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新たなる同志
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オルビアは、アポロニア半島における典型的な西海岸気候であり、一年を通して安定した天候となっている。西からの偏西風の影響はこの地域では少なく、また北側からの寒流が沿岸まで流れ込んでくるため、高緯度なわりに冷涼であり、このためそうした地理的要因を好むブドウがよく育ち、つまりワインの産地である。
この一帯は4年ほど前よりパオロ・アレグリーニという男が州長官として治政の面倒を見ており、評判はなかなかのものである。当人の実力や人望はまずそれなりといったところだが、妻のマリアナというのが聞こえた賢者で、夫をよく助け、ここオルビア地方においても、いわば夫の共同統治者のようにして政務に携わり、領民は満足した。
マリアナはその聡明さもさることながら美貌においても有名で、アレグリーニと出会う前は縁談の申し込みが引きも切らなかったという。家柄もよかったために縁談もよりどりみどりであったろうが、彼女はそのなかでも凡庸で財産もない醜男のアレグリーニを選んで婚姻に及んだ。世人は彼女の物好きを不思議がり、あるいは笑った。乱世ともなると、例えばブラニクやブーランジェ未亡人のような女傑が輩出されることがあるが、それでも一般的には女の価値は嫁ぎ先によって決まるものとされている。特に見るべきところのないアレグリーニのもとへ、知恵も胆力もまさるであろうマリアナが縁付くなど愚かしい限りである、と人が思ったのも無理はないであろう。
だが、それだけにアレグリーニは彼女を溺愛し、三人の子をもうけてからもその寵は衰えることがなかった。アレグリーニ自身、しばしば彼女の進言によって運を開き、とんとん拍子で出世したために、この女には福の神がついている、とでも思ったかもしれない。州長官ともなると、単なる官僚ではなく一国の王のごとき勢威があるものだが、妾も持たなかった。
だから、都で開かれる新年の祝賀会に妻を伴ったことを、彼はのちに激しく後悔した。近頃、先代皇帝の急死によって跡目を継いだ若い皇帝は、肉欲狂いで知られ、しかも若い女ではなく、年上の、しかも人妻を偏執的なほどに好んだ。新年は多くの大臣や官僚、将軍が妻を連れて都に集うが、彼はそこで好みの女を物色し、花顔柳腰で聞こえたマリアナを手籠め同然にして我が愛妾としてしまった。
間抜けなことに、次の日になってようやく妻の姿が見えぬ真相を知ったアレグリーニは、悩乱し、挨拶もせずに自領のオルビア地方へ戻ったが、もともと単独ではさしたる知恵も度胸もない男である。それに、人からの信頼もない。彼の部下や縁族たちは、アレグリーニよりもむしろその妻であるマリアナの才幹と声望を信頼し、従っている。
彼は知性は凡庸だが感性は鋭いところがあって、マリアナを失った彼を見る部下たちの不安げな視線をありありと感じた。精神のよりどころとなる者は妻のほかにおらず、自然の成り行きとして、酒に逃げた。
連日、宴会を催しては放埓な日々を送り、夜通し騒いで昼過ぎにまどろみから醒めるという有り様で、顔はむくみ、呂律も回らない。それでも、女だけは寝所に寄せつけなかったのは、よほど妻を愛していたということと、この男なりに皇帝に犯された哀れな妻に操を立てていたものと思われる。
人心は次第にアレグリーニから離れていったが、一点、好都合なこともあった。憤慨して宮廷から去ったアレグリーニの動向を、叛乱の火種であるとして帝国の間諜がさかんに探ったのだが、四六時中、酒を飲んでから騒ぎをしている姿を全員が報告したため、大臣たちもすっかり警戒を解いていたのであった。
もっともそれが、誰にとって好都合であったか、という問題はあろうが。
テオドールはオルビアに着くなり、正面から政庁を訪ね、身分を明かしてアレグリーニとの面会を求めた。ちなみに彼の身分とは、
「カンペルレ州セーヌ村のルモワーヌ家の当主、テオドールという者」
であり、無論、世間では無名以下の存在である。アレグリーニは州長官だから陳情の類が毎日押し寄せる。歯牙にもかけないのは当然であった。
