19 / 32
たとえ仲間は売ろうとも
しおりを挟む
ソフィーが待ちぼうけを食らわされている頃。
ディエゴ・ペドロサは直々、ヴァレンティノの留置されている牢へと足を運んでいた。強情な少年で、囚われの身となって以来、一言も発せず、名も、身分も明かさない。明かせば、人に迷惑がかかると思っているらしい。そのくせ、出された食事は残さず平らげるのだから、剛胆なところもある。
実は、彼自身に聞かずとも、ペドロサはすでにこの少年について最低限のことを知っていた。ソフィー一行がエクランに到着して早々、その随員ともども、密偵を使って調べ上げている。術者ソフィーと、随員らはみなそれぞれに名のある名士たちで、護衛も二人いる。そのうちの一人が、目の前にいる少年だ。
少年とはいうが、体格は立派なもので、面構えにも容易ならぬ風格がある。
「ヴァレンテ・ロマーノ」
ペドロサが読み上げるように名前を告げると、少年はぎくりと目を厳しくしたが、すぐに表情を消した。
「実は君らのことは、この町に入ってきたときから始終、監視をしていた。素性はもとより、人柄、人脈、素行。だから君らがこの町に来た目的もおおよそ察しはついている。ペストの診療というのは実は目くらましであろうと」
「……」
「軍を預かる身としては、看過しえぬ問題だ。全員、網にかけて厳しく詮議するつもりでいる。術者ソフィーとやらもな」
なおも言葉は発しなかったが、ソフィーの名前を聞くと、少年は再び顎を上げ、特徴的な赤髪を虎のように逆立てて、敵意を示した。
「君が、術者ソフィーと特別に親しいということも知っている。彼女は純新無垢な心清き術者かもしれんが、取り巻きはそうではない。私は彼らを裁きたいが、より決定的な証人を欲している。君が証言するなら術者ソフィーは助かるが、その様子では死んでも口は割るまい。そうなると、私としては術者ソフィーから情報を引き出すしかないが……」
「やめろッ!」
初めて、ヴァレンティノが口を開いた。その激しい目線を正面から受け止めるペドロサは、あくまで冷淡であり、冷酷である。
「仲間を売るか、術者ソフィーを見捨てるか、どちらか決めるんだ。いいか、私を甘く見るなよ。私はそれが必要だと考えれば、相手が誰であろうと、やるべきことはとことんやる。君が何も言わないなら、今から別の部屋に行き、ソフィーを詰問する」
「この番所に来てるのか!?」
「そうだ。君が言わねば彼女に聞く。彼女はすべての事情を知っているだろう。吐かねば、まず彼女の鼻を削ぐ」
「やめてくれッ!」
今度の口調は、攻撃的な勢いが弱まり、どちらかというと哀願に近くなった。ソフィーに危害が及ぶとなると、途端に弱腰だ。よほど大切に思っているのであろう。
「では話せ。嘘を申し立てればすぐ分かるからな」
「話す、話すよ」
ヴァレンティノは観念し、すべてを話した。それはどれも真実であったが、ひとつだけ虚偽を混ぜた。ソフィーは、ルブラン・サロンの企てには一切、関知も関与もしていないと言ったのである。確かに関与と言えるかどうかは疑わしいが、少なくとも関知はしている。だが関知している、と言えばソフィーに類が及ぶかもしれない。ルブラン・サロンの叛乱計画を知りながら通報しなかったとなれば、それだけでも重罪である。ヴァレンティノとしては、世話になった仲間全員を売ろうとも、ソフィーとソフィアの姉妹にだけは無事でいてほしかった。無論、自分も仲間たちとともに殺されるであろうとしても、である。
「そうか、よく話してくれたな」
冷ややかな声だけを残して、ペドロサは去った。ひーん、と後に残されたヴァレンティノは猿のように泣いて、己の不始末を呪った。カッシーニも、ブーランジェ未亡人も、シャルルも、あるいは都に残るルブランたち、活動中のテオドールやアレックスらも、彼の裏切りのため近いうちに皆殺しになるであろう。
