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第23章 白き旗を掲げて
第23章-② 窮鼠を前に
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3月6日、周辺の情報を集め、準備を万端整えた教国軍は、帝都を目指して北へと発した。ダンツィヒ街道を北に進み、モハーベ街道との交点にまで達したのが、3月12日。東へ折れれば帝国と合衆国の国境線に面したミュンスター地方、西へ向かえば帝都ヴェルダンディは目と鼻の先という位置関係である。この交差点を確保したということは、帝国軍主力と、合衆国との境界を守る第六軍とを分断したということでもあるが、逆に両者によって挟撃されうる危険な状況と見ることもできる。ただいずれにしても、帝都ヴェルダンディまではわずか2日で到達しうる。まさに、指呼の距離と言っていい。
要塞には、リヒテンシュタイン以下、第四軍と第七軍の降伏兵およそ1万を詰めて防備にあたらせた。
これには当然、異論も出た。
「クイーン。この要塞は帝都を攻略するための足がかりであると同時に、本国からの補給線をつなげ、かつ我らが教国本土へ撤退するための生命線でもあります。絶対に失ってはならない要地でありますゆえ、ここはぜひ、私かバクスター将軍のいずれかを防衛司令官として残されますよう具申いたします」
提言したのは第一師団のデュラン将軍である。もっともなことだ、と多くの者が思った。重要な根拠地であるゆえに、新参の帝国人ではなく、信用できる将軍に守らせるべきである。降伏したばかりの敵将に前線と本国の中継拠点でもあるこの要塞を預けるのは、剣呑であろう。
本心から降伏したのかどうかも、疑わしい。
リヒテンシュタイン本人が会議に列席しているために、デュランはそうは言わない。だが、多くの者がそう感じているのは事実であった。リヒテンシュタインも、出席者たちのそうした不信や疑惑を痛いほどに感じていた。彼はこの要塞を教国軍へと明け渡し、その意味では教国軍にとって実にありがたい客人だが、一方で祖国を見捨てた裏切り者であるというのもまた事実である。
しかし、クイーンはそうした懸念を一蹴して見せた。無論、これは半ばリヒテンシュタインにに対して聞かせる意図も含まれている。
「ご心配は当然のところですが、同時に無用のこととも思います。ひとつ、リヒテンシュタイン殿は我が国の理念に共鳴したために、進んで協力してくださっているということ。現政権を打倒し、帝国を真っ当な姿に戻す、そして無用で不毛な戦いを終わらせるという志は通じていますから、我々は同志であり、互いを信頼することができるはずです。いまひとつは、降伏した帝国兵には、なるべく前線に立ってほしくないのです。もし、帝国兵同士が互いに争い血を流すのを我が軍が高みから見物すれば、我々は歴史から永久に指弾され、卑怯者の烙印を押されて、この出兵の意義も正当性も失うことになるでしょう。ですから、リヒテンシュタイン殿と降伏した兵たちには、要塞に残っていただきたいのです」
クイーンは明言しなかったが、いまひとつの隠された理由としては、戦意も士気も能力も不透明な降伏部隊を戦場で使うことに抵抗があったのであろう。リヒテンシュタインが指揮するのは第四軍と第七軍の混成部隊であり、教国軍とともに帝国軍、つまり昨日までの同胞であり僚友である連中と戦うことにどれだけ積極的になれるのか、命さえ賭してまで戦ってくれるのかは予見しがたい。そのような部隊を遠征軍に加えるより、純粋な教国軍だけで編成した方が、はるかに動きやすいし、戦いやすい。
クイーンの内心はどうあれ、感激屋のリヒテンシュタインは涙を流し、恩情に感謝した。その滑稽とさえ言える姿に、諸将も理性の部分ではともかく、感情の部分では一定の納得感を得た。これほどうまくクイーンに丸め込まれ、手懐けられている男が、再びの裏切りを企図するとも思えない。
そのため、当面の戦場となるであろうモハーベ街道とダンツィヒ街道の交点を包含するエーデル地方一帯に展開した教国軍は、第一師団、第二師団、第三師団、遊撃旅団、突撃旅団、そして本営の近衛兵団となっている。
例によって情報収集に時間を費やすうち、西の帝都方面からベーム中将の率いる帝国軍が迫った。