こういう場合、優先的に取り次いでもらうためにはアレグリーニの側近に多額の賄賂を使って便宜を図るものだが、あいにく、持ち合わせだけでは買収ができそうもない。近頃は世情が不安定で、貨幣の価値が落ちている。
ここで、ルブラン・サロンから連れてきたデュラン書生が存外にも役立った。彼はサロンのメンバーのなかでも珍しく、誠実で実直なだけが取り柄の青年であったが、偶然にもアレグリーニの側近に彼の同窓がおり、この伝手でついにアレグリーニに会うことができた。しかし、アレグリーニは長官としての政務はほとんど放棄してしまっているので、彼の個人的な食欲をそそるために、近頃、都を中心に話題になっている術者姉妹の話をする、ということになっている。
「おぉ、お前たちか、術者の話を聞かせてくれる旅人というのは」
何しろ、この時代である。娯楽は極めて少なく、しかも田舎であり、女遊びもやらない。狩りも苦手だった。アレグリーニにとっての楽しみは酒のほか、踊り子の舞いを見たり、旅芸人の大道芸やお抱えの詩人による音楽を楽しんだり、あとは地方貴族などというのはとにかく絶望的なほどに暇を持て余すものである。
カーボベルデの都で流行りの術者の話をする、と聞けば無邪気なほどに喜んだ。
テオドールは実際、ソフィーとソフィアの起こす奇跡の数々について、丁寧に紹介していった。その素朴な話ぶりにはユーモアが欠けていたが、要点がおさえられており、ストーリーもあって、アレグリーニを決して退屈させなかった。何より、話者であるテオドールに対する不思議な安心感と信頼感を抱かせるに充分な体験であった。
彼はテオドールを気に入り、夕食に招待した。夕食の場には側近らは同席せず、給仕役のメイドだけが同席する。腹が膨れて上機嫌のアレグリーニに、テオドールは駆け引きや思惑などといった混じり気のない瞳で率直に打ち明けた。
「アレグリーニ様。実は私は帝国の打倒を志す一派の、指導者をしております」
「君が帝国の打倒を?」
途端に、アレグリーニの哄笑が室内に響き渡った。彼にとっては、ずいぶんと上出来な法螺だったのであろう。まだ20歳そこそこの、しかも野心も覇気もまったく感じられない温厚なこの坊やが、帝国打倒運動の指導者だという。なるほど、笑い話にしかなりえない。
陪席するデュランは、アレグリーニが信じてくれそうにないことに少々慌てたが、テオドールは温和な表情を崩さず、目には痛いほどの誠意がある。
アレグリーニは笑い続けたが、微動だにしないテオドールの様子に次第に違和感を覚えた。彼のご機嫌をとるための冗談であれば、この青年も追従笑いをするのが当然ではないか。
その違和感が、やがて彼の解釈を偽から真へと傾斜を深めたときに、彼の笑いはぴたりと消えた。無意識に、声が低くなる。
「それで、その指導者殿が私のもとを訪れた真の目的は?」
「勧誘です」
「実に、明快な答えだな。それでその動機は?」
「苦しむ人々を救いたい。そのためには、体制を転換することが」
「いやいや、違うな。それは君の言葉ではあるまい。君のような人間が、そんな大仰な言葉を用いるはずがない。人の言葉で人の志を語るのではなく、自分の言葉で自分の志を語りたまえ」
「それでは」
と、テオドールは姿勢を改め、彼本来の言葉で胸のうちを披露した。
「今、カーボベルデの都で、人々のため懸命に働いている術者は、ソフィーとソフィアの姉妹です。彼女たちとは、いわば幼馴染の間柄で、同じ村で同じ年に生まれ、ともに育ちました。私はソフィアを愛していて、できることなら一生を添い遂げたいと思っております」
「ほほう、深い仲というわけかね」
「約束はしていません。ただ、私には術者である彼女を命のある限り守っていきたいという覚悟があります」
「立派な志だ。国をどうこうしようなどという野心よりも、たったひとりの大切な者を守ってゆくという覚悟の方が、よほど美しく、崇高で、また貴重だと言えるだろうな」
「私は望まれて指導者の地位を受けましたが、今、解放運動を担ってくれている人々の方が、今の政府官僚よりも、よい国を築いてゆけるという確信があります。人々を災厄から救い、みなでよい暮らしをつくりたい。彼女のその志を支えるためにも、私は私で、人々を導くささやかな標になれたらと願っているのです」
「この乱れた世に、君のような純朴な青年がいたか」
