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第6章 傾国の美女
第6章-⑥ 聖人を害す
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王都トゥムルに帰還したチャン・レアンは即刻、王宮に参内し、皇妃スミンの謁をたまわった。
玉座に皇帝はいない。玉座の隣に、同じ大きさの豪奢な椅子が設けられて、そこにスミンがいる。
彼女は堅苦しい正装に着替えるのが煩わしく、最近では臣下の前で体裁を整えることさえ放棄して、皇妃の座に寝衣のまま、白い脚を組んで行儀悪く座っている。そのしどけない姿に欲情せぬ者とてなく、チャン・レアンもかねてからこの若い国内最高の権力者に対して懸想をしていたので、朝議で凱旋の報告を述べながらも落ち着かない。
ちらちらと、盗むようにスミンを見ている。
彼女は男という生き物の心理や情欲のありかが手に取るように分かるだけに、そうした振舞いが可愛い。その勇猛と暴威は世界に鳴り響いているのに、自分の前ではまるでうぶな子供のようなのである。
しかし、彼女は狼に興味がない。
ほどほどに労って、朝議を打ち切った。
スミンは、軍務はチャン・レアンとトゴン老人に、内政は大臣らにほとんど任せてしまって、皇帝との夜の営みに多くの時間を割いていた。夜、と言っても実際は日がな一日と言ってもよかった。すべては、皇帝の子を孕みたいがためである。
だが彼女がどれほど少年皇帝の精力を絞り取ろうとも、子宝は得られがたい。
疑いがある。
(自分は石女ではないか)
その憂慮は激しく、深刻でもあった。前皇帝のイェスンゲも、今の皇帝も、精気は充分で、子種がないようには思えない。実際、前皇帝のイェスンゲにはこの少年皇帝クウン以外に、さらに二人の男子があった。とすると、自分の器に問題があるのかもしれない。
スミンはここのところ、数百人の僧に祈祷をさせたり、不妊に効のあると伝えられる魚や野菜を取り寄せて食したり、毎日湯浴みをして体が冷えないようにしたりと様々に工夫を凝らしたが、受胎の気配もない。
こればかりは、彼女の術をもってしても効がないのが虚しい。
(あぁ、子を宿したい)
乞食が飢渇を訴えるような思いで、それを思った。
憂いの濃い彼女の花顔雪膚はいよいよ冴えに冴えて、神秘的なほどの色香を放っている。その佇まいにはある種のはかなさがあって、その姿を見た男は誰もがみな、ため息を漏らした。
やがて、旧公国領でウリヤンハタイが挙兵し、交易路を襲撃するなどして跳梁跋扈しているとの報が入り、チャン・レアンは鉄騎を率いて戦地へと向かった。スミンはトゴン老人を手元に留め、密かに自らの悩みを相談した。
「トゴンよ、知恵はないか」
「はて、どのような知恵を絞ればよいでしょう」
特徴のある才槌頭を、その癖で少しく傾けて、トゴン老人は問うた。額と後頭部が異様にせり出して、それが実年齢以上にこの老人を年寄り臭く見せている。
「子が、授からぬ」
「ははぁ、授かりませぬか」
「子を授かる知恵がほしい」
「なかなかに難しいことで」
スミンは、たちまち不機嫌になった。彼女は阻む者のない絶対の権力者で、自らの気分を制御する必要がない。気分を害したら、その気分のままに他者を扱う習慣が身についてしまっている。
「知恵を出せぬのか、私の一番の願いに」
「こればかりは私めの得意な計略でどうにかなるものでもございませぬ」
この役立たずの才槌頭を叩き割ってやりたい、と思った。戦いなどは、たとえ負けても民や兵の補充はいくらでもできる。だが女が子を産める期間は限られている。彼女は、それこそすぐにでも、身ごもる必要があったのだ。戦よりも、彼女の子宮にいかに命を宿らせるか、この老人はその問題にこそ、才知を発揮すべきなのだ。
ぷりぷりと腹を立てていると、老人は出し抜けに声を上げて、妙案を提示した。
「確か、神医と称されるアブドなる者が、この国に入ってきているとか」
「神医か。それほどに腕がよいか」
「まさに神業であるとか。それほどの達者ならば、あるいは男女の事柄についても、何やら特別な心得があるかもしれませぬ」
「その者、探し出して丁重に招くがよい。渋れば金を出せ。それでも不首尾なら縛って引き立ててくるがよい」
