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第27章 旅は終わらず
第27章-① 無二の親友とともに
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帝都ヴェルダンディ。
レガリア帝国の中枢にして、旧ヘルムス政権の策源地。また西と南をクライフェルト川、東をシェラン川に囲まれ、北西は赤い森と呼ばれる森林地帯、南西には川を越えた先に荒漠たるリュマランジュ丘陵が広がる風光明媚にして要害の地である。
4月半ば、この大都市は教国軍と合衆国軍によって陥落し、以降は両軍による占領行政が敷かれている。より厳密には市内の治安維持は教国軍、市外からの攻撃に対応するための警戒任務に合衆国軍が従事している。占領後わずか数日で、市内が平穏を回復したことは前述した通りである。
帝国の戦後体制については合衆国のブラッドリー大統領が到着した上で協議されることになるが、それまでのあいだ、この街では実に多くの人間模様が展開されている。権謀術数や利害衝突といった政治の場からは少し離れて、この章はそうした人々の動きを追ってゆくのもよいであろう。
まずはエミリアだが、彼女は今回の遠征においても、クイーンのそばにぴたりとついて離れることはなかった。軍事的な面で、クイーンは参謀や軍師といった存在を必要としていなかった。帝国軍に奇襲を受けた第一次遠征のときから、彼女はクイーンの補佐役としての役割を、参謀ではなく副官、もしくは秘書であると定義していた。つまり情報を利用し解決手段を提案する立場ではなく、集まった情報を整理し、管理し、適切に提供する役目である。その点では、彼女は旗本や幕僚の誰よりも有能であり、適任であった。
もっとも、クイーンが彼女に期待していたのは、そのような単に役立つ道具、という次元の役割ではなかった。陳腐な表現になるが、彼女はただそこにいるだけで、クイーンにとって誰よりも貴重と思わせてくれる存在であった。およそ家族や親友というものは、そうした存在であろう。
彼女は、この遠征に同行し、常にクイーンの最も近くにいただけに、余人からは見えない部分も見えている。
例えばリヒテンシュタイン中将の降伏によってベルヴェデーレ要塞に入城した際の出来事である。
要塞には第一次遠征の際、デュッセルドルフの奇襲戦で捕虜にされた教国兵が1,000名を超える単位で収容されていた。すでに数千名が人体実験を含む帝国の虐殺によって命を落としていたが、彼らはその生き残りというわけである。
ただ、その肉体的あるいは精神的状況は目を覆うばかりであった。
状況を調査すると、生存者のうち十数人は、天然痘に感染し、病状が進行中であった。これは、教国軍や合衆国軍に対しいわゆる天然痘攻撃を仕掛けるために故意に感染させられたものと思われる。彼らは厳重に隔離され、感染状況を管理される。無事に治癒すれば天然痘兵器として使えないため生き長らえるが、当然、回復せずに落命した者も多かったであろう。そして天然痘の感染者がいなくならないよう、順繰りに感染を強制されたようである。
また、そのほかの者も現在進行中で人体実験に供されていたり、長きにわたる拷問や監獄生活によって身体を害し、また精神的に廃人と化している者がほとんどで、健康な捕虜はまず皆無に近かった。
この惨状を目にしたクイーンは一時、軍務を執行することができないほどにショックを受け、夜も眠ることができなかった。エミリアは一晩中、要塞の一室で彼女とともにあり、その懊悩と悲哀を受け止めている。クイーンはどのようなときでも理性を失うことなく、強靭な自制心によって常に冷静な判断を下すことができる、強くて英明な君主と一般には印象されており、またそれはほとんどの場合で事実でもあったが、ごく一部の例外においては、弱く、激しく、感情的な一面をのぞかせることがある。このときも、そうであった。