アレグリーニの丸く見開いた大きな目が、魅入られたように熱くテオドールの姿へと視線を注いでいる。テオドールの言葉には派手さも猛々しさもないが、あふれるような真実が含まれている。この真実こそが、今の世で人々が最も求めているものなのかもしれない。
アレグリーニは、同心を承諾した。彼も、皇帝に妻を奪われた憤激だけで鬱々としているのではない。無能な官僚、卑小な佞臣、横暴な軍人、怠惰な司直、そうした中央の腐りきった弊風には彼自身、うんざりしている。州長官として地方王国に住みついていても、中央からの干渉や介入は避けられない。
この青年ならば、乱れた糸を解きほぐし、一枚の美しい布を編むことができるかもしれない。その布を使ってどのような衣装を仕立てるか、それは後に続く者がやればよい。
そして何よりも、この場に彼の妻マリアナがいたなら、彼女はこの若者を信じたであろう。この若者を信じるように、彼を諭したに違いない。彼にとって、判断材料はそれだけでよかった。
「テオドール、いやルモワーヌ殿か。私は妻を取り戻す。君はソフィアという、その女性を守ってやるといい。そしてともに豊かな国づくりを目指そう。偉大なる術者姉妹の魂とともにあらんことを」
「アレグリーニ様、ありがとうございます。そしてどうか、私のことはテオと。私たちは主従ではなく、友であり、同志だと思っています」
「よし、では私のこともパオロと呼んでくれ」
この夜以来、アレグリーニはまるで別人のように酒を断ち、精力的に政務をこなし、人心を収攬し、さらには密かに軍の拡大と訓練に励んだ。すぐには決起しない。今、情熱のほとばしるままに暴発しても、すぐに都から大軍が迫って押しつぶされるだけである。時期が訪れたと判断したときに、使いを寄越すから、その際に挙兵すべし、となっている。
密約の翌日、初めての任務を期待以上に達成したテオドールは、ソフィアの待つ都へと戻っていった。
文字通り、命懸けの任務であった。しかしそれは、ソフィアを守るというあの約束と、決して矛盾するものではない。
彼のやろうとしていること、やっていることは、ソフィアの志に沿うものであり、両者の目指す先は姿こそ多少違えど、基本的には一致している。
人々が、病や、あるいは無能な支配者という災厄から逃れ、苦しみをともに分かち合い、ささやかだが尽きることのない豊かさを享受できる、平和で希望の見える国にしたい。
そのために、ソフィーも、ソフィアも、テオドールも、ルブラン・サロンの人々も、それぞれができうる限りにおいて尽力しているのであった。
この一帯は4年ほど前よりパオロ・アレグリーニという男が州長官として治政の面倒を見ており、評判はなかなかのものである。当人の実力や人望はまずそれなりといったところだが、妻のマリアナというのが聞こえた賢者で、夫をよく助け、ここオルビア地方においても、いわば夫の共同統治者のようにして政務に携わり、領民は満足した。
マリアナはその聡明さもさることながら美貌においても有名で、アレグリーニと出会う前は縁談の申し込みが引きも切らなかったという。家柄もよかったために縁談もよりどりみどりであったろうが、彼女はそのなかでも凡庸で財産もない醜男のアレグリーニを選んで婚姻に及んだ。世人は彼女の物好きを不思議がり、あるいは笑った。乱世ともなると、例えばブラニクやブーランジェ未亡人のような女傑が輩出されることがあるが、それでも一般的には女の価値は嫁ぎ先によって決まるものとされている。特に見るべきところのないアレグリーニのもとへ、知恵も胆力もまさるであろうマリアナが縁付くなど愚かしい限りである、と人が思ったのも無理はないであろう。
だが、それだけにアレグリーニは彼女を溺愛し、三人の子をもうけてからもその寵は衰えることがなかった。アレグリーニ自身、しばしば彼女の進言によって運を開き、とんとん拍子で出世したために、この女には福の神がついている、とでも思ったかもしれない。州長官ともなると、単なる官僚ではなく一国の王のごとき勢威があるものだが、妾も持たなかった。
だから、都で開かれる新年の祝賀会に妻を伴ったことを、彼はのちに激しく後悔した。近頃、先代皇帝の急死によって跡目を継いだ若い皇帝は、肉欲狂いで知られ、しかも若い女ではなく、年上の、しかも人妻を偏執的なほどに好んだ。新年は多くの大臣や官僚、将軍が妻を連れて都に集うが、彼はそこで好みの女を物色し、花顔柳腰で聞こえたマリアナを手籠め同然にして我が愛妾としてしまった。
