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第九章 魔力を吸う札
警鐘
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大切な駒を取り戻そうと、何度も何度も名前を呼んだ。
今すぐとはいかなくとも、繰り返し名前を呼んでさえいれば、そのうち自分の元へ戻って来ると。彼女は自分の声を絶対に無視できない筈だと信じ、ルーチェは幾度も繰り返し氷依の名を呼び続けた。
しかし、どれだけ名を呼ぼうとも、氷依はルーチェの前へ姿を現す事はなく。
何故なんだ?
握り潰した札から薄らと漏れ出した黒い靄を、ルーチェは憎々し気に睨み付けた。
もし氷依が攫われたりしなければ、この札の中に封じ込められている魔性の魔力を注ぎ込み、それによって彼女に魔力を補充するつもりだった。
例えそれが純粋なる氷依の魔力でなかったとしても、元は同じ魔性という種族の魔力だ。互換性はあるだろうと判断して。
なのに結果、氷依は攫われ、今なお何処にいるのかすら分からずにいる。
恐らくはまだ、彼女を攫った魔性に捕らえられているのだろう。でなければ、彼女が自分の元へ戻らないなどあり得ない。
そして多分……あの灰色の髪を持つ男こそが、この札に込められた魔力の持ち主で間違いないという確信がルーチェにはあった。
確信に至った理由は、魔性独特の魔力の『色』だ。
殆どの魔性は、見た目と同じ色の能力を使う。
水色の髪と瞳を持った氷依が水や氷の能力を使っていたように、あの灰色の魔性も結界を張った際、彼の周囲にぼんやりと灰色の膜ができていた。
今握っている札から漏れている靄は黒く見えるが、光に翳せば灰色に見えなくもないし、黒っぽい灰色の物が寄り集まれば、それは限りなく『黒』へと近付く。
そう考えれば、疑いようはないと思った。
そして、この札に吸い取られた魔力の残滓を追って、あの男はここへやって来たのだ。
他者の魔力は追えずとも、自分のものであれば、追うのはそう難しい事ではないのだろう。
だからこそ彼の魔力を吸った札と共にいた氷依は見つかり、連れ去られてしまったに違いない。
しかも、狙ったかのようにルーチェの作成した札を身体に貼り付けられて──。
「氷依に興味があったのなら、大人しく氷依だけを攫って行けば良かったものを……」
既に魔力の減っていた氷依が、再度札を貼り付けられて無事な保証は何処にもない。
寧ろ、氷依の身体に残る魔力の全てを吸い取られ、既に存在が消滅してしまっている可能性すらある。
「連れて行ったところで、札を剥がすことのできる人間がいなければ、氷依は助からないのに……っ!」
大切な、たった一つの駒であった。
人間と比べ、とても便利で使いやすい。これから更に役立ってもらう予定であった駒なのに。
「こんな事で……こんな簡単にっ!」
奪われなければならないなんて。
どうしてこんなにも邪魔ばかり入る?
何か目に見えない不可思議な力のようなものが働いているのだろうか?
いや、そんな考えは馬鹿げている。馬鹿げているが、こうも邪魔ばかりされると、どうしてもそのような考えが頭に浮かんで離れない。
迷信……なんてもの自分は絶対に信じないが、思わず信じそうになってしまうぐらいには、今の状況はルーチェにとって絶望的なものであった。
「……ん?」
ふと、ルーチェはそこで、黒い靄が扉の隙間から廊下へと漏れ出している事に気が付いた。
ルーチェの手の中で握り潰された三枚の札から漏れ出した靄が、扉の前で一つに固まり、一筋の線となって廊下へと流れ出ている。
まるで、目的を持って何処かへ向かっているかのように。
「……どういうことだ?」
立ち上がり扉を開けると、そこで待ってましたとばかりに立ち尽くしていた男から、ミルドからという言伝を受け取ったが、それには適当に頷いて、ルーチェは黒い靄の向かう先へと足を向けた。
氷依と灰色の魔性は既に城内から消え去っている。
ならば黒い靄が向かう先には何があるのか。
新たな魔性が城内に現れた?
であれば、こんなにも静まり返っているのはおかしい。もっと大きな騒ぎとなっているはず。
だったら……?