一方、現実のソフィーの扱いは悪くない。彼女のそばにあって監視役を務めている兵も、幻とも伝説とも言われる術者を前にして、つらく接するどころか、何くれとなく世話を焼いてくれた。エクランの人々を救うため、無償で治療を行っていると知り、かつは胸を打つばかりの容姿の美しさに心を奪われ、ひざまずいて拝む兵さえいた。この当時のソフィーとソフィアの名声は、いにしえの術士奇譚に登場する三姉妹に、勝るとも劣らなかったであろう。人々の感覚からすれば、神話の女神が降臨したに近い。
もっとも、部屋の雰囲気は、上官のペドロサが現れてから極北の氷河のように冷たく引き締まった。この男は、表情にぬくもりのひとかけらもない。兵らも、ぴたりと居住まいをただした。よほど厳しい上官らしい。
ペドロサは、報告文がびっしりと書かれたパピルスの束に目を通しながら、ソフィーに対し無言で威圧を与え続けた。
(この人は、自分に好意的ではない)
少なくともソフィーは、そう受け取った。
(ヴァレンティノが、何か話したのかしら)
「術者ソフィー。番兵にそう名乗ったそうだが、間違いないかね」
「間違いありません」
「では何か術を見せてくれるかね。術者であることを証明するんだ」
「どなたか、病気や怪我を負っている方はいらっしゃいますか。治療以外の目的で、術を使うことは固く自戒しております」
「何故」
「必要もなくむやみに術を使えば、かえって自分たちを危険に晒すからです。私たちがもっと気軽に術を使っていたなら、人は私たちを恐れ、迫害していたでしょう」
「ほう」
ペドロサは何やら感心したのか、そのように呟いた。
ソフィーは随行の名士たちに宣言したように、この場で嘘は言うまいと考えていた。ひとつの嘘を隠すために嘘をつくって固めようとすると、どうしても隙が生じる。嘘は、真実で守った方がよい。真実以上に隙のないものはないからである。
「はるか昔はともかく、術者は今では伝説の存在とされている。つまり術者はそれほど自らの存在を秘匿してきたわけだが、術者として力を使おうと思ったのは?」
「父母は、術の使役を固く戒めていました。自分たちが黒死病に侵されたときでさえ、治療を拒否したのです。しかし私と妹は、人々を救う力を持ちながら、座して天命にすべてを委ねることはできないと」
事実である。
「君がエクランに入った理由は?」
「都では状況が落ち着きつつあり、一方でエクランでは未だに黒死病が蔓延っていると聞き、妹と別れてそれぞれで診療にあたろうと」
これも事実である。
「では随行のカッシーニ、トルドーらの目的は?」
「彼らは、私たちを都に招き、宿所や資金の提供ほか、ことごとに援助をしてくれています。今回も、都を離れるに際し、随行を申し出てくれました」
ここに、嘘がある。術者ソフィーの支援は確かにしてくれているが、彼らにとっての主目的はそれではない。隠された重大な罪科が、その裏にある。
ソフィーが平静を装いつつ言い終えると、ペドロサはぬうっと身を乗り出して、ソフィーのペリドットのような瞳をまじまじと見つめた。まさか嘘とはばれていないだろう、とソフィーは思ったが、彼女は生来、嘘があまり得意ではない。というより、嘘とはほとんど無縁に生きてきた。
ペドロサに直視され、ずいぶんと長い時間そうしていて、ソフィーはやがてたまらずに俯いた。嘘も慣れていないが、男にこうも見つめられるのも慣れてはいない。
「君は嘘が下手らしい」
「えっ」
嘘ではありません、と膝の上で震える手を見たまま答えると、ペドロサは衝撃的な事実を明かした。
「ヴァレンテ・ロマーノが、先ほどすべて話してくれた。君たちの仲間はみな叛逆者だと。そして君は何も知らない、無関係であるとな。たとえ仲間を売っても、君のことは一途に守りたいらしい」
「なんのことでしょう」
「いや、もはや隠す必要はない。ルブラン邸で叛乱の企てがされているなか、君がそれを知らぬはずもない。私も鎌をかけてしまったようで、申し訳ない」
