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第六章 旦那様の傍にいたい
拒絶
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「旦那様は何時まで見せかけの夫婦関係を続ける気なんですか?」
部屋から出て行ったグラディスの足音に聞き耳をたてていたジュジュが、扉から耳を離すとそう言った。
「見せかけの夫婦関係……」
「間違ってはいませんよね? 真実の気持ちを伝えてはいないのですから、当然ですが」
ジュジュの言葉が、グサリと私の胸に刺さる。
そんなことを言われても、真実の気持ちとは? 私自身にも、まだよく分かってはいないのに。
「まさか……あれだけ普段から態度に出しておきながら、自分の気持ちがまだ分からないなどと、寝ぼけたことは仰いませんよね?」
ギクリ。
何故だ。言葉どころか表情にも出してはいない筈なのに、どうしてジュジュは私の考えが分かったのだろう?
「それなんだが、実は──」
「旦那様は、奥様が王太子殿下の恋人になってしまっても宜しいのですか?」
突如ジュジュが叫ぶように言った。
「はあ!? ダメに決まってる! グラディスは私の妻なんだぞ!?」
つられて此方も、つい同じように叫び返してしまう。
いきなり何を言い出すんだ。
ジュジュも殿下も、何故グラディスを秘密の恋人などにしようとするのか理解に苦しむ。彼女は既に私の妻であり、不貞は許されないというのに。
「では、奥様と王太子殿下がお名前で呼び合うことについては?」
「ダメに決まっている! そんなのは親密な男女のすることであって──」
「では、旦那様と王女殿下は親密な間柄ということで間違いありませんね?」
「いや、だからそれは……」
言いかけて、この件に関しては何を言っても言い訳になると、口を噤んだ。
そういえば、グラディスもそのことについて気にする素振りをしていた。だから、それからは極力アルテミシアを名前で呼ばないように気を付けていたつもりだったが……今日は何度となく呼んでしまっていた気がする。
「そのことについては……弁解の余地もない。すまないとしか……」
「でしたら奥様だって王太子殿下とお名前で呼び合うことぐらい、許して差し上げれば良いのでは?」
「それとこれとは話が違う!」
反射的に怒鳴ってしまい、刹那、意味あり気に微笑ったジュジュを見て、私は思わずゴクリと唾を飲んだ。
この気持ちはなんだろう? まるで何かに追い詰められたかのような──そう、例えるなら蛇に睨まれた蛙のような気持ちだ。といっても、実際に蛙になったことはないから、本当のところは分からないが。
私は公爵家当主であって、目の前にいるジュジュは只の使用人である筈なのに、何故こんなにも追い詰められたような気持ちにならなければいけない?
納得できないと思いながら、たくさんの冷や汗が全身を伝っていくのを感じる。ジュジュのこの迫力はなんなんだ!
冷や汗を拭うこともなく私がジュジュと目を合わせたまま動けないでいると、彼女は突然何事かに気付いたかのように開いたままの窓へ走り、そこから身を乗り出した!
「危ない!」
慌てて体を支えようとするも、「邪魔をしないで!」と乱雑に振り払われる。
どうしたのかと背後から様子を窺っていると、暫くした後、ジュジュはため息を吐きながら此方を振り返った。
なんだ? 一体どうしたというんだ?
「……旦那様、奥様はこの国の汚い貴族社会において、非常に珍しく稀有な方です。あれ程に純粋で、お心が綺麗な方など他にいらっしゃいません。ですからあたくしは、いえ、あたくしとポルテは、奥様の幸せを心より望んでおります。その為でしたら、どんなことでもする覚悟です。たとえ、お二人を離縁させてでも……」
「ま、待ってくれ。そんな事をしたら、国内の勢力バランスが──」
言いかけた私の言葉を、別の声が遮った。
「そんなもの、王家の力を持ってすればどうとでもなりますわ。いえ、わたくしとお兄様がどうとでもしてみせます。ですからリーゲルは、何も気にすることなくあの女と離縁なされば宜しいのですわ」
何故ここにアルテミシアが……という驚きと共に、勝手な事を言うなという怒りが込み上げてくる。
何が王家の力だ! お前達は小さい頃から好き勝手に生きてきただけのくせに!
その時はまだ、そう思った心の声を、表に出さないだけの理性が私にはあった。だが──。
「あの女はお兄様への貢ぎ物とするわ。顔はお粗末なのが残念だけれど、性格はどうやら合格のようですし。なによりあの身体つきなら……すぐに世継ぎにも恵まれそうだものね」
その言葉を聞いた瞬間、グラディスとシーヴァイスの如何わしい場面が頭に浮かび、私は無意識に両手の拳を握りしめた。
グラディスが貢ぎ物になる? あり得ない。彼女は私の妻だ。
顔がお粗末? そんな事はない。笑うと可愛いことを知っている。笑わなくとも……派手すぎない彼女の顔は、私に安らぎを与えてくれる。
身体つき? そんなもの気にした事はない。ただ少し痩せすぎではないかと、もう少し太った方が良いのではないかと思ったことがあるぐらいだ。それ以外に何も思った事はない。
「ねえリーゲル。あの女のことはお兄様にお任せして、わたくし達は先に愛を育みましょう? 幸いここはそういった場所なのだし、相手が貴方なら、わたくしは何処だって──」
「私に触れるな!」
近付いてきたアルテミシアを、大きく手を振り払うことで、その場に踏みとどまらせる。
「私は貴様の事など何とも思ってはいない。寧ろ嫌いだ! だから私に近付くな!」
「……っ、リーゲル嘘でしょう? わたくしの気を惹きたくてそんな──」
「嘘ではない! 貴様に好かれるなど虫唾がはしる! 今までは王族だと思い我慢していたが……もう限界だ。金輪際私はお前達と関わるつもりはない!」
早口で言い捨てると、青い顔で立ち竦むアルテミシアを無視して宿を出る。
アルテミシアが姿を見せた時ぐらいから、グラディスの帰りが遅いことが気になっていた。
シーヴァイスへの貢ぎ物にすると言っていたことからして、もしや彼女は連れ去られたのではないだろうか?
もし仮に二人がグラディスを攫わせていたとして、それがアルテミシアの独断であるのか、シーヴァイスの指示であるのかは不明だが。
そんな不安が頭を過ぎるが、同時に、そこまではしないだろう、という思いも湧いてくる。
アルテミシアとシーヴァイスは、幼い頃から付き合いがある二人だ。いくらなんでも、そんな酷いことをするとは、流石に思いたくはない。
「どちらにしても、ハッキリさせなければ……」
グラディスを見つけない限り、分かることは何一つない。
その時の私は、かなりの冷静さを欠いていたんだろう。いつの間にかジュジュが姿を消していたことに、全く気付いてはいなかった──。
部屋から出て行ったグラディスの足音に聞き耳をたてていたジュジュが、扉から耳を離すとそう言った。
「見せかけの夫婦関係……」
「間違ってはいませんよね? 真実の気持ちを伝えてはいないのですから、当然ですが」
ジュジュの言葉が、グサリと私の胸に刺さる。
そんなことを言われても、真実の気持ちとは? 私自身にも、まだよく分かってはいないのに。
「まさか……あれだけ普段から態度に出しておきながら、自分の気持ちがまだ分からないなどと、寝ぼけたことは仰いませんよね?」
ギクリ。
何故だ。言葉どころか表情にも出してはいない筈なのに、どうしてジュジュは私の考えが分かったのだろう?
「それなんだが、実は──」
「旦那様は、奥様が王太子殿下の恋人になってしまっても宜しいのですか?」
突如ジュジュが叫ぶように言った。
「はあ!? ダメに決まってる! グラディスは私の妻なんだぞ!?」
つられて此方も、つい同じように叫び返してしまう。
いきなり何を言い出すんだ。
ジュジュも殿下も、何故グラディスを秘密の恋人などにしようとするのか理解に苦しむ。彼女は既に私の妻であり、不貞は許されないというのに。
「では、奥様と王太子殿下がお名前で呼び合うことについては?」
「ダメに決まっている! そんなのは親密な男女のすることであって──」
「では、旦那様と王女殿下は親密な間柄ということで間違いありませんね?」
「いや、だからそれは……」
言いかけて、この件に関しては何を言っても言い訳になると、口を噤んだ。
そういえば、グラディスもそのことについて気にする素振りをしていた。だから、それからは極力アルテミシアを名前で呼ばないように気を付けていたつもりだったが……今日は何度となく呼んでしまっていた気がする。
「そのことについては……弁解の余地もない。すまないとしか……」
「でしたら奥様だって王太子殿下とお名前で呼び合うことぐらい、許して差し上げれば良いのでは?」
「それとこれとは話が違う!」
反射的に怒鳴ってしまい、刹那、意味あり気に微笑ったジュジュを見て、私は思わずゴクリと唾を飲んだ。
この気持ちはなんだろう? まるで何かに追い詰められたかのような──そう、例えるなら蛇に睨まれた蛙のような気持ちだ。といっても、実際に蛙になったことはないから、本当のところは分からないが。
私は公爵家当主であって、目の前にいるジュジュは只の使用人である筈なのに、何故こんなにも追い詰められたような気持ちにならなければいけない?
