文豪カヤーマ・神楽坂、午後4時の決斗

加山 淳

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純喫茶 その1

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 蕎麦屋も駄目となるといよいよ厳しい戦いになってきた。
  私は途方に暮れ、表通りから何の気なしに一本裏に入っていった。気付けばもう神楽坂に来ていたようだ。
  表通りとは違い、静かな空気に溢れている。そんな閑静な通りをそぞろ歩きしていると、一軒の喫茶店が私の目に飛び込んできた。

  赤茶けたレンガ造りの壁、絡まる蔦、重厚な木の扉、表に出ている看板も昭和チックなノシタルジックなフォントが泣かせるではないか。


  これだ、これだよ。
  正に正統派純喫茶、もはや絶滅危惧種として保護対象に指定されてもおかしくない喫茶店のストロングスタイル。神楽坂にもまだこんな店が残っていたとは…………
 流行に流されず、己を貫く孤高の存在に私は涙した。私はひと目も気にせず、思わず呟いてしまった。


  純喫茶万歳、大和魂未だ死せず、と。


  言った後で、やや大げさだったかも知れないと思ったが、そんなことはいいのだ。私は嬉しかったのだ。チェーン店という雑兵ばかりの街で、最後の最後に文豪カヤーマとして相対するに値する将に出会ったのだ。これが興奮せずにいられるものか。

  鼻息も荒く私はその重厚な扉に手を掛ける。もうその時点で心が躍っているのが分かる。が、慌ててはいけない。あくまで冷静に、そしてさりげなく店に入るのがポイントだ。
  キャーキャー黄色い声を上げてミーハーのような真似は文豪カヤーマ、断固として拒否しなけれなならない。これからこの純喫茶との一騎打ちなのだから。

  真摯な気持ちで扉を押し開く。



  カラン。



  扉に付けられていたのだろう鐘の音が私の心を更に高揚させた。
  無粋な自動ドアめ、呪われろ!
  無機質なメロディめ、クソ喰らえ!
  この心洗われる鐘の音はどうだ? もはや比べるのも烏滸がましいというものだ。
  軽やかな音色が店に響く。

  流石は純喫茶、初手から感心させられる。これは褌を締め直して掛からねば命取りになりかねない。心せよ、カヤーマと私は自分を叱咤する。
  気分はもう剣術道場に道場破りをする剣客の気分である。



  扉の先に広がるのは薄暗い空間。
  聞こえるのは程よく抑えられたクラシックの音楽。
  天井から吊るされたランプの位置は少し低く、赤胴色のランプシェードがその存在を主張しすぎることなく鎮座している。

  見よ、この純喫茶の醸し出す大人の世界を!
  ガラス張りで明るくお洒落な店内? はっ、笑わせる。
  この薄ぼんやりとした空間こそ、己の心の宇宙を解き放つに相応しい場所ではないか。
  心の視点が内側に向かうように緻密に設計されたこの店内に私は歓喜するとともに、その敵の強大さに圧倒される。
  おのれ、ここでむざむざヤラレるものか。
  丹田にぐっと力を込め、何気ない振りを装う。



  「あ、お客さんだ。いらっしゃいませぇ~」

  声の主は女子高生だった。
  セーラー服の上にシンプルなエプロンと言うのが好感が持てる。昨今流行のメイド服などで来られた日には眩暈がするというものだ。
  しかも、学校帰りのままアルバイトに来ましたというようなその出で立ちに、往年の喫茶文化の残り香すら感じさせる。
  更に言えば、マニュアル化されていない少女独特の個性と気怠さが内包された挨拶に、思わず私の心が若返るような気分にさせられる。

  出来る。

  この店は侮ってはいけない。舐めて掛かれば如何に文豪カヤーマとて一刀のもとに切り捨てられるだろう。
  落ち着け、ここで焦ってはいけない。荒ぶるな、カヤーマ。
  そう胸の中で荒ぶる心を叱咤し冷静を装い、私は袂に手を入れてアルバイトであろうウェイトレスの少女を睨みつける。

  「ヒッ……」

  私の鋭い眼光に恐れを成したのか、少女が小さな悲鳴を上げたのを私は聞き洩らさなかった。
  ふんっ、その程度でこの文豪カヤーマを恐れさそうなどとは十年早いわ。まぁ後十年もすれば、私の愛人にしてやってもよいぞ。
  しかし、今はそんなことを言っている場合ではない。
  カウンターの向こうには真打が待っているのだ。

  私は無言でゆっくりとそこに向かう。
  磨き上げられたカウンターは厚い一枚板で出来ており、くすんだ色はまるで数々の戦いの歴史が刻まれているようだった。



  「…………いらっしゃい」



  ロマンスグレーの髪のマスターがバリトンボイスで静かに声を掛けてくる。
  手にしているのはベント型のパイプ、そこから紫煙を漂わせ、周囲に有無を言わせぬオーラを発していた。

  只ものではない。

  昨今の禁煙ブームに真っ向から挑むこの雄姿、それは古の古武士や如何にとでもいうようだ。
  そうだ、それでいい。
  喫茶店で禁煙席? ふざけるな、喫茶店って言うのはな、マスターとの一騎打ちの場だ。そんなところで女子供の戯言を真に受け、禁煙に協力してくださいだと? そんな軟な大衆に迎合した店など、こちらから願い下げだ。
  一歩でも気を抜けば己の未熟さに転げ回るほどの恥辱を与えられ、社会的に抹殺されかねない非情の戦場なのだ、この場所は。

  そんな戦場に敢えて挑み、そのピリピリとした殺気の中、仕事に疲れサボりに来たサラリーマンや周りが見えなくなったカップルたちが、この薄暗く、淫靡で、過酷な場所を舞台に血で血を洗うのが純喫茶というものだろうがっ!
  禁煙だと? 何も分かっちゃいない。
  その点、このマスターはよく分かっているじゃぁないか。
  相手にとって不足なし。
  正に文豪カヤーマの敵として相応しいというものだ。


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