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第21章 帝国領攻略作戦
第21章-③ 志は同じくすれども
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帝国国防軍第六軍司令官シュマイザー中将と、合衆国軍第三方面軍司令官マクブライド中将。
奇妙な縁と言っていい。
帝国と合衆国はかねてより折り合いが悪く、特にヘルムス総統が権力を掌握し、旧コーンウォリス公国を併合しさらに同盟に対して圧力を強めるなど、帝国の対外政策が強硬の度を増すにつれ、隣接する合衆国も当然ながらそれに対する批判と警戒を強めざるをえず、両国の緊張は高まっている。ことに同盟の主流派と王国が本格的に開戦し、合衆国が教国とともに紛争に介入することを決定し、その後、帝国軍が遠征途上の教国軍を襲撃するに至って、両国は正式な宣戦も戦場での武力衝突も起こっていないながら、事実上の戦争状態に入っている。実際の戦闘が交えられていないのは、どちらも攻勢に出る決め手を欠く上に、他戦線に注力すべき必要があったからであり、いま一つの理由としては両国の国境を守る上述の二将がともに軽挙を固く戒め、偶発的な小競り合いが本格的な開戦に発展する機会を与えぬよう徹底していたからということもある。
彼らは、国境線を挟んで相対しているという点で潜在的に敵同士であるが、友人としての側面もあった。
帝国首都ヴェルダンディと合衆国南西部に位置する城塞都市オリスカニーを結ぶ街道をモハーベ街道と称する。この街道上、国境線近くに堅固な陣地を築造して互いに一個師団規模の軍を配備して防衛させており、両軍の司令官は誤って戦闘状態に入らぬよう、必要な範囲で連絡を交わしていた。
当初はごく儀礼的なやりとりであったのが、次第に私的な内容が増え、任務を超えた交流に発展した。特に帝国が教国と戦争状態に入ってからは、遅かれ早かれ両国も開戦することになると考えられ、その点について互いに憂慮の念を述べるなど、彼らはひそかに敵将への尊敬と親愛の気持ちを持っている。
顔を合わせたことは一度もないが、ある種の友情が、この国境線上には存在しているのであった。
ただ、その友情が引き裂かれる日は近い。
帝国側のシュマイザー中将は、この年55歳で、帝国軍の実戦指揮官のなかでは最年長である。彼もメッサーシュミット将軍の育てた主要な将帥の一人であり、リヒテンシュタインやツヴァイクといった同僚たちからはいわば兄貴分のように慕われている。良将の誉れ高く、それゆえに対合衆国戦線のおさえとして帝国北東部のミュンスター地方を預かっている。この方面を合衆国軍に突破されたら、帝都ヴェルダンディまではわずかに5日ほどの距離である。合衆国とは正式に開戦していないとは言え、この戦線にまとまった戦力と信頼できる指揮官は欠かせない。そして目下、帝国の軍司令官のなかでヘルムス総統から最も信任されているのが、このシュマイザー中将なのである。
彼はデュッセルドルフにおける教国軍への奇襲について報告を受けた直後から、合衆国方面の密偵を増員した。合衆国軍は主力を同盟領内に派遣しており、帝国領への作戦発動の前兆はつかめなかったが、ミネルヴァ暦1397年11月頃になると、合衆国領内で活発な軍の移動が確認されるようになった。
「いよいよ、開戦となるか」
シュマイザーの心境は沈鬱である。合衆国軍は同盟のラドワーン政権崩壊に伴って本国へと撤退し、しばらくは次期作戦の準備段階にあった。大規模な軍の移動は、その準備が本格化し、近いうちに作戦行動が開始されることを示唆している。
「いかがされますか」
傍らで渋い表情を浮かべつつ尋ねるのは、参謀長であるウェーバー少将である。こちらはまだ41歳と若く、アッシュの髪と、それよりやや薄い色彩の瞳を持っている。彼は長く独身であったが、昨年、縁があって上官であるシュマイザーの娘を妻としている。要するに、彼らは義理の父子ということにもなる。
「どうするもこうするも、我らの任務はただ一つ。たとえ野の屍となろうとも、帝国の喉元とも言えるこのミュンスター地方を守りきる」
「はい」
「というのが本国から与えられた役割だが、さてどうしたものかな。この地に築いた城砦《じょうさい》はそれなりに堅固だが、同盟に振り向けられていた合衆国軍が配置転換して国境線へと殺到すれば、我らの3倍ないし4倍ほどの兵力はあるだろう。むしろ帝都を守るシェラン川までしりぞいて、最後の決戦に望みを託すべきか」
