13 / 46
第十二話 門の前で
しおりを挟む
「……クロディーヌ……寝たのか?」
腕の中から逃げ出さぬよう、強引に抱きしめていたクロディーヌから寝息のようなものが聞こえてきて、俺はそっと腕を緩めた。
そうして彼女の顔を見れば、安らかな寝顔をしているものの、涙のせいで肌は荒れ、目の周りは赤く腫れ上がっていて。美しい彼女の顔が、大変なことになっている。
クロディーヌと付き合ってきた十年間、あれほどまでに酷く涙を流す彼女を見たことはない。
つまり、彼女が見たと言った門の前での光景は、クロディーヌの心にそれだけ傷を付けたということだ。
だが俺は、誓ってエイミーと口付けなどはしていない。クロディーヌは会話をする俺とエイミーの何処を見て、そのように思ったのだろうか。
俺は眠るクロディーヌの髪を指で梳きながら、門の前でエイミーとあった時のことを思い返した……──。
俺がエイミーに遭遇したのは、侯爵家からの帰り道だった。
否、遭遇したという言い方は正しくないな。彼女はどうやら俺が出掛けたことを知っていて、門の側で帰りを待っていたようだから、待ち伏せにあった、と言う方が正しいだろう。
「エイミー、どうしたんだ? 昨日会ったばかりじゃないか。何か用事でもできたのか?」
彼女を愛妾にすると宣言したものの、それはあくまで意趣返しとしてクロディーヌに告げただけであるし、本気で愛妾として迎えるつもりはない。だから正直あまり頻繁に会うのは困る。もし使用人達に気付かれようものなら、あらぬ誤解を受けるかもしれないし。
俺は素早く辺りを見回し、エイミーの手を引く。
「取り敢えず、場所を移動しよう」
ここでは人目につきすぎる。
そう思い、移動しようとしたのだが、そんな俺の手を何故かエイミーは振り払った。
「すぐ帰るからここで大丈夫よ。アストルあなた、昨日はちゃんと初夜を拒んだんでしょうね?」
あまりにもストレートな物言いに、俺は一瞬返事に詰まる。
彼女には、恥じらいというものがないのだろうか? こんな真っ昼間から、大声で言うようなことではないだろう。何処で誰が聞いているかも分からないのに。
「エイミー、それは……」
問いに対する返事をしようか、先に彼女を嗜めるべきかを迷い、口籠る。
それを彼女は違う方向へと解釈したらしい。
腰を曲げて視線を下げると、俺を睨め付けるようにして見上げてきた。
「なんで答えてくれないの? 私は昨日、白い結婚を貫くようにアドバイスしたわよね? だからその始まりとなる初夜をきっちり拒んでくれたかどうかを聞きたいんだけど」
なんだ、そういうことか。
初夜を拒否した──実際には致してしまったが──後の行動について、教えに来てくれたんだな。
昨日は白い結婚を貫くようにと言われたが、そんなことをしたら離縁されるかもしれない、ということをエイミーに伝えられなかったから、丁度良かった。
ちゃっかり初夜を済ませたことは内密にして、白い結婚とならない方へのアドバイスをしてもらうことにしよう。
俺は楽観的にそう考え、「もちろん拒否したよ」と嘘を吐く。
別に本当のことを言っても良かったのだが、それで話が長くなっても困るし、初夜を済ませたところで、どうということはないだろう。何故なら俺とクロディーヌは、歴とした夫婦なのだから。
「で? 初夜を拒否した後はどうしたら良いんだ? このまま白い結婚を貫くというのは……どうにも無理があると思うんだが」
するとエイミーは、まるで俺がおかしなことを言ったとでもいうように、不思議そうな顔をした。
「あら、どうして? 奥様と第二王子の恋心を燃え上がらせないようにするために、白い結婚は必要だって言ったじゃない。だから無理とか無理じゃないとか、そういう問題じゃないでしょう?」
「し、しかしだな、クロディーヌは侯爵家の跡取りなんだぞ。跡取りが子供を産まないというのは──」
「そんなの、養子でもなんでももらえば良いでしょ。子供ができない場合はそういう方法もあるって聞いたことあるわ」
くっ……。平民のくせに、いらぬ知識ばっかり持ちやがって……。
表立ってクロディーヌとの関係が許されないことに、つい苛立ちを感じてしまう。
「けど白い結婚を続けた場合、早ければ三年で離縁されてしまうんだぞ? 離縁されたら本末転倒じゃないのか?」
「三年も二人の仲を邪魔できたら十分じゃない? それに第二王子ももう結婚するには遅いぐらいの年齢なんだから、三年もあれば流石に他の人と結婚してるわよ」
