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第十二話 門の前で
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「……クロディーヌ……寝たのか?」
腕の中から逃げ出さぬよう、強引に抱きしめていたクロディーヌから寝息のようなものが聞こえてきて、俺はそっと腕を緩めた。
そうして彼女の顔を見れば、安らかな寝顔をしているものの、涙のせいで肌は荒れ、目の周りは赤く腫れ上がっていて。美しい彼女の顔が、大変なことになっている。
クロディーヌと付き合ってきた十年間、あれほどまでに酷く涙を流す彼女を見たことはない。
つまり、彼女が見たと言った門の前での光景は、クロディーヌの心にそれだけ傷を付けたということだ。
だが俺は、誓ってエイミーと口付けなどはしていない。クロディーヌは会話をする俺とエイミーの何処を見て、そのように思ったのだろうか。
俺は眠るクロディーヌの髪を指で梳きながら、門の前でエイミーとあった時のことを思い返した……──。
俺がエイミーに遭遇したのは、侯爵家からの帰り道だった。
否、遭遇したという言い方は正しくないな。彼女はどうやら俺が出掛けたことを知っていて、門の側で帰りを待っていたようだから、待ち伏せにあった、と言う方が正しいだろう。
「エイミー、どうしたんだ? 昨日会ったばかりじゃないか。何か用事でもできたのか?」
彼女を愛妾にすると宣言したものの、それはあくまで意趣返しとしてクロディーヌに告げただけであるし、本気で愛妾として迎えるつもりはない。だから正直あまり頻繁に会うのは困る。もし使用人達に気付かれようものなら、あらぬ誤解を受けるかもしれないし。
俺は素早く辺りを見回し、エイミーの手を引く。
「取り敢えず、場所を移動しよう」
ここでは人目につきすぎる。
そう思い、移動しようとしたのだが、そんな俺の手を何故かエイミーは振り払った。
「すぐ帰るからここで大丈夫よ。アストルあなた、昨日はちゃんと初夜を拒んだんでしょうね?」
あまりにもストレートな物言いに、俺は一瞬返事に詰まる。
彼女には、恥じらいというものがないのだろうか? こんな真っ昼間から、大声で言うようなことではないだろう。何処で誰が聞いているかも分からないのに。
「エイミー、それは……」
問いに対する返事をしようか、先に彼女を嗜めるべきかを迷い、口籠る。
それを彼女は違う方向へと解釈したらしい。
腰を曲げて視線を下げると、俺を睨め付けるようにして見上げてきた。
「なんで答えてくれないの? 私は昨日、白い結婚を貫くようにアドバイスしたわよね? だからその始まりとなる初夜をきっちり拒んでくれたかどうかを聞きたいんだけど」
なんだ、そういうことか。
初夜を拒否した──実際には致してしまったが──後の行動について、教えに来てくれたんだな。
昨日は白い結婚を貫くようにと言われたが、そんなことをしたら離縁されるかもしれない、ということをエイミーに伝えられなかったから、丁度良かった。
ちゃっかり初夜を済ませたことは内密にして、白い結婚とならない方へのアドバイスをしてもらうことにしよう。
俺は楽観的にそう考え、「もちろん拒否したよ」と嘘を吐く。
別に本当のことを言っても良かったのだが、それで話が長くなっても困るし、初夜を済ませたところで、どうということはないだろう。何故なら俺とクロディーヌは、歴とした夫婦なのだから。
「で? 初夜を拒否した後はどうしたら良いんだ? このまま白い結婚を貫くというのは……どうにも無理があると思うんだが」
するとエイミーは、まるで俺がおかしなことを言ったとでもいうように、不思議そうな顔をした。
「あら、どうして? 奥様と第二王子の恋心を燃え上がらせないようにするために、白い結婚は必要だって言ったじゃない。だから無理とか無理じゃないとか、そういう問題じゃないでしょう?」
「し、しかしだな、クロディーヌは侯爵家の跡取りなんだぞ。跡取りが子供を産まないというのは──」
「そんなの、養子でもなんでももらえば良いでしょ。子供ができない場合はそういう方法もあるって聞いたことあるわ」
くっ……。平民のくせに、いらぬ知識ばっかり持ちやがって……。
表立ってクロディーヌとの関係が許されないことに、つい苛立ちを感じてしまう。
「けど白い結婚を続けた場合、早ければ三年で離縁されてしまうんだぞ? 離縁されたら本末転倒じゃないのか?」
「三年も二人の仲を邪魔できたら十分じゃない? それに第二王子ももう結婚するには遅いぐらいの年齢なんだから、三年もあれば流石に他の人と結婚してるわよ」
……駄目だ、話が通じない。
俺はクロディーヌと離縁したくないと言っているのに、それについてはどうでも良い、と思っているであろうエイミーの感情が透けて見える。
エイミーはこんなにも話の通じない女性だっただろうか? 平民にしては賢い部類に入ると思っていたのだが。
ああでも、これまでもところどころ意味不明な時はあったな。それが今また出てきたということなんだろうか。
彼女には今まで色々と助けになってもらったから、できれば冷たくしたくはない。
