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第四話 絶望
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「あぁ……完全にやらかした……」
新妻と暮らす新居から、ヒースメイル侯爵家へと向かう道すがら、俺は内心で頭を抱えていた。
結婚初夜で「君を愛するつもりはない」というお決まりの科白を吐いたのは、俺が密かに友人として付き合っている平民──エイミーから入れ知恵されたからだ。
そこそこ美人でスタイルも良く、お嬢様然としたクロディーヌは、侯爵家の跡取りという立場を抜きにしても評判が良く、昔から多くの男達にチヤホヤされていた。
それでも彼女は決して驕ることなく貴族令嬢として正しく彼らに接し、婚約者である俺のことを決して蔑ろにはしなかった。寧ろ様々な場面で優遇してくれて、他の貴族令息達から嫉妬混じりのやっかみを受けたほどだ。
そんな彼女だったから、婚姻後に得られる立場はもちろんのこと、婚約者として自分も恥じることのないようにと、精一杯理想とされる婚約者を目指して振る舞ってきた。
その甲斐あって、結婚まであと一年となった頃には、他のどの婚約者達より自分達は仲睦まじかったと思う。
だが、しかし。
結婚まであと一年となったところで、俺は衝撃的な場面に出会してしまったのだ。
それは、仕事の都合で王宮に缶詰めとなった父親に、着替えを持って行った時のこと。
三階の廊下の窓から、なんとはなしに庭園を見下ろすと、そこに一組の男女がいるのが目に入った。
「あれは……」
どちらの姿にも見覚えがあるような気がして、俺は目を凝らして食い入るように二人を見つめた。
違う……よな? クロディーヌがこんな所にいる筈はない。俺の思い違いだ……。
どう見ても自分の婚約者に見える女性の姿に動揺し、縋るような思いで見つめていたのだが、そんな俺に対して現実は残酷だった。
仲良さ気に話しながら庭園を歩いていた男女は、不意に男性が女性を引き寄せたと思ったら、その身体を包み込むかのように抱きしめたのだ。
「まさか、そんな……」
女が男の身体に腕を回すことはなかったが、それでも嫌がっているようには見えなかった。
ただ、男の好きなようにさせている──そのような雰囲気を感じ取ることができた。
けれど、抱きしめられても嫌がらない時点で、女にも少しは気持ちがあるのではないか? 人目を気にして腕を回さないだけで、本当は抱きしめ合いたいのでは?
そんな風にも思えてしまって。
もう、帰ろう──。
男女の正体を知りたかった筈なのに、その時の俺は二人が誰なのかを確かめることが怖くなってしまっていて。
踵を返し、窓から離れる際に俺はもう一度だけ庭園へと目を向けた。今思えば、何故そんなことをしたんだと、馬鹿な自分を殴り付けたくなる。
目を向けた先には、此方へと近づいて来ているクロディーヌの姿があった。そしてその後ろを、戯れているかのように、わざとゆっくり追いかけてくる第二王子の姿。
無論、その時俺がいたのは三階の廊下であるから、クロディーヌが俺に気付いたわけではない。単に俺がいる方角にある王宮の入り口へと、偶然向かっていただけだ。
クロディーヌが此方へ走って来なければ、気が付かずにいられたのに。
俺が最後にもう一度振り向いたりしなければ、何も知らずにいられたのに。
俺はどうして、振り向いてしまったんだ?
「振り向かなければ良かった……。いや、そもそも王宮などに来なければ……っ!」
いくら後悔しても、時間が巻き戻ることはない。
信じたくない、信じられないという気持ちが、胸の中で渦巻いていく。
あれはどう見てもクロディーヌだった。
婚約者として頻繁に会っていたのだ。見間違える筈がない。
「どうして? どうしてなんだっ……」
第二王子がクロディーヌに、今もしつこく言い寄っているという話は聞いていた。
それでも、クロディーヌは婚約者である俺を大事にしてくれるからと、想っていてくれるからと、心配も何もしていなかった。
「だけど本当は、そうじゃなかった?」
俺達は所謂政略結婚だ。
けれど折角だから形だけの夫婦であるより、気持ちの伴った夫婦になろうとお互いに望み、その為に努力してきた。交流も密にし、信頼関係を地道にだが着実に築き上げてきた筈だった。
なのにそれが、こうも簡単に裏切られるなんて。
「もしかしたら、今までにも……」
嫌な考えが、俺の頭を過ぎる。
二人が王宮内の庭園で会うのは、今日が初めてではないかもしれない。
今までにも何度か逢瀬を重ねているのかもしれない。
本当は婚約者を俺から王子へと替えたいのに、今更婚約を解消したいと言い出せず、こっそりと二人で会っているのでは……。
そんな考えに、頭の中が支配される。
「違う……。クロディーヌはそんな女じゃない……」
そう自分に言い聞かせようとするも、一度疑いだしてしまえば、もうダメだった。
それまで幸せに満ちていた俺の心は疑心暗鬼に陥り、以前のようにクロディーヌを信じることができなくなってしまったのだ。
「クロディーヌ……俺の、俺のものだったのに……」
