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第24章 氷雪に閉ざされし大地
第24章-④ 秘密警察からの招待状
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答えが、出ない。
サミュエルやミョウコウとは何食わぬ顔で夕食をともにした。だがチェレンコフの提案、と言うより要求を受けて気分のすぐれないミコトは、用意された半分も喉を通らなかった。
夜も頭が冴えて、眠ることができず、しかし迷いはいよいよ深まって、どちらとも決めかねている。チェレンコフに従いその愛人となって、サミュエルをポリャールヌイへ行かせるべきか。あるいはチェレンコフの要求を拒絶して、秘密警察から逃げ続け、ともにポリャールヌイを目指すべきか。
そして分厚い毛布にくるまっているうち、ついに朝の気配を感じた。連邦首都イズマイールでは、どの家も寒さをしのぐため、窓を二重にしている。それでも真冬の夜の冷気は耐えがたく、羽毛を要塞のように積み上げそこに籠城するほか、この厳しい住環境に対応するすべはない。
不意に、ミコトに与えられた部屋のドアが静かに開けられた。空気の流れの変化に気づき、彼女はチェレンコフが夜這いでも仕掛けてきたのかと緊張したが、正体はサミュエルである。
「ミコトさん、また襲撃のようです」
「襲撃」
ミコトは咄嗟に、アマギの里からの追っ手を想像した。チェレンコフ邸は、この国では絶対に近い権威を持ち、少なくとも国内の勢力に対してはきわめて安全な場所と言えるからである。
だが実際に屋敷を包囲したのは、イヴァンチェンコ長官が直々に率いる秘密警察の特殊任務部隊60名ほどであった。
イヴァンチェンコは奇襲などは用いず、正々堂々と門戸を叩いた。応対に出たメイドに呼び出され、寝ぼけ眼をこすりつつ、主人が不機嫌そうな顔を見せる。
「イヴァンチェンコか。何事だこのような未明に。しかもそのような物々しい姿で」
「チェレンコフ殿。マルコフ議長のご命令です。貴邸におかくまいの盲人サミュエル、並びにミコトなる女をただちにお引渡し願いたい」
「マルコフ議長が、まさか」
チェレンコフの顔色はたちまち青ざめ、眠気も吹き飛んでまばたきもしない。マルコフは強力きわまる独裁者である。連邦においては並ぶ者のない、絶対的な存在であり、チェレンコフはいわばその取り巻きにすぎない。マルコフがその気になれば、彼のような者はたちまち粛清の対象となって、弁明の機会も与えられず死刑、その家族は残らず流刑地へと送られて野垂れ死にすることになる。
「ロンバルディア教国から戻ったスパイから情報を得ました。教国に出現した術者は赤い髪の盲人、王宮には王国からの亡命者であるヤノ家の娘が滞在していたとか。彼が巷で噂の術者であることは疑いない。我々は彼を交渉の場に招くために来たのです」
「交渉、なんのことだ」
「お分かりでしょう。術者の力は百万の兵にも匹敵します。彼を味方につければ、我が国はこの大陸の覇者になれるのです」
「国家保安委員会の長官ともあろう者がまだそのような出まかせを言うか。マルコフ議長に讒訴し、私の権威を失墜させようとの肚か」
階下で言い争う声がするが、内容は聞こえず、窓から様子をうかがうことも難しい。ミコトは素早くブーツを履き、身支度をして、小太刀を腰に差した。彼女はチェレンコフ邸に世話になっているときも、万一に備え、すぐに動けるように備えていた。それはサミュエルやミョウコウも同様である。
「気配を探っています。どこも隙間なく固められている。見つからずに逃げるのは無理です」
「それでは」
「あまり気が進みませんが、こうなれば術を使うしかありません」
「彼らを殺すのですか」
「殺さずとも、逃げるだけなら」
サミュエルはしばし念じ、そして足元から球状の結界を発生させた。白いもやのように広がる空間には、不可思議な浮揚感があり、ミコトとミョウコウ、サミュエル自身を包み込んで、外部からの一切の干渉を遮断する。
