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48 もう今更です
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「歩けないっ……て、どういうことなの?」
レスターの口から出た言葉が俄には信じられず、私はつい聞き返してしまう。
嘘だと思ったわけではない。冗談だとも思わない。ただ、彼が歩けなくなるなんて、予想だにしていなかったから──。
最近の彼は、よく笑顔を見せてくれるようになっていた。
自分の将来についても、こんな大怪我をさせられてまで殿下の側近になるつもりはないから、今からでも別の道を探すと、何とかして私のお父様を納得させられる仕事を見つけてみせると息巻いていた。
そんな彼のやる気を削いでしまうのは何だか申し訳なくて、婚約破棄の話は明日にしよう、明日こそ婚約破棄について話をしよう──と思いながら日々を過ごしているうちに、今日まできてしまったけれど。
まさかここへきて彼の将来が閉ざされてしまうだなんて、考えてもみなかった。
「背中の……神経が傷付いているとかで……足自体には何の問題もないんだが、足を動かすための神経が、駄目になっているんだそうだ」
レスターが私の身体を解放しつつ、ポツリポツリと事情を説明してくれる。
「それって、治らないの?」
言ってから、しまったと思った。
治せるものなら、二度と歩けないなんて、口にするはずがないのに。
「ごめんなさい……失言だったわ」
謝ると、レスターは私の問いに苦い顔をして答えた。
「治せるものなら僕だって治してもらうさ。だけど、今の医療技術では無理だそうだ。だから僕はもう……自分の足で歩くことは、二度と……っ」
言いながら再び辛さが込み上げて来たのか、レスターは自身の足を殴り付ける。
「駄目よレスター!」
いくらもう動かせないとはいえ、自傷行為を見過ごすわけにはいかない。
私はレスターの手を止めるべく、彼の手を握ったのだけれど──。
「離せユリア! 歩けないならこんな足なんかいらない! もういらないんだ!」
と暴れられ、レスターが腕を振り回した拍子に私が床へ倒れ込めば、彼は青い顔で謝罪した後、両手で顔を覆ってしまった。
「ごめん、ユリア、ごめん。僕は、最低だ……」
全身を震わせるレスターが可哀想で、私はそっと彼の手の上から自分の手を重ねる。
「良いのよレスター。あまりにも衝撃的なことがあったのだもの。今は仕方がないわ」
慰めるようにそう言うと、彼は大きくしゃくり上げた後、子供のように声を上げて泣きだした。
まるで、全身の水分を出し尽くしてしまうかのように。それと同時に、悲しみがすべて流れ落ちてしまうようにと。
私には、そんな風に思えた。
そうして、暫く彼を見つめていたら、ふと頭に疑問が浮かんだ。
こんな状態のレスターに、私は婚約破棄を告げるの?
明るい未来を閉ざされて、打ちひしがれているレスターに?
今彼に婚約破棄を言い出せば、彼は間違いなく歩けなくなったせいだと誤解するだろう。
それは違うといくら言っても、信じてもらえるとは思えない。寧ろ違うなら、何故今言うのかと責められるかもしれない。
既にレスターの両親には一度話を通してはいるけれど、そもそもコーラル侯爵は婚約破棄に反対していたし、私に好意的だった侯爵夫人も、彼がこんな状態になってしまった以上、どう出てくるか分からない。
お父様は逆に、手のひらを返して婚約破棄をすすめてきそうな気がするけれど。
どちらにせよ、婚約破棄するならレスター本人の意見も聞かなければならない。となると、彼の気持ちが落ち着くのを待たなければいけないわけで。
こんなことになってしまった彼に、気持ちが落ち着く日なんてくるのだろうか? もし自分が同じ目に遭ったとしたら、永遠にそんな日は来ないような気がする。
けれどこのまま流されて結婚してしまうのは、絶対に間違っているとも思う。
ごめんね、レスター……。
涙を流し続けるレスターを見つめながら、私は心の中で謝罪する。
彼の将来が暗いものになったと知りながらも、婚約破棄を取りやめない私はきっと、冷たい人間なのだろう。
彼の最後のお茶会の時の言葉を私が許し、学園での行動をすべて許せるような広い心の持ち主なら、このまま彼と結婚することもできたのかもしれない。だけど私はそんなに心が広くもないし、レスターのことが好きだった分、学園での彼の仕打ちには酷く傷付けられ、何度も辛い思いをしてきた。
学園だけじゃない。週末に行われるはずだった両家の食事会、定期的な外出。それらすべてが一度として実現されず、手紙を出しても『忙しい』という返事のみ。
これを三年間も黙って受け入れて結婚するなど、どんなに彼のことを好きでも無理な話だった。
だからこそ、婚約破棄しようと思っていたのに。平凡な私なんかより、彼に似合う令嬢と結婚してほしいから、身を引くつもりだったのに。
「もう、今更だよ……レスター」
彼に聞こえないよう、小声で呟く。
彼が新しい職をさがすと、私のお父様を納得させると言い出した時には、(何を今更?)と思いもしたけれど。