どうもこの人の言うことはよく分からない、とソフィーは背中を冷や汗で濡らしながら思った。すべてを知りながら、何故このように彼女と話しているのであろう。彼がその気になれば、ルブラン・サロンの人々は十把一絡げにして首を飛ばされるところである。彼の前にいる者からして、叛乱運動の象徴ともなりうる重要人物なのだ。だが、改めて彼の顔色を盗むように見ると、変化の少ない表情のなかに敵意はなく、威圧感もないように思われる。
ただ、真意が分からない。
「あの」
ソフィーが戸惑いを示すと、ペドロサはすっかり顔面の筋肉を緩め、笑顔ではないがそれに近い穏やかな表情で協力を誓った。
「私も、この国のあり方に不満がある。変えたい、と望む同志の登場を待っていたのだ。そしてあなたはその指導者だ。ぜひ、私を導いてほしい」
「ちょっと待ってください。私は指導者などではありません」
「これ以上の腹の探り合いは無用だ。人望も名声も、そして聡明さも、群を抜いておられる。あなたこそ、次の帝王にふさわしい方だ」
「帝王などになるつもりはさらさらありません。私はそういった活動には本当に関わりがないのです」
ソフィーは泣きそうな思いで言った。まったく、ひどい誤解もあったものだ。彼女らの人望だの名声だの聡明さだの、そういったものが世間では気ままに独り歩きして、今ではことさらに関わりを避けているはずの反国家的活動の指導者ということにされてしまっている。どれほど身辺を清らかにしようとも、ルブラン・サロンと深い付き合いがある以上、今後は解放運動と完全に無縁でいることは難しいらしい。
彼女はなかなか信じようとしないペドロサに粘り強く事情を説明し、カッシーニらと彼を結びつけるまでは請け負ったが、政治の話はついにしなかった。
そして、釈放されたヴァレンティノと対面を果たした。彼はソフィーとソフィアの安全と引き換えに仲間たちを売ったことで、普段の闊達さが嘘のようにしょげていたが、ソフィーから事情を聞き、安堵するとともに、自らの軽率さを深く悔いた。自らの軽はずみな行いが、彼にとっての大切な人々にどれだけの影響を与えうるのか、思い知ったらしい。
彼が解放運動のさなか、ペドロサに脅迫されて仲間について洗いざらい供述したことについては、ソフィーとペドロサ、そしてヴァレンティノ自身のみに秘匿され、その事実はなんとそれから40世代近くにわたって歴史の表舞台に出ることはなかった。
ミネルヴァ暦14世紀末、ロンバルディア教国の女王エスメラルダが推し進めた「史実公開政策」の一環で、ペドロサ公爵家から発見されたディエゴ・ペドロサの残した回顧録の解読が進み、ヴァレンティノの不実が明らかとなった。
ただ、この政策については別に記す機会があろうから、本項では省く。
いずれにしても、ルブラン・サロンはまた一人、重要な同志を加えたことになる。
ディエゴ・ペドロサは直々、ヴァレンティノの留置されている牢へと足を運んでいた。強情な少年で、囚われの身となって以来、一言も発せず、名も、身分も明かさない。明かせば、人に迷惑がかかると思っているらしい。そのくせ、出された食事は残さず平らげるのだから、剛胆なところもある。
実は、彼自身に聞かずとも、ペドロサはすでにこの少年について最低限のことを知っていた。ソフィー一行がエクランに到着して早々、その随員ともども、密偵を使って調べ上げている。術者ソフィーと、随員らはみなそれぞれに名のある名士たちで、護衛も二人いる。そのうちの一人が、目の前にいる少年だ。
少年とはいうが、体格は立派なもので、面構えにも容易ならぬ風格がある。
「ヴァレンテ・ロマーノ」
ペドロサが読み上げるように名前を告げると、少年はぎくりと目を厳しくしたが、すぐに表情を消した。
「実は君らのことは、この町に入ってきたときから始終、監視をしていた。素性はもとより、人柄、人脈、素行。だから君らがこの町に来た目的もおおよそ察しはついている。ペストの診療というのは実は目くらましであろうと」