この感覚を、彼女はアマギの里における頭領屋敷で一度、味わっている。そのときは一瞬だった。
「結界を加工して、光を透過させます。つまり、この結界の内部はすべて透明に見えます。僕らの姿は誰にも見えません」
「そのようなことが」
術者の力は、人間の想像の域をはるかに超えている。
三人はぴたりと寄り添いながら、そろそろと屋敷の裏手へと向かった。
一方、屋敷の正面ではイヴァンチェンコ長官がしびれを切らしつつある。彼は任務のためであればどのような非情な手段でもためらいなくとることができると言われていた。彼の親分であるマルコフ議長の命令であれば、自分の親でも殺せるであろうし、ましてやチェレンコフごときはその肥えた豚のような体を切り刻んででも使命を果たすことに、わずかな躊躇もない。
押し通ろうと、ついにサーベルを抜いた。
と同時に、細く鋭い風切り音とともに、イヴァンチェンコのすぐ左後ろに控えていた兵が声もなく、どさりと固く乾いた雪の上に倒れた。首に、矢が刺さっている。
部隊は色めき立ち、背後からの奇襲に警戒して隊形を組み替え、目を凝らした。だが、チェレンコフ邸は林の奥に構えられた陰気な隠れ家である。日の出はすぐそこにまで近づいているが、なお暁光は夜の闇を吹き払うにいたっていない。位置関係から視認性がひどく悪く、曲者が何者であるのか、どこにいるのか、何人いるのかが分からない。
警戒を強めるなかでも、矢は次々と飛来して、隊員たちの額や喉といった急所を貫いて静かに即死せしめた。
イヴァンチェンコは当然、これがチェレンコフの周到に仕組んだ罠だと考えた。国家保安委員会に対する襲撃、つまり、叛逆だと断じている。チェレンコフ、そこまで胆力と知恵に恵まれた男ではない。
「貴様、伏兵を敷いて我らを攻撃するとは、血迷ったかッ!」
「待て、待て、何かの間違いだ。私は兵など置いておらん!」
「この期に及んで白を切る気かッ!」
イヴァンチェンコはチェレンコフの丸々と実った首を抱え込み、邸内へと押し入って、背後の林からの攻撃を避けようとした。彼とともに屋敷の正面に展開していた部下たちが突入し、さらに気配を嗅ぎつけた裏手の連中も呼応して駆け込んだ。
だが、邸内の人という人のすべてを制圧し、家財をひっくり返して捜索しても、ミコトとサミュエルは見当たらない。チェレンコフも知らないと言っている。
イヴァンチェンコは、チェレンコフを国家保安委員会の本部でより厳しい尋問にかけることとし、彼の身を護送させるとともに、さらに市内の各所にある別邸を手分けして捜索させた。チェレンコフは自らの職権を利用して不当に得ていた金を使い、多くの愛人を抱えており、そのいずれかの別宅にミコトらを避難させたのではないかと疑ったのである。だが結局、イヴァンチェンコのこうした強権的な捜査も空振りに終わった。
それも当然であろう。
実際、ミコトとサミュエル、ミョウコウはいわゆる透明化の術の恩恵によって秘密警察の目をくらまし、裏手の組が突入するのと入れ違いにして脱出に成功していたのである。
しかし、当て所はない。
とにかくチェレンコフ邸を背に逃げに逃げて、小一時間。人気のない放棄された家屋を見出して、ここを一時の退避場所とした。だが秘密警察が網を広げれば、数日を経ずして見つかってしまうであろう。それに、暖炉も毛布も食料もない廃屋では、酷寒のイズマイールの天候に耐えることができず凍えて衰弱死するのが早いかもしれない。
「少し休んで、日が高く昇ったら改めて身を隠せる場所を探しましょう」
ミコトとサミュエルは相談して、そのように決めた。深刻な様子の二人に、ミョウコウが小さな黒パンを二つ、差し出す。剽軽な表情と身振りから察するに、チェレンコフ邸から逃げる途中でかっぱらってきたらしい。抜け目のない男だ。ミコトとサミュエルはようやく表情を和ませて、笑顔を取り戻した。
しかし、わずかな水と粗末な黒パンにくつろぎを得ようとするも、それは束の間のことでしかない。
日が高く昇ろうというとき、廃屋に不穏な気配が起こった。誰か、来たらしい。