本当に、今更としか思えなかった。
レスターの口から出た言葉が俄には信じられず、私はつい聞き返してしまう。
嘘だと思ったわけではない。冗談だとも思わない。ただ、彼が歩けなくなるなんて、予想だにしていなかったから──。
最近の彼は、よく笑顔を見せてくれるようになっていた。
自分の将来についても、こんな大怪我をさせられてまで殿下の側近になるつもりはないから、今からでも別の道を探すと、何とかして私のお父様を納得させられる仕事を見つけてみせると息巻いていた。
そんな彼のやる気を削いでしまうのは何だか申し訳なくて、婚約破棄の話は明日にしよう、明日こそ婚約破棄について話をしよう──と思いながら日々を過ごしているうちに、今日まできてしまったけれど。
まさかここへきて彼の将来が閉ざされてしまうだなんて、考えてもみなかった。
「背中の……神経が傷付いているとかで……足自体には何の問題もないんだが、足を動かすための神経が、駄目になっているんだそうだ」
レスターが私の身体を解放しつつ、ポツリポツリと事情を説明してくれる。
「それって、治らないの?」
言ってから、しまったと思った。
治せるものなら、二度と歩けないなんて、口にするはずがないのに。
「ごめんなさい……失言だったわ」
謝ると、レスターは私の問いに苦い顔をして答えた。
「治せるものなら僕だって治してもらうさ。だけど、今の医療技術では無理だそうだ。だから僕はもう……自分の足で歩くことは、二度と……っ」
言いながら再び辛さが込み上げて来たのか、レスターは自身の足を殴り付ける。
「駄目よレスター!」
いくらもう動かせないとはいえ、自傷行為を見過ごすわけにはいかない。
私はレスターの手を止めるべく、彼の手を握ったのだけれど──。
「離せユリア! 歩けないならこんな足なんかいらない! もういらないんだ!」
と暴れられ、レスターが腕を振り回した拍子に私が床へ倒れ込めば、彼は青い顔で謝罪した後、両手で顔を覆ってしまった。
「ごめん、ユリア、ごめん。僕は、最低だ……」
全身を震わせるレスターが可哀想で、私はそっと彼の手の上から自分の手を重ねる。
「良いのよレスター。あまりにも衝撃的なことがあったのだもの。今は仕方がないわ」
慰めるようにそう言うと、彼は大きくしゃくり上げた後、子供のように声を上げて泣きだした。
まるで、全身の水分を出し尽くしてしまうかのように。それと同時に、悲しみがすべて流れ落ちてしまうようにと。
私には、そんな風に思えた。
そうして、暫く彼を見つめていたら、ふと頭に疑問が浮かんだ。
こんな状態のレスターに、私は婚約破棄を告げるの?
明るい未来を閉ざされて、打ちひしがれているレスターに?
今彼に婚約破棄を言い出せば、彼は間違いなく歩けなくなったせいだと誤解するだろう。
それは違うといくら言っても、信じてもらえるとは思えない。寧ろ違うなら、何故今言うのかと責められるかもしれない。
既にレスターの両親には一度話を通してはいるけれど、そもそもコーラル侯爵は婚約破棄に反対していたし、私に好意的だった侯爵夫人も、彼がこんな状態になってしまった以上、どう出てくるか分からない。
お父様は逆に、手のひらを返して婚約破棄をすすめてきそうな気がするけれど。
どちらにせよ、婚約破棄するならレスター本人の意見も聞かなければならない。となると、彼の気持ちが落ち着くのを待たなければいけないわけで。
こんなことになってしまった彼に、気持ちが落ち着く日なんてくるのだろうか? もし自分が同じ目に遭ったとしたら、永遠にそんな日は来ないような気がする。
けれどこのまま流されて結婚してしまうのは、絶対に間違っているとも思う。
ごめんね、レスター……。
涙を流し続けるレスターを見つめながら、私は心の中で謝罪する。
彼の将来が暗いものになったと知りながらも、婚約破棄を取りやめない私はきっと、冷たい人間なのだろう。
彼の最後のお茶会の時の言葉を私が許し、学園での行動をすべて許せるような広い心の持ち主なら、このまま彼と結婚することもできたのかもしれない。だけど私はそんなに心が広くもないし、レスターのことが好きだった分、学園での彼の仕打ちには酷く傷付けられ、何度も辛い思いをしてきた。
学園だけじゃない。週末に行われるはずだった両家の食事会、定期的な外出。それらすべてが一度として実現されず、手紙を出しても『忙しい』という返事のみ。
これを三年間も黙って受け入れて結婚するなど、どんなに彼のことを好きでも無理な話だった。
だからこそ、婚約破棄しようと思っていたのに。平凡な私なんかより、彼に似合う令嬢と結婚してほしいから、身を引くつもりだったのに。
「もう、今更だよ……レスター」
彼に聞こえないよう、小声で呟く。
彼が新しい職をさがすと、私のお父様を納得させると言い出した時には、(何を今更?)と思いもしたけれど。
本当に、今更としか思えなかった。
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