……駄目だ、話が通じない。
俺はクロディーヌと離縁したくないと言っているのに、それについてはどうでも良い、と思っているであろうエイミーの感情が透けて見える。
エイミーはこんなにも話の通じない女性だっただろうか? 平民にしては賢い部類に入ると思っていたのだが。
ああでも、これまでもところどころ意味不明な時はあったな。それが今また出てきたということなんだろうか。
彼女には今まで色々と助けになってもらったから、できれば冷たくしたくはない。
出来ることなら優しくしてあげたいが……俺がクロディーヌに離縁されても構わない、というような物言いには腹が立つ。
腕の中から逃げ出さぬよう、強引に抱きしめていたクロディーヌから寝息のようなものが聞こえてきて、俺はそっと腕を緩めた。
そうして彼女の顔を見れば、安らかな寝顔をしているものの、涙のせいで肌は荒れ、目の周りは赤く腫れ上がっていて。美しい彼女の顔が、大変なことになっている。
クロディーヌと付き合ってきた十年間、あれほどまでに酷く涙を流す彼女を見たことはない。
つまり、彼女が見たと言った門の前での光景は、クロディーヌの心にそれだけ傷を付けたということだ。
だが俺は、誓ってエイミーと口付けなどはしていない。クロディーヌは会話をする俺とエイミーの何処を見て、そのように思ったのだろうか。
俺は眠るクロディーヌの髪を指で梳きながら、門の前でエイミーとあった時のことを思い返した……──。
俺がエイミーに遭遇したのは、侯爵家からの帰り道だった。
否、遭遇したという言い方は正しくないな。彼女はどうやら俺が出掛けたことを知っていて、門の側で帰りを待っていたようだから、待ち伏せにあった、と言う方が正しいだろう。
「エイミー、どうしたんだ? 昨日会ったばかりじゃないか。何か用事でもできたのか?」
彼女を愛妾にすると宣言したものの、それはあくまで意趣返しとしてクロディーヌに告げただけであるし、本気で愛妾として迎えるつもりはない。だから正直あまり頻繁に会うのは困る。もし使用人達に気付かれようものなら、あらぬ誤解を受けるかもしれないし。
俺は素早く辺りを見回し、エイミーの手を引く。
「取り敢えず、場所を移動しよう」
ここでは人目につきすぎる。
そう思い、移動しようとしたのだが、そんな俺の手を何故かエイミーは振り払った。
「すぐ帰るからここで大丈夫よ。アストルあなた、昨日はちゃんと初夜を拒んだんでしょうね?」
あまりにもストレートな物言いに、俺は一瞬返事に詰まる。
彼女には、恥じらいというものがないのだろうか? こんな真っ昼間から、大声で言うようなことではないだろう。何処で誰が聞いているかも分からないのに。
「エイミー、それは……」
問いに対する返事をしようか、先に彼女を嗜めるべきかを迷い、口籠る。
それを彼女は違う方向へと解釈したらしい。
腰を曲げて視線を下げると、俺を睨め付けるようにして見上げてきた。
「なんで答えてくれないの? 私は昨日、白い結婚を貫くようにアドバイスしたわよね? だからその始まりとなる初夜をきっちり拒んでくれたかどうかを聞きたいんだけど」
なんだ、そういうことか。
初夜を拒否した──実際には致してしまったが──後の行動について、教えに来てくれたんだな。
昨日は白い結婚を貫くようにと言われたが、そんなことをしたら離縁されるかもしれない、ということをエイミーに伝えられなかったから、丁度良かった。
ちゃっかり初夜を済ませたことは内密にして、白い結婚とならない方へのアドバイスをしてもらうことにしよう。
俺は楽観的にそう考え、「もちろん拒否したよ」と嘘を吐く。
別に本当のことを言っても良かったのだが、それで話が長くなっても困るし、初夜を済ませたところで、どうということはないだろう。何故なら俺とクロディーヌは、歴とした夫婦なのだから。
「で? 初夜を拒否した後はどうしたら良いんだ? このまま白い結婚を貫くというのは……どうにも無理があると思うんだが」
するとエイミーは、まるで俺がおかしなことを言ったとでもいうように、不思議そうな顔をした。
「あら、どうして? 奥様と第二王子の恋心を燃え上がらせないようにするために、白い結婚は必要だって言ったじゃない。だから無理とか無理じゃないとか、そういう問題じゃないでしょう?」
「し、しかしだな、クロディーヌは侯爵家の跡取りなんだぞ。跡取りが子供を産まないというのは──」
「そんなの、養子でもなんでももらえば良いでしょ。子供ができない場合はそういう方法もあるって聞いたことあるわ」
くっ……。平民のくせに、いらぬ知識ばっかり持ちやがって……。
表立ってクロディーヌとの関係が許されないことに、つい苛立ちを感じてしまう。
「けど白い結婚を続けた場合、早ければ三年で離縁されてしまうんだぞ? 離縁されたら本末転倒じゃないのか?」
「三年も二人の仲を邪魔できたら十分じゃない? それに第二王子ももう結婚するには遅いぐらいの年齢なんだから、三年もあれば流石に他の人と結婚してるわよ」
……駄目だ、話が通じない。
俺はクロディーヌと離縁したくないと言っているのに、それについてはどうでも良い、と思っているであろうエイミーの感情が透けて見える。
エイミーはこんなにも話の通じない女性だっただろうか? 平民にしては賢い部類に入ると思っていたのだが。
ああでも、これまでもところどころ意味不明な時はあったな。それが今また出てきたということなんだろうか。
彼女には今まで色々と助けになってもらったから、できれば冷たくしたくはない。
出来ることなら優しくしてあげたいが……俺がクロディーヌに離縁されても構わない、というような物言いには腹が立つ。
360
お気に入りに追加
830
あなたにおすすめの小説

〈完結〉八年間、音沙汰のなかった貴方はどちら様ですか?
詩海猫
恋愛
私の家は子爵家だった。
高位貴族ではなかったけれど、ちゃんと裕福な貴族としての暮らしは約束されていた。
泣き虫だった私に「リーアを守りたいんだ」と婚約してくれた侯爵家の彼は、私に黙って戦争に言ってしまい、いなくなった。
私も泣き虫の子爵令嬢をやめた。
八年後帰国した彼は、もういない私を探してるらしい。
*文字数的に「短編か?」という量になりましたが10万文字以下なので短編です。この後各自のアフターストーリーとか書けたら書きます。そしたら10万文字超えちゃうかもしれないけど短編です。こんなにかかると思わず、「転生王子〜」が大幅に滞ってしまいましたが、次はあちらに集中予定(あくまで予定)です、あちらもよろしくお願いします*

政略結婚で「新興国の王女のくせに」と馬鹿にされたので反撃します
nanahi
恋愛
政略結婚により新興国クリューガーから因習漂う隣国に嫁いだ王女イーリス。王宮に上がったその日から「子爵上がりの王が作った新興国風情が」と揶揄される。さらに側妃の陰謀で王との夜も邪魔され続け、次第に身の危険を感じるようになる。
イーリスが邪険にされる理由は父が王と交わした婚姻の条件にあった。財政難で困窮している隣国の王は巨万の富を得たイーリスの父の財に目をつけ、婚姻を打診してきたのだ。資金援助と引き換えに父が提示した条件がこれだ。
「娘イーリスが王子を産んだ場合、その子を王太子とすること」
すでに二人の側妃の間にそれぞれ王子がいるにも関わらずだ。こうしてイーリスの輿入れは王宮に波乱をもたらすことになる。
私達、政略結婚ですから。
黎
恋愛
オルヒデーエは、来月ザイデルバスト王子との結婚を控えていた。しかし2年前に王宮に来て以来、王子とはろくに会わず話もしない。一方で1年前現れたレディ・トゥルペは、王子に指輪を贈られ、二人きりで会ってもいる。王子に自分達の関係性を問いただすも「政略結婚だが」と知らん顔、レディ・トゥルペも、オルヒデーエに向かって「政略結婚ですから」としたり顔。半年前からは、レディ・トゥルペに数々の嫌がらせをしたという噂まで流れていた。
それが罪状として読み上げられる中、オルヒデーエは王子との数少ない思い出を振り返り、その処断を待つ。

婚約破棄された令嬢のささやかな幸福
香木陽灯(旧:香木あかり)
恋愛
田舎の伯爵令嬢アリシア・ローデンには婚約者がいた。
しかし婚約者とアリシアの妹が不貞を働き、子を身ごもったのだという。
「結婚は家同士の繋がり。二人が結ばれるなら私は身を引きましょう。どうぞお幸せに」
婚約破棄されたアリシアは潔く身を引くことにした。
婚約破棄という烙印が押された以上、もう結婚は出来ない。
ならば一人で生きていくだけ。
アリシアは王都の外れにある小さな家を買い、そこで暮らし始める。
「あぁ、最高……ここなら一人で自由に暮らせるわ!」
初めての一人暮らしを満喫するアリシア。
