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第1章 プリンセス暗殺事件
第1章-⑥ 天才の片鱗
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プリンセスが自らの作戦案を軍最高幹部らに披露したのは、その日の夜のことである。この案は事実上、プリンセスが考案し、そこにドン・ジョヴァンニが微修正を加えたもので、仕上がった作戦案は大胆ながら戦略の根幹をおさえており、歴戦の将軍たちをして、ほとんど訂正の必要もないほどであった。
「なるほどこの案ならば、内戦は短期で終結し、軍の分裂による国の弱体化も最小限でしょう。民衆も苦難に遭うことは少ないと思われます。ただ」
老練の宿将として知られる第一師団長のラマルク将軍が、口をつぐんだ。彼の言いたいことは、全員が予想できる。この新参の傭兵とやらが、果たして信用できるのか。
ドン・ジョヴァンニは一同の己に対する疑惑と不信を痛いほどに感じていたが、生来図太い神経でできているため、少しも臆することがない。
「傭兵にとって、契約は神聖なものです。宮仕えをしている皆さんの忠義心と同じようにね」
「さて、それはどうかな」
ラマルク将軍は強烈な皮肉屋でもある。しかも彼はその態度によって、この新参者を信用もしていなければ好んでもいないということを隠そうとすらしなかった。
プリンセスが自ら立案した作戦は、現在の状況から要約するとこのような内容である。
まず、敵は国都アルジャントゥイユを三方から囲むようにして散らばっている。
北のレガリア帝国との国境に位置するカスティーリャ要塞に駐屯するガブリエーリ将軍の第二師団。これが軍事力としては最も強大かつ脅威である。兵数はおよそ8,000といったところである。
次に教国の版図において最も南側に位置するのが、カロリーナ王女のバルレッタ地方。居城はトラモント城で、その私兵は領土の大きさと出身閥族の勢力から4,000程度。
その西側はトルドー侯爵の領有するドランシー地方で、彼の傘下にある有力貴族を含めると、これも4,000以上の兵力を動員できるものと見てよい。
これら叛乱軍陣営の合計兵力は、第一師団、第三師団、近衛兵団といった王統派陣営の正規軍の戦力に匹敵するほどの数である。
叛乱勢力が占めているのはいずれも要害の地であり、強攻して攻め落とすとすれば少なくとも倍の兵力は必要である。だがそれだけの戦力を一局面へ振り向けた場合、他方が進出して国都が危うくなる。といって国都の防備を固めて亀のように籠もっているだけでは、状況が好転せぬまま地方を荒らし回られ、かつは国境を守る第二師団が隣国のレガリア帝国軍を引き込んで、ついに滅びの歌を合唱することになるであろう。
プリンセスは一見、この包囲環のなかにある危機的状況を好機と捉え、内線の利を活かして各個撃破することを考えた。
「ほう、内線の利。よく勉強していらっしゃる」
この作戦案を最初に提示されたとき、自ら兵法の大家と自認しているドン・ジョヴァンニが、内心で舌を巻いたものである。彼我の位置関係、戦力比など冷静に分析して、各個撃破の好機である、と気付くのは並の観察眼ではない。
「しかし、各個撃破するためにはその方面に大兵力を動員しなければならない。するとそれを見た別の敵が背後からこの国都に進撃するでしょう。下手をすれば、宮殿を攻め落とされ、本軍も袋の鼠になってしまう。そのあたりはどうお考えです」
無論、プリンセスは回答を用意している。
