プリンセス誕生【ミネルヴァ大陸戦記外伝】

一条 千種

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発芽

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 (やりすぎた)
 マリエッタ女王の胸に去来するのは、まさにやりすぎた、という思いである。
 ミリアム近衛兵団副団長とエミリアからくだんの暴力沙汰について報告を受けて、マリエッタも長年のカロリーナに対する自らの仕打ちを思い起こしては反省の気持ちを持った。
 考えてみれば、カロリーナは常にプリンセスの引き立て役であった。それは意図せずそのような役回りになっているのではなく、そのように仕向けていたのであった。母であるマリエッタが、である。
 プリンセスには、カロリーナのように出自の高貴さや背景の勢力といったものがない。だがマリエッタとしては、プリンセスをこそかけがえのない娘であるとして、事あるごとに優遇した。プリンセスを次の女王たらしめるためには、何かにつけて彼女を女王の唯一の代理者であることを知らしめ、貴族にも官僚にも民衆にも認知させる必要がある。
 そのような環境下で、プリンセスは何不自由なく、母の愛情を一身に受けてのびのびと育ち、今やその資質を危ぶむ者とてない。目元の涼やかさ、いたわりに満ちた口元の微笑など、その容色に見慣れたマリエッタさえときにはっとするほど神々こうごうしい。乗馬で鍛えた体は丈夫で病気にもかかったことはなく、その馬術は練達の近衛兵でさえ舌を巻くほどである。デザインの才能もあり、ドレスを仕立てて女王に贈ったところ、宮廷の意匠家が自信を失い、本気で辞職を考えたこともある。さらに頭脳明晰めいせきで、教国各地の事情や政策、多くの学問で、マリエッタどころか各分野の師をもしのぐほどの見識を身につけている。従来、師をつけていた学問に加え、近年では政治、文学、物理、哲学、法学、財政、経済、税制、軍事といったあたりまで手を広げている。その英明なることは、枢密院議長で政界の長老とも言われるサイモン伯爵でさえ、「まさに天からの遣わし人である」とまで礼讃しているほどであった。
 しかし一方、幼年の頃に聡明で知られたカロリーナ、コンスタンサは、養母の愛を受けられなかった影響からか、その資性にかげりが見えている。カロリーナは、人から何かを問われても、硬質な顔の表情を崩して愛想笑いをするだけで、自分の意見や解釈を発信することにひどく億劫おっくうになっているようであった。もともとは明るい性格であったが、内気で失敗を恐れる面があり、失態があれば母上からお叱りを受ける、ということで恐怖が体に染みついているらしい。恐らく同じ理由で、第三王女のコンスタンサも病的に引っ込み思案であった。両名とも学んだことはよく覚えるし、決して頭の出来が悪いわけではないが、常に周囲のあらゆる現象に怯え、好奇心よりも警戒心で応ずるという性格に変化してしまっている。
 マリエッタは、プリンセスを養育しその天才を伸ばすことにかけては成功したが、カロリーナとコンスタンサに対しては母親としておよそ落第点であったと言えよう。
 この点は、後世、人々からほぼ一致した評価を下されている。
 もし、カロリーナやコンスタンサがプリンセス同様の教育を受けられていたなら、のちの教国はプリンセスを中心とする三頭政治を敷き、より優れた体制をつくることができたであろうとして惜しむ歴史家もいる。もっとも、これはあくまでも空想の域を出ない。
 実際には、カロリーナはやりきれない思いをマリエッタではなく、プリンセスに向けて、平手打ちをするという暴挙に出ている。一家庭としては危機的な状況と言っていい。
 本来なら、マリエッタとカロリーナの関係に問題があればプリンセスが緩衝材を務めるところだが、今回は当事者である。いやむしろ、当事者はマリエッタとカロリーナであり、プリンセスには一切非はないのだが、カロリーナの感情は屈折して、心優しき義姉を憎んでいる。心の奥底ではマリエッタからの愛を欲しているのであり、それがままならぬ怒りと悲しみを、プリンセスに矛先を向けることで解消しようとしているのであろう。
 第三王女のコンスタンサは、その性格上、家庭内の不和を解決するような働きは到底、期待できない。
 また、マリエッタはこれまで王女の扱いについて誰かに相談するということがなく、自ら裁断してきたために、調停を依頼する相手もない。信頼していたブランシュ近衛兵団長も、すでに退任している。