「……」
「軍を預かる身としては、看過しえぬ問題だ。全員、網にかけて厳しく詮議するつもりでいる。術者ソフィーとやらもな」
なおも言葉は発しなかったが、ソフィーの名前を聞くと、少年は再び顎を上げ、特徴的な赤髪を虎のように逆立てて、敵意を示した。
「君が、術者ソフィーと特別に親しいということも知っている。彼女は純新無垢な心清き術者かもしれんが、取り巻きはそうではない。私は彼らを裁きたいが、より決定的な証人を欲している。君が証言するなら術者ソフィーは助かるが、その様子では死んでも口は割るまい。そうなると、私としては術者ソフィーから情報を引き出すしかないが……」
「やめろッ!」
初めて、ヴァレンティノが口を開いた。その激しい目線を正面から受け止めるペドロサは、あくまで冷淡であり、冷酷である。
「仲間を売るか、術者ソフィーを見捨てるか、どちらか決めるんだ。いいか、私を甘く見るなよ。私はそれが必要だと考えれば、相手が誰であろうと、やるべきことはとことんやる。君が何も言わないなら、今から別の部屋に行き、ソフィーを詰問する」
「この番所に来てるのか!?」
「そうだ。君が言わねば彼女に聞く。彼女はすべての事情を知っているだろう。吐かねば、まず彼女の鼻を削ぐ」
「やめてくれッ!」
今度の口調は、攻撃的な勢いが弱まり、どちらかというと哀願に近くなった。ソフィーに危害が及ぶとなると、途端に弱腰だ。よほど大切に思っているのであろう。
「では話せ。嘘を申し立てればすぐ分かるからな」
「話す、話すよ」
ヴァレンティノは観念し、すべてを話した。それはどれも真実であったが、ひとつだけ虚偽を混ぜた。ソフィーは、ルブラン・サロンの企てには一切、関知も関与もしていないと言ったのである。確かに関与と言えるかどうかは疑わしいが、少なくとも関知はしている。だが関知している、と言えばソフィーに類が及ぶかもしれない。ルブラン・サロンの叛乱計画を知りながら通報しなかったとなれば、それだけでも重罪である。ヴァレンティノとしては、世話になった仲間全員を売ろうとも、ソフィーとソフィアの姉妹にだけは無事でいてほしかった。無論、自分も仲間たちとともに殺されるであろうとしても、である。
「そうか、よく話してくれたな」
冷ややかな声だけを残して、ペドロサは去った。ひーん、と後に残されたヴァレンティノは猿のように泣いて、己の不始末を呪った。カッシーニも、ブーランジェ未亡人も、シャルルも、あるいは都に残るルブランたち、活動中のテオドールやアレックスらも、彼の裏切りのため近いうちに皆殺しになるであろう。
一方、現実のソフィーの扱いは悪くない。彼女のそばにあって監視役を務めている兵も、幻とも伝説とも言われる術者を前にして、つらく接するどころか、何くれとなく世話を焼いてくれた。エクランの人々を救うため、無償で治療を行っていると知り、かつは胸を打つばかりの容姿の美しさに心を奪われ、ひざまずいて拝む兵さえいた。この当時のソフィーとソフィアの名声は、いにしえの術士奇譚に登場する三姉妹に、勝るとも劣らなかったであろう。人々の感覚からすれば、神話の女神が降臨したに近い。
もっとも、部屋の雰囲気は、上官のペドロサが現れてから極北の氷河のように冷たく引き締まった。この男は、表情にぬくもりのひとかけらもない。兵らも、ぴたりと居住まいをただした。よほど厳しい上官らしい。
ペドロサは、報告文がびっしりと書かれたパピルスの束に目を通しながら、ソフィーに対し無言で威圧を与え続けた。
(この人は、自分に好意的ではない)
少なくともソフィーは、そう受け取った。
(ヴァレンティノが、何か話したのかしら)
「術者ソフィー。番兵にそう名乗ったそうだが、間違いないかね」
「間違いありません」
「では何か術を見せてくれるかね。術者であることを証明するんだ」
「どなたか、病気や怪我を負っている方はいらっしゃいますか。治療以外の目的で、術を使うことは固く自戒しております」