まず、討伐軍はそのほぼ全兵力をもってカスティーリャ要塞へと進撃するむね、さかんに流言を流す。そして実際に、大兵力をカスティーリャ要塞方面へと北上させる。すると、要塞にある第二師団は優勢な兵力を前に野戦を挑む危険を冒さず、討伐軍を引き寄せて籠城しようと考える。そのように第二師団を守勢に置いた上で、一部兵力を国都と要塞の中間にあるマジョルカバレーと呼ばれる峡谷に配置し、本隊は急旋回してトルドー侯爵の領有するドランシー地方へと向かう。ドランシーから国都へは一面の平地で、直線的な街道一本でつながっているだけである。この頃には、トルドー侯爵軍が手薄の国都を襲撃すべく大挙して進撃していることであろう。それを要撃する。侯爵軍の3倍以上の兵力であり、しかも平地での戦闘であれば大軍の利を活かして包囲殲滅することができる。侯爵軍を撃破すれば、その救援に向かうであろうカロリーナ軍も続けて撃破するか、あるいは野戦をあきらめて逃げ散るであろうから、それを急追して戦乱の元凶を捕える。カロリーナ王女とトルドー侯爵夫妻、この根を断ってしまえば、枝葉である第二師団は叛乱の意義を見失い、すぐに枯れてしまうであろう。恐らく内紛によって空中分解するに違いない。
この作戦計画を聞いたドン・ジョヴァンニはもちろん、プリンセスの聡明さをよく知っているはずの将軍たちも驚きの色を隠せなかった。今まで王女として聡明であるとされてきたのは、例えば臣下との受け答えが要を得ているとか、そういった程度の話であって、独立した人格として才幹を評価されてきたわけではなかった。評価されるだけの機会が、これまでなかったのである。
しかし、その秘められた彼女の軍事的識見の高さといえばどうであろう。
これほど積極的で、ダイナミックで、緻密に計算された計画は、歴戦の将軍たちも容易に立てられるものではない。
だからこそ、計画自体に反対する将軍はいなかった。しかし問題は、運用する指揮官の人選である。
プリンセスの作戦案では、第一師団と第三師団、それに近衛兵団が本隊としてトルドー侯爵軍とカロリーナ軍の撃破に向かうが、第二師団に対する防御には新参のドン・ジョヴァンニを指揮官として任せる構想になっている。これが、要害の地であるマジョルカバレーを扼し、第二師団を抑え込んで国都に近づけさせない。第二師団が陽動作戦に気付き、総力を挙げて国都へ進撃するとすれば、その戦力は優にドン・ジョヴァンニに預ける遊撃部隊の6、7倍。困難な戦略的条件下でのゲリラ戦にかけては達人とされるドン・ジョヴァンニでなければ、長期にわたる足止めはできないだろうというのが、この人選の理由である。
ただ、懸念は大きい。何しろ、生まれはこの国であっても、育ちは外国であり、生え抜きの臣下でもなく、根無し草の放浪者で、一時的に金で雇われただけのいわば無頼漢である。もし彼が裏切れば、国都アルジャントゥイユまで軍事的空白地帯が続く。宮殿が陥落すれば、軍は根拠地を失い、補給を受けられず、士気も下がって瓦解するであろう。
それだけの危険を承知で、あえてこの男にこの作戦の最重要局面を委ねるというのか。
ラマルク将軍の質問に、プリンセスは真正面から答えた。
「その通りです。彼は確かに風変わりですが、嘘つきではないと思います。信義はきっと全うすると。だから、彼を信頼して、お任せしたいのです」
「私はプリンセスを支持します。全面的に賛成いたします」
いち早く賛意を示したのは、第三師団長のデュラン将軍である。鈍色の髪と高い鷲鼻と覇気に富んだ低い声に特徴がある壮年の将軍で、知勇と攻守の均衡に恵まれた良将である。男爵家の三男坊だが、生粋の職業軍人で、王家に対する忠誠心にかけては並ぶ者がない。政治的な利害や欲望抜きに任務に対して忠実であることから、彼がつく方がすなわち正義である、とさえ評されるほどの正義漢である。
今回の内戦でも、彼は迷いなくプリンセスの隷下へと身を投じた。プリンセスを支え、いたずらに国に混乱をもたらす逆賊を討伐することこそ義にかなう、とただそれだけを純粋に判断したのであろう。
「ありがとう、デュラン将軍」
とプリンセスが会釈をした後で、
「私も賛成です」
「現在の状況から、最善の策と考えます」
「プリンセスのお考えに従います」
近衛兵団長代理アンナ、王立陸軍最高幕僚長ネリ将軍、同兵站幕僚長クレソンらも相次いで賛同した。そして最終的には、ラマルク将軍も従った。皆が同意するなか、彼だけが依怙地に慎重論を唱えづらくなったのであろう。それに実際、彼により秀逸な作戦案があるわけでもなかった。
