上 下
5 / 6

囚われし少女

しおりを挟む
「父上、母上……」
 スミンは何度、父母を呼んだことであろう。
 最初、彼女は助けを求める意味で、その名を口にした。
 無残にも男に処女をけがされているあいだでさえ、彼女は助けをい続けた。
 そのあと、彼女は一人で暗い部屋に閉じ込められ、純真でか弱い小さな心が絶望に染まるにつれ、謝罪をつぶやくようになった。
「父上、母上、ごめんなさい……」
 父も母も、スミンの行方をさがしているであろう。特に母は、自分が近くにいながらスミンを見失い、そのために娘が危険な目にっているのではないかと、それこそ心臓がつぶれるほどに心配しているに違いない。
 だが悪いのはスミンだ。
 母の懸念けねんを気に留めず、勝手気ままに歩いて、迷子になった。
 彼女に道を教え、花をくれた老婆も、連中の一味だ。スミンを医師ユチャンの娘だと知って、早くから目をつけられていたのを、彼女自身の不用意さと油断で、このように易々やすやす拉致らちされることになってしまった。
 恐らくもう、父母には会えまい。
 それを思うと、スミンは父母に対する申し訳なさで自責の念にさいなまれ、幾度も涙した。
 時間が、どれくらいったのか。
 スミンには分からない。石造りの部屋は外部の光や音が全く入らず、隅にトーチがかれてそれが唯一の希望のように明度と温度を提供してくれているが、それ以外は一切の情報が入ってこない。時間の感覚が完全に遮断され、今が昼なのか夜なのか、外は晴れているのか雨なのか、そのうち自分は生きているのか死んでいるのかさえ分からなくなりそうだ。
 粗末なむしろの上で横たわり、虚無に身をゆだねていると、女が一人、重い扉を開けて入ってきた。
 スミンははっと上体を起こし、震えながら女の顔を見上げた。
 見覚えがある。あの男の隣に控えて、彼女を犯す手伝いをしていた女だ。
「そんな顔をしなさんなよ。取って食うわけじゃないんだ」
 女の手にしている盆には陶器の食器がひとつ。肉の煮込んだようなにおいがする。
「ほら、食べな」
 スミンが恐れて動けずにいる。女は自らさじに口をつけ、皿をスミンの方へ寄越よこした。スミンが毒殺を危惧きぐしているのかと勘違いしたらしく、毒見をしてみせたようだ。
「食いなさいな。食わないと死ぬよ」
 スミンはそれでもしばらくじっとしていたが、やがて肉のにおいに誘われ、おずおずと食器を手にした。
 獣の脂がたっぷりと浮いた汁が、胃袋にしみわたるようだ。
 女は、ゆっくりと、大切そうに食事を味わうスミンの姿に、はかないほどに淡い微笑みを向けている。
「時間だけは、たっぷりあるんだ。よく噛んで食べな」
 料理をすっかり平らげたあと、スミンはそばで黙々と煙をくゆらせている女に、尋ねた。
「あの」
「なんだい」
「あなたは……」
「アンタと同じだよ。あの男に飼われる情婦おんなさ」
「私と、同じ……」
 スミンには、その事実がまだ受け入れられない。
 当然であった。年はまだ12を数えるようになったばかりで、恋すら知らない年頃だ。父母への孝養や、医師として立身し、多くの人を救いたいという志だけがある。世の中をもっと知って、医学を広めたい。
 そうした彼女がすべてを奪われ、化け物のような男に飼われる情婦おんなになったなどと、どうして信じられよう。
 女は呆然とするスミンをあわれに思ったか、声の調子を明るくした。
「今はそりゃあ死にたい気分だろうけどね、思ってるよりはいい暮らしだよ。尽くしている限りはお天道てんとう様は拝めるし、食事だってつく。上等なべべだってね。あの男の望みに応えさえすりゃあ、この世の果てに奴隷として売られるより、よっぽど天国ってもんさ。アンタは果報だよ」
 そう言われるとそうなのかもしれない、とこの時点で正気を失っているものなら、容易に信じ込んでしまうものかもしれない。
 だがスミンは、まだこの程度の犬の論理に洗脳されるほど、理性と知性の足りぬ少女ではなかった。
「あの人……」
「あぁ、アンタを手籠てごめにした男かい?」
「……はい。あの人は、どのような人ですか」
「名前はリュウ・ウェン。自分で言ってたように、ここいらじゃ高名な呪術師じゅじゅつしだよ。役人や豪商にも顔利きでね、裏ではあくどいことも手広くやってる。このへんであいつに目をつけられちゃ、おしまいさ」
「私の父は医師です。父母も、あの人になにかされるのでしょうか」
「さぁ、アンタ次第かもね」
 スミンは苦しそうな表情を浮かべ、右手で胸をおさえるようにした。
 父と母を守るためには、自分があの男に飼われるほかないのではないかと、彼女はそのように思い始めている。
「私は、私はこれから、なにをされるのでしょうか」
「アタイがされたこと、これまで見てきたことで言うと、そうだねぇ」
「…………」
「まずは、一日に何度か、あの男の相手をする。好みに合うように教え込まれて、それからは……」
 女はそこで止めた。
 もったいぶっているわけでも、恐怖させるためでもない。
 単に、言葉にするのがはばかられたのであろう。