趣味だった刺繍で生計が立てられるようになった頃……。
「アリシア、頼むから戻って来てくれ! 俺と結婚してくれ……!」
何故か元婚約者がやってきて頭を下げたのだ。
しかし丁重にお断りした翌日、
「お姉様、お願いだから戻ってきてください! あいつの相手はお姉様じゃなきゃ無理です……!」
妹までもがやってくる始末。
しかしアリシアは微笑んで首を横に振るばかり。
「私はもう結婚する気も家に戻る気もありませんの。どうぞお幸せに」
家族や婚約者は知らないことだったが、実はアリシアは幸せな生活を送っていたのだった。

愛を求めることはやめましたので、ご安心いただけますと幸いです!
風見ゆうみ
恋愛
わたしの婚約者はレンジロード・ブロフコス侯爵令息。彼に愛されたくて、自分なりに努力してきたつもりだった。でも、彼には昔から好きな人がいた。
結婚式当日、レンジロード様から「君も知っていると思うが、私には愛する女性がいる。君と結婚しても、彼女のことを忘れたくないから忘れない。そして、私と君の結婚式を彼女に見られたくない」と言われ、結婚式を中止にするためにと階段から突き落とされてしまう。
レンジロード様に突き落とされたと訴えても、信じてくれる人は少数だけ。レンジロード様はわたしが階段を踏み外したと言う上に、わたしには話を合わせろと言う。
こんな人のどこが良かったのかしら???
家族に相談し、離婚に向けて動き出すわたしだったが、わたしの変化に気がついたレンジロード様が、なぜかわたしにかまうようになり――

冷遇する婚約者に、冷たさをそのままお返しします。
ねむたん
恋愛
貴族の娘、ミーシャは婚約者ヴィクターの冷酷な仕打ちによって自信と感情を失い、無感情な仮面を被ることで自分を守るようになった。エステラ家の屋敷と庭園の中で静かに過ごす彼女の心には、怒りも悲しみも埋もれたまま、何も感じない日々が続いていた。
事なかれ主義の両親の影響で、エステラ家の警備はガバガバですw
寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。
にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。
父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。
恋に浮かれて、剣を捨た。
コールと結婚をして初夜を迎えた。
リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。
ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。
結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。
混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。
もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと……
お読みいただき、ありがとうございます。
エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。
それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

愛しているからこそ、彼の望み通り婚約解消をしようと思います【完結済み】
皇 翼
恋愛
「俺は、お前の様な馬鹿な女と結婚などするつもりなどない。だからお前と婚約するのは、表面上だけだ。俺が22になり、王位を継承するその時にお前とは婚約を解消させてもらう。分かったな?」
お見合いの場。二人きりになった瞬間開口一番に言われた言葉がこれだった。
初対面の人間にこんな発言をする人間だ。好きになるわけない……そう思っていたのに、恋とはままならない。共に過ごして、彼の色んな表情を見ている内にいつの間にか私は彼を好きになってしまっていた――。
好き……いや、愛しているからこそ、彼を縛りたくない。だからこのまま潔く消えることで、婚約解消したいと思います。
******
・感想欄は完結してから開きます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる