Escape from 底辺(EFT)

一条 千種

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第13話 蓼科の奇跡-夢の終わり-

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 蓼科生活前半の2日間だけで、班のメンバーは男女間も含めて、距離が急激に縮まった気がする。
 もともとウチの高校は、クラスメンバーが固定されたまま3年間を過ごすことなどあって、男女含めて仲がいいというのが評判らしいのだが、特に今回のように数日間、同じ班として濃密な時間を共有すれば、自然と仲も深まるというものだろう。

 たとえ一軍女子と三軍男子という身分格差はあれど、だ。
 前夜、トイレの薄壁一枚をへだてて男の友情を確認し合った男子メンバーに関しては、もはや言うまでもない。

 3日目は、午前中が林業の見学と体験、木材加工のワークショップ。午後は班ごとのオリエンテーリングを実施して、夕方まだ明るいうちに寮に戻る。
 空が昼から夜へと変化するタイミングで、キャンプファイヤーの始まりだ。

 俺はこの手のイベントに興味がない。みんなで火を囲んで、フォークダンスを踊ったり、わけの分からん歌を歌ったり、いったい俺はなにをやらされているのかという気分だ。もともと、ゴリゴリのインドア派なわけで、こういうのでテンションの上がる連中の気が知れない。

 ただ、俺はここでも奇跡を体験した。井桁いげたのなかのまきに着火されてから、この火の恵みに感謝すると称して、男女で交互に手をつないで周囲をぐるぐる回りましょう、ということになった。
 俺は右手を愛凛と、左手で木内さんの手を握ることになった。

 あぁ、これはもう!

 火の神だ、火の精だ、火の霊だ、この際もうなんでもいい。
 俺を祝え、俺を祭れ、俺をたたえよ、そして俺を愛せ。

 吾輩わがはいはモテ男である。嫁はまだいない(隣にいる)。

 俺はもう、あのさそりのように、この時間があとほんのわずかでも続くなら、俺の体なんか百ぺん焼いてもかまわない。

 時よ止まれ、なんじらはいかにも美しい。

 キャンプファイヤーなどというのは、それ自体はまったくくだらないが、それでも俺はこの時間が永遠に続けばいいと思った。

 愛凛と木内さん。
 このレベルの美女に挟まれて手をつなぐなんて、たぶんもう二度とできない経験だろう。

 俺、もう寿命が半分になってもいい!

 謎の手つなぎぐるぐるタイムが終わってから、愛凛が耳元で悪魔のささやきを発した。

「このあとの肝試しでも、手つないじゃえばいいじゃん」
「えっ、い、いやそれはさすがに……」
「ダイジョブダイジョブ。だってもう手つないだんだから、イケるって」
「そうかな……」
「肝試しの終わりの方でさ、君と一緒にいるとドキドキする、こうやってずっと君と一緒に歩いていたい、なんて言ってやればもう、あすあすの目はときめきピンクハートよ」
「な、なるほど……」

 俺をけしかけるのは、さぞ楽しかっただろうな。
 そうは思っても、彼女のあまりにも魅力的な提案をしりぞけることのできない俺だった。
 悪魔の声は、常にこの上なく美しいものだ。

 俺は、俺はついに、木内さんと結ばれるのか?

 この夜、キャンプファイヤー会場でそのままバーベキューをしたり花火を楽しんだりしてから、いよいよ勝負の肝試しだ。
 一度、全員で寮に戻ってから、一組ずつ、出発する。
 俺たちの班は、クラスでも真ん中あたりの順番だ。夜も20時を過ぎ、充分に闇も深まっている。

 俺はガチガチに緊張しながら、木内さんとともに順番を待つ。

 すぐ前の愛凛・清水ペアが呼ばれた。

「そんじゃ、いってきまーす!」

 後続のペアに元気よく挨拶して、愛凛は足取りも軽く寮の玄関から出ていった。
 あいつ、ずっと楽しそうだな。

 愛凛に手を振り送り出してから、木内さんはふぅ、と息をついた。両ひざをぎゅっと抱えて座り、緊張に耐えている様子がうかがえる。

「なんか、ドキドキしてきちゃった」
「木内さんは、肝試しとか苦手?」
「どうだろ。あんまり得意じゃないかも……」
「大丈夫。俺がいるから」

 ウホホ。調子に乗ってずいぶん男前なこと言っちゃったな。
 木内さんはしかし、安心したように笑顔を返してくれた。

 これは愛凛が言った通り、手をつなげるか?
 脈アリなのか?
 ひょっとすると、ひょっとするのか?

 さぁ、いよいよだ。

 玄関で提灯ちょうちんを渡され、ぴったりと寄り添いながら、湿気の多い林のなかを静かに歩いてゆく。
 真横にはクラスで一番の美人。

 彼女は時々、不安な気持ちをあえて払拭ふっしょくしようとするように、目が合うたび、甘い微笑みを向けてくれる。

 なんて、なんて美しいのだろう。
 あぁ、俺はこの人に愛を叫びたい。

 と思っていると、不意に足元から草が伸び、人の身長の高さまで盛り上がって、襲いかかってきた。

「ギェッ!!」

 俺は驚きのあまり、奇声とともに提灯を落とした。
 あぁ、人か。

 すぐに、木内さんが拾い上げて、俺に返してくれる。

「あ、ごめん。びっくりしたね」
「うん、びっくりした。でも大丈夫!」

 普通にびっくりしてしまった。

 少し歩くと、今度は白い幽霊のような影が正面から迫ってきて、俺は悲鳴とともにまたしても提灯を手放した。
 どうやら木にるしたてるてる坊主だったらしい。

「提灯、燃えたら危ないから私が持ってみるね」

 またしても、木内さんが地面に落ちた提灯を拾い上げつつ、俺を傷つけまいとしてそのように言った。
 表情は変わらず優しげだが、どうも雲行きが怪しい。

 俺氏、肝試しにひどくビビってしまっている。
 まずい。

 そのあとも、おどかしが入るたび、俺はときに悲鳴を発し、ときに頭を抱え、ときに腰を抜かしてビビり散らかした。

 しまいには、単なる自然現象でしかない強風や、ねずみが横切っただけでも金切り声を上げる始末だ。

 なんだ、どうなっている。
 こんな、こんなはずじゃなかった。

 怖がる木内さんを、男の余裕を見せつけつつエスコートして、手をつなぎ、甘い愛の言葉をささやいて、俺にれさせる手はずだっただろう。

 今、彼女は提灯を持ち、俺の前をすたすたと歩いてしまっている。
 もしかして、怒っているのだろうか?
 俺が、考えられないほどのヘタレであるゆえに。

 出発前、大丈夫、俺がいるからなどと言っておきながら、このていたらく。木内さんは、軽く驚きの声は上げるものの、腰を抜かすほどではない。

 (なんとか、なんとか挽回ばんかいできないか……)

 俺はそれをのみ願ったが、しかし無理だった。

 なにもできずに、終わった。
 俺が侍だったら、ここで自決して果てていただろう。

 終着地点では、愛凛が待っていた。

「あすあすー、どうだったー?」

 愛凛ははしゃいで木内さんに話しかけたが、色よい報告を聞くことはあるまい。

 (くそ……なぜ、なぜこうなった)

 すべては、すべては夢だった。
 終わったんだ。

 俺はもう、立ち直れない。
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