「何故」
「必要もなくむやみに術を使えば、かえって自分たちを危険に晒すからです。私たちがもっと気軽に術を使っていたなら、人は私たちを恐れ、迫害していたでしょう」
「ほう」
ペドロサは何やら感心したのか、そのように呟いた。
ソフィーは随行の名士たちに宣言したように、この場で嘘は言うまいと考えていた。ひとつの嘘を隠すために嘘をつくって固めようとすると、どうしても隙が生じる。嘘は、真実で守った方がよい。真実以上に隙のないものはないからである。
「はるか昔はともかく、術者は今では伝説の存在とされている。つまり術者はそれほど自らの存在を秘匿してきたわけだが、術者として力を使おうと思ったのは?」
「父母は、術の使役を固く戒めていました。自分たちが黒死病に侵されたときでさえ、治療を拒否したのです。しかし私と妹は、人々を救う力を持ちながら、座して天命にすべてを委ねることはできないと」
事実である。
「君がエクランに入った理由は?」
「都では状況が落ち着きつつあり、一方でエクランでは未だに黒死病が蔓延っていると聞き、妹と別れてそれぞれで診療にあたろうと」
これも事実である。
「では随行のカッシーニ、トルドーらの目的は?」
「彼らは、私たちを都に招き、宿所や資金の提供ほか、ことごとに援助をしてくれています。今回も、都を離れるに際し、随行を申し出てくれました」
ここに、嘘がある。術者ソフィーの支援は確かにしてくれているが、彼らにとっての主目的はそれではない。隠された重大な罪科が、その裏にある。
ソフィーが平静を装いつつ言い終えると、ペドロサはぬうっと身を乗り出して、ソフィーのペリドットのような瞳をまじまじと見つめた。まさか嘘とはばれていないだろう、とソフィーは思ったが、彼女は生来、嘘があまり得意ではない。というより、嘘とはほとんど無縁に生きてきた。
ペドロサに直視され、ずいぶんと長い時間そうしていて、ソフィーはやがてたまらずに俯いた。嘘も慣れていないが、男にこうも見つめられるのも慣れてはいない。
「君は嘘が下手らしい」
「えっ」
嘘ではありません、と膝の上で震える手を見たまま答えると、ペドロサは衝撃的な事実を明かした。
「ヴァレンテ・ロマーノが、先ほどすべて話してくれた。君たちの仲間はみな叛逆者だと。そして君は何も知らない、無関係であるとな。たとえ仲間を売っても、君のことは一途に守りたいらしい」
「なんのことでしょう」
「いや、もはや隠す必要はない。ルブラン邸で叛乱の企てがされているなか、君がそれを知らぬはずもない。私も鎌をかけてしまったようで、申し訳ない」
どうもこの人の言うことはよく分からない、とソフィーは背中を冷や汗で濡らしながら思った。すべてを知りながら、何故このように彼女と話しているのであろう。彼がその気になれば、ルブラン・サロンの人々は十把一絡げにして首を飛ばされるところである。彼の前にいる者からして、叛乱運動の象徴ともなりうる重要人物なのだ。だが、改めて彼の顔色を盗むように見ると、変化の少ない表情のなかに敵意はなく、威圧感もないように思われる。
ただ、真意が分からない。
「あの」
ソフィーが戸惑いを示すと、ペドロサはすっかり顔面の筋肉を緩め、笑顔ではないがそれに近い穏やかな表情で協力を誓った。
「私も、この国のあり方に不満がある。変えたい、と望む同志の登場を待っていたのだ。そしてあなたはその指導者だ。ぜひ、私を導いてほしい」
「ちょっと待ってください。私は指導者などではありません」
「これ以上の腹の探り合いは無用だ。人望も名声も、そして聡明さも、群を抜いておられる。あなたこそ、次の帝王にふさわしい方だ」
「帝王などになるつもりはさらさらありません。私はそういった活動には本当に関わりがないのです」