出来ることなら優しくしてあげたいが……俺がクロディーヌに離縁されても構わない、というような物言いには腹が立つ。
腕の中から逃げ出さぬよう、強引に抱きしめていたクロディーヌから寝息のようなものが聞こえてきて、俺はそっと腕を緩めた。
そうして彼女の顔を見れば、安らかな寝顔をしているものの、涙のせいで肌は荒れ、目の周りは赤く腫れ上がっていて。美しい彼女の顔が、大変なことになっている。
クロディーヌと付き合ってきた十年間、あれほどまでに酷く涙を流す彼女を見たことはない。
つまり、彼女が見たと言った門の前での光景は、クロディーヌの心にそれだけ傷を付けたということだ。
だが俺は、誓ってエイミーと口付けなどはしていない。クロディーヌは会話をする俺とエイミーの何処を見て、そのように思ったのだろうか。
俺は眠るクロディーヌの髪を指で梳きながら、門の前でエイミーとあった時のことを思い返した……──。
俺がエイミーに遭遇したのは、侯爵家からの帰り道だった。
否、遭遇したという言い方は正しくないな。彼女はどうやら俺が出掛けたことを知っていて、門の側で帰りを待っていたようだから、待ち伏せにあった、と言う方が正しいだろう。
「エイミー、どうしたんだ? 昨日会ったばかりじゃないか。何か用事でもできたのか?」
彼女を愛妾にすると宣言したものの、それはあくまで意趣返しとしてクロディーヌに告げただけであるし、本気で愛妾として迎えるつもりはない。だから正直あまり頻繁に会うのは困る。もし使用人達に気付かれようものなら、あらぬ誤解を受けるかもしれないし。
俺は素早く辺りを見回し、エイミーの手を引く。
「取り敢えず、場所を移動しよう」
ここでは人目につきすぎる。
そう思い、移動しようとしたのだが、そんな俺の手を何故かエイミーは振り払った。
「すぐ帰るからここで大丈夫よ。アストルあなた、昨日はちゃんと初夜を拒んだんでしょうね?」
あまりにもストレートな物言いに、俺は一瞬返事に詰まる。
彼女には、恥じらいというものがないのだろうか? こんな真っ昼間から、大声で言うようなことではないだろう。何処で誰が聞いているかも分からないのに。
「エイミー、それは……」
問いに対する返事をしようか、先に彼女を嗜めるべきかを迷い、口籠る。
それを彼女は違う方向へと解釈したらしい。
腰を曲げて視線を下げると、俺を睨め付けるようにして見上げてきた。
「なんで答えてくれないの? 私は昨日、白い結婚を貫くようにアドバイスしたわよね? だからその始まりとなる初夜をきっちり拒んでくれたかどうかを聞きたいんだけど」
なんだ、そういうことか。
初夜を拒否した──実際には致してしまったが──後の行動について、教えに来てくれたんだな。
昨日は白い結婚を貫くようにと言われたが、そんなことをしたら離縁されるかもしれない、ということをエイミーに伝えられなかったから、丁度良かった。
ちゃっかり初夜を済ませたことは内密にして、白い結婚とならない方へのアドバイスをしてもらうことにしよう。
俺は楽観的にそう考え、「もちろん拒否したよ」と嘘を吐く。
別に本当のことを言っても良かったのだが、それで話が長くなっても困るし、初夜を済ませたところで、どうということはないだろう。何故なら俺とクロディーヌは、歴とした夫婦なのだから。
「で? 初夜を拒否した後はどうしたら良いんだ? このまま白い結婚を貫くというのは……どうにも無理があると思うんだが」
するとエイミーは、まるで俺がおかしなことを言ったとでもいうように、不思議そうな顔をした。
「あら、どうして? 奥様と第二王子の恋心を燃え上がらせないようにするために、白い結婚は必要だって言ったじゃない。だから無理とか無理じゃないとか、そういう問題じゃないでしょう?」
「し、しかしだな、クロディーヌは侯爵家の跡取りなんだぞ。跡取りが子供を産まないというのは──」
「そんなの、養子でもなんでももらえば良いでしょ。子供ができない場合はそういう方法もあるって聞いたことあるわ」
くっ……。平民のくせに、いらぬ知識ばっかり持ちやがって……。
表立ってクロディーヌとの関係が許されないことに、つい苛立ちを感じてしまう。
「けど白い結婚を続けた場合、早ければ三年で離縁されてしまうんだぞ? 離縁されたら本末転倒じゃないのか?」
「三年も二人の仲を邪魔できたら十分じゃない? それに第二王子ももう結婚するには遅いぐらいの年齢なんだから、三年もあれば流石に他の人と結婚してるわよ」
……駄目だ、話が通じない。
俺はクロディーヌと離縁したくないと言っているのに、それについてはどうでも良い、と思っているであろうエイミーの感情が透けて見える。
エイミーはこんなにも話の通じない女性だっただろうか? 平民にしては賢い部類に入ると思っていたのだが。
ああでも、これまでもところどころ意味不明な時はあったな。それが今また出てきたということなんだろうか。
彼女には今まで色々と助けになってもらったから、できれば冷たくしたくはない。
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