間抜けなことに、次の日になってようやく妻の姿が見えぬ真相を知ったアレグリーニは、悩乱し、挨拶もせずに自領のオルビア地方へ戻ったが、もともと単独ではさしたる知恵も度胸もない男である。それに、人からの信頼もない。彼の部下や縁族たちは、アレグリーニよりもむしろその妻であるマリアナの才幹と声望を信頼し、従っている。
彼は知性は凡庸だが感性は鋭いところがあって、マリアナを失った彼を見る部下たちの不安げな視線をありありと感じた。精神のよりどころとなる者は妻のほかにおらず、自然の成り行きとして、酒に逃げた。
連日、宴会を催しては放埓な日々を送り、夜通し騒いで昼過ぎにまどろみから醒めるという有り様で、顔はむくみ、呂律も回らない。それでも、女だけは寝所に寄せつけなかったのは、よほど妻を愛していたということと、この男なりに皇帝に犯された哀れな妻に操を立てていたものと思われる。
人心は次第にアレグリーニから離れていったが、一点、好都合なこともあった。憤慨して宮廷から去ったアレグリーニの動向を、叛乱の火種であるとして帝国の間諜がさかんに探ったのだが、四六時中、酒を飲んでから騒ぎをしている姿を全員が報告したため、大臣たちもすっかり警戒を解いていたのであった。
もっともそれが、誰にとって好都合であったか、という問題はあろうが。
テオドールはオルビアに着くなり、正面から政庁を訪ね、身分を明かしてアレグリーニとの面会を求めた。ちなみに彼の身分とは、
「カンペルレ州セーヌ村のルモワーヌ家の当主、テオドールという者」
であり、無論、世間では無名以下の存在である。アレグリーニは州長官だから陳情の類が毎日押し寄せる。歯牙にもかけないのは当然であった。
こういう場合、優先的に取り次いでもらうためにはアレグリーニの側近に多額の賄賂を使って便宜を図るものだが、あいにく、持ち合わせだけでは買収ができそうもない。近頃は世情が不安定で、貨幣の価値が落ちている。
ここで、ルブラン・サロンから連れてきたデュラン書生が存外にも役立った。彼はサロンのメンバーのなかでも珍しく、誠実で実直なだけが取り柄の青年であったが、偶然にもアレグリーニの側近に彼の同窓がおり、この伝手でついにアレグリーニに会うことができた。しかし、アレグリーニは長官としての政務はほとんど放棄してしまっているので、彼の個人的な食欲をそそるために、近頃、都を中心に話題になっている術者姉妹の話をする、ということになっている。
「おぉ、お前たちか、術者の話を聞かせてくれる旅人というのは」
何しろ、この時代である。娯楽は極めて少なく、しかも田舎であり、女遊びもやらない。狩りも苦手だった。アレグリーニにとっての楽しみは酒のほか、踊り子の舞いを見たり、旅芸人の大道芸やお抱えの詩人による音楽を楽しんだり、あとは地方貴族などというのはとにかく絶望的なほどに暇を持て余すものである。
カーボベルデの都で流行りの術者の話をする、と聞けば無邪気なほどに喜んだ。
テオドールは実際、ソフィーとソフィアの起こす奇跡の数々について、丁寧に紹介していった。その素朴な話ぶりにはユーモアが欠けていたが、要点がおさえられており、ストーリーもあって、アレグリーニを決して退屈させなかった。何より、話者であるテオドールに対する不思議な安心感と信頼感を抱かせるに充分な体験であった。
彼はテオドールを気に入り、夕食に招待した。夕食の場には側近らは同席せず、給仕役のメイドだけが同席する。腹が膨れて上機嫌のアレグリーニに、テオドールは駆け引きや思惑などといった混じり気のない瞳で率直に打ち明けた。
「アレグリーニ様。実は私は帝国の打倒を志す一派の、指導者をしております」
「君が帝国の打倒を?」
途端に、アレグリーニの哄笑が室内に響き渡った。彼にとっては、ずいぶんと上出来な法螺だったのであろう。まだ20歳そこそこの、しかも野心も覇気もまったく感じられない温厚なこの坊やが、帝国打倒運動の指導者だという。なるほど、笑い話にしかなりえない。
陪席するデュランは、アレグリーニが信じてくれそうにないことに少々慌てたが、テオドールは温和な表情を崩さず、目には痛いほどの誠意がある。
アレグリーニは笑い続けたが、微動だにしないテオドールの様子に次第に違和感を覚えた。彼のご機嫌をとるための冗談であれば、この青年も追従笑いをするのが当然ではないか。