ソフィーは泣きそうな思いで言った。まったく、ひどい誤解もあったものだ。彼女らの人望だの名声だの聡明さだの、そういったものが世間では気ままに独り歩きして、今ではことさらに関わりを避けているはずの反国家的活動の指導者ということにされてしまっている。どれほど身辺を清らかにしようとも、ルブラン・サロンと深い付き合いがある以上、今後は解放運動と完全に無縁でいることは難しいらしい。
彼女はなかなか信じようとしないペドロサに粘り強く事情を説明し、カッシーニらと彼を結びつけるまでは請け負ったが、政治の話はついにしなかった。
そして、釈放されたヴァレンティノと対面を果たした。彼はソフィーとソフィアの安全と引き換えに仲間たちを売ったことで、普段の闊達さが嘘のようにしょげていたが、ソフィーから事情を聞き、安堵するとともに、自らの軽率さを深く悔いた。自らの軽はずみな行いが、彼にとっての大切な人々にどれだけの影響を与えうるのか、思い知ったらしい。
彼が解放運動のさなか、ペドロサに脅迫されて仲間について洗いざらい供述したことについては、ソフィーとペドロサ、そしてヴァレンティノ自身のみに秘匿され、その事実はなんとそれから40世代近くにわたって歴史の表舞台に出ることはなかった。
ミネルヴァ暦14世紀末、ロンバルディア教国の女王エスメラルダが推し進めた「史実公開政策」の一環で、ペドロサ公爵家から発見されたディエゴ・ペドロサの残した回顧録の解読が進み、ヴァレンティノの不実が明らかとなった。
ただ、この政策については別に記す機会があろうから、本項では省く。
いずれにしても、ルブラン・サロンはまた一人、重要な同志を加えたことになる。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
【R18】騎士たちの監視対象になりました
ぴぃ
恋愛
異世界トリップしたヒロインが騎士や執事や貴族に愛されるお話。
*R18は告知無しです。
*複数プレイ有り。
*逆ハー
*倫理感緩めです。
*作者の都合の良いように作っています。
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
悪役令嬢が死んだ後
ぐう
恋愛
王立学園で殺人事件が起きた。
被害者は公爵令嬢 加害者は男爵令嬢
男爵令嬢は王立学園で多くの高位貴族令息を侍らせていたと言う。
公爵令嬢は婚約者の第二王子に常に邪険にされていた。
殺害理由はなんなのか?
視察に訪れていた第一王子の目の前で事件は起きた。第一王子が事件を調査する目的は?
*一話に流血・残虐な表現が有ります。話はわかる様になっていますのでお嫌いな方は二話からお読み下さい。
拝啓 私のことが大嫌いな旦那様。あなたがほんとうに愛する私の双子の姉との仲を取り持ちますので、もう私とは離縁してください
ぽんた
恋愛
ミカは、夫を心から愛している。しかし、夫はミカを嫌っている。そして、彼のほんとうに愛する人はミカの双子の姉。彼女は、夫のしあわせを願っている。それゆえ、彼女は誓う。夫に離縁してもらい、夫がほんとうに愛している双子の姉と結婚してしあわせになってもらいたい、と。そして、ついにその機会がやってきた。
※ハッピーエンド確約。タイトル通りです。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。
婚約破棄?貴方程度がわたくしと結婚出来ると本気で思ったの?
三条桜子
恋愛
王都に久しぶりにやって来た。楽しみにしていた舞踏会で突如、婚約破棄を突きつけられた。腕に女性を抱いてる。ん?その子、誰?わたくしがいじめたですって?わたくしなら、そんな平民殺しちゃうわ。ふふふ。ねえ?本気で貴方程度がわたくしと結婚出来ると思っていたの?可笑しい! ◎短いお話。文字数も少なく読みやすいかと思います。全6話。
イラスト/ノーコピーライトガール
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる