上 下
31 / 46

第30話 へし折れた扇子

しおりを挟む
「ア、アストル様っ!? 今はこんなことをしている場合では……!」

 すぐさま我に返った私は、アストル様の腕の中で抵抗を試みる。

 けれど、何故かアストル様は私を離してはくれない。

 前方──アストル様にとっては背後──から騒がしい声と足音がどんどん近付いて来ているというのに、それが彼に聞こえていない筈はないのに、どうして?

「アストル!? あなた何をしてるの!?」

 ああ、ほら。

 とうとう愛妾の方が私達のすぐ側まで来てしまった。

 そこで私を抱きしめるアストル様の姿を見て、驚愕に顔を引き攣らせている。

 そんな彼女の顔を見ても私は「ざまあみろ」とは思えず、自分が彼女と同じ立ち位置になった時、同じように表情を引き攣らせるのだろうな、と冷静に考えてしまう。

 だって私もアストル様のことが好きだから。

 できれば彼には、私だけを見ていて欲しいと願っているから。

「ちょっと! 離れなさいよ!」

 だから彼女が突然近付いて来て、私の背中に回されたアストル様の腕を引き剥がしにかかっても、何ら不敬だとは思わなかった。

 私が彼女と同じ立場でも、きっとそうする。

 自分の大好きな人が目の前で他の女を抱きしめているなんて、どう考えても耐えられないわよね。

 私なんて、彼と他の女性が話している姿を見るだけで、嫉妬の炎を燃え上がらせているのに。

 アストル様の背中越しに周囲へ視線をやると、使用人達はどうしたら良いのか分からないようで、両手を上げた状態でオロオロしている。

 いくら平民とはいえ、彼女は女性だものね。下手に手を出して傷を付けてはいけないと思っているのでしょう。

 それには私も同意だけれど、だったらこの場合どうするのが一番良いのか……。

 チラリとアストル様を見上げるも、彼は表情を歪ませながら私のことを抱きしめ続けている。

 いや、この場合あなたがどうにかするべきですよね?

 さっさと私の身体を離して、愛妾の方と向き合うべきでは?

 と思うも、やっぱりこの場に及んでも逃げてるんだろうなぁ……などと理解できてしまう悲しい私。

 ここで『愛妾より私のことを選んでくれるのね……!』なんて恋愛小説ばりのお花畑思考ができれば幸せだったのだろうけれど。

 次期侯爵として勉強漬けの日々を送って来た私の脳内は、もの凄く冷静に状況を分析してしまっている。

 このままの状態でいた所で何も解決しないだろうし、すぐに物事から逃避しようとするアストル様の性根を、少しだけでも叩き直すチャンス!

 私は今のこの状況を、前向きにそう捉えることにした。

 手始めに、未だぎゅうぎゅうと私を抱きしめ続けるアストル様の耳へ、小さな声で囁きかける。

「アストル様……苦しいです。少し腕の力を緩めてはいただけませんか?」
「あっ……! す、すまない」

 ビクリとしてアストル様が腕から力を抜いた瞬間、間髪入れず私は彼の身体を突き飛ばした!

「うわぁっ!?」
「きゃあっ!」

 と同時に、彼の腕にしがみ付くようにしていた愛妾の方も反動で体勢を崩したようで、背後からもドサっと倒れるような音が聞こえる。けれど、私はそちらには目もくれず、尻餅をついたアストル様の後ろに素早く回り込んだ。

 お二人の間に私がいては、お話がしにくいでしょうからね。これは私からの気遣いです。

「ク、クロディーヌ……?」

 それなのにアストル様は、戸惑ったように私の顔を見上げて来る。

 いやいや、今は私のことなんて気にせず、愛妾の方とお話をしていただきたいのですが──。

「アストル! どういうことなのっ!?」
「うわっ!」

 おっと……愛妾の方は動きが俊敏ですのね。

 尻餅を付いた状態のままでいるアストル様の膝の上に……乗らないで下さいませ!

 クワッと目を見開いて家令へと視線を向ければ、彼はすぐさま指示を出し、護衛騎士達が愛妾の方をアストル様から引き離す。

 分かっている……分かってはいますのよ。

 愛妾に迎えるということは……お二人は愛し合っているのですものね。だから、こんなことはきっと日常茶飯事……。

 これぐらいのことで目鯨をたてていては、この先上手くやっていくことなど不可能。

 だと分かっていても、嫌なものは嫌! 目の前で見せつけられるのは耐えられない!