納得できないと思いながら、たくさんの冷や汗が全身を伝っていくのを感じる。ジュジュのこの迫力はなんなんだ!
冷や汗を拭うこともなく私がジュジュと目を合わせたまま動けないでいると、彼女は突然何事かに気付いたかのように開いたままの窓へ走り、そこから身を乗り出した!
「危ない!」
慌てて体を支えようとするも、「邪魔をしないで!」と乱雑に振り払われる。
どうしたのかと背後から様子を窺っていると、暫くした後、ジュジュはため息を吐きながら此方を振り返った。
なんだ? 一体どうしたというんだ?
「……旦那様、奥様はこの国の汚い貴族社会において、非常に珍しく稀有な方です。あれ程に純粋で、お心が綺麗な方など他にいらっしゃいません。ですからあたくしは、いえ、あたくしとポルテは、奥様の幸せを心より望んでおります。その為でしたら、どんなことでもする覚悟です。たとえ、お二人を離縁させてでも……」
「ま、待ってくれ。そんな事をしたら、国内の勢力バランスが──」
言いかけた私の言葉を、別の声が遮った。
「そんなもの、王家の力を持ってすればどうとでもなりますわ。いえ、わたくしとお兄様がどうとでもしてみせます。ですからリーゲルは、何も気にすることなくあの女と離縁なされば宜しいのですわ」
何故ここにアルテミシアが……という驚きと共に、勝手な事を言うなという怒りが込み上げてくる。
何が王家の力だ! お前達は小さい頃から好き勝手に生きてきただけのくせに!
その時はまだ、そう思った心の声を、表に出さないだけの理性が私にはあった。だが──。
「あの女はお兄様への貢ぎ物とするわ。顔はお粗末なのが残念だけれど、性格はどうやら合格のようですし。なによりあの身体つきなら……すぐに世継ぎにも恵まれそうだものね」
その言葉を聞いた瞬間、グラディスとシーヴァイスの如何わしい場面が頭に浮かび、私は無意識に両手の拳を握りしめた。
グラディスが貢ぎ物になる? あり得ない。彼女は私の妻だ。
顔がお粗末? そんな事はない。笑うと可愛いことを知っている。笑わなくとも……派手すぎない彼女の顔は、私に安らぎを与えてくれる。
身体つき? そんなもの気にした事はない。ただ少し痩せすぎではないかと、もう少し太った方が良いのではないかと思ったことがあるぐらいだ。それ以外に何も思った事はない。
「ねえリーゲル。あの女のことはお兄様にお任せして、わたくし達は先に愛を育みましょう? 幸いここはそういった場所なのだし、相手が貴方なら、わたくしは何処だって──」
「私に触れるな!」
近付いてきたアルテミシアを、大きく手を振り払うことで、その場に踏みとどまらせる。
「私は貴様の事など何とも思ってはいない。寧ろ嫌いだ! だから私に近付くな!」
「……っ、リーゲル嘘でしょう? わたくしの気を惹きたくてそんな──」
「嘘ではない! 貴様に好かれるなど虫唾がはしる! 今までは王族だと思い我慢していたが……もう限界だ。金輪際私はお前達と関わるつもりはない!」
早口で言い捨てると、青い顔で立ち竦むアルテミシアを無視して宿を出る。
アルテミシアが姿を見せた時ぐらいから、グラディスの帰りが遅いことが気になっていた。
シーヴァイスへの貢ぎ物にすると言っていたことからして、もしや彼女は連れ去られたのではないだろうか?
もし仮に二人がグラディスを攫わせていたとして、それがアルテミシアの独断であるのか、シーヴァイスの指示であるのかは不明だが。
そんな不安が頭を過ぎるが、同時に、そこまではしないだろう、という思いも湧いてくる。
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「どちらにしても、ハッキリさせなければ……」
グラディスを見つけない限り、分かることは何一つない。
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