 そのため、対処に困った。カロリーナへの遇し方に負い目があるために、叱責することも処罰することもできず、ただ腫れ物に触るようにして過ごした。カロリーナの方も、その後はマリエッタに対する態度を変え、機嫌をとることもなく、愛想を見せることもなく、ひたすら冷淡に、無感情に接するだけであった。プリンセスに対しても同様である。心を閉ざしてしまったのであろう。
 プリンセスの方はというと、こちらもカロリーナ同様に心の傷は決して浅くはない。彼女の場合、カロリーナがこれまでずっとその繊細な心に小さな傷を無数に負いつつ過ごしてきたことに忸怩じくじたる思いを抱いていた。母の娘たちへの愛が偏っていることについては以前から違和感を持ってきたが、カロリーナが常に気丈に振舞っていたために、大きな問題ではないと考えていた。そのあたりが幼少期のプリンセスの未熟さといえば未熟さではあるが、事態がこうなると、義妹のその深刻な精神的ストレスに対し、もっと重大にとらえ、かばってやるべきだったと自分を責めるほかはない。
 プリンセスは幾度も、カロリーナに対して和解の機会をつくろうと試みた。しかし返ってくるのはいつも険しく冷然たる視線だけで、会話すらままならなかった。
 対応に窮したプリンセスは、彼女が信頼を置く昵懇じっこんの者たち、例えばエミリアや、政治学の師で枢密院副議長を務めるマルケス侯爵、ミリアム近衛兵団副団長らに善処をはかったが、誰もがこの件に関して良策を持たなかった。最終的には、「女王陛下にご相談を」ということになるのだが、事態の原因の一端、というよりは主因をなしているのが女王自身であるので、プリンセスとしては事態の打開を期待することができなかった。
 実際、女王との二人きりの会食の際、カロリーナについてどのように接していくのかを尋ねたところ、この不甲斐ない母は、「プリンセスは心配なさらぬように」と、その一点張りであった。
 マリエッタとしても悲痛である。カロリーナやコンスタンサは、公的には彼女の娘ということになっているが、彼女の感情の内においてはあくまで他人である。プリンセスと違い、カロリーナやコンスタンサと心が通っているのを実感したこともないし、それを望んだことすらなかった。
 度を越した寵愛というものは、一面でその周囲に対して不穏なひずみを発生させてしまうものなのかもしれない。
 マリエッタは、カロリーナやコンスタンサを王宮すなわち自らの膝元に留めておくこと自体が、彼女らの気分を鬱させる要因になっているのではとの側近らの懸念を聞き入れ、一年のうちの半分を彼女らの実家で過ごすことを認めた。これまでは年に一度、移動時間も含めて一ヶ月程度の帰省しか許されていなかったのである。実家に滞在する時間を増やしてやることで、気晴らしもできるだろうと考えた。
 しかしこれは結果として想定外の逆効果を生んだ。
 精神的に極めて不安定な状態に陥ったカロリーナが、この裁定に対し、自分を王宮からていよく追放するための布石だと解釈したのである。プリンセスには実家がなく、第一王女として今後も常に王宮に住まうこととなる。一方、カロリーナとコンスタンサは一年の半分を余所よそで過ごしても構わないという。これは要するに、王女として用無しであると宣告されたも同然であり、明らかに邪魔者扱いされている、とそのように受け取った。
 カロリーナは実家であるトスカニーニ侯爵家に戻るたび、不満を父や与党の貴族たちに漏らすようになり、彼らはいよいよ徒党を組んで王家と敵対し、さながら国家のなかに別の国家があるかのごとき一大抵抗勢力となっていった。
 一方で、枢密院議長サイモン伯爵、同副議長マルケス侯爵、神官長ジルベルタ女史といった有力官僚たちは、不平貴族らよりも女王に近く、かつプリンセスの類稀たぐいまれな聡明さに次代の統治を期待する向きが強い。サイモン伯爵やマルケス侯爵は高位の爵位を持つとはいえ、四大貴族家のような独自の強大な地盤を持っているわけではなかったから、貴族支配による分権体制よりも、王権による中央集権体制を望むのは当然でもあった。
 マリエッタがいた養女選びという種は、地面に潜り、やがて養分を吸って、王家と大貴族勢力との対立という姿で発芽している。その芽が育ち続け、充分に実が成熟すれば、それはあるとき突然はじけて、内戦という悲劇的な胞子が国じゅうに飛び散ることになるであろう。
 だが実が熟するには、それなりに時間がかかる。教国の場合、さらに9年の歳月を必要とした。
 つまり、女王マリエッタの急逝までである。
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