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第二十七話 逃亡

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「え? え~と……閨事か……そうだな……」

 相変わらず視線をうろうろと彷徨わせ、返事に困ったかのように頬を掻くアストル様。

 初夜の時とはまったく別人のようになってしまった彼の様子に、私は驚きを隠せない。

 ……いえ、どちらかというと本来のアストル様はこういう感じなのよね。

 寧ろ初夜の時に見せた、ちょっと偉そうな態度のアストル様がおかしかっただけで。

 十年間もの長い間、私が婚約者として付き合ってきたアストル様は気弱で、とても優しい人だった。

 だからこそ、長きにわたる私との婚約関係を継続するために並々ならぬ努力を続け、政略結婚をせねばならない私のためにも、理想の婚約者といえる態度で接し続けてくれたのだと思う。

 まさかそのせいで、外部に癒しを求めなければやっていけないほど彼の心が疲弊していたなんて、まったく気付かなかったけれど。

 そう考えてみると、アストル様が愛妾を迎える宣言をなさったことは、彼の辛い胸の内に気付くことのできなかった私の自業自得ともいえる。

 まだ彼と婚約期間中であった頃に、私がもっとアストル様の気持ちに寄り添えていたら……。

 婚約者時代の私は結婚後に慌てなくて済むようにと、少しでも時間があれば時期侯爵としての勉強に精を出し、アストル様と会っている時でさえも、頭の片隅で領地経営のことを考えていたような気がする。

 結婚さえしてしまえばアストル様との時間は嫌というほど持つことができるのだから、そのために今は我慢すべきだと。

 アストル様も私がそういった立場であるからこそ婚約者になったのだし、だから当然私の気持ちは理解してくれていると思っていた。

 ただ、頭で理解していても心が追いつかないこともあるということに、私が思い至らなかっただけで……。

 だとすると、アストル様が愛妾を迎えることは、そんな私に対する罰なのだろうか。

 長きにわたる婚約期間中に、アストル様の辛い心境を慮ろうとすらしなかった無神経な私への──。

 ならば私にできることは一つしかない。

「……アストル様。私は基本的に愛妾の方について口出しする気はございません。ですが邸に迎えるとあらば、それなりに準備も必要となって参りますので、お迎えするお日にちだけは教えていただけますか?」

 自分でも驚くほどに冷たい声が出た。

 こうなったのは自分のせいだ。

 侯爵家の勉強にかまけてアストル様をおざなりに扱った結果、引き起こしてしまったこと。

 だから私に傷付く資格なんてない。できるのは、次期侯爵として毅然とした態度で接することだけだ。

「ク、クロディーヌ、愛妾については──」
「では本日はこれで。愛妾の方とのことは決まり次第お教え下さいませ」

「えっ!?」と呆気にとられているアストル様の胸に手を置き、私はその身体を廊下へと押し出す。

 部屋から追い出されることに気付いたアストル様は慌てて手を伸ばそうとしたけれど、私の方が早かった。

「ま、待って──」 
「ごめんなさい、アストル様」

 言うだけ言って、さっさと扉を閉めてしまう。

 外から開けられないよう鍵をかけてしまえば、暫くの後、足音が部屋の前から遠去かっていった。

 これで今日の閨は無事に拒否することができただろう。

 いや、もしかしたら、もうこれで一生ないかも?

「なんて、流石にそういうわけにはいかないわよね……」 

 私と結婚した以上、彼には後継を作る義務がある。

 たとえ愛妾を迎えても、私と離縁する気はないようだし、だからこそ今日も夫婦の寝室で私を待っていたのだろうから。

 幸いにも、私の身体の痛みは大分良くなっているし、明日の夜には問題なく行為に臨めるだろう。

 ただ心配なのは、閨事をして痛みがぶり返したりしないわよね? ということ。

 丸二日間続いた痛みのことを考えると、どうしても考えが後ろ向きになってしまうのだ。

 それに、愛妾の方を迎えるのか迎えないのか、彼女との閨はどうするのかなど、大切なことは何も聞けていない。

 尤も、それを聞かずにアストル様を部屋から追い出したのは私だから、今それをどうこう言うのは間違っていると思うけれど。

 アストル様は昔から、人に問い詰められるのが苦手だった。

 自分で決めたことなら貫けば良いだけなのに、横から誰かに口を挟まれると答えに窮してしまうことが度々あって、時には誤魔化したり、逃げたりして真正面から向き合っているところを見たことは殆どない。

 公爵家三男という立場から、今まではそれでも家族や家柄に守られて、問題はなかったのでしょう。

 だけど私の夫となったからには、それでは困る。

 今日の昼間、第二王子に対してやらかした時のようなことをされては困るのだ。

 やるな、とは言わない──あの時のアストル様は格好良かったし──けれど、やったらやったで自分で後始末をつけるようにして貰わなくては。

 愛妾を迎えるにしても、その後だ。

 侯爵家の後継ぎとして、まずは私がアストル様を教育しよう。








 

 
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