「かしこまりました」
50日ほどを、首を長くして待ち、アブドが現れた。非協力的であったためか、両腕を背中でくくられている。茶褐色の顔の中央で、白目ばかりが異様なほどに白く、無我の境地にあるかのように穏やかな表情をしている。
「縄を解きなさい」
スミンが命じると、その通りにされた。
「立たせなさい」
これも命令の通りにされた。
「近くへ」
兵は両脇を抱えるようにしてアブドとともに近づいたが、互いの瞳の色が分かるほどの距離になって、スミンは鋭く叫んだ。
「そこでよい。下がっておれ、客人を残しみな下がるがよい」
兵どもは慌てて退出した。スミンの機嫌を損ねたら、彼らの首は即刻、胴体から離れて、王都トゥムルの通りに晒されるであろう。
神医アブドのみが残った。
(この者、術者か)
強大な思念の持ち主であるスミンには、そのことが明白に感じられる。わずかではあるが、並の人間とは明らかに違う、思念の波が放出されている。
(気づいていないのか)
アブドの目は澄みきっていて、一切の雑念も惑いもないように見受けられた。
気づいていない、とすれば、術者としての素養、能力は、スミンに劣るようだ。スミンはいにしえの術者アルトゥの末裔、術者の正統な血筋と言える。だがこのアブドは、術者の血統ではなく、梟雄セトゥゲルによって導きを受けた者らから分派した、まやかしの術者なのかもしれない。
スミンはしかし、同じ術者の知己を得たと喜ぶ気には到底なれなかった。彼女にとって、術者でない人間の群れに素性を知られるのも恐ろしかったが、同じ術者と接触するのもまた脅威であった。強き者にとって、自分に匹敵する能力を持つ者は、常に恐るべき存在なのである。
表面上、スミンはさあらぬ体で、
「そなたが神医と呼ばれるアブドか」
「過分にも、そのように呼ばれております」
「私は子がほしいが、なかなか懐妊の兆しがない。先生は、その方面の心得はあるか」
「多少はございます。ご夫妻ともに、診察させていただけますか」
「診察はどのような手順ですか」
「まず、脈や体温を拝見します。次いで普段のお暮らしについて伺います。さらに皇帝陛下の精水を拝見し、最後に畏れながら、皇妃陛下の膣を確認いたします。それでおおよそ見当はつくでしょう」
「そうか、そこまでするものなのか」
スミンは当てが外れて、少しばかり機嫌を損ねた。自らの腟内をこの老人に覗かれるのに抵抗があるわけではない。触れられると、アブドにも自らが術者であると、肌の接触を通して露顕|《ろけん》してしまう。
(やむを得ぬか)
術者であると悟られたとして、こちらの方がはるかに思念が強い以上、どうにかなろう、と思った。妙な動きをすれば即座に殺せばよい。
「構わぬ。診察を始めなさい」
「かしこまりました」
アブドはおもむろに皇妃の座に近づき、手首に触れて、おや、と表情をかすかに変えた。静かな声をいっそう低くして、彼は思わぬことを口走った。
「皇妃陛下も、術者でいらしたか。昨年も、思いがけなく術者の方に巡り会ったが」
「なに、私とそなた以外にも術者が?」
「昨年、ロンバルディア教国におりました折に。心の奥深くに眠る思念の強さに、驚いたものでございます」
「いったい誰か」
「名前は忘れてしまいましたが、女王の側近か、客人だったように記憶しております。目の不自由な若者でしたな」
自分と同じように、強い思念を持った術者がいるという事実は、彼女の心を穏やかならざる状態に置いた。
かつて梟雄セトゥゲルが、エルスの姉妹や祖父を自らの覇道の障害と認識したように、彼女にとっても自分以外の術者は目障りなのである。術者は、自分と、これから産まれてくるであろう我が子だけでよい。皇帝の位を我が子に贈り、真の術者の血統が大陸全土を支配することこそ、彼女の大いなる野望なのである。そのほかの術者など、やがて邪魔になるに違いない。
(いずれは滅ぼさねばならぬ)
ロンバルディア教国女王の側近に術者がいる。
スミンはその事実を脳裏に刻み、しかし何はともあれ、今は診察を続けねばならない。
