ミネルヴァ大陸戦記

一条 千種

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序章 術士奇譚

術士奇譚-④

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 アルトゥが休息のため、ひとまず上級将校用の空室を与えられ引き取ったあとで、一行は要塞内の訓練場に出た。次妹のムングが、自分の力も見せたい、と言ったからである。 
 この娘は、長姉のアルトゥとは正反対の気性で、炎のような激しさと強さを持っていた。容貌も、顔のつくりが全体に扁平へんぺいで柔和な姉とは似ておらず、やや彫りが深く、射るような鋭い目つきが強い主張を放っていた。だがその威圧的な瞳を、いたずらっ子のような口元の笑みが打ち消していて、独特のはずみのある軽快さと人懐ひとなつっこい雰囲気を醸している。 
 年の頃といえば、20歳かその前後であろう。 
 訓練場の中央に進み出た彼女は、前触れもなく勢いよく杖を振るった。 
 矢のような速さで炎が走ったかと思うと、弓矢の訓練のために設置された的に命中し、すさまじい音ともに燃え上がった。 
 遠巻きに見ていた数百の兵が一斉にどよめき、的は燃えさかる間もなく、瞬時に炭化し崩れ去って、跡形も残さなかった。 
 連絡官が愕然というよりは唖然としていると、ムングは、 
「これくらいは朝飯前だね」 
 と事も無げに言い放った。それが、いかにも子供じみたおごりが感じられ、その攻撃的な術のわりに恐ろしさが感じられないのは、彼女なりの人徳のようなものが備わっているためであろうか。 
 連絡官は感心して、この炎があればまさに鎧袖一触がいしゅういっしょくである、我が軍とともに敵と戦ってくれようか、と懇願した。 
 しかしムングはがえんぜず、こう説明した。 
「私のこの力は生身の人に対して使うには強すぎる。殺意を込めて杖を振るえば、きっと数百人は殺せてしまう。だからじいやは、決して私憤や私欲のために力を使うなと言ったんだ。ただ、直接手を下しはしないけど、少し手伝うくらいなら、じいやの口添えもあることだし、引き受けるよ」 
 そのあと、彼女は要塞内の工房を訪ねて、鍛錬前の鉄を拾い上げ、強力な炎で精妙な剣に仕立てた。屑鉄くずてつさえも、火の力次第でどのような名剣にも鍛えられるというのか。 
 ムングの鋳造ちゅうぞうした剣の切れ味は、いずれも抜群の冴えを誇り、試し斬りに供された敵兵の死骸の首を大根のように切り落とし、竹の束を割り、巨岩を両断した。 
 無論、その烈火で鍛えられるのは剣だけでなく、斧や槍といった武具に加え、防具や馬具などにも応用できた。それら新装備の配布を受けた部隊は、軍の最精鋭として戦場では存分の働きをするであろう。 
 ムングは仕事熱心な娘で、製作に少しでも甘いところがあると厳しく叱りつけた。一方でよく冗談を言う、明るく爽やかな娘で、武張った男どもに混じっても物怖じすることなくすっかり仲間然として過ごしている様には、並外れた度胸と豪放さがあり、連絡官も思わず舌を巻いた。 
 工房で仕事を続ける、と言い出したムングを置いて、一行は要塞の城壁へと上った。 
 その途次、身ごなしの軽い一人の青年がカタバミの茎をくわえながら、一同に加わった。 
「これはセトゥゲル殿」 
「面白い客人が来訪していると聞いた。見物してもいいか」 
「もちろんです」 
 セトゥゲルと呼ばれたその美丈夫は、要塞司令官直属の三人の部隊長のうちのひとりで、年は30にも届いていない。この国の高級将校のなかでは最も若く、経験や貫禄ではまだ未熟ながら、用兵や知略の手腕にかけては出色しゅっしょくとされていた。 
 そして何より、ぐつぐつと煮えたぎるような野心を、その冷ややかで苦みのある面立おもだちの裏にたたえていた。 
 人には、あるいは生まれながらに野心の大きさや熱量というものが定められているのであろうか。 