廊下を曲がった途端、ルーチェの目に、謁見の間の扉のすぐ側で倒れ伏すミルドの姿が飛び込んで来た。
「おい、どうした?」
声を掛けるも、ミルドは頭を抱えて苦し気に呻くだけで、ルーチェの声に答えない。
「何があった? まさか、何者かに襲われたのか?」
言いながら、ミルドの肩に手を掛けようとして──刹那、ルーチェはビクリとして手を止めた。
「これは……」
ミルドの周囲を囲むように、黒い靄が渦を巻き始めていた。
黒い靄の出処は、ルーチェの握っている札と──ミルドの顔? のようだ。
でもどうして、ミルドの顔から……?
「うう……うぅぅぅ……」
ミルドは床に突っ伏した状態で頭を抱え呻いている為、その顔を窺い見ることはできない。
故に、彼の顔が今どうなっているのか、どうしてミルドの顔の辺りから黒い靄が発生しているのかを知る事はできず。
「おい、ミルド!」
仕方なく無理矢理顔を上げさせようとするも、激しい抵抗を受けた。
これまで彼がルーチェに反抗することなど、ただの一度もなかったというのに。
「どうなってる……?」
徐々に増えていく靄を見つめながら、ルーチェは手の中の札を試しに握りしめてみる。
だが、どんな握り方をしようとも、小さく折り畳んで札の表面が僅かなりとも表に出ないようにしようとも、隙間から漏れ出す靄は止められず。
ならばとミルドの肩に手を掛けようとするが、手を伸ばそうとするたびミルドに直前で察知され、此方を攻撃する勢いで腕を振り回す為、流石に手を出すことができなかった。
このままじゃ、まずい……。
どうまずい事になるのかは分からないが、このまま放置するのは危険だと頭の中で警鐘が鳴っていた。
だからといって、どうすべきかなんて、全く思い付いてはいなかったのだが。
今すぐとはいかなくとも、繰り返し名前を呼んでさえいれば、そのうち自分の元へ戻って来ると。彼女は自分の声を絶対に無視できない筈だと信じ、ルーチェは幾度も繰り返し氷依の名を呼び続けた。
しかし、どれだけ名を呼ぼうとも、氷依はルーチェの前へ姿を現す事はなく。
何故なんだ?
握り潰した札から薄らと漏れ出した黒い靄を、ルーチェは憎々し気に睨み付けた。
もし氷依が攫われたりしなければ、この札の中に封じ込められている魔性の魔力を注ぎ込み、それによって彼女に魔力を補充するつもりだった。
例えそれが純粋なる氷依の魔力でなかったとしても、元は同じ魔性という種族の魔力だ。互換性はあるだろうと判断して。
なのに結果、氷依は攫われ、今なお何処にいるのかすら分からずにいる。
恐らくはまだ、彼女を攫った魔性に捕らえられているのだろう。でなければ、彼女が自分の元へ戻らないなどあり得ない。
そして多分……あの灰色の髪を持つ男こそが、この札に込められた魔力の持ち主で間違いないという確信がルーチェにはあった。
確信に至った理由は、魔性独特の魔力の『色』だ。
殆どの魔性は、見た目と同じ色の能力を使う。
水色の髪と瞳を持った氷依が水や氷の能力を使っていたように、あの灰色の魔性も結界を張った際、彼の周囲にぼんやりと灰色の膜ができていた。
今握っている札から漏れている靄は黒く見えるが、光に翳せば灰色に見えなくもないし、黒っぽい灰色の物が寄り集まれば、それは限りなく『黒』へと近付く。
そう考えれば、疑いようはないと思った。
そして、この札に吸い取られた魔力の残滓を追って、あの男はここへやって来たのだ。
他者の魔力は追えずとも、自分のものであれば、追うのはそう難しい事ではないのだろう。
だからこそ彼の魔力を吸った札と共にいた氷依は見つかり、連れ去られてしまったに違いない。
しかも、狙ったかのようにルーチェの作成した札を身体に貼り付けられて──。
「氷依に興味があったのなら、大人しく氷依だけを攫って行けば良かったものを……」
既に魔力の減っていた氷依が、再度札を貼り付けられて無事な保証は何処にもない。
寧ろ、氷依の身体に残る魔力の全てを吸い取られ、既に存在が消滅してしまっている可能性すらある。
「連れて行ったところで、札を剥がすことのできる人間がいなければ、氷依は助からないのに……っ!」
大切な、たった一つの駒であった。
人間と比べ、とても便利で使いやすい。これから更に役立ってもらう予定であった駒なのに。
「こんな事で……こんな簡単にっ!」
奪われなければならないなんて。
どうしてこんなにも邪魔ばかり入る?
何か目に見えない不可思議な力のようなものが働いているのだろうか?
いや、そんな考えは馬鹿げている。