Escape from 底辺(EFT)

一条 千種

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第27話 起承転結の転

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 これが一つの物語で、いわゆる起承転結があるとするなら、まぁこのあたりこそが【転】だったろうと思う。

 愛凛からテキストでメッセージが送られてきた。
 お父さんのお通夜が営まれた翌日の、夜になってからだ。

『みーちゃ、起きてる?』

 俺は彼女からの連絡に、ほっと安心した。すぐに折り返しの電話をしようかと思ったが、やめた。声ではなく、文字でコミュニケーションをとりたいときもある。

『起きてるよ。大丈夫?』

 送ってすぐ、我ながらどうしようもなくバカなことを聞いているなと思った。
 お通夜のときの愛凛の様子を見れば、たった一昼夜をはさんだだけで気分がよくなるはずもないだろう。

 彼女は、父親を亡くしたのだから。

『うーん、どうだろ』
『無理しなくていいよ。悲しいときはさ、自分を愛してくれる人とか、信頼できる人と一緒にいるといいって聞いたよ』
『それ、私が教えたやつ!』
『え、そうだっけ?』
『そうだよ。あのとき、私がそばにいて元気づけてあげたから、みーちゃは泣いてズッ友にしてくださいって土下座したんじゃん』

 話がずいぶん盛られている気もするが、大筋はそんなところだ。
 文面を見る限り、彼女に少し活力が戻ったような気もして、俺はうれしかった。

『できることあれば言ってよ。俺でよければ、会いに行くから』
『私に会いたい?』
『うん、まぁね。心配だから』

 数分ののち、返信があった。

『じゃあ明日』
『いいよ。放課後にする?』
『ううん、朝から』

 意味が、よく分からない。明日は平日だ。愛凛は忌引きびき休みでも、俺は学校がある。
 俺の戸惑いを察したのだろう、愛凛が返事を待たず続けて送ってきた。

『学校休むの嫌?』
『そういうわけじゃないけど』
『じゃあ、学校休んで、私に会いに来て』

 俺は、一見すると強気でわがままな愛凛の言葉の裏に、彼女のさびしさを感じた気がした。

 断ろう、とはまったく思わなかった。

 俺の予感が杞憂きゆうで、彼女が意外に元気なら、それでいい。彼女の望むまま、気の済むまで遊んで、帰ってくればいいだけだ。
 あるいはやはり、彼女が心に深い傷を負って、助けを求めているなら、俺がそばにいてやるべきだ。木内さんでも、遠藤さんでも、最上さんでも、ほかの誰でもなく、俺と一緒にいたいと望むなら、俺はかけがえのない親友として、彼女に寄り添っていたい。

『分かった、いいよ。家の近くまで行く?』
『ううん、なんだかにぎやかなとこ行きたい。渋谷とか』

 ということで翌朝、俺は渋谷駅前で愛凛を待った。
 スクランブル交差点は、平日の朝でも人通りが絶えることはないが、土日や祝日とはまったくその色彩が異なる。ほとんどが一人歩きで、その歩みも速く、どことなく機械的でよそよそしい。

 約束の時間ぴったりに、愛凛が待ち合わせ場所に現れた。
 カーキのブラウスに黒のタイトミニ、黒のロングブーツというコーディネートは、シンプルだが大人っぽく、セクシーさもある。

 お前、本当に高1か?

「みーちゃ!」
「あぁ、おはよう。元気そうだね……」

 元気なわけがない。だが、少なくとも彼女の外見はいつものように完璧で、不安とともに想像していたような憔悴しょうすいや悲哀の色はなかった。

「今日、学校には休むって言ったの?」
「うん。電話して、風邪ひいたって」
「ありがと。会いに来てくれて」
「今まで、助けられてばかりだったからね」
「軽く、ご飯食べに行こ」

 マークシ〇ィにあるベーカリーレストランで、一緒にクロワッサンを食べる。
 小さなテーブルを挟んで向かい合うと、愛凛は特徴的な上目遣いのきつい目線が少しやわらいで、穏やかとも言えるし、精神的に弱っているようにも見える。

 会いに来てよかった。

「昨日、あすあすが連絡くれたんだ」
「木内さんから?」
「うん。ほんとは個別連絡しないようにって言われてたけど、どうしても心配でって。クラスの代表で、お通夜に来てくれたこととか、あとみーちゃがクラスで暴れたこと聞いた」
「別に、暴れてなんかいないよ」
「私のこと守るためだって、あすあすは言ってたよ」
「思いっきりカッコつけた言い方するなら、そういうことになるかな」
「みーちゃ、優しいね」

 どうも、愛凛らしくない。声も言葉も、素直すぎる。

 俺はそういう愛凛をなんとか笑顔にしたいと思ったが、あいにく俺はそういう元気づけムーブみたいのは苦手だし、経験もない。
 俺と話してて、彼女は元気になれるだろうか。
 怪しいところだ。

 話を変えてみる。

「お葬式は、無事に終わったの?」
「うん。昨日、告別式やって、お別れしてきたよ」
「……どんな気持ちだった?」
「悲しいよ」

 常は豊かな語彙ごい力と表現力を持つ彼女が、それだけのことしか言えなかった。
 だが、すでに涙もれてしまったのか、愛凛は表情を変えない。

 もちろん、俺には分かっているつもりだ。彼女は発した言葉以上の、さまざまな感情を背負っている。ただ、今はまだ心の整理がつかなくて、たくさんある感情のなかから、最も端的に言い表せる言葉として、悲しい、という語を選んだだけだ。
 分かるだけに、俺は会話を急がなかった。
 今は、彼女の言葉と想いを、受け取るだけにしようと。

「私、パパのことが大好き」
「うん、前にも何度か聞いたね」
「ママに嫉妬するくらい、パパのことが好き。変でしょ」
「……いや、別に変じゃないよ。そういう人はたくさんいるだろうし」
「世界で一番、大切だった人」

 あっさりと過去形でそう形容してしまうのが、俺には痛々しく思われてならなかった。
 本当は、事実を受け入れることができていないのに、無理にそのような表現をすることで、割り切ろうとしているのではないか。

 彼女に、どのような言葉をかけてやればいいのか。

「今日、お母さんは……?」
「ママは、仕事に行っちゃった」
「お葬式終わった次の日に?」
「そう。ママはもともとパパ以上にワーカホリックで。パパみたいに、ママもそのうち病気になって、私ひとりぼっちになると思うよ」

 (お父さんは、急病で亡くなったのか。突然のことっていうから、脳か、心臓か……)

 そうは言わないが、内心はさびしいだろうな。

「しばらく休んで、お散歩したり、運動したり、気持ちが優しくなるような映画とか見たりすれば、きっと元気になるよ」
「どうかな。私、ひとりになりたくない」

 まさか愛凛が、そんなことを言うとは思わなかった。
 彼女が、孤独を恐れるなんて。

 俺は大切な親友のことだけに、胸がぎゅっと締めつけられるようだった。

「俺がそばにいるよ」

 と、それだけを言った。

 愛凛は伏せがちだったまつ毛をぱちりと上げ、いつものように強い視線を俺に向けた。
 吸い込まれそうな、という表現がぴったりの、魅力的な目だ。

「そばにいてくれるの?」
「うん。そのために会いに来たからね」
「私のこと、ひとりにしない?」
「うん」
「さびしくさせない?」
「……うん」

 俺は内心、少し困惑した。
 彼女が、なにを求めているのか。

 分からない。

 15分後。俺はさらに困惑していた。
 愛凛と俺は、ラブホテルの部屋にいる。

 なんなんだ。
 いったい、なにがどうなっている。
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