彼女はアブドが先ほど言った通りの順番で、自らと、夫たる皇帝の私生活を赤裸々に伝えた。彼女自身は、重要な政務に決定を下すほかは、子をなすため、一日に何度も後宮へ戻って、皇帝と交わりの機会を持っている。また先頃13歳になったばかりの皇帝クウンは、スミンに子種を提供する以外は常に無気力で、最近は政庁に行く気力もなく、必要性もないために、後宮に引きこもっている。それが、スミンの月経期を除いて毎日続いている。
「はぁ、13歳にして、それほどまでに」
アブドの声色には、羨望の響きは含めれていなかった。むしろ夫婦の営みと呼ぶには過剰に過ぎるその習慣に対して、哀れである、よからぬことだ、といった調子である。
しかし、スミンは歯牙にもかけない。
次に、夫婦ともにその身体や内臓の動き、そして体液に異常がないかを診る。
鈴を鳴らして女官を呼び、皇帝を連れてくるように命じると、彼はすぐに来た。
まず、顔色が明らかにすぐれない。暮らしには困らぬはずであるのに、肋骨が浮き出るほどに痩せて、皮膚に潤いがなく、筋肉も衰え、表情にもまるで生気がない。成長期と言える時期に、度を越した肉欲に溺れた結果であろう。
スミンはアブドに構うこともなく、無言のままおもむろに皇帝の衣服をはだけ、生白い手首を動かして、射精を誘った。呆気ないほどに早く、診察に必要なだけの体液は採れた。特徴的な臭気が漂っている。
体液を丹念に観察し、肉体と内臓の動きを調べ、皇帝は再び後宮へ帰された。
同様に、スミンのことも診察する。一通り診てから、神医アブドは最終的にいくつかの問題点を指摘した。
「まずは皇帝陛下の精水を拝見しましたが、どうやら子種が薄いようでございます。これは畏れながら営みの回数が多すぎるためでしょう。頻度を減らし、体力を充実させて臨めば、かえってご懐妊の希望が増すことでしょう」
「そうか。ほかは問題ないか」
「いまひとつ、さらに重要な問題が」
「申すがよい」
「膣の奥には、頸管と呼ばれる管がございます。皇妃陛下の場合、ここが狭すぎるために、ご懐妊が難しくなっているものかと」
「治せるのか」
「私には難しいことで。何分にも私の専門ではありませぬゆえに」
「そなたも術者だ。術を使って治せばよかろう」
「私は術者としてはもはや枯れ果てております。使うにしても、生死の境をさまよっている若者や子供に使うべきものと決めており」
子を孕むことは、スミンにとって我が野心を達成するための最も重要な階梯である。その階梯を登るにあたって、大きな障害があることを告げられ、しかも術を使っての治療を拒否され、彼女は内心、大いに激昂した。そして腹立ちまぎれに、護身用に携行していた短刀でアブドの首や腹をめった刺しにし、とうとう彼を殺害してしまった。
「役立たずの偽善者め」
神医アブドが、どのような罪科もなく、スミン自身の手で惨殺されたとの知らせは、王国中に広まり、各地へ散らばる旅人や商人の口から植物の胞子のように大陸各地へと伝播した。
アブドは生涯のうちのほとんどを医師として過ごし、救った患者は数知れず、名は大陸全土に知られるほどの名士である。その名声は絶大で、それを殺したスミンはいよいよ悪魔の化身のように人々に印象づけられ、敵意や反感を増幅させることとなった。
スミンは自分が子供を産むのに適さない体である、とのアブドの診断に危機感を強め、皇帝クウンのみならず、その次弟と末弟も寝所に連れ込んで犯すようになった。次弟は12歳、末弟は10歳である。
彼女としては、皇帝の血を持つ者でありさえすれば、誰でもよい、という気でいる。重要なのは自分の血と貴種の血を交配させ、その子に皇帝の座を贈ることであって、それが叶うならば、子種の提供者が性的に成熟していようといまいと、自分との過剰な交わりが原因で健康を害そうと、知ったことではない。現在の皇帝やその親族など、彼女にとっては懐妊という手順を踏むための材料に過ぎないのだ。
人々は誰しも、昼と夜とを問わず、まだ男とも呼べぬ子供を寝所に引き入れ、子種を搾り取るスミンの姿を想像して、ある種の狂気を感じ、戦慄した。
玉座に皇帝はいない。玉座の隣に、同じ大きさの豪奢な椅子が設けられて、そこにスミンがいる。
彼女は堅苦しい正装に着替えるのが煩わしく、最近では臣下の前で体裁を整えることさえ放棄して、皇妃の座に寝衣のまま、白い脚を組んで行儀悪く座っている。そのしどけない姿に欲情せぬ者とてなく、チャン・レアンもかねてからこの若い国内最高の権力者に対して懸想をしていたので、朝議で凱旋の報告を述べながらも落ち着かない。