 音もなく近付いて来たメイサから扇子を手渡され、怒りのままに握力で扇子をへし折る。

 バキッ! という音にアストル様含め使用人達が驚きの目を向けて来たような気がするけれど……構っている場合ではないわ。

 アストル様と愛妾の方が一緒にいるところなんて見たくないけれど、ここで逃げたら二人の話の顛末が迷宮入りになってしまう。

 もちろん後から使用人に話を聞くという方法も有りだろうけれど、人伝てだと間違って伝わることが多いから、そんなことで誤解してしまうのも嫌だし、どちらにしろ逃げ出した所で意識は離れないのだから……意味ないわよね。

 へし折れた扇子をそのまま力任せにギリギリと握り続けていると、メイサがそっと折れた扇子を鉄扇と替えてくれた。

 さすが私付きの侍女。最高に気が利くわね。

 これなら力一杯握りしめられる──と再び手に力を込めた時、アストル様に近付けないよう護衛騎士に両腕を拘束された愛妾の方が、大声で喚いた。

「アストル! ちゃんと説明してよ! 今のはどういうことなの? 奥様といちゃつくなんて聞いてない! 私の愛妾の話はどうなってるのよっ!?」

 
 
 

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

〈完結〉八年間、音沙汰のなかった貴方はどちら様ですか?

詩海猫
恋愛
私の家は子爵家だった。 高位貴族ではなかったけれど、ちゃんと裕福な貴族としての暮らしは約束されていた。 泣き虫だった私に「リーアを守りたいんだ」と婚約してくれた侯爵家の彼は、私に黙って戦争に言ってしまい、いなくなった。 私も泣き虫の子爵令嬢をやめた。 八年後帰国した彼は、もういない私を探してるらしい。 *文字数的に「短編か?」という量になりましたが10万文字以下なので短編です。この後各自のアフターストーリーとか書けたら書きます。そしたら10万文字超えちゃうかもしれないけど短編です。こんなにかかると思わず、「転生王子〜」が大幅に滞ってしまいましたが、次はあちらに集中予定(あくまで予定)です、あちらもよろしくお願いします*

離婚したらどうなるのか理解していない夫に、笑顔で離婚を告げました。

Mayoi
恋愛
実家の財政事情が悪化したことでマティルダは夫のクレイグに相談を持ち掛けた。 ところがクレイグは過剰に反応し、利用価値がなくなったからと離婚すると言い出した。 なぜ財政事情が悪化していたのか、マティルダの実家を失うことが何を意味するのか、クレイグは何も知らなかった。

悪役令嬢に仕立て上げたいのならば、悪役令嬢になってあげましょう。ただし。

三谷朱花
恋愛
私、クリスティアーヌは、ゼビア王国の皇太子の婚約者だ。だけど、学院の卒業を祝うべきパーティーで、婚約者であるファビアンに悪事を突き付けられることになった。その横にはおびえた様子でファビアンに縋り付き私を見る男爵令嬢ノエリアがいる。うつむきわなわな震える私は、顔を二人に向けた。悪役令嬢になるために。

本日はお日柄も良く、白い結婚おめでとうございます。

待鳥園子
恋愛
とある誤解から、白い結婚を二年続け別れてしまうはずだった夫婦。 しかし、別れる直前だったある日、夫の態度が豹変してしまう出来事が起こった。 ※両片思い夫婦の誤解が解けるさまを、にやにやしながら読むだけの短編です。

貴方が側妃を望んだのです

cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。 「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。 誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。 ※2022年6月12日。一部書き足しました。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。  史実などに基づいたものではない事をご理解ください。 ※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。  表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。 ※更新していくうえでタグは幾つか増えます。 ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

【完結】もう誰にも恋なんてしないと誓った

Mimi
恋愛
 声を出すこともなく、ふたりを見つめていた。  わたしにとって、恋人と親友だったふたりだ。    今日まで身近だったふたりは。  今日から一番遠いふたりになった。    *****  伯爵家の後継者シンシアは、友人アイリスから交際相手としてお薦めだと、幼馴染みの侯爵令息キャメロンを紹介された。  徐々に親しくなっていくシンシアとキャメロンに婚約の話がまとまり掛ける。  シンシアの誕生日の婚約披露パーティーが近付いた夏休み前のある日、シンシアは急ぐキャメロンを見掛けて彼の後を追い、そして見てしまった。  お互いにただの幼馴染みだと口にしていた恋人と親友の口づけを……  * 無自覚の上から目線  * 幼馴染みという特別感  * 失くしてからの後悔   幼馴染みカップルの当て馬にされてしまった伯爵令嬢、してしまった親友視点のお話です。 中盤は略奪した親友側の視点が続きますが、当て馬令嬢がヒロインです。 本編完結後に、力量不足故の幕間を書き加えており、最終話と重複しています。 ご了承下さいませ。 他サイトにも公開中です

【改稿版・完結】その瞳に魅入られて

おもち。
恋愛
「——君を愛してる」 そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった—— 幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。 あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは…… 『最初から愛されていなかった』 その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。 私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。  『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』  『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』 でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。 必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。 私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……? ※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。 ※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。 ※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。 ※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。

処理中です...