、いい、なぁ…。」
グスグスと目の前のソレが泣き出した。
正直なところ泣きたいのはこっちの方だ。
しかし、あまりにも悲しげに泣くものだから、思わず手が伸びる。
ポンポンとフードの上から頭を撫ぜると、一瞬泣き声が止まり、今度はすすり上げる音に変わった。
さて、どうしたものかと困り果てていると、泣いているソレがふいに腕を上げた。まるで抱っこをねだるように両の手をあげ、
「いいなぁ。」
ズブリ、と。
一瞬にして全身が総毛立つ。
ソレの手首までが自分の胸元に沈み、内臓を弄るかのように心臓のすぐそばで手が動いている。怪我はしていないのだが、確かに内部まで探られている感覚。膝から力が抜け声も無くその場に崩れ落ちると、今度は肘まで差し入れてきた。
「いいな、いいな、いいな」
プツプツと呟きながら体内を掻き乱す。
引き剥がそうにも身体が言うことをきかず、生きながら解体されているようだった。
「いいな」
ズルリと何かが引きずり出され、地面に打ち捨てられる。心にポッカリと穴が空く。
「いいな、いいな」
これまで必死でかき集めてきた綺麗な感情が引きずり出され、踏みつけられ、叩き壊され、後に残るのは自分の抜け殻だけ。
指一本動かすことができず人形のようにへたり込んだ身体に、ソレが、また、手を伸ばしてきた。
「いいなぁ」
指先が、手首が、肘が、肩が、ズルズルとナカに入ってくる。無理やり作った空洞に今まで捨ててきたソレが、入り込み、ほぅ、と息をついた。
同時に、自分の口から空気が漏れるのを感じる。
「いいなぁ。」
喉の奥で声帯が空気を揺らした。
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