ちらちらと、盗むようにスミンを見ている。
彼女は男という生き物の心理や情欲のありかが手に取るように分かるだけに、そうした振舞いが可愛い。その勇猛と暴威は世界に鳴り響いているのに、自分の前ではまるでうぶな子供のようなのである。
しかし、彼女は狼に興味がない。
ほどほどに労って、朝議を打ち切った。
スミンは、軍務はチャン・レアンとトゴン老人に、内政は大臣らにほとんど任せてしまって、皇帝との夜の営みに多くの時間を割いていた。夜、と言っても実際は日がな一日と言ってもよかった。すべては、皇帝の子を孕みたいがためである。
だが彼女がどれほど少年皇帝の精力を絞り取ろうとも、子宝は得られがたい。
疑いがある。
(自分は石女ではないか)
その憂慮は激しく、深刻でもあった。前皇帝のイェスンゲも、今の皇帝も、精気は充分で、子種がないようには思えない。実際、前皇帝のイェスンゲにはこの少年皇帝クウン以外に、さらに二人の男子があった。とすると、自分の器に問題があるのかもしれない。
スミンはここのところ、数百人の僧に祈祷をさせたり、不妊に効のあると伝えられる魚や野菜を取り寄せて食したり、毎日湯浴みをして体が冷えないようにしたりと様々に工夫を凝らしたが、受胎の気配もない。
こればかりは、彼女の術をもってしても効がないのが虚しい。
(あぁ、子を宿したい)
乞食が飢渇を訴えるような思いで、それを思った。
憂いの濃い彼女の花顔雪膚はいよいよ冴えに冴えて、神秘的なほどの色香を放っている。その佇まいにはある種のはかなさがあって、その姿を見た男は誰もがみな、ため息を漏らした。
やがて、旧公国領でウリヤンハタイが挙兵し、交易路を襲撃するなどして跳梁跋扈しているとの報が入り、チャン・レアンは鉄騎を率いて戦地へと向かった。スミンはトゴン老人を手元に留め、密かに自らの悩みを相談した。
「トゴンよ、知恵はないか」
「はて、どのような知恵を絞ればよいでしょう」
特徴のある才槌頭を、その癖で少しく傾けて、トゴン老人は問うた。額と後頭部が異様にせり出して、それが実年齢以上にこの老人を年寄り臭く見せている。
「子が、授からぬ」
「ははぁ、授かりませぬか」
「子を授かる知恵がほしい」
「なかなかに難しいことで」
スミンは、たちまち不機嫌になった。彼女は阻む者のない絶対の権力者で、自らの気分を制御する必要がない。気分を害したら、その気分のままに他者を扱う習慣が身についてしまっている。
「知恵を出せぬのか、私の一番の願いに」
「こればかりは私めの得意な計略でどうにかなるものでもございませぬ」
この役立たずの才槌頭を叩き割ってやりたい、と思った。戦いなどは、たとえ負けても民や兵の補充はいくらでもできる。だが女が子を産める期間は限られている。彼女は、それこそすぐにでも、身ごもる必要があったのだ。戦よりも、彼女の子宮にいかに命を宿らせるか、この老人はその問題にこそ、才知を発揮すべきなのだ。
ぷりぷりと腹を立てていると、老人は出し抜けに声を上げて、妙案を提示した。
「確か、神医と称されるアブドなる者が、この国に入ってきているとか」
「神医か。それほどに腕がよいか」
「まさに神業であるとか。それほどの達者ならば、あるいは男女の事柄についても、何やら特別な心得があるかもしれませぬ」
「その者、探し出して丁重に招くがよい。渋れば金を出せ。それでも不首尾なら縛って引き立ててくるがよい」
「かしこまりました」
50日ほどを、首を長くして待ち、アブドが現れた。非協力的であったためか、両腕を背中でくくられている。茶褐色の顔の中央で、白目ばかりが異様なほどに白く、無我の境地にあるかのように穏やかな表情をしている。
「縄を解きなさい」
スミンが命じると、その通りにされた。
「立たせなさい」
これも命令の通りにされた。
「近くへ」
兵は両脇を抱えるようにしてアブドとともに近づいたが、互いの瞳の色が分かるほどの距離になって、スミンは鋭く叫んだ。
「そこでよい。下がっておれ、客人を残しみな下がるがよい」
兵どもは慌てて退出した。スミンの機嫌を損ねたら、彼らの首は即刻、胴体から離れて、王都トゥムルの通りに晒されるであろう。
神医アブドのみが残った。
(この者、術者か)
強大な思念の持ち主であるスミンには、そのことが明白に感じられる。わずかではあるが、並の人間とは明らかに違う、思念の波が放出されている。
(気づいていないのか)
アブドの目は澄みきっていて、一切の雑念も惑いもないように見受けられた。
気づいていない、とすれば、術者としての素養、能力は、スミンに劣るようだ。スミンはいにしえの術者アルトゥの末裔、術者の正統な血筋と言える。だがこのアブドは、術者の血統ではなく、梟雄セトゥゲルによって導きを受けた者らから分派した、まやかしの術者なのかもしれない。
スミンはしかし、同じ術者の知己を得たと喜ぶ気には到底なれなかった。彼女にとって、術者でない人間の群れに素性を知られるのも恐ろしかったが、同じ術者と接触するのもまた脅威であった。強き者にとって、自分に匹敵する能力を持つ者は、常に恐るべき存在なのである。
表面上、スミンはさあらぬ体で、
「そなたが神医と呼ばれるアブドか」
「過分にも、そのように呼ばれております」
「私は子がほしいが、なかなか懐妊の兆しがない。先生は、その方面の心得はあるか」
「多少はございます。ご夫妻ともに、診察させていただけますか」
「診察はどのような手順ですか」
「まず、脈や体温を拝見します。次いで普段のお暮らしについて伺います。さらに皇帝陛下の精水を拝見し、最後に畏れながら、皇妃陛下の膣を確認いたします。それでおおよそ見当はつくでしょう」
「そうか、そこまでするものなのか」
スミンは当てが外れて、少しばかり機嫌を損ねた。自らの腟内をこの老人に覗かれるのに抵抗があるわけではない。触れられると、アブドにも自らが術者であると、肌の接触を通して露顕|《ろけん》してしまう。
(やむを得ぬか)
術者であると悟られたとして、こちらの方がはるかに思念が強い以上、どうにかなろう、と思った。妙な動きをすれば即座に殺せばよい。
「構わぬ。診察を始めなさい」
「かしこまりました」
アブドはおもむろに皇妃の座に近づき、手首に触れて、おや、と表情をかすかに変えた。静かな声をいっそう低くして、彼は思わぬことを口走った。
「皇妃陛下も、術者でいらしたか。昨年も、思いがけなく術者の方に巡り会ったが」
「なに、私とそなた以外にも術者が?」
「昨年、ロンバルディア教国におりました折に。心の奥深くに眠る思念の強さに、驚いたものでございます」
「いったい誰か」
「名前は忘れてしまいましたが、女王の側近か、客人だったように記憶しております。目の不自由な若者でしたな」
自分と同じように、強い思念を持った術者がいるという事実は、彼女の心を穏やかならざる状態に置いた。
かつて梟雄セトゥゲルが、エルスの姉妹や祖父を自らの覇道の障害と認識したように、彼女にとっても自分以外の術者は目障りなのである。術者は、自分と、これから産まれてくるであろう我が子だけでよい。皇帝の位を我が子に贈り、真の術者の血統が大陸全土を支配することこそ、彼女の大いなる野望なのである。そのほかの術者など、やがて邪魔になるに違いない。
(いずれは滅ぼさねばならぬ)
ロンバルディア教国女王の側近に術者がいる。
スミンはその事実を脳裏に刻み、しかし何はともあれ、今は診察を続けねばならない。
彼女はアブドが先ほど言った通りの順番で、自らと、夫たる皇帝の私生活を赤裸々に伝えた。彼女自身は、重要な政務に決定を下すほかは、子をなすため、一日に何度も後宮へ戻って、皇帝と交わりの機会を持っている。また先頃13歳になったばかりの皇帝クウンは、スミンに子種を提供する以外は常に無気力で、最近は政庁に行く気力もなく、必要性もないために、後宮に引きこもっている。それが、スミンの月経期を除いて毎日続いている。
「はぁ、13歳にして、それほどまでに」
アブドの声色には、羨望の響きは含めれていなかった。むしろ夫婦の営みと呼ぶには過剰に過ぎるその習慣に対して、哀れである、よからぬことだ、といった調子である。
しかし、スミンは歯牙にもかけない。
次に、夫婦ともにその身体や内臓の動き、そして体液に異常がないかを診る。
鈴を鳴らして女官を呼び、皇帝を連れてくるように命じると、彼はすぐに来た。