 セトゥゲルは、自らの才能や周囲の環境、そしてあらゆる人間を利用して、地上で望める最高の高みまで上り詰めようと考えていた。この種の人間というのは、予めその持って生まれた野心のまま、自らの命を燃やすように天意によって命ぜられているのかもしれない。 
 天命、と言うべきものであろうか。 
 彼は、黙って列の最後尾についた。先頭には連絡官と、そのすぐ後ろに「砂」という意味の名前を持つ、末妹のエルスが歩いている。 
 エルスは、ムングよりも、長姉のアルトゥに似て、穏やかでおおらかな印象の少女であった。少女、と言ってよいくらいに、その顔の造作には多分にあどけなさが残っていた。だが黒い瞳に意志の強さと聡明さがあり、こぢんまりとした唇には常に慈愛の豊かな微笑が宿っている。 
 よわい16前後。 
 背は姉よりも少し低く、艶のある髪は黒くしとやかに光り、睫毛まつげが長く、肌が抜けるように白い。二人の姉もそれぞれに美しいが、とりわけこの末の妹が最も眉目秀麗であった。今は特に口元あたりにわずか幼さが残っているが、数年後には成熟して、絶世の美女として知られるようになるであろう。 
 城壁に上ると、彼女はしきりにき来して、要塞を取り巻く地勢を仔細しさいに観察しているようだった。連絡官らは期待してついて回ったが、日が西にだいぶ傾くに及んで、ついに尋ねた。 
 さて、どのような能力があるのか。 
 エルスは目を細めて微笑み、その力を明らかにした。 
「私は土の恵みをもたらします。土は大地の力。すなわち作物を育て、家畜を養い、命をつなぎます。試しに、あの草地を小麦畑にしてみましょう」 
 杖の先で遠く指し示したのは、くるぶしあたりまでの雑草が茂っている、どういう変哲もない草地である。 
 杖を軽やかに振り、空中に文字なのか、絵なのか、描くように踊ると、遠目にもその示された一角に新しい別の草がえ、見る間に麦穂が実り、熟した黄褐色の小麦畑が広がるのに時を要さなかった。 
 人智をはるかに超えた光景に、再び目撃した数百人の兵がどっと騒ぎ立てた。次いで歓声が上がり、それがやがて数百の大合唱となって、この奇跡を称えた。 
 歓呼の嵐のなかで、連絡官も大いに感服して、 
「なんと素晴らしい。どうだ、我が軍に同行したら、土地を豊かにするだけでなく、敵を殺すこともできるか」 
「私たち姉妹は、祖父の勧めでお手伝いはいたしますが、あくまで回復や補給といった支援のみと決めています」 
 人を傷つけるのにその術を使ってはならない、とのあの老人が課したおしえは、彼女たちにとってまさに金科玉条であるらしい。 
 だが、連絡官は落胆しなかった。回復、補給などの支援活動のみであるとしても、その効果は絶大である。いざ戦いとなれば、兵は恐れずに働くであろうし、今や無限とも言える物資が手元にある。特に食料が豊富にあれば、兵をつのるのに苦もあるまい。 
「セトゥゲル殿、いかがです」 
「そうだな」 
 セトゥゲルは城壁のへりに腰掛け、まるで子どもがそうするように両足を投げ出している。口にはカタバミの茎を咥えたまま、くもったような表情で、首だけをぬっとエルスの方へ向けている。この男には感動というものがないのかと、連絡官はむしろそちらに軽い失望を覚えた。 
「確か、エルスといったな」 
「はい」 
 エルスは、はじけるように返事をした。彼女は、彼女の倍近く生きているこの男の端整な容姿か、あるいは乾いた低い声か、それとも淡々としてとらえどころのない雰囲気が気になるのか、明らかに彼に興味があるようだった。 
 セトゥゲルも興味があった。 
 しかし彼が関心を持つのは、力の方である。 
「一つ聞きたい。その術は、お前たち術者の家系のみが扱えるのか。例えば我々でも、強靭きょうじんな意志や、訓練を重ねるなどすれば、術者になれるのか」 
「術者は、その家系のなかでしか生まれませんし、しかも特別に才能に恵まれた者しかなれません」 
 嘘の下手な娘であった。 
 セトゥゲルが真っ直ぐにその瞳の奥を見据えると、少女は耐えきれなくなり、頬を紅潮させうつむいた。 
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