相手が浮浪者なら占有者の権利を主張して追い払ってもよいが、恐らくそうではない。第一、イズマイールには浮浪者というものは存在しないのだ。この国の民衆は、誰もが国のために労働すべきことを強制される。廃屋に住みついているような者は見つけ次第、鉱山や漁港に送られてしまうのである。
秘密警察の連中が、どのような手段かは分からぬが彼女らの足取りを追ってきたのに違いない。
三人は当然そのように考え、正体を確かめようと物陰に隠れて様子を探った。
そして、ミコトはあっと目を瞠り、思わず飛び出していって、自らの姿を侵入者たちに晒した。それはまさに、自分の存在を認知させたいがための行動であった。
「アオバ、生きていたの……!」
思いがけない訪問者は、マヤの手によって殺されていたと思われていたアオバであった。アオバと、それにいかにも従順で聡明な犬が一匹。
アオバは、別れたときよりもだいぶ髪が伸びているが、ミコト以上に凛々しげで強さのにじむ目元や眉がまごうかたなき忍びとしての育ちを主張している。それが、ミコトの姿を視界にとらえて、柔和に微笑んだ。
「ミコト様、ご無事で」
「えぇ、あなたは、てっきり死んだものとばかり」
「マヤが、私を殺さなかったのです」
「マヤが」
ミコトはふと、自らの手首に肌身離さず巻いているスミレ色の髪紐を見た。それはアオバが愛用していた髪紐であり、これをマヤが身につけていたために、ミコトはアオバの死を確信したのであった。マヤは確かにアオバを襲ったが、髪紐だけ奪って命はとらなかったということなのであろう。真意は分からない。
そしてアオバは、初めて彼女が連れている犬について説明した。
「この犬は、お二人を追う旅の途中で里から追ってきました。サギリといいます」
「あなたの知っている犬なの?」
「いえ、話すと長くなりますが……」
数往復、肩が上下するあいだの無言があった。恐らく、言葉に尽くしがたい経験があったのであろう。すべてを言語化するためには、彼女の身に起こったことはあまりに壮絶であり、そして人間の生み出した言葉はあまりに少なかった。
やがて、アオバはぽつぽつと、里を出るまで、里を出てからの経緯を語り始めた。
サミュエルやミョウコウとは何食わぬ顔で夕食をともにした。だがチェレンコフの提案、と言うより要求を受けて気分のすぐれないミコトは、用意された半分も喉を通らなかった。
夜も頭が冴えて、眠ることができず、しかし迷いはいよいよ深まって、どちらとも決めかねている。チェレンコフに従いその愛人となって、サミュエルをポリャールヌイへ行かせるべきか。あるいはチェレンコフの要求を拒絶して、秘密警察から逃げ続け、ともにポリャールヌイを目指すべきか。
そして分厚い毛布にくるまっているうち、ついに朝の気配を感じた。連邦首都イズマイールでは、どの家も寒さをしのぐため、窓を二重にしている。それでも真冬の夜の冷気は耐えがたく、羽毛を要塞のように積み上げそこに籠城するほか、この厳しい住環境に対応するすべはない。
不意に、ミコトに与えられた部屋のドアが静かに開けられた。空気の流れの変化に気づき、彼女はチェレンコフが夜這いでも仕掛けてきたのかと緊張したが、正体はサミュエルである。
「ミコトさん、また襲撃のようです」
「襲撃」
ミコトは咄嗟に、アマギの里からの追っ手を想像した。チェレンコフ邸は、この国では絶対に近い権威を持ち、少なくとも国内の勢力に対してはきわめて安全な場所と言えるからである。
だが実際に屋敷を包囲したのは、イヴァンチェンコ長官が直々に率いる秘密警察の特殊任務部隊60名ほどであった。
イヴァンチェンコは奇襲などは用いず、正々堂々と門戸を叩いた。応対に出たメイドに呼び出され、寝ぼけ眼をこすりつつ、主人が不機嫌そうな顔を見せる。
「イヴァンチェンコか。何事だこのような未明に。しかもそのような物々しい姿で」
「チェレンコフ殿。マルコフ議長のご命令です。貴邸におかくまいの盲人サミュエル、並びにミコトなる女をただちにお引渡し願いたい」
「マルコフ議長が、まさか」
チェレンコフの顔色はたちまち青ざめ、眠気も吹き飛んでまばたきもしない。マルコフは強力きわまる独裁者である。連邦においては並ぶ者のない、絶対的な存在であり、チェレンコフはいわばその取り巻きにすぎない。マルコフがその気になれば、彼のような者はたちまち粛清の対象となって、弁明の機会も与えられず死刑、その家族は残らず流刑地へと送られて野垂れ死にすることになる。
「ロンバルディア教国から戻ったスパイから情報を得ました。教国に出現した術者は赤い髪の盲人、王宮には王国からの亡命者であるヤノ家の娘が滞在していたとか。彼が巷で噂の術者であることは疑いない。我々は彼を交渉の場に招くために来たのです」
「交渉、なんのことだ」
「お分かりでしょう。術者の力は百万の兵にも匹敵します。彼を味方につければ、我が国はこの大陸の覇者になれるのです」
「国家保安委員会の長官ともあろう者がまだそのような出まかせを言うか。マルコフ議長に讒訴し、私の権威を失墜させようとの肚か」
階下で言い争う声がするが、内容は聞こえず、窓から様子をうかがうことも難しい。ミコトは素早くブーツを履き、身支度をして、小太刀を腰に差した。彼女はチェレンコフ邸に世話になっているときも、万一に備え、すぐに動けるように備えていた。それはサミュエルやミョウコウも同様である。
「気配を探っています。どこも隙間なく固められている。見つからずに逃げるのは無理です」
「それでは」
「あまり気が進みませんが、こうなれば術を使うしかありません」
「彼らを殺すのですか」
「殺さずとも、逃げるだけなら」
サミュエルはしばし念じ、そして足元から球状の結界を発生させた。白いもやのように広がる空間には、不可思議な浮揚感があり、ミコトとミョウコウ、サミュエル自身を包み込んで、外部からの一切の干渉を遮断する。
この感覚を、彼女はアマギの里における頭領屋敷で一度、味わっている。そのときは一瞬だった。
「結界を加工して、光を透過させます。つまり、この結界の内部はすべて透明に見えます。僕らの姿は誰にも見えません」
「そのようなことが」
術者の力は、人間の想像の域をはるかに超えている。
三人はぴたりと寄り添いながら、そろそろと屋敷の裏手へと向かった。
一方、屋敷の正面ではイヴァンチェンコ長官がしびれを切らしつつある。彼は任務のためであればどのような非情な手段でもためらいなくとることができると言われていた。彼の親分であるマルコフ議長の命令であれば、自分の親でも殺せるであろうし、ましてやチェレンコフごときはその肥えた豚のような体を切り刻んででも使命を果たすことに、わずかな躊躇もない。
押し通ろうと、ついにサーベルを抜いた。
と同時に、細く鋭い風切り音とともに、イヴァンチェンコのすぐ左後ろに控えていた兵が声もなく、どさりと固く乾いた雪の上に倒れた。首に、矢が刺さっている。
部隊は色めき立ち、背後からの奇襲に警戒して隊形を組み替え、目を凝らした。だが、チェレンコフ邸は林の奥に構えられた陰気な隠れ家である。日の出はすぐそこにまで近づいているが、なお暁光は夜の闇を吹き払うにいたっていない。位置関係から視認性がひどく悪く、曲者が何者であるのか、どこにいるのか、何人いるのかが分からない。
警戒を強めるなかでも、矢は次々と飛来して、隊員たちの額や喉といった急所を貫いて静かに即死せしめた。
イヴァンチェンコは当然、これがチェレンコフの周到に仕組んだ罠だと考えた。国家保安委員会に対する襲撃、つまり、叛逆だと断じている。チェレンコフ、そこまで胆力と知恵に恵まれた男ではない。
「貴様、伏兵を敷いて我らを攻撃するとは、血迷ったかッ!」
「待て、待て、何かの間違いだ。私は兵など置いておらん!」
「この期に及んで白を切る気かッ!」
イヴァンチェンコはチェレンコフの丸々と実った首を抱え込み、邸内へと押し入って、背後の林からの攻撃を避けようとした。彼とともに屋敷の正面に展開していた部下たちが突入し、さらに気配を嗅ぎつけた裏手の連中も呼応して駆け込んだ。
だが、邸内の人という人のすべてを制圧し、家財をひっくり返して捜索しても、ミコトとサミュエルは見当たらない。チェレンコフも知らないと言っている。