「しかし、帝国領の大半を敵に奪われ、なお決戦を挑むだけの兵力と物資、士気を維持できるかどうか」
「難しいところだな」
シュマイザーとしては、義理の息子でもある参謀長との会話に鋭気と覇気を欠いている自覚があり、その点に歯がゆさと不快さを感じてもいる。本来、彼は冷静かつ慎重な性格ではありながら、いざ戦場に立てば、猛将で知られるリヒテンシュタインにも劣らないほどの積極性に富んだ野戦指揮官として評価されていた。
が、メッサーシュミット将軍の訃報を聞いて以来、にわかに気分が沈み、以前ほど勝利を貪欲に追求できなくなっている。さらに言えば、メッサーシュミット将軍なくしてこの戦争に勝利できるのか、深刻極まる疑問に直面していた。ヘルムス総統は野心の赴くままに開戦に踏み切ったようだが、教国と合衆国を同時に敵に回して、勝利はおろか、ひょっとすると国土の防衛も危ういのではないか。
数日して、ウェーバー参謀長がとある親書を帝国の連絡将校を装った者から受け取った。
彼は内密に、その親書をシュマイザーに手渡した。
「教国第三師団長ルーカス・レイナート将軍。聞いたことのある名だ」
「もとは我が国に生まれ、軍に在籍し若くして中佐の階級を得ておりましたが、教国に亡命を。現在は教国軍の一手の将であり、デュッセルドルフでは第八軍司令官のベルガー中将を討ち取り、キティホークでもツヴァイク中将と互角に渡り合ったほどの男です」
「この親書は、私ではなく君に宛てているようだが」
「レイナートとは、浅からぬ因縁がございます。私の妹は、彼と親密でした。互いに将来を誓うほどに想っていたようですが、彼は妹を捨て、教国へと走ったのです」
「なるほど、君が以前に妹を亡くされていることは聞いていたが、それで」
「はい。妹は恋人に捨てられ、また亡命者の恋人であることを苦に自殺しました。彼は妹よりも、自らの志を選んだ、薄情な男です」
「逆に言えば、彼はそれほどの大志を抱いていると」
「はい、そう思います」
ウェーバーのレイナートに対する評価は、複雑らしい。シュマイザーは丁寧な筆跡で書かれたその文章に目を通した。
「ルドルフ・ウェーバー少将へ。久しく便りを欠いていたこと、どうか許されたい。クララの件については、謹んでお悔やみを申し述べたい。将来を約束したクララを祖国に残し逃れるは、まさに断腸の思いであった。ともに教国へ亡命すると言って聞かぬ彼女をなだめ、単身で国を抜けたことが、今となっては悔やまれる。しかしそれも、私が真に愛する母国を救うためであった。貴殿も、今の帝国の体制、すなわちヘルムス総統による独裁体制に憂いを抱えておられることと存ずる。現体制によって、確かに軍は強化され、国家は統制され、一見して国が強くなったかのように見える。だが民衆は貧しく、ただひたすらに収奪され、搾取されるだけの存在となっている。民衆の犠牲の上に成立する政権が、かつて衰えなかったためしはない。今まさに、歴史によって導かれたその真理が再び証明されようとしている。我が教国と合衆国は近く、相呼応して南北より帝国領攻略作戦を開始する。すなわち、ヘルムス政権が崩壊する日は近い。我が主君であるクイーン・エスメラルダは、平和を願い、戦争の早期終結を目指している。可能な限り両国の犠牲を少なくして、戦いを終わらせるために戦おうとされている。シュマイザー閣下の守られるミュンスター戦線には、遠からず合衆国軍の大軍が押し寄せる。シュマイザー閣下並びにウェーバー少将に、帝国の未来を救う志あらば、我が連合軍に呼応され、ともにヘルムス政権を打倒し、帝国に平和と豊かさをもたらすことを切に望む。しからば、我が素志は達せられ、クララの魂も慰めを得ることができよう。我らは同じ志を抱き、ゆえに同じ道を歩むことができるはずだ」
「参謀長、どう思う。どのような発言でも、君を罰することはしない。思うままに述べたまえ」
あえてそのような表現で意見を求めたのは、シュマイザー自身、この手紙の内容に何か感ずるところがあったのであろう。そして生じた迷いなりわだかまりなりを、参謀長で義理の息子であるウェーバーの言葉によって、整理の糸口を見出したかったのに違いない。
ウェーバーは、自他ともに認める正義漢である。正しさこそが、彼にとっての唯一絶対と言ってもいい価値基準であった。だが正しさというのは往々にして複数併存しうる。今回の場合、彼にとって説得力を有する正義は二つあった。
国に対し、そして総統に対して変わらぬ絶対の忠誠を尽くし、持ち場を死守すること。これこそは、騎士道精神の精華と言えるだろう。
そしてもう一つは、国と民衆の行く末を思い、教国軍及び合衆国軍に降伏すること。ヘルムス政権による民衆統制は、軍人とは民間人を守ることが使命であると考えるウェーバーのような男にとって、納得しがたいところが多々ある。たとえ一時的に他国の占領下に置かれようとも、このまま戦争のためすべての人民、すべての物資が消費され尽くして、国土が壊滅的な荒廃に陥れば、この国は歴史から永久に消滅するかもしれない。むしろ敗戦という結果で早期に戦争を終結させ、将来に国力を温存するべきではないのか。穏健な外交政策と統治方針で知られる教国、合衆国に降伏すれば、よもやむやみに帝国の人民を虐げることはしないであろう。
彼は双方の正しさのなかで揺れ動く自らの考えを、率直に告げた。シュマイザーは彼にとって尊敬する上官だが、義理の父で骨肉の情もある。このような状況で、自らを偽るべきではないと思った。
シュマイザーは、理解を示すように何度か頷き、だが口ではまったく違う感想を述べた。
「このレイナートという男、人物のようではあるがまだまだ、若いな」
「とおっしゃいますと?」
「この部分だ。我らは同じ志を抱き、ゆえに同じ道を歩むことができるはずだ、とある。まったくその通りだが、年をとると、そのように単純明快には生きられなくてな」
「お聞かせください」
「守りに入る、というかな。若い者はこれからなにかをつくり上げ、自分の名をどのような文言で装飾させるか、自らの力と意志に応じて決めることができる。たが年寄りはどうしても、今まで築いたものを守ることばかり考えてしまうものでな」
「しかし人は、たとえ老境に達しても志を変え、仰ぐ旗を変えることができます。そのような例も、青史にはあるかと」
言いつつウェーバーは、まるで自分が上官に降伏なり内応なり、勧めているかのような自分の論調に驚いた。上官は、心ではレイナートの正しさと志を認めつつ、いかに状況が悪くなったからといって一戦もせずに降るのは、その輝かしいほどの勇名に傷をつける、老人にはそれが怖い、と言っているのである。
その意味では、確かにレイナートもウェーバーもまだ若かった。
シュマイザーはなお躊躇した。彼の決断がかたちとなって戦場に表出するのは、まだ先のことである。
奇妙な縁と言っていい。
帝国と合衆国はかねてより折り合いが悪く、特にヘルムス総統が権力を掌握し、旧コーンウォリス公国を併合しさらに同盟に対して圧力を強めるなど、帝国の対外政策が強硬の度を増すにつれ、隣接する合衆国も当然ながらそれに対する批判と警戒を強めざるをえず、両国の緊張は高まっている。ことに同盟の主流派と王国が本格的に開戦し、合衆国が教国とともに紛争に介入することを決定し、その後、帝国軍が遠征途上の教国軍を襲撃するに至って、両国は正式な宣戦も戦場での武力衝突も起こっていないながら、事実上の戦争状態に入っている。実際の戦闘が交えられていないのは、どちらも攻勢に出る決め手を欠く上に、他戦線に注力すべき必要があったからであり、いま一つの理由としては両国の国境を守る上述の二将がともに軽挙を固く戒め、偶発的な小競り合いが本格的な開戦に発展する機会を与えぬよう徹底していたからということもある。
彼らは、国境線を挟んで相対しているという点で潜在的に敵同士であるが、友人としての側面もあった。
帝国首都ヴェルダンディと合衆国南西部に位置する城塞都市オリスカニーを結ぶ街道をモハーベ街道と称する。この街道上、国境線近くに堅固な陣地を築造して互いに一個師団規模の軍を配備して防衛させており、両軍の司令官は誤って戦闘状態に入らぬよう、必要な範囲で連絡を交わしていた。
当初はごく儀礼的なやりとりであったのが、次第に私的な内容が増え、任務を超えた交流に発展した。特に帝国が教国と戦争状態に入ってからは、遅かれ早かれ両国も開戦することになると考えられ、その点について互いに憂慮の念を述べるなど、彼らはひそかに敵将への尊敬と親愛の気持ちを持っている。
顔を合わせたことは一度もないが、ある種の友情が、この国境線上には存在しているのであった。
ただ、その友情が引き裂かれる日は近い。