部屋に二人きりになり、感情の箍を外してもよい、となった瞬間に、クイーンはしなだれかかるようにしてエミリアにすがり、号泣した。エミリアは何も言わず、まるで母に泣きつく少女のように涙をぼろぼろと流す主君の重みを受け止めた。こういうときばかりは、エミリアの内心にクイーンを妹のように思ういとおしさといたわしさがこみ上げる。余人からどれほど慕われ、愛され、敬われ、信仰されようと、クイーンにとっての心の拠り所は結局、エミリアだけなのである。
感情を吐き出しきったクイーンは、
「ありがとう」
と、それだけを言った。この場合、エミリアに相談すべきことはなかった。すべきこと、できることはない。正確に言えば、生存者らへの補償、軍からの除隊、心身のケアなど、必要な施策はあるが、その程度のことはクイーンがわざわざ指示せずとも、エミリアがその権限の範囲内で具体化し推進できる。
クイーンは相談したかったのではなく、ただエミリアの胸のなかで泣きたかったのであった。苦しみも、つらさも、彼女の想いはすべてこの無二の親友が察し、理解し、慰めてくれた。何も言わずとも伝わる関係だった。
そういう関係性を前提として、クイーンはどのようなときでもエミリアをそばに置いている。
帝都ヴェルダンディの陥落直後、近衛兵団の主力は帝都にて最も大きなホテル「ケーニッヒシュトゥール」に逗留した。以後、このホテルは教国軍の撤収まで、近衛兵団及びクイーンの本拠として機能した。
4月23日のことである。遠く国都アルジャントゥイユより早馬が到来して、次のような情報をもたらした。
「王国の皇妃スミンが、双子の姉弟を出産した。即日、姉を皇女に、弟を太子に立て、同日を王国の祭日として人民に布告した。なお、皇女は黒い瞳、太子は青緑の瞳を持っているともっぱらの噂である」
クイーンはエミリアにだけ、この報を明かした。
「エミリア、どう思う?」
「クイーンが気にされているのは、スミンの出産による王国の皇統の変化ではなく、この皇女と太子の父が誰であるか、ということではありませんか?」
「えぇ、そう。私、まさかとは思うけど、父親は……」
「はい、サミュエルかもしれません」
エミリアの言葉を受けて、整った眉に憂慮が浮かんだ。目線が、じっとテーブルの木目へと注がれている。高価な木を使用した、格調高い逸品である。
「ですが、今はまだ憶測でしか物事を語ることはできません。さしあたり、王国の様子に引続きの注視をなさるべきかと」
「そうね、そうするしかないわね。けど」
「はい、心配なのはサミュエルです。このことを知れば、素朴で優しい彼のことですから、どれほど苦悩することか。もちろん、彼が生きていれば、ですが……」
「必ず生きてる!」
サミュエルの身柄をミコトとアオバに託して以降、彼らからは一切の便りがない。便りをすべからず、と申し伝えてあるからだ。スミンとの因縁をどう清算するのか、あるいは光の術者としてどのように生きてゆくのか、すべての答えが出て、すべての行動を終えるまで、彼らとは連絡を断つとしている。
だが、クイーン自身はそうした方針とは裏腹に、片時もサミュエルを忘れることはないようであった。スミンの闇に冒されていたためであるとはいえ、彼に命を狙われた経緯があるのに、である。彼女のなかでは、サミュエルは永久に命の恩人であり、心根の優しい素直な好青年であった。彼の身を、心から案じている。
「皇妃スミンが、サミュエルさんの子を産んだのだとしても、王国が戦争から手を引かない限り、私たちも次の戦いをためらうことはできないわ。もちろん、産まれた子どもたちにはどのような罪もないけど、国を挙げて戦う以上は、そのなかで望まぬ犠牲が出ることも覚悟しなければならないかもしれない」
「お覚悟、ご立派です」
「けど、私、考えていたことがあるの。聞いてくれる?」
「もちろんです」
「サミュエルさんがスミンに操られ、王宮を襲った件もあって、術者は偉大な力を持ったよき人々ではなく、国家の枠を超えた大陸全体の脅威として認知されるきっかけをつくってしまった。でも、私はどうしてもそれが納得いかないの。長い歴史のなかで、確かに国を滅ぼす悪しき術者も現れた。ただ、ほとんどはサミュエルさんやそのお姉さまのように、力をひた隠しに隠して、草の根に埋もれて生きてきた。だからこそ、この数世紀は誰もが術者に脅かされることなく、平穏に暮らせてきたし、術者が実在することさえ疑わしいとされてきたわ。つまり、すべての術者がすなわち人々にとっての脅威であるとみなすのは、実態とあまりに違うと思うの」