その違和感が、やがて彼の解釈を偽から真へと傾斜を深めたときに、彼の笑いはぴたりと消えた。無意識に、声が低くなる。
「それで、その指導者殿が私のもとを訪れた真の目的は?」
「勧誘です」
「実に、明快な答えだな。それでその動機は?」
「苦しむ人々を救いたい。そのためには、体制を転換することが」
「いやいや、違うな。それは君の言葉ではあるまい。君のような人間が、そんな大仰な言葉を用いるはずがない。人の言葉で人の志を語るのではなく、自分の言葉で自分の志を語りたまえ」
「それでは」
と、テオドールは姿勢を改め、彼本来の言葉で胸のうちを披露した。
「今、カーボベルデの都で、人々のため懸命に働いている術者は、ソフィーとソフィアの姉妹です。彼女たちとは、いわば幼馴染の間柄で、同じ村で同じ年に生まれ、ともに育ちました。私はソフィアを愛していて、できることなら一生を添い遂げたいと思っております」
「ほほう、深い仲というわけかね」
「約束はしていません。ただ、私には術者である彼女を命のある限り守っていきたいという覚悟があります」
「立派な志だ。国をどうこうしようなどという野心よりも、たったひとりの大切な者を守ってゆくという覚悟の方が、よほど美しく、崇高で、また貴重だと言えるだろうな」
「私は望まれて指導者の地位を受けましたが、今、解放運動を担ってくれている人々の方が、今の政府官僚よりも、よい国を築いてゆけるという確信があります。人々を災厄から救い、みなでよい暮らしをつくりたい。彼女のその志を支えるためにも、私は私で、人々を導くささやかな標になれたらと願っているのです」
「この乱れた世に、君のような純朴な青年がいたか」
アレグリーニの丸く見開いた大きな目が、魅入られたように熱くテオドールの姿へと視線を注いでいる。テオドールの言葉には派手さも猛々しさもないが、あふれるような真実が含まれている。この真実こそが、今の世で人々が最も求めているものなのかもしれない。
アレグリーニは、同心を承諾した。彼も、皇帝に妻を奪われた憤激だけで鬱々としているのではない。無能な官僚、卑小な佞臣、横暴な軍人、怠惰な司直、そうした中央の腐りきった弊風には彼自身、うんざりしている。州長官として地方王国に住みついていても、中央からの干渉や介入は避けられない。
この青年ならば、乱れた糸を解きほぐし、一枚の美しい布を編むことができるかもしれない。その布を使ってどのような衣装を仕立てるか、それは後に続く者がやればよい。
そして何よりも、この場に彼の妻マリアナがいたなら、彼女はこの若者を信じたであろう。この若者を信じるように、彼を諭したに違いない。彼にとって、判断材料はそれだけでよかった。
「テオドール、いやルモワーヌ殿か。私は妻を取り戻す。君はソフィアという、その女性を守ってやるといい。そしてともに豊かな国づくりを目指そう。偉大なる術者姉妹の魂とともにあらんことを」
「アレグリーニ様、ありがとうございます。そしてどうか、私のことはテオと。私たちは主従ではなく、友であり、同志だと思っています」
「よし、では私のこともパオロと呼んでくれ」
この夜以来、アレグリーニはまるで別人のように酒を断ち、精力的に政務をこなし、人心を収攬し、さらには密かに軍の拡大と訓練に励んだ。すぐには決起しない。今、情熱のほとばしるままに暴発しても、すぐに都から大軍が迫って押しつぶされるだけである。時期が訪れたと判断したときに、使いを寄越すから、その際に挙兵すべし、となっている。
密約の翌日、初めての任務を期待以上に達成したテオドールは、ソフィアの待つ都へと戻っていった。
文字通り、命懸けの任務であった。しかしそれは、ソフィアを守るというあの約束と、決して矛盾するものではない。
彼のやろうとしていること、やっていることは、ソフィアの志に沿うものであり、両者の目指す先は姿こそ多少違えど、基本的には一致している。
人々が、病や、あるいは無能な支配者という災厄から逃れ、苦しみをともに分かち合い、ささやかだが尽きることのない豊かさを享受できる、平和で希望の見える国にしたい。
そのために、ソフィーも、ソフィアも、テオドールも、ルブラン・サロンの人々も、それぞれができうる限りにおいて尽力しているのであった。
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