まず、顔色が明らかにすぐれない。暮らしには困らぬはずであるのに、肋骨が浮き出るほどに痩せて、皮膚に潤いがなく、筋肉も衰え、表情にもまるで生気がない。成長期と言える時期に、度を越した肉欲に溺れた結果であろう。
スミンはアブドに構うこともなく、無言のままおもむろに皇帝の衣服をはだけ、生白い手首を動かして、射精を誘った。呆気ないほどに早く、診察に必要なだけの体液は採れた。特徴的な臭気が漂っている。
体液を丹念に観察し、肉体と内臓の動きを調べ、皇帝は再び後宮へ帰された。
同様に、スミンのことも診察する。一通り診てから、神医アブドは最終的にいくつかの問題点を指摘した。
「まずは皇帝陛下の精水を拝見しましたが、どうやら子種が薄いようでございます。これは畏れながら営みの回数が多すぎるためでしょう。頻度を減らし、体力を充実させて臨めば、かえってご懐妊の希望が増すことでしょう」
「そうか。ほかは問題ないか」
「いまひとつ、さらに重要な問題が」
「申すがよい」
「膣の奥には、頸管と呼ばれる管がございます。皇妃陛下の場合、ここが狭すぎるために、ご懐妊が難しくなっているものかと」
「治せるのか」
「私には難しいことで。何分にも私の専門ではありませぬゆえに」
「そなたも術者だ。術を使って治せばよかろう」
「私は術者としてはもはや枯れ果てております。使うにしても、生死の境をさまよっている若者や子供に使うべきものと決めており」
子を孕むことは、スミンにとって我が野心を達成するための最も重要な階梯である。その階梯を登るにあたって、大きな障害があることを告げられ、しかも術を使っての治療を拒否され、彼女は内心、大いに激昂した。そして腹立ちまぎれに、護身用に携行していた短刀でアブドの首や腹をめった刺しにし、とうとう彼を殺害してしまった。
「役立たずの偽善者め」
神医アブドが、どのような罪科もなく、スミン自身の手で惨殺されたとの知らせは、王国中に広まり、各地へ散らばる旅人や商人の口から植物の胞子のように大陸各地へと伝播した。
アブドは生涯のうちのほとんどを医師として過ごし、救った患者は数知れず、名は大陸全土に知られるほどの名士である。その名声は絶大で、それを殺したスミンはいよいよ悪魔の化身のように人々に印象づけられ、敵意や反感を増幅させることとなった。
スミンは自分が子供を産むのに適さない体である、とのアブドの診断に危機感を強め、皇帝クウンのみならず、その次弟と末弟も寝所に連れ込んで犯すようになった。次弟は12歳、末弟は10歳である。
彼女としては、皇帝の血を持つ者でありさえすれば、誰でもよい、という気でいる。重要なのは自分の血と貴種の血を交配させ、その子に皇帝の座を贈ることであって、それが叶うならば、子種の提供者が性的に成熟していようといまいと、自分との過剰な交わりが原因で健康を害そうと、知ったことではない。現在の皇帝やその親族など、彼女にとっては懐妊という手順を踏むための材料に過ぎないのだ。
人々は誰しも、昼と夜とを問わず、まだ男とも呼べぬ子供を寝所に引き入れ、子種を搾り取るスミンの姿を想像して、ある種の狂気を感じ、戦慄した。
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もも野はち助(旧ハチ助)
ファンタジー
【あらすじ】ラテール伯爵家の令嬢フィリアナは、仕事で帰宅できない父の状況に不満を抱きながら、自身の6歳の誕生日を迎えていた。すると、遅くに帰宅した父が白黒でフワフワな毛をした足の太い子犬を連れ帰る。子犬の飼い主はある高貴な人物らしいが、訳あってラテール家で面倒を見る事になったそうだ。その子犬を自身の誕生日プレゼントだと勘違いしたフィリアナは、兄ロアルドと取り合いながら、可愛がり始める。子犬はすでに名前が決まっており『アルス』といった。
アルスは当初かなり周囲の人間を警戒していたのだが、フィリアナとロアルドが甲斐甲斐しく世話をする事で、すぐに二人と打ち解ける。
だがそんな子犬のアルスには、ある重大な秘密があって……。
この話は、子犬と戯れながら巻き込まれ成長をしていく兄妹の物語。
※全102話で完結済。
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