「おっしゃる通りです。これまで術者の一族が連綿と続いてきたとすれば、スミンのような術者の存在は、数世代、数十世代に一度の、例外的な出現であると考えるのが自然でしょう」
「術者が人々とともに助け合い、互いに慈しみ、恵みを分け合って共存することはできないのかしら」
それはどうだろう、とエミリアは思った。たとえ術者の側に悪意や野心がなくとも、彼らの人智を超えた偉大な力を利用しようとする人間が現れるのではないか。それこそ、いわゆる術士奇譚で語られたセトゥゲルとエルスがどのような末路をたどったのかを思い起こせば、容易に想像がつく。危険なのは力そのものではない。資格なき者がその力を手に入れようとするとき、そしてそうした者に力が渡ってしまったときに、悲劇が起こる。だから、術者は徹底して自らの力を秘匿してきたし、術者の血を引くよき者のみを選んで導きを行い、その血を持たぬ者を導くことを「滅びの鐘」と呼んで絶対の禁忌としたのではないだろうか。
そう考えると、術者が術者として世に立ち、人々と平和に共存し続けるというのはずいぶんと夢見がちな、現実離れした妄想のように思える。
(だが、この人ならばそうした従来の術者のあり方に、何かしらの変化をもたらせるかもしれない)
実現は難しいかもしれない。術者が、自らが術者であることを誇りとし、誰をはばかることなく、人々とともに生きていける世の中にする、などというのは。
しかし、不可能だろう、などと言い立てているだけでは、世界は何も変わらない。
クイーンは、この人は違う。世界を変える力がある。世界を変えようと本気で考え、しかもいくつもの施策でその考えを実行している。
(術者との共存、この人ならばきっと実現できる)
少なくとも、実現に力を尽くそうとはするはずだ。
(サミュエル。今、どこで何をしている)
エミリアはふと、あの聡明で誠実な、それでいてまるで子どものように純朴で繊細な魂を持った青年の面影を脳裏に描いた。
彼のために、これほど心を痛め、そして彼のために世界を変えようと志す人がいることを、彼は知っているのだろうか。
レガリア帝国の中枢にして、旧ヘルムス政権の策源地。また西と南をクライフェルト川、東をシェラン川に囲まれ、北西は赤い森と呼ばれる森林地帯、南西には川を越えた先に荒漠たるリュマランジュ丘陵が広がる風光明媚にして要害の地である。
4月半ば、この大都市は教国軍と合衆国軍によって陥落し、以降は両軍による占領行政が敷かれている。より厳密には市内の治安維持は教国軍、市外からの攻撃に対応するための警戒任務に合衆国軍が従事している。占領後わずか数日で、市内が平穏を回復したことは前述した通りである。
帝国の戦後体制については合衆国のブラッドリー大統領が到着した上で協議されることになるが、それまでのあいだ、この街では実に多くの人間模様が展開されている。権謀術数や利害衝突といった政治の場からは少し離れて、この章はそうした人々の動きを追ってゆくのもよいであろう。
まずはエミリアだが、彼女は今回の遠征においても、クイーンのそばにぴたりとついて離れることはなかった。軍事的な面で、クイーンは参謀や軍師といった存在を必要としていなかった。帝国軍に奇襲を受けた第一次遠征のときから、彼女はクイーンの補佐役としての役割を、参謀ではなく副官、もしくは秘書であると定義していた。つまり情報を利用し解決手段を提案する立場ではなく、集まった情報を整理し、管理し、適切に提供する役目である。その点では、彼女は旗本や幕僚の誰よりも有能であり、適任であった。
もっとも、クイーンが彼女に期待していたのは、そのような単に役立つ道具、という次元の役割ではなかった。陳腐な表現になるが、彼女はただそこにいるだけで、クイーンにとって誰よりも貴重と思わせてくれる存在であった。およそ家族や親友というものは、そうした存在であろう。
彼女は、この遠征に同行し、常にクイーンの最も近くにいただけに、余人からは見えない部分も見えている。
例えばリヒテンシュタイン中将の降伏によってベルヴェデーレ要塞に入城した際の出来事である。
要塞には第一次遠征の際、デュッセルドルフの奇襲戦で捕虜にされた教国兵が1,000名を超える単位で収容されていた。すでに数千名が人体実験を含む帝国の虐殺によって命を落としていたが、彼らはその生き残りというわけである。
ただ、その肉体的あるいは精神的状況は目を覆うばかりであった。
状況を調査すると、生存者のうち十数人は、天然痘に感染し、病状が進行中であった。これは、教国軍や合衆国軍に対しいわゆる天然痘攻撃を仕掛けるために故意に感染させられたものと思われる。彼らは厳重に隔離され、感染状況を管理される。無事に治癒すれば天然痘兵器として使えないため生き長らえるが、当然、回復せずに落命した者も多かったであろう。そして天然痘の感染者がいなくならないよう、順繰りに感染を強制されたようである。
また、そのほかの者も現在進行中で人体実験に供されていたり、長きにわたる拷問や監獄生活によって身体を害し、また精神的に廃人と化している者がほとんどで、健康な捕虜はまず皆無に近かった。
この惨状を目にしたクイーンは一時、軍務を執行することができないほどにショックを受け、夜も眠ることができなかった。エミリアは一晩中、要塞の一室で彼女とともにあり、その懊悩と悲哀を受け止めている。クイーンはどのようなときでも理性を失うことなく、強靭な自制心によって常に冷静な判断を下すことができる、強くて英明な君主と一般には印象されており、またそれはほとんどの場合で事実でもあったが、ごく一部の例外においては、弱く、激しく、感情的な一面をのぞかせることがある。このときも、そうであった。
部屋に二人きりになり、感情の箍を外してもよい、となった瞬間に、クイーンはしなだれかかるようにしてエミリアにすがり、号泣した。エミリアは何も言わず、まるで母に泣きつく少女のように涙をぼろぼろと流す主君の重みを受け止めた。こういうときばかりは、エミリアの内心にクイーンを妹のように思ういとおしさといたわしさがこみ上げる。余人からどれほど慕われ、愛され、敬われ、信仰されようと、クイーンにとっての心の拠り所は結局、エミリアだけなのである。
感情を吐き出しきったクイーンは、
「ありがとう」
と、それだけを言った。この場合、エミリアに相談すべきことはなかった。すべきこと、できることはない。正確に言えば、生存者らへの補償、軍からの除隊、心身のケアなど、必要な施策はあるが、その程度のことはクイーンがわざわざ指示せずとも、エミリアがその権限の範囲内で具体化し推進できる。
クイーンは相談したかったのではなく、ただエミリアの胸のなかで泣きたかったのであった。苦しみも、つらさも、彼女の想いはすべてこの無二の親友が察し、理解し、慰めてくれた。何も言わずとも伝わる関係だった。
そういう関係性を前提として、クイーンはどのようなときでもエミリアをそばに置いている。
帝都ヴェルダンディの陥落直後、近衛兵団の主力は帝都にて最も大きなホテル「ケーニッヒシュトゥール」に逗留した。以後、このホテルは教国軍の撤収まで、近衛兵団及びクイーンの本拠として機能した。
4月23日のことである。遠く国都アルジャントゥイユより早馬が到来して、次のような情報をもたらした。
「王国の皇妃スミンが、双子の姉弟を出産した。即日、姉を皇女に、弟を太子に立て、同日を王国の祭日として人民に布告した。なお、皇女は黒い瞳、太子は青緑の瞳を持っているともっぱらの噂である」
クイーンはエミリアにだけ、この報を明かした。
「エミリア、どう思う?」
「クイーンが気にされているのは、スミンの出産による王国の皇統の変化ではなく、この皇女と太子の父が誰であるか、ということではありませんか?」
「えぇ、そう。私、まさかとは思うけど、父親は……」
「はい、サミュエルかもしれません」
エミリアの言葉を受けて、整った眉に憂慮が浮かんだ。目線が、じっとテーブルの木目へと注がれている。高価な木を使用した、格調高い逸品である。
「ですが、今はまだ憶測でしか物事を語ることはできません。さしあたり、王国の様子に引続きの注視をなさるべきかと」
「そうね、そうするしかないわね。けど」
「はい、心配なのはサミュエルです。このことを知れば、素朴で優しい彼のことですから、どれほど苦悩することか。もちろん、彼が生きていれば、ですが……」
「必ず生きてる!」
サミュエルの身柄をミコトとアオバに託して以降、彼らからは一切の便りがない。便りをすべからず、と申し伝えてあるからだ。スミンとの因縁をどう清算するのか、あるいは光の術者としてどのように生きてゆくのか、すべての答えが出て、すべての行動を終えるまで、彼らとは連絡を断つとしている。
だが、クイーン自身はそうした方針とは裏腹に、片時もサミュエルを忘れることはないようであった。スミンの闇に冒されていたためであるとはいえ、彼に命を狙われた経緯があるのに、である。彼女のなかでは、サミュエルは永久に命の恩人であり、心根の優しい素直な好青年であった。彼の身を、心から案じている。
「皇妃スミンが、サミュエルさんの子を産んだのだとしても、王国が戦争から手を引かない限り、私たちも次の戦いをためらうことはできないわ。もちろん、産まれた子どもたちにはどのような罪もないけど、国を挙げて戦う以上は、そのなかで望まぬ犠牲が出ることも覚悟しなければならないかもしれない」
「お覚悟、ご立派です」
「けど、私、考えていたことがあるの。聞いてくれる?」
「もちろんです」
「サミュエルさんがスミンに操られ、王宮を襲った件もあって、術者は偉大な力を持ったよき人々ではなく、国家の枠を超えた大陸全体の脅威として認知されるきっかけをつくってしまった。でも、私はどうしてもそれが納得いかないの。長い歴史のなかで、確かに国を滅ぼす悪しき術者も現れた。ただ、ほとんどはサミュエルさんやそのお姉さまのように、力をひた隠しに隠して、草の根に埋もれて生きてきた。だからこそ、この数世紀は誰もが術者に脅かされることなく、平穏に暮らせてきたし、術者が実在することさえ疑わしいとされてきたわ。つまり、すべての術者がすなわち人々にとっての脅威であるとみなすのは、実態とあまりに違うと思うの」
「おっしゃる通りです。これまで術者の一族が連綿と続いてきたとすれば、スミンのような術者の存在は、数世代、数十世代に一度の、例外的な出現であると考えるのが自然でしょう」
「術者が人々とともに助け合い、互いに慈しみ、恵みを分け合って共存することはできないのかしら」
それはどうだろう、とエミリアは思った。たとえ術者の側に悪意や野心がなくとも、彼らの人智を超えた偉大な力を利用しようとする人間が現れるのではないか。それこそ、いわゆる術士奇譚で語られたセトゥゲルとエルスがどのような末路をたどったのかを思い起こせば、容易に想像がつく。危険なのは力そのものではない。資格なき者がその力を手に入れようとするとき、そしてそうした者に力が渡ってしまったときに、悲劇が起こる。だから、術者は徹底して自らの力を秘匿してきたし、術者の血を引くよき者のみを選んで導きを行い、その血を持たぬ者を導くことを「滅びの鐘」と呼んで絶対の禁忌としたのではないだろうか。
そう考えると、術者が術者として世に立ち、人々と平和に共存し続けるというのはずいぶんと夢見がちな、現実離れした妄想のように思える。
(だが、この人ならばそうした従来の術者のあり方に、何かしらの変化をもたらせるかもしれない)
実現は難しいかもしれない。術者が、自らが術者であることを誇りとし、誰をはばかることなく、人々とともに生きていける世の中にする、などというのは。
しかし、不可能だろう、などと言い立てているだけでは、世界は何も変わらない。
クイーンは、この人は違う。世界を変える力がある。世界を変えようと本気で考え、しかもいくつもの施策でその考えを実行している。
(術者との共存、この人ならばきっと実現できる)
少なくとも、実現に力を尽くそうとはするはずだ。
(サミュエル。今、どこで何をしている)
エミリアはふと、あの聡明で誠実な、それでいてまるで子どものように純朴で繊細な魂を持った青年の面影を脳裏に描いた。
彼のために、これほど心を痛め、そして彼のために世界を変えようと志す人がいることを、彼は知っているのだろうか。
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