「来ましたか。レイナート将軍、どう思われます。ベーム中将はメッサーシュミット将軍亡きのち、帝国軍における最高の良将であるとかつて称賛されていましたが」
「恐らく、彼が率いているのは帝国軍における最後の機動戦力でしょう。これを撃滅できれば帝国もいよいよその軍事力を失い、降伏も間近であると言えます。ただここは、その誘惑にあえて耐えることが肝要かと」
「続けてください」
「申し上げたようにベーム中将は名将です。彼の指揮下にあれば、烏合の衆も実力以上の力を発揮するかもしれません。窮鼠猫を噛むの喩えもあります。よくよくご深慮あって、真正面からぶつかることは避けられた方がよいかと」
「リヒテンシュタイン中将の件を伝え、彼にも降伏を勧めるのはどうでしょうか」
「率直に申し上げて、あまり効果があるとも思えません。リヒテンシュタイン中将には心に迷いがあり、いくつかの偶然や幸運も味方して、降伏に至ったと推察します」
「えぇ、彼の降伏は確信があったわけではなく、実のところ思わぬ僥倖ではありました」
「ベーム中将には迷いはありません。心に揺らぎがなく、まさに堅忍不抜の精神を持った将帥です。僚友が降伏したからといって、そのことに影響を受けるとは」
「思われませんか」
それほどの人物ならばなおさら惜しいですね、とクイーンは半ばひとりごちるように口にした。指揮官として、あるいは君主としては矛盾する感情であろうが、クイーンはしばしば有能な敵将を貴重に思い、慕うところがある。それはまずは敬愛であり、もしかしたら友情もあるかもしれない。互いに尊敬できる敵将にめぐり会うことは、指揮官にとって特別な喜びがあるのだろう。そしてクイーンの場合、最終的にはそれらすべてを味方につけたいと思っている。
だがレイナートの言った通り、ベーム中将はリヒテンシュタインと違って降伏勧告ごときでわずかでも揺さぶられるような人物ではない。
「一戦、交えるしかありませんね」
諸将には、クイーンのその決意さえ聞けばそれだけでよい。彼らにとっては不思議なことではあるが、戦いを通じて、彼らはクイーンと心を通わせているという実感が得られている。クイーンが常に彼らを信頼し、意図を伝えている、そうした習慣の連続が、諸将をしてより意思疎通を容易ならしめているようにも思える。
そのなかでも、ドン・ジョヴァンニ将軍だけが、やや不機嫌そうに不平を述べた。
「しかし、合衆国軍の動きの鈍さはちぃとばかし不審ですな。本来ならとっくに帝国との国境を侵し、第六軍を蹴散らしてここいらで合流していてもよさそうなもんだ」
「偵察は派遣していますが、両軍はまだ国境線を挟んで睨み合ったままのようです」
「まさか、奴ら漁夫の利を狙っているわけではないと思うが」
「漁夫の利だと。それはつまり、教国軍と帝国軍が傷つけ合うのを安全な場所から見守り、あとからのこのこ出てきて勝利の果実のみを貪る気か」
ドン・ジョヴァンニの疑惑にたちまち激昂したのは、突撃旅団のコクトー将軍である。彼はナッツァの会戦で多くの部下を失っている。国境線上でお茶を濁しつつ模様眺めに明け暮れ、両軍が傷つき弱ったところをあとから合衆国軍が勝ちをさらっていくとなれば、彼が怒り出すのも無理はない。
レイナート将軍が、鎮静剤の役を務めた。
「今はまだはっきりとしたことが分からない以上、むやみな憶測は控えた方がよいでしょう。ただ、事情はどうあれ合衆国軍の動きが鈍いのは事実。我々は遠征の身で、補給には常に不安がありますから、あまり悠長にも構えていられません。少々、強引とは思いますが、合衆国軍については念頭から外され、作戦を立てられては」
「ごもっともです。理想は合衆国軍と連携して、数的な優位をさらに強化したいところではありますが、諸般の状況からすれば単独で戦うのもやむを得ないでしょうね」
クイーンは、あまり気乗りしない様子であった。ナッツァの会戦の結果、彼我の兵力的な優劣は逆転したが、ベーム中将が指揮をとる以上、数を減らしたとは言えあるいはナッツァのときよりも困難な戦いになるかもしれない。合衆国軍が合流すれば戦力の面で敵を圧倒できるが、友軍の動きはクイーンはじめ諸将の予測や期待をはるかに下回る鈍さ、遅さであった。ドン・ジョヴァンニが疑ったように、教国軍と帝国軍が互いに消耗するのを待っているという可能性もあるが、もしかすると意志の問題ではなく能力の問題かもしれない。それはそれで深刻であり、例えば補給の状態が悪い、士気が低い、単に指揮官が無能であるなど、友軍として恃むに足りない状態なのかもしれない。
