ミネルヴァ大陸戦記

一条 千種

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第20章 アマギの里 後編

第20章-③ 忌まわしき里

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 サミュエルは朝、術者レティの思念を受け継ぎ、その後は疲労甚だしく、夜が深まる頃まで一度も起きなかった。
 彼が起きたのは、ちょうどミコトが眠ろうという時分である。
「サミュエルさん、目が覚めましたか」
「ミコトさん」
「よく眠ってましたね。よほど疲れたのでしょう」
「ずっと、ついていてくれたのですか?」
「一人にはしておけませんから」
「どれくらい眠っていたのでしょう」
「半日ですよ。もう、夜もけてきました」
「確かに、誰も起きてはいないようですね」
 サミュエルは全盲で、目には常にさらしを巻いているから見えていないはずだが、音や空気の流れで、周囲の様子はある程度分かる。それならば常人とさほど異ならないが、光の術により、視覚に頼ることなく、方向感覚や、建物の構造、人や物の位置、動きなどを察知することができる。実は杖などなくても、彼は歩くのに大きな支障はないのだ。だが杖を持たない盲人が歩行しているのは不審であり、術者と悟られかねないため、彼は常に杖を携行しているし、王国ではミコトやアオバに手を引かれて歩くことが多い。
 ミコトとサミュエルには、一昨日までは監視の人数がぴたりと周囲についていたのだが、昨日の夜からその気配もない。だだっ広い部屋に、二人の話す声だけが響いた。
「昼、ミナヅキ殿と話しました。重要なことですので、明日、また二人で会いに行きましょう」
「分かりました」
「それで、いかがでしょうか。思念が強まった実感はありますか?」
「はい、そう思います。以前と同じくらいには戻ったような気がします。ただ、まだ気怠けだるい感じがありますが」
「私では気づかないことが多くて、何か不都合があれば、なんでも言ってくださいね。アオバがいれば私よりよほど気が利くのですが、一昨日の朝から姿が見えなくて」
「アオバさんなら」
 少しの沈黙のあと、サミュエルはまるで袋の中の石を探り当てるような容易さで、彼女が同じ頭領屋敷の一室にいることを予言した。
 そうなると、ミコトとしてはサミュエルの言うことが本当なのか、確かめたくなる。
「なぜ、分かるのです」
「思念を追えば、その人の居場所が分かります。距離や思念の交流の具合にもよりますが、アオバさんは手に触れたことがあるので、近くにいればすぐに見つけられます」
「なんだか、犬みたい」
 くすくす、とふたりは笑った。思えば、これほど自然に、穏やかに笑い合ったのは、これが初めてだったかもしれない。
「アオバを起こしては悪いけど、確かめに行ってみましょう」
「分かりました。こちらの廊下を右です」
 冬場の真夜中、庭では虫も鳴かない。異様な静けさのなかを、彼女らはしずしずとアオバがいるというその部屋へと向かった。
 廊下を百歩ほど歩いたとき。
 突然、サミュエルがミコトの体を掻き抱くようにして縁側から中庭へとすっ飛んだ。半瞬後、白刃の先端がミコトの首筋があった場所を正確に貫いていた。
 さらに半瞬後、障子が蹴破られ、二の太刀が風を巻いてふたりを襲った。
 同時にミコトは、透明な乳白色の結界に包まれた。結界は、ふたりをすっぽりとその球状の空間に閉じ込めて、あらゆる外部からの干渉を遮断している。
 ミコトは、危うく殺されかかったことよりも、そのふわふわとした奇妙な感覚に、ただ呆然とするほかなかった。
「なるほど。結界、か」
 ミナヅキの声である。光の結界に包まれたその外側を、まぶしさに耐えながら見据えると、徐々に人のかたちがあらわになる。
「ミナヅキ殿」
「夜、私の部屋に近づく者は誰もおらぬゆえ、気づくべきであったが、つい体が反応した」
 利き手に刀を持ち、その視線の先には物打ちから先が無残に折れて転がっている。
「この童子切どうじぎりは鬼を殺し、岩をも両断するという名刀だったが、術者の結界にはかなわぬか。残念なことだな」
 ミコトはしかし、次の瞬間に愕然としたのは、結界が解かれたその先、蹴破られた障子の向こうに、アオバの姿を認めたことであった。しかも、衣類を一切身に着けず、裸体を寝具で隠している。
 なぜ、娘であるアオバが、父の寝具に裸でもぐり込んでいるのであろう。
「アオバ」
 と、声をかけようとして、機先を制するようにして、ミナヅキがやや大げさなほどに人を呼んだ。
「ウラカゼよ、客人を案内せよ。それと新しい障子を持て」
 すぐに、廊下の奥で影が動いた。
「さて、客人方よ。ここは家人かじんのみ立ち入りを許されておってな。与えた部屋に戻ってもらおう」
 ミコトとサミュエルは、得体の知れぬ影に押されるようにして、あてがわれた部屋に戻った。だが、ミコトの不審と疑惑は晴れるどころか、不快感を催すほどに強まるばかりであった。
 翌日。
 ミコトがサミュエルを連れ頭領屋敷を出ると、案の定、マヤが近づいてきた。
「お二人さん、おはようさんでござんす!」
「マヤさん、今日はあなたにお聞きしたいことがあります」
「ありゃ、このマヤめを頼っていただけるとは望外の喜び。なんでも答えるでござる!」
「ミナヅキ殿と、アオバのことです」
「むむ、頭領とアオバのこと?」
「あの二人は、どのような関係でしょうか」
「ははぁ、なんと答えればいいのか」
「ありのままを答えてください」
「ありのまま、というと、例えば惣領のワカバさんは、アオバと頭領の息子、ってことかな?」
 (やはり)
 ミコトは暗然とした気分に陥り、うつむいてため息を漏らした。昨日のあの光景は見間違いではなく、ミコトの想像も見当違いではなかったということだ。アオバは、父であるミナヅキと父娘の関係でありながら、男女の仲でもある。
 これがいかに異常なことであるかは、王国のなかでも最上流階級である十常侍じゅうじょうじの正統な一門で、知識層でもあるミコトにとっては自明である。近親姦は、少なくとも王国にあっては絶対の禁忌であるはずだ。それは遺伝学的に近親交配が人類社会に致命的な衰退をもたらすからであるが、そのような後世の科学的知識などなくても、人間はその経験則のなかで、近親交配の危険性に気づいていた。ゆえに、人間は遺伝的に近親者との性的接触を嫌うようにできている。この特性がなければ、人類はとうに絶滅していたであろう。
 それほどに、近親姦というのは触れてはならない領域であり、しかも子までなしたとなれば、それは正気の沙汰ではない。
 アオバは、14歳のときにヤノ家に出仕している。それまでに子を産んでいるから、父と事に及んだのは12歳か13歳の頃ということになる。年齢やアオバの性格などを考えれば、これは十中八九、アオバが望んだことではなく、父にいられたのであろう。
 ミコトは、激しい不快感から、めまいと吐き気を覚えた。覚えつつも、さらに尋ねた。
「そのこと、里の方はみな知っているのですか」
「うん、知ってる」
 マヤは何やらばつが悪そうだ。どうも彼女自身が漏らした事実は、外部の人間に知られた場合、あまり都合がよろしくないということを分かっているらしい。
「里の方は、ミナヅキ殿に対してその件で故障を申し立てることはないのですか」
「ないよ。頭領のすることだから、考えがあってのことだって」
「あなたは、幼馴染として、どう思うのですか」
「アタシは、アタシはよく分かんないんだ、難しいことは」
「幼馴染でアオバと親しいのに、助けようとしないのですね」
 軽蔑された、と思ったのであろう、悲しげな表情を浮かべるマヤに冷淡な視線を残して、ミコトは有無を言わせず立ち去った。
 この里の者は、全員が頭領に従っている。頭領を支え、そのもとで結束することが、里を守ることになると信じ込んでいる。その考えは、一面では合理的であろう。だが、だからこそ、アオバの味方は一人もいないのだ。ミナヅキの卑劣な行いを、里の誰もが知りながら、黙して従属し、父娘のあいだに生まれた子を惣領であるとしていただいている。
 ミコトはしばらく歩き、決して人に聞かれぬように注意しながら、サミュエルを振り返り、
「アオバのこと、このまま捨て置くわけにはいきません。ミナヅキ殿には世話になりましたが、たとえ喧嘩けんか別れのようになったとしても、アオバをこの里から連れ出したいと思います」
 一連の事情について、サミュエルも同様に感じていたのか、彼は力強くうなずいた。
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