その日から、俺の心は深い深い絶望の底に沈んでいった。
新妻と暮らす新居から、ヒースメイル侯爵家へと向かう道すがら、俺は内心で頭を抱えていた。
結婚初夜で「君を愛するつもりはない」というお決まりの科白を吐いたのは、俺が密かに友人として付き合っている平民──エイミーから入れ知恵されたからだ。
そこそこ美人でスタイルも良く、お嬢様然としたクロディーヌは、侯爵家の跡取りという立場を抜きにしても評判が良く、昔から多くの男達にチヤホヤされていた。
それでも彼女は決して驕ることなく貴族令嬢として正しく彼らに接し、婚約者である俺のことを決して蔑ろにはしなかった。寧ろ様々な場面で優遇してくれて、他の貴族令息達から嫉妬混じりのやっかみを受けたほどだ。
そんな彼女だったから、婚姻後に得られる立場はもちろんのこと、婚約者として自分も恥じることのないようにと、精一杯理想とされる婚約者を目指して振る舞ってきた。
その甲斐あって、結婚まであと一年となった頃には、他のどの婚約者達より自分達は仲睦まじかったと思う。
だが、しかし。
結婚まであと一年となったところで、俺は衝撃的な場面に出会してしまったのだ。
それは、仕事の都合で王宮に缶詰めとなった父親に、着替えを持って行った時のこと。
三階の廊下の窓から、なんとはなしに庭園を見下ろすと、そこに一組の男女がいるのが目に入った。
「あれは……」
どちらの姿にも見覚えがあるような気がして、俺は目を凝らして食い入るように二人を見つめた。
違う……よな? クロディーヌがこんな所にいる筈はない。俺の思い違いだ……。
どう見ても自分の婚約者に見える女性の姿に動揺し、縋るような思いで見つめていたのだが、そんな俺に対して現実は残酷だった。
仲良さ気に話しながら庭園を歩いていた男女は、不意に男性が女性を引き寄せたと思ったら、その身体を包み込むかのように抱きしめたのだ。
「まさか、そんな……」
女が男の身体に腕を回すことはなかったが、それでも嫌がっているようには見えなかった。
ただ、男の好きなようにさせている──そのような雰囲気を感じ取ることができた。
けれど、抱きしめられても嫌がらない時点で、女にも少しは気持ちがあるのではないか? 人目を気にして腕を回さないだけで、本当は抱きしめ合いたいのでは?
そんな風にも思えてしまって。
もう、帰ろう──。
男女の正体を知りたかった筈なのに、その時の俺は二人が誰なのかを確かめることが怖くなってしまっていて。
踵を返し、窓から離れる際に俺はもう一度だけ庭園へと目を向けた。今思えば、何故そんなことをしたんだと、馬鹿な自分を殴り付けたくなる。
目を向けた先には、此方へと近づいて来ているクロディーヌの姿があった。そしてその後ろを、戯れているかのように、わざとゆっくり追いかけてくる第二王子の姿。
無論、その時俺がいたのは三階の廊下であるから、クロディーヌが俺に気付いたわけではない。単に俺がいる方角にある王宮の入り口へと、偶然向かっていただけだ。
クロディーヌが此方へ走って来なければ、気が付かずにいられたのに。
俺が最後にもう一度振り向いたりしなければ、何も知らずにいられたのに。
俺はどうして、振り向いてしまったんだ?
「振り向かなければ良かった……。いや、そもそも王宮などに来なければ……っ!」
いくら後悔しても、時間が巻き戻ることはない。
信じたくない、信じられないという気持ちが、胸の中で渦巻いていく。
あれはどう見てもクロディーヌだった。
婚約者として頻繁に会っていたのだ。見間違える筈がない。
「どうして? どうしてなんだっ……」
第二王子がクロディーヌに、今もしつこく言い寄っているという話は聞いていた。
それでも、クロディーヌは婚約者である俺を大事にしてくれるからと、想っていてくれるからと、心配も何もしていなかった。
「だけど本当は、そうじゃなかった?」
俺達は所謂政略結婚だ。
けれど折角だから形だけの夫婦であるより、気持ちの伴った夫婦になろうとお互いに望み、その為に努力してきた。交流も密にし、信頼関係を地道にだが着実に築き上げてきた筈だった。
なのにそれが、こうも簡単に裏切られるなんて。
「もしかしたら、今までにも……」
嫌な考えが、俺の頭を過ぎる。
二人が王宮内の庭園で会うのは、今日が初めてではないかもしれない。
今までにも何度か逢瀬を重ねているのかもしれない。
本当は婚約者を俺から王子へと替えたいのに、今更婚約を解消したいと言い出せず、こっそりと二人で会っているのでは……。
そんな考えに、頭の中が支配される。
「違う……。クロディーヌはそんな女じゃない……」
そう自分に言い聞かせようとするも、一度疑いだしてしまえば、もうダメだった。
それまで幸せに満ちていた俺の心は疑心暗鬼に陥り、以前のようにクロディーヌを信じることができなくなってしまったのだ。
「クロディーヌ……俺の、俺のものだったのに……」
その日から、俺の心は深い深い絶望の底に沈んでいった。
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