イヴァンチェンコは、チェレンコフを国家保安委員会の本部でより厳しい尋問にかけることとし、彼の身を護送させるとともに、さらに市内の各所にある別邸を手分けして捜索させた。チェレンコフは自らの職権を利用して不当に得ていた金を使い、多くの愛人を抱えており、そのいずれかの別宅にミコトらを避難させたのではないかと疑ったのである。だが結局、イヴァンチェンコのこうした強権的な捜査も空振りに終わった。
それも当然であろう。
実際、ミコトとサミュエル、ミョウコウはいわゆる透明化の術の恩恵によって秘密警察の目をくらまし、裏手の組が突入するのと入れ違いにして脱出に成功していたのである。
しかし、当て所はない。
とにかくチェレンコフ邸を背に逃げに逃げて、小一時間。人気のない放棄された家屋を見出して、ここを一時の退避場所とした。だが秘密警察が網を広げれば、数日を経ずして見つかってしまうであろう。それに、暖炉も毛布も食料もない廃屋では、酷寒のイズマイールの天候に耐えることができず凍えて衰弱死するのが早いかもしれない。
「少し休んで、日が高く昇ったら改めて身を隠せる場所を探しましょう」
ミコトとサミュエルは相談して、そのように決めた。深刻な様子の二人に、ミョウコウが小さな黒パンを二つ、差し出す。剽軽な表情と身振りから察するに、チェレンコフ邸から逃げる途中でかっぱらってきたらしい。抜け目のない男だ。ミコトとサミュエルはようやく表情を和ませて、笑顔を取り戻した。
しかし、わずかな水と粗末な黒パンにくつろぎを得ようとするも、それは束の間のことでしかない。
日が高く昇ろうというとき、廃屋に不穏な気配が起こった。誰か、来たらしい。
相手が浮浪者なら占有者の権利を主張して追い払ってもよいが、恐らくそうではない。第一、イズマイールには浮浪者というものは存在しないのだ。この国の民衆は、誰もが国のために労働すべきことを強制される。廃屋に住みついているような者は見つけ次第、鉱山や漁港に送られてしまうのである。
秘密警察の連中が、どのような手段かは分からぬが彼女らの足取りを追ってきたのに違いない。
三人は当然そのように考え、正体を確かめようと物陰に隠れて様子を探った。
そして、ミコトはあっと目を瞠り、思わず飛び出していって、自らの姿を侵入者たちに晒した。それはまさに、自分の存在を認知させたいがための行動であった。
「アオバ、生きていたの……!」
思いがけない訪問者は、マヤの手によって殺されていたと思われていたアオバであった。アオバと、それにいかにも従順で聡明な犬が一匹。
アオバは、別れたときよりもだいぶ髪が伸びているが、ミコト以上に凛々しげで強さのにじむ目元や眉がまごうかたなき忍びとしての育ちを主張している。それが、ミコトの姿を視界にとらえて、柔和に微笑んだ。
「ミコト様、ご無事で」
「えぇ、あなたは、てっきり死んだものとばかり」
「マヤが、私を殺さなかったのです」
「マヤが」
ミコトはふと、自らの手首に肌身離さず巻いているスミレ色の髪紐を見た。それはアオバが愛用していた髪紐であり、これをマヤが身につけていたために、ミコトはアオバの死を確信したのであった。マヤは確かにアオバを襲ったが、髪紐だけ奪って命はとらなかったということなのであろう。真意は分からない。
そしてアオバは、初めて彼女が連れている犬について説明した。
「この犬は、お二人を追う旅の途中で里から追ってきました。サギリといいます」
「あなたの知っている犬なの?」
「いえ、話すと長くなりますが……」
数往復、肩が上下するあいだの無言があった。恐らく、言葉に尽くしがたい経験があったのであろう。すべてを言語化するためには、彼女の身に起こったことはあまりに壮絶であり、そして人間の生み出した言葉はあまりに少なかった。
やがて、アオバはぽつぽつと、里を出るまで、里を出てからの経緯を語り始めた。
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