全会一致で作戦が支持され、デュラン将軍が二点ほど質問が、と言った。それは他の列席者も同様に疑問として残している論点でもあった。
ひとつは、作戦をいつ始めるか、である。
「即時開始します」
作戦の披露の際と同様、座が再びどよめいたので、プリンセスが補足した。
作戦は、大軍団がカスティーリャ要塞攻略に進発する、との噂を流すところから始まる。その意味ではすぐに始めなければならない。実際の軍の進発は5日後の6月26日。この日、わずかな近衛兵団を除く全軍で北に向かう。国都の周囲を偵察している密偵は、その様子をそれぞれの主人へと報知するであろう。だがその日の夜、ドン・ジョヴァンニの遊撃部隊以外は向きを南西に変え、夜間行軍でトルドー侯爵領へと向かう。数日以内には、アルジャントゥイユとドランシー地方を結ぶボルドー街道のどこかで侯爵軍と正面から会敵することとなる。
そのような算段である。
実際の戦闘を始める前に、まず情報戦において優位に立つ。この作戦会議が終了すれば、命令をマニシェ諜報局長に伝え、彼は部下を総動員して各地にばらまき、流言はすぐに広まることになるであろう。
いまひとつ決定が必要とされるのが、プリンセス自身は当然、王宮たるレユニオンパレスに残るわけだが、どれだけの兵力を留めておくのかである。軍はほぼ全てが出払ってしまうが、最低限の護衛の人数は手元に置いておくべきであろう。近衛兵団の半数程度、例えば1,000ないし1,200ほどは王宮に残すのがよいのではないか。
「王宮に残すのは、近衛兵団のフェリシア百人長以下100人。あとは全て本軍と行動をともにします。無論、私も前線に立ちます」
「プリンセスが前線に、まさか、それはあまりに危険です」
これにはデュラン将軍ほか、ドン・ジョヴァンニを除く列席者全員が反対した。
野戦ではいくら優勢な状況であっても、何が起こるか分からない。味方に扮した敵が刺客として命を狙うかもしれないし、戦線にわずかでも混乱が生じて、敵部隊の突入を許してしまうかもしれない。近衛兵団としても、野外で戦いつつプリンセスを護衛するというのは非常に困難な任務で、安全を確実には保証できない。
特に、アンナが必死に止めた。
「プリンセス。あなたがもし戦場に倒れれば、この国は正統な後継者を失い、分裂と混乱が続いて、民衆は災いに見舞われます。そうなれば、隣国であるレガリア帝国も野心の赴くまま、やすやすとこの国に足を踏み入れることになるでしょう。どれだけ有利な条件を整えようとも、あなただけは危険に晒すわけにはいかないのです」
「アンナ、あなたの気持ちも考えもよく分かります。けれど、私は最も安全な宮廷で、大勢の護衛に囲まれながら、兵だけを死地に立たせることはできません。戦うと決めた以上、私も必ず戦場に立ちます。これは、私が女王としてこの国を統治するために欠かせぬ覚悟だと思っています。もし私が、安楽な玉座に居ながらにして討伐軍のもたらした果実のみ味わっていると知ったら、兵も、民も、そのような女王を真に認めたりはしないでしょう」
「お志はご立派ながら」
「それに、アンナ。この作戦が期待通りに短期間で成功すれば、双方の死傷者を最小限にとどめることができます。本軍は常に敵の数倍以上の兵力で戦うことができる上に、相手の意表を突いて急襲することができるわけですから、圧倒的に有利です。危険は少ないでしょう。また、もし負ければ、宮殿に残っていたところで、捕縛され、断頭台に送られるのを待つだけなのですから、どちらにしても同じことです。改めて伝えておきますが」
私が前線に立つことは譲歩の余地のない命令です、とプリンセスが宣言したので、この件は決着となった。
その経過を眺めていたドン・ジョヴァンニは、内心、しみじみと感嘆していた。
(やはりこの人は美しい)
美しさの要素のひとつに、強さがある。この人には強さがある。
それに、他者の尊敬や忠誠心を刺激する何かがある。特別な人格的魅力、名君と呼ばれるべき資質が備わっているらしい。