「まぁ、言わないのが功徳くどくってところだろうねぇ」
 女の予言のとおり、リュウ・ウェンはよほどスミンが気に入ったらしく、日に何度となく彼女を呼び寄せては、淫楽の相手となることを強要した。
 そのたび、スミンの体はおびただしく出血したが、男の欲求は血の乾くいとますら与えてはくれない。
「すぐに気分がよくなる」
 とリュウ・ウェンは繰り返しさとし、スミンの膣口に謎の軟膏なんこうを塗るが、痛みが和らぐでもなく、快楽がくでもない。ただただ毎度、内臓をえぐり回されているような苦痛と恥辱と絶望を味わわされるだけだ。
 恐らく、あの軟膏はただの偽薬であろう。実はどのような成分も配合されてはおらず、単に気休め、あるいは洗脳のために使っているだけの小道具だ。
 数日、スミンはリュウ・ウェンの相手を務めた。
 それ以外の時間は、もはや悲しみを抱くことすらなくなり、虚無におちいって、与えられた部屋で横たわっているだけだ。まばたきと呼吸はしているが、そのほかは死体と変わるところがない。
 例の女も、食事を運ぶたび、目に見えてスミンが憔悴しょうすいしてゆくので、さすがに不安を覚えたらしい。
「アンタ、気をしっかり持ちなさいな。まだ生きるのをあきらめる年じゃないだろ」
 スミンはぐったりと横になったまま、身動きもしない。女の持ってきた食事にも見向きさえしなかった。
 女は何度もスミンの口に食事を運ぼうとしたが、顔を床に向けて拒否するので、文字通り匙を投げた。
「アンタ、死ぬよ」
 冷たい声で言い残し、女は去った。
 だがその言葉も、スミンのうつろな心には届かず、どのような変化も与えはしない。
 リュウ・ウェンも、彼のみだらなあしらいにもはやどのような反応も見せようとしないスミンに辟易へきえきした。これではまるで死体を犯しているかのようだ。
 彼は興を失い、行為を中断して、衣服を整えた。
 腹立たしげに、スミンの監視役である大男に命じる。
「秘薬を用意せよ」
「はい、しかしただいまは切らしており、明日の船荷を待たねばなりませんが」
「かまわん。それまでに、飲み食いをさせよ。肌が乾いている」
「娘が、頑として口にいたしません」
あごをこじ開けてでも、飲み食いさせよ」
「承知しました」
 スミンは聞いているのかいないのか、やはり全身の力を失って倒れている。
 連中が引き揚げてから、食事係の女が再びスミンを訪ねた。
 様子が違う。
「アンタ、起きな」
 スミンが無視していると、女は無理に彼女を抱き起して、その頬をひっぱたいた。
「起きな、アンタこんなとこにいちゃいけないよ」
 スミンの瞳にわずかに生気が宿る。
 女はさらに声を励まして、
「次、あの男がここに来たら、アンタに北方の秘薬を吸わせる。薬漬けにされたら、もう何もかもおしまいだよ」
「……私は、どちらにしてももうおしまいです」
「アタイが逃がしてやるよ」
「えっ……?」
「今度、アタイが食事を持ってきたら、あのデカブツの喉笛のどぶえをかっさばいて殺してやる。アンタは闇にまぎれて逃げるんだよ」
「でも、そんなことをしたらあなたが……」
「へっ、こんなときに人の心配するなんて、殊勝しゅしょうな娘じゃないか。アタイに任しときな。アンタは、すぐに逃げられるように、体力をつけるんだよ。そのためにも、今はこれを食いな」
 スミンはここへきて、ようやく生きるために必要な希望を得た思いだった。
 いったいどれくらいぶりだろう。仔牛こうしの煮込みをすすりながら、彼女はその希望を一握いちあく光明こうみょうのように大事に、大事に胸にしまって、逃亡の機会に備えた。
 しかし、この悪の巣窟そうくつのような場所から、うまく逃げおおせるものだろうか。
 あのリュウ・ウェンという男は、恐ろしい人だ。
 白い顔と、その奥に闇をまとったように黒く光る瞳。
 あの男の恐ろしさを、スミンは未だ成熟しきってはいないその体で思い知っている。あと数日もすれば、彼女は北方の秘薬とやらを吸わされ、体だけでなく精神までをも完全に、あの男に支配されるようになっていたかもしれない。
 そうなる前に。
 とにかく、とにかく逃げなければ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

豪華地下室チートで異世界救済!〜僕の地下室がみんなの憩いの場になるまで〜

自来也
ファンタジー
カクヨム、なろうで150万PV達成! 理想の家の完成を目前に異世界に転移してしまったごく普通のサラリーマンの翔(しょう)。転移先で手にしたスキルは、なんと「地下室作成」!? 戦闘スキルでも、魔法の才能でもないただの「地下室作り」 これが翔の望んだ力だった。 スキルが成長するにつれて移動可能、豪華な浴室、ナイトプール、釣り堀、ゴーカート、ゲーセンなどなどあらゆる物の配置が可能に!? ある時は瀕死の冒険者を助け、ある時は獣人を招待し、翔の理想の地下室はいつのまにか隠れた憩いの場になっていく。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しております。

処理中です...