それだけではない。本国を進発して以来、カスティーリャ要塞やベルヴェデーレ要塞で休養を挟んではいるものの、兵の疲労は少しずつ蓄積しつつある。なまじ敵地に深く入れば入るほど、遠征軍は補給、情報、風土、そして兵卒らの望郷の念といった要素で脆く、不安定になるものである。この状態で万が一でも大敗を喫すれば、作戦は瓦解し、本国への撤退さえ危うくなる。無理な戦いは禁物、ということである。
しかし、とは言っても慎重を期して消極的な姿勢に移行した場合、戦争自体が長期化して、かえって双方の消耗が大きくなることも考えられる。例えばヘルムス総統は大都市における物資や人員の強制的な補充を命令したが、今後はその施策を地方に拡大し、あるいは負担を強めるなどして、戦局の挽回を目指すかもしれない。教国としては受けて立たざるを得ず、そうなっては帝国の人的物的資源のすべてが消失するまで、戦争が泥沼化することもありうる。
クイーンとしてはその方がむしろ危険性が高い。
「先ほど、レイナート将軍がベーム中将とは正面から事を構えるべきではないと意見され、私も大筋で同意しますが、戦局の膠着化は長期的に両国の利益に反します。むしろここは再びの決戦を行い、帝国軍の機動戦力を粉砕し、帝国を早期降伏へと追い込むべきと考えます。そのため、現有戦力をもってモハーベ街道とダンツィヒ街道の交点、エーデルの宿駅を背にして予定戦場とし、陣営を築造しつつ帝国軍の到来を待ちます。反対意見の方はいらっしゃいますか」
ぐるりと見回した先に、反論を含んだ表情は見当たらなかった。
ただ一点、レイナート将軍が注意を喚起した。
「僭越ではございますが、ミュンスター地方に駐屯する第六軍の動きには、ご注意を欠かさぬようにするがよろしいかと。帝国軍主力と交戦中、万一にも背後を第六軍に急襲されたら、致命的な事態になります」
「ありがとうございます。将軍のご忠告に従います」
かくして、両軍はエーデル地方を主戦場として、再びの決戦に臨むこととなった。戦争の早期決着を目指し士気上がる教国軍と、決死の覚悟で窮鼠と化した帝国軍。前者はこれを最後の戦いに、後者は次につなげるための戦いにしたいと願っている。
この戦いが歴史のなかでどのような意味づけや位置づけがされるのか、この時点で知る者はいなかったが、いずれにしても双方にとって正念場と言うべき戦いであるのは確かであった。
要塞には、リヒテンシュタイン以下、第四軍と第七軍の降伏兵およそ1万を詰めて防備にあたらせた。
これには当然、異論も出た。
「クイーン。この要塞は帝都を攻略するための足がかりであると同時に、本国からの補給線をつなげ、かつ我らが教国本土へ撤退するための生命線でもあります。絶対に失ってはならない要地でありますゆえ、ここはぜひ、私かバクスター将軍のいずれかを防衛司令官として残されますよう具申いたします」
提言したのは第一師団のデュラン将軍である。もっともなことだ、と多くの者が思った。重要な根拠地であるゆえに、新参の帝国人ではなく、信用できる将軍に守らせるべきである。降伏したばかりの敵将に前線と本国の中継拠点でもあるこの要塞を預けるのは、剣呑であろう。
本心から降伏したのかどうかも、疑わしい。
リヒテンシュタイン本人が会議に列席しているために、デュランはそうは言わない。だが、多くの者がそう感じているのは事実であった。リヒテンシュタインも、出席者たちのそうした不信や疑惑を痛いほどに感じていた。彼はこの要塞を教国軍へと明け渡し、その意味では教国軍にとって実にありがたい客人だが、一方で祖国を見捨てた裏切り者であるというのもまた事実である。
しかし、クイーンはそうした懸念を一蹴して見せた。無論、これは半ばリヒテンシュタインにに対して聞かせる意図も含まれている。
「ご心配は当然のところですが、同時に無用のこととも思います。ひとつ、リヒテンシュタイン殿は我が国の理念に共鳴したために、進んで協力してくださっているということ。現政権を打倒し、帝国を真っ当な姿に戻す、そして無用で不毛な戦いを終わらせるという志は通じていますから、我々は同志であり、互いを信頼することができるはずです。いまひとつは、降伏した帝国兵には、なるべく前線に立ってほしくないのです。もし、帝国兵同士が互いに争い血を流すのを我が軍が高みから見物すれば、我々は歴史から永久に指弾され、卑怯者の烙印を押されて、この出兵の意義も正当性も失うことになるでしょう。ですから、リヒテンシュタイン殿と降伏した兵たちには、要塞に残っていただきたいのです」
クイーンは明言しなかったが、いまひとつの隠された理由としては、戦意も士気も能力も不透明な降伏部隊を戦場で使うことに抵抗があったのであろう。リヒテンシュタインが指揮するのは第四軍と第七軍の混成部隊であり、教国軍とともに帝国軍、つまり昨日までの同胞であり僚友である連中と戦うことにどれだけ積極的になれるのか、命さえ賭してまで戦ってくれるのかは予見しがたい。そのような部隊を遠征軍に加えるより、純粋な教国軍だけで編成した方が、はるかに動きやすいし、戦いやすい。
クイーンの内心はどうあれ、感激屋のリヒテンシュタインは涙を流し、恩情に感謝した。その滑稽とさえ言える姿に、諸将も理性の部分ではともかく、感情の部分では一定の納得感を得た。これほどうまくクイーンに丸め込まれ、手懐けられている男が、再びの裏切りを企図するとも思えない。
そのため、当面の戦場となるであろうモハーベ街道とダンツィヒ街道の交点を包含するエーデル地方一帯に展開した教国軍は、第一師団、第二師団、第三師団、遊撃旅団、突撃旅団、そして本営の近衛兵団となっている。
例によって情報収集に時間を費やすうち、西の帝都方面からベーム中将の率いる帝国軍が迫った。
「来ましたか。レイナート将軍、どう思われます。ベーム中将はメッサーシュミット将軍亡きのち、帝国軍における最高の良将であるとかつて称賛されていましたが」
「恐らく、彼が率いているのは帝国軍における最後の機動戦力でしょう。これを撃滅できれば帝国もいよいよその軍事力を失い、降伏も間近であると言えます。ただここは、その誘惑にあえて耐えることが肝要かと」
「続けてください」
「申し上げたようにベーム中将は名将です。彼の指揮下にあれば、烏合の衆も実力以上の力を発揮するかもしれません。窮鼠猫を噛むの喩えもあります。よくよくご深慮あって、真正面からぶつかることは避けられた方がよいかと」
「リヒテンシュタイン中将の件を伝え、彼にも降伏を勧めるのはどうでしょうか」
「率直に申し上げて、あまり効果があるとも思えません。リヒテンシュタイン中将には心に迷いがあり、いくつかの偶然や幸運も味方して、降伏に至ったと推察します」
「えぇ、彼の降伏は確信があったわけではなく、実のところ思わぬ僥倖ではありました」
「ベーム中将には迷いはありません。心に揺らぎがなく、まさに堅忍不抜の精神を持った将帥です。僚友が降伏したからといって、そのことに影響を受けるとは」
「思われませんか」
それほどの人物ならばなおさら惜しいですね、とクイーンは半ばひとりごちるように口にした。指揮官として、あるいは君主としては矛盾する感情であろうが、クイーンはしばしば有能な敵将を貴重に思い、慕うところがある。それはまずは敬愛であり、もしかしたら友情もあるかもしれない。互いに尊敬できる敵将にめぐり会うことは、指揮官にとって特別な喜びがあるのだろう。そしてクイーンの場合、最終的にはそれらすべてを味方につけたいと思っている。
だがレイナートの言った通り、ベーム中将はリヒテンシュタインと違って降伏勧告ごときでわずかでも揺さぶられるような人物ではない。
「一戦、交えるしかありませんね」
諸将には、クイーンのその決意さえ聞けばそれだけでよい。彼らにとっては不思議なことではあるが、戦いを通じて、彼らはクイーンと心を通わせているという実感が得られている。クイーンが常に彼らを信頼し、意図を伝えている、そうした習慣の連続が、諸将をしてより意思疎通を容易ならしめているようにも思える。
そのなかでも、ドン・ジョヴァンニ将軍だけが、やや不機嫌そうに不平を述べた。
「しかし、合衆国軍の動きの鈍さはちぃとばかし不審ですな。本来ならとっくに帝国との国境を侵し、第六軍を蹴散らしてここいらで合流していてもよさそうなもんだ」
「偵察は派遣していますが、両軍はまだ国境線を挟んで睨み合ったままのようです」
「まさか、奴ら漁夫の利を狙っているわけではないと思うが」
「漁夫の利だと。それはつまり、教国軍と帝国軍が傷つけ合うのを安全な場所から見守り、あとからのこのこ出てきて勝利の果実のみを貪る気か」
ドン・ジョヴァンニの疑惑にたちまち激昂したのは、突撃旅団のコクトー将軍である。彼はナッツァの会戦で多くの部下を失っている。国境線上でお茶を濁しつつ模様眺めに明け暮れ、両軍が傷つき弱ったところをあとから合衆国軍が勝ちをさらっていくとなれば、彼が怒り出すのも無理はない。
レイナート将軍が、鎮静剤の役を務めた。
「今はまだはっきりとしたことが分からない以上、むやみな憶測は控えた方がよいでしょう。ただ、事情はどうあれ合衆国軍の動きが鈍いのは事実。我々は遠征の身で、補給には常に不安がありますから、あまり悠長にも構えていられません。少々、強引とは思いますが、合衆国軍については念頭から外され、作戦を立てられては」
「ごもっともです。理想は合衆国軍と連携して、数的な優位をさらに強化したいところではありますが、諸般の状況からすれば単独で戦うのもやむを得ないでしょうね」
クイーンは、あまり気乗りしない様子であった。ナッツァの会戦の結果、彼我の兵力的な優劣は逆転したが、ベーム中将が指揮をとる以上、数を減らしたとは言えあるいはナッツァのときよりも困難な戦いになるかもしれない。合衆国軍が合流すれば戦力の面で敵を圧倒できるが、友軍の動きはクイーンはじめ諸将の予測や期待をはるかに下回る鈍さ、遅さであった。ドン・ジョヴァンニが疑ったように、教国軍と帝国軍が互いに消耗するのを待っているという可能性もあるが、もしかすると意志の問題ではなく能力の問題かもしれない。それはそれで深刻であり、例えば補給の状態が悪い、士気が低い、単に指揮官が無能であるなど、友軍として恃むに足りない状態なのかもしれない。
それだけではない。本国を進発して以来、カスティーリャ要塞やベルヴェデーレ要塞で休養を挟んではいるものの、兵の疲労は少しずつ蓄積しつつある。なまじ敵地に深く入れば入るほど、遠征軍は補給、情報、風土、そして兵卒らの望郷の念といった要素で脆く、不安定になるものである。この状態で万が一でも大敗を喫すれば、作戦は瓦解し、本国への撤退さえ危うくなる。無理な戦いは禁物、ということである。
しかし、とは言っても慎重を期して消極的な姿勢に移行した場合、戦争自体が長期化して、かえって双方の消耗が大きくなることも考えられる。例えばヘルムス総統は大都市における物資や人員の強制的な補充を命令したが、今後はその施策を地方に拡大し、あるいは負担を強めるなどして、戦局の挽回を目指すかもしれない。教国としては受けて立たざるを得ず、そうなっては帝国の人的物的資源のすべてが消失するまで、戦争が泥沼化することもありうる。
クイーンとしてはその方がむしろ危険性が高い。
「先ほど、レイナート将軍がベーム中将とは正面から事を構えるべきではないと意見され、私も大筋で同意しますが、戦局の膠着化は長期的に両国の利益に反します。むしろここは再びの決戦を行い、帝国軍の機動戦力を粉砕し、帝国を早期降伏へと追い込むべきと考えます。そのため、現有戦力をもってモハーベ街道とダンツィヒ街道の交点、エーデルの宿駅を背にして予定戦場とし、陣営を築造しつつ帝国軍の到来を待ちます。反対意見の方はいらっしゃいますか」
ぐるりと見回した先に、反論を含んだ表情は見当たらなかった。
ただ一点、レイナート将軍が注意を喚起した。
「僭越ではございますが、ミュンスター地方に駐屯する第六軍の動きには、ご注意を欠かさぬようにするがよろしいかと。帝国軍主力と交戦中、万一にも背後を第六軍に急襲されたら、致命的な事態になります」
「ありがとうございます。将軍のご忠告に従います」
かくして、両軍はエーデル地方を主戦場として、再びの決戦に臨むこととなった。戦争の早期決着を目指し士気上がる教国軍と、決死の覚悟で窮鼠と化した帝国軍。前者はこれを最後の戦いに、後者は次につなげるための戦いにしたいと願っている。
この戦いが歴史のなかでどのような意味づけや位置づけがされるのか、この時点で知る者はいなかったが、いずれにしても双方にとって正念場と言うべき戦いであるのは確かであった。
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