(これは想像していた以上の大器かもしれんな。これから先が面白くなりそうだ)
6月26日、予告通りにプリンセスは近衛兵団、第一師団、第三師団、そして傭兵のみで構成されたドン・ジョヴァンニの遊撃隊を率いて、王宮を進発した。
「なるほどこの案ならば、内戦は短期で終結し、軍の分裂による国の弱体化も最小限でしょう。民衆も苦難に遭うことは少ないと思われます。ただ」
老練の宿将として知られる第一師団長のラマルク将軍が、口をつぐんだ。彼の言いたいことは、全員が予想できる。この新参の傭兵とやらが、果たして信用できるのか。
ドン・ジョヴァンニは一同の己に対する疑惑と不信を痛いほどに感じていたが、生来図太い神経でできているため、少しも臆することがない。
「傭兵にとって、契約は神聖なものです。宮仕えをしている皆さんの忠義心と同じようにね」
「さて、それはどうかな」
ラマルク将軍は強烈な皮肉屋でもある。しかも彼はその態度によって、この新参者を信用もしていなければ好んでもいないということを隠そうとすらしなかった。
プリンセスが自ら立案した作戦は、現在の状況から要約するとこのような内容である。
まず、敵は国都アルジャントゥイユを三方から囲むようにして散らばっている。
北のレガリア帝国との国境に位置するカスティーリャ要塞に駐屯するガブリエーリ将軍の第二師団。これが軍事力としては最も強大かつ脅威である。兵数はおよそ8,000といったところである。
次に教国の版図において最も南側に位置するのが、カロリーナ王女のバルレッタ地方。居城はトラモント城で、その私兵は領土の大きさと出身閥族の勢力から4,000程度。
その西側はトルドー侯爵の領有するドランシー地方で、彼の傘下にある有力貴族を含めると、これも4,000以上の兵力を動員できるものと見てよい。
これら叛乱軍陣営の合計兵力は、第一師団、第三師団、近衛兵団といった王統派陣営の正規軍の戦力に匹敵するほどの数である。
叛乱勢力が占めているのはいずれも要害の地であり、強攻して攻め落とすとすれば少なくとも倍の兵力は必要である。だがそれだけの戦力を一局面へ振り向けた場合、他方が進出して国都が危うくなる。といって国都の防備を固めて亀のように籠もっているだけでは、状況が好転せぬまま地方を荒らし回られ、かつは国境を守る第二師団が隣国のレガリア帝国軍を引き込んで、ついに滅びの歌を合唱することになるであろう。
プリンセスは一見、この包囲環のなかにある危機的状況を好機と捉え、内線の利を活かして各個撃破することを考えた。
「ほう、内線の利。よく勉強していらっしゃる」
この作戦案を最初に提示されたとき、自ら兵法の大家と自認しているドン・ジョヴァンニが、内心で舌を巻いたものである。彼我の位置関係、戦力比など冷静に分析して、各個撃破の好機である、と気付くのは並の観察眼ではない。
「しかし、各個撃破するためにはその方面に大兵力を動員しなければならない。するとそれを見た別の敵が背後からこの国都に進撃するでしょう。下手をすれば、宮殿を攻め落とされ、本軍も袋の鼠になってしまう。そのあたりはどうお考えです」
無論、プリンセスは回答を用意している。
まず、討伐軍はそのほぼ全兵力をもってカスティーリャ要塞へと進撃するむね、さかんに流言を流す。そして実際に、大兵力をカスティーリャ要塞方面へと北上させる。すると、要塞にある第二師団は優勢な兵力を前に野戦を挑む危険を冒さず、討伐軍を引き寄せて籠城しようと考える。そのように第二師団を守勢に置いた上で、一部兵力を国都と要塞の中間にあるマジョルカバレーと呼ばれる峡谷に配置し、本隊は急旋回してトルドー侯爵の領有するドランシー地方へと向かう。ドランシーから国都へは一面の平地で、直線的な街道一本でつながっているだけである。この頃には、トルドー侯爵軍が手薄の国都を襲撃すべく大挙して進撃していることであろう。それを要撃する。侯爵軍の3倍以上の兵力であり、しかも平地での戦闘であれば大軍の利を活かして包囲殲滅することができる。侯爵軍を撃破すれば、その救援に向かうであろうカロリーナ軍も続けて撃破するか、あるいは野戦をあきらめて逃げ散るであろうから、それを急追して戦乱の元凶を捕える。カロリーナ王女とトルドー侯爵夫妻、この根を断ってしまえば、枝葉である第二師団は叛乱の意義を見失い、すぐに枯れてしまうであろう。恐らく内紛によって空中分解するに違いない。
この作戦計画を聞いたドン・ジョヴァンニはもちろん、プリンセスの聡明さをよく知っているはずの将軍たちも驚きの色を隠せなかった。今まで王女として聡明であるとされてきたのは、例えば臣下との受け答えが要を得ているとか、そういった程度の話であって、独立した人格として才幹を評価されてきたわけではなかった。評価されるだけの機会が、これまでなかったのである。
しかし、その秘められた彼女の軍事的識見の高さといえばどうであろう。
これほど積極的で、ダイナミックで、緻密に計算された計画は、歴戦の将軍たちも容易に立てられるものではない。
だからこそ、計画自体に反対する将軍はいなかった。しかし問題は、運用する指揮官の人選である。
プリンセスの作戦案では、第一師団と第三師団、それに近衛兵団が本隊としてトルドー侯爵軍とカロリーナ軍の撃破に向かうが、第二師団に対する防御には新参のドン・ジョヴァンニを指揮官として任せる構想になっている。これが、要害の地であるマジョルカバレーを扼し、第二師団を抑え込んで国都に近づけさせない。第二師団が陽動作戦に気付き、総力を挙げて国都へ進撃するとすれば、その戦力は優にドン・ジョヴァンニに預ける遊撃部隊の6、7倍。困難な戦略的条件下でのゲリラ戦にかけては達人とされるドン・ジョヴァンニでなければ、長期にわたる足止めはできないだろうというのが、この人選の理由である。
ただ、懸念は大きい。何しろ、生まれはこの国であっても、育ちは外国であり、生え抜きの臣下でもなく、根無し草の放浪者で、一時的に金で雇われただけのいわば無頼漢である。もし彼が裏切れば、国都アルジャントゥイユまで軍事的空白地帯が続く。宮殿が陥落すれば、軍は根拠地を失い、補給を受けられず、士気も下がって瓦解するであろう。
それだけの危険を承知で、あえてこの男にこの作戦の最重要局面を委ねるというのか。
ラマルク将軍の質問に、プリンセスは真正面から答えた。
「その通りです。彼は確かに風変わりですが、嘘つきではないと思います。信義はきっと全うすると。だから、彼を信頼して、お任せしたいのです」
「私はプリンセスを支持します。全面的に賛成いたします」
いち早く賛意を示したのは、第三師団長のデュラン将軍である。鈍色の髪と高い鷲鼻と覇気に富んだ低い声に特徴がある壮年の将軍で、知勇と攻守の均衡に恵まれた良将である。男爵家の三男坊だが、生粋の職業軍人で、王家に対する忠誠心にかけては並ぶ者がない。政治的な利害や欲望抜きに任務に対して忠実であることから、彼がつく方がすなわち正義である、とさえ評されるほどの正義漢である。
今回の内戦でも、彼は迷いなくプリンセスの隷下へと身を投じた。プリンセスを支え、いたずらに国に混乱をもたらす逆賊を討伐することこそ義にかなう、とただそれだけを純粋に判断したのであろう。
「ありがとう、デュラン将軍」
とプリンセスが会釈をした後で、
「私も賛成です」
「現在の状況から、最善の策と考えます」
「プリンセスのお考えに従います」
近衛兵団長代理アンナ、王立陸軍最高幕僚長ネリ将軍、同兵站幕僚長クレソンらも相次いで賛同した。そして最終的には、ラマルク将軍も従った。皆が同意するなか、彼だけが依怙地に慎重論を唱えづらくなったのであろう。それに実際、彼により秀逸な作戦案があるわけでもなかった。
全会一致で作戦が支持され、デュラン将軍が二点ほど質問が、と言った。それは他の列席者も同様に疑問として残している論点でもあった。
ひとつは、作戦をいつ始めるか、である。
「即時開始します」
作戦の披露の際と同様、座が再びどよめいたので、プリンセスが補足した。
作戦は、大軍団がカスティーリャ要塞攻略に進発する、との噂を流すところから始まる。その意味ではすぐに始めなければならない。実際の軍の進発は5日後の6月26日。この日、わずかな近衛兵団を除く全軍で北に向かう。国都の周囲を偵察している密偵は、その様子をそれぞれの主人へと報知するであろう。だがその日の夜、ドン・ジョヴァンニの遊撃部隊以外は向きを南西に変え、夜間行軍でトルドー侯爵領へと向かう。数日以内には、アルジャントゥイユとドランシー地方を結ぶボルドー街道のどこかで侯爵軍と正面から会敵することとなる。
そのような算段である。
実際の戦闘を始める前に、まず情報戦において優位に立つ。この作戦会議が終了すれば、命令をマニシェ諜報局長に伝え、彼は部下を総動員して各地にばらまき、流言はすぐに広まることになるであろう。
いまひとつ決定が必要とされるのが、プリンセス自身は当然、王宮たるレユニオンパレスに残るわけだが、どれだけの兵力を留めておくのかである。軍はほぼ全てが出払ってしまうが、最低限の護衛の人数は手元に置いておくべきであろう。近衛兵団の半数程度、例えば1,000ないし1,200ほどは王宮に残すのがよいのではないか。
「王宮に残すのは、近衛兵団のフェリシア百人長以下100人。あとは全て本軍と行動をともにします。無論、私も前線に立ちます」
「プリンセスが前線に、まさか、それはあまりに危険です」
これにはデュラン将軍ほか、ドン・ジョヴァンニを除く列席者全員が反対した。
野戦ではいくら優勢な状況であっても、何が起こるか分からない。味方に扮した敵が刺客として命を狙うかもしれないし、戦線にわずかでも混乱が生じて、敵部隊の突入を許してしまうかもしれない。近衛兵団としても、野外で戦いつつプリンセスを護衛するというのは非常に困難な任務で、安全を確実には保証できない。
特に、アンナが必死に止めた。
「プリンセス。あなたがもし戦場に倒れれば、この国は正統な後継者を失い、分裂と混乱が続いて、民衆は災いに見舞われます。そうなれば、隣国であるレガリア帝国も野心の赴くまま、やすやすとこの国に足を踏み入れることになるでしょう。どれだけ有利な条件を整えようとも、あなただけは危険に晒すわけにはいかないのです」
「アンナ、あなたの気持ちも考えもよく分かります。けれど、私は最も安全な宮廷で、大勢の護衛に囲まれながら、兵だけを死地に立たせることはできません。戦うと決めた以上、私も必ず戦場に立ちます。これは、私が女王としてこの国を統治するために欠かせぬ覚悟だと思っています。もし私が、安楽な玉座に居ながらにして討伐軍のもたらした果実のみ味わっていると知ったら、兵も、民も、そのような女王を真に認めたりはしないでしょう」
「お志はご立派ながら」
「それに、アンナ。この作戦が期待通りに短期間で成功すれば、双方の死傷者を最小限にとどめることができます。本軍は常に敵の数倍以上の兵力で戦うことができる上に、相手の意表を突いて急襲することができるわけですから、圧倒的に有利です。危険は少ないでしょう。また、もし負ければ、宮殿に残っていたところで、捕縛され、断頭台に送られるのを待つだけなのですから、どちらにしても同じことです。改めて伝えておきますが」
私が前線に立つことは譲歩の余地のない命令です、とプリンセスが宣言したので、この件は決着となった。
その経過を眺めていたドン・ジョヴァンニは、内心、しみじみと感嘆していた。
(やはりこの人は美しい)
美しさの要素のひとつに、強さがある。この人には強さがある。
それに、他者の尊敬や忠誠心を刺激する何かがある。特別な人格的魅力、名君と呼ばれるべき資質が備わっているらしい。
(これは想像していた以上の大器かもしれんな。これから先が面白くなりそうだ)
6月26日、予告通りにプリンセスは近衛兵団、第一師団、第三師団、そして傭兵のみで構成されたドン・ジョヴァンニの遊撃隊を率いて、王宮を進発した。
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