帝国側のシュマイザー中将は、この年55歳で、帝国軍の実戦指揮官のなかでは最年長である。彼もメッサーシュミット将軍の育てた主要な将帥の一人であり、リヒテンシュタインやツヴァイクといった同僚たちからはいわば兄貴分のように慕われている。良将の誉れ高く、それゆえに対合衆国戦線のおさえとして帝国北東部のミュンスター地方を預かっている。この方面を合衆国軍に突破されたら、帝都ヴェルダンディまではわずかに5日ほどの距離である。合衆国とは正式に開戦していないとは言え、この戦線にまとまった戦力と信頼できる指揮官は欠かせない。そして目下、帝国の軍司令官のなかでヘルムス総統から最も信任されているのが、このシュマイザー中将なのである。
彼はデュッセルドルフにおける教国軍への奇襲について報告を受けた直後から、合衆国方面の密偵を増員した。合衆国軍は主力を同盟領内に派遣しており、帝国領への作戦発動の前兆はつかめなかったが、ミネルヴァ暦1397年11月頃になると、合衆国領内で活発な軍の移動が確認されるようになった。
「いよいよ、開戦となるか」
シュマイザーの心境は沈鬱である。合衆国軍は同盟のラドワーン政権崩壊に伴って本国へと撤退し、しばらくは次期作戦の準備段階にあった。大規模な軍の移動は、その準備が本格化し、近いうちに作戦行動が開始されることを示唆している。
「いかがされますか」
傍らで渋い表情を浮かべつつ尋ねるのは、参謀長であるウェーバー少将である。こちらはまだ41歳と若く、アッシュの髪と、それよりやや薄い色彩の瞳を持っている。彼は長く独身であったが、昨年、縁があって上官であるシュマイザーの娘を妻としている。要するに、彼らは義理の父子ということにもなる。
「どうするもこうするも、我らの任務はただ一つ。たとえ野の屍となろうとも、帝国の喉元とも言えるこのミュンスター地方を守りきる」
「はい」
「というのが本国から与えられた役割だが、さてどうしたものかな。この地に築いた城砦《じょうさい》はそれなりに堅固だが、同盟に振り向けられていた合衆国軍が配置転換して国境線へと殺到すれば、我らの3倍ないし4倍ほどの兵力はあるだろう。むしろ帝都を守るシェラン川までしりぞいて、最後の決戦に望みを託すべきか」
「しかし、帝国領の大半を敵に奪われ、なお決戦を挑むだけの兵力と物資、士気を維持できるかどうか」
「難しいところだな」
シュマイザーとしては、義理の息子でもある参謀長との会話に鋭気と覇気を欠いている自覚があり、その点に歯がゆさと不快さを感じてもいる。本来、彼は冷静かつ慎重な性格ではありながら、いざ戦場に立てば、猛将で知られるリヒテンシュタインにも劣らないほどの積極性に富んだ野戦指揮官として評価されていた。
が、メッサーシュミット将軍の訃報を聞いて以来、にわかに気分が沈み、以前ほど勝利を貪欲に追求できなくなっている。さらに言えば、メッサーシュミット将軍なくしてこの戦争に勝利できるのか、深刻極まる疑問に直面していた。ヘルムス総統は野心の赴くままに開戦に踏み切ったようだが、教国と合衆国を同時に敵に回して、勝利はおろか、ひょっとすると国土の防衛も危ういのではないか。
数日して、ウェーバー参謀長がとある親書を帝国の連絡将校を装った者から受け取った。
彼は内密に、その親書をシュマイザーに手渡した。
「教国第三師団長ルーカス・レイナート将軍。聞いたことのある名だ」
「もとは我が国に生まれ、軍に在籍し若くして中佐の階級を得ておりましたが、教国に亡命を。現在は教国軍の一手の将であり、デュッセルドルフでは第八軍司令官のベルガー中将を討ち取り、キティホークでもツヴァイク中将と互角に渡り合ったほどの男です」
「この親書は、私ではなく君に宛てているようだが」
「レイナートとは、浅からぬ因縁がございます。私の妹は、彼と親密でした。互いに将来を誓うほどに想っていたようですが、彼は妹を捨て、教国へと走ったのです」
「なるほど、君が以前に妹を亡くされていることは聞いていたが、それで」
「はい。妹は恋人に捨てられ、また亡命者の恋人であることを苦に自殺しました。彼は妹よりも、自らの志を選んだ、薄情な男です」
「逆に言えば、彼はそれほどの大志を抱いていると」
「はい、そう思います」
ウェーバーのレイナートに対する評価は、複雑らしい。シュマイザーは丁寧な筆跡で書かれたその文章に目を通した。
「ルドルフ・ウェーバー少将へ。久しく便りを欠いていたこと、どうか許されたい。クララの件については、謹んでお悔やみを申し述べたい。将来を約束したクララを祖国に残し逃れるは、まさに断腸の思いであった。ともに教国へ亡命すると言って聞かぬ彼女をなだめ、単身で国を抜けたことが、今となっては悔やまれる。しかしそれも、私が真に愛する母国を救うためであった。貴殿も、今の帝国の体制、すなわちヘルムス総統による独裁体制に憂いを抱えておられることと存ずる。現体制によって、確かに軍は強化され、国家は統制され、一見して国が強くなったかのように見える。だが民衆は貧しく、ただひたすらに収奪され、搾取されるだけの存在となっている。民衆の犠牲の上に成立する政権が、かつて衰えなかったためしはない。今まさに、歴史によって導かれたその真理が再び証明されようとしている。我が教国と合衆国は近く、相呼応して南北より帝国領攻略作戦を開始する。すなわち、ヘルムス政権が崩壊する日は近い。我が主君であるクイーン・エスメラルダは、平和を願い、戦争の早期終結を目指している。可能な限り両国の犠牲を少なくして、戦いを終わらせるために戦おうとされている。シュマイザー閣下の守られるミュンスター戦線には、遠からず合衆国軍の大軍が押し寄せる。シュマイザー閣下並びにウェーバー少将に、帝国の未来を救う志あらば、我が連合軍に呼応され、ともにヘルムス政権を打倒し、帝国に平和と豊かさをもたらすことを切に望む。しからば、我が素志は達せられ、クララの魂も慰めを得ることができよう。我らは同じ志を抱き、ゆえに同じ道を歩むことができるはずだ」
「参謀長、どう思う。どのような発言でも、君を罰することはしない。思うままに述べたまえ」
あえてそのような表現で意見を求めたのは、シュマイザー自身、この手紙の内容に何か感ずるところがあったのであろう。そして生じた迷いなりわだかまりなりを、参謀長で義理の息子であるウェーバーの言葉によって、整理の糸口を見出したかったのに違いない。
ウェーバーは、自他ともに認める正義漢である。正しさこそが、彼にとっての唯一絶対と言ってもいい価値基準であった。だが正しさというのは往々にして複数併存しうる。今回の場合、彼にとって説得力を有する正義は二つあった。
国に対し、そして総統に対して変わらぬ絶対の忠誠を尽くし、持ち場を死守すること。これこそは、騎士道精神の精華と言えるだろう。
そしてもう一つは、国と民衆の行く末を思い、教国軍及び合衆国軍に降伏すること。ヘルムス政権による民衆統制は、軍人とは民間人を守ることが使命であると考えるウェーバーのような男にとって、納得しがたいところが多々ある。たとえ一時的に他国の占領下に置かれようとも、このまま戦争のためすべての人民、すべての物資が消費され尽くして、国土が壊滅的な荒廃に陥れば、この国は歴史から永久に消滅するかもしれない。むしろ敗戦という結果で早期に戦争を終結させ、将来に国力を温存するべきではないのか。穏健な外交政策と統治方針で知られる教国、合衆国に降伏すれば、よもやむやみに帝国の人民を虐げることはしないであろう。
彼は双方の正しさのなかで揺れ動く自らの考えを、率直に告げた。シュマイザーは彼にとって尊敬する上官だが、義理の父で骨肉の情もある。このような状況で、自らを偽るべきではないと思った。
シュマイザーは、理解を示すように何度か頷き、だが口ではまったく違う感想を述べた。
「このレイナートという男、人物のようではあるがまだまだ、若いな」
「とおっしゃいますと?」
「この部分だ。我らは同じ志を抱き、ゆえに同じ道を歩むことができるはずだ、とある。まったくその通りだが、年をとると、そのように単純明快には生きられなくてな」
「お聞かせください」
「守りに入る、というかな。若い者はこれからなにかをつくり上げ、自分の名をどのような文言で装飾させるか、自らの力と意志に応じて決めることができる。たが年寄りはどうしても、今まで築いたものを守ることばかり考えてしまうものでな」
「しかし人は、たとえ老境に達しても志を変え、仰ぐ旗を変えることができます。そのような例も、青史にはあるかと」
言いつつウェーバーは、まるで自分が上官に降伏なり内応なり、勧めているかのような自分の論調に驚いた。上官は、心ではレイナートの正しさと志を認めつつ、いかに状況が悪くなったからといって一戦もせずに降るのは、その輝かしいほどの勇名に傷をつける、老人にはそれが怖い、と言っているのである。
その意味では、確かにレイナートもウェーバーもまだ若かった。
シュマイザーはなお躊躇した。彼の決断がかたちとなって戦場に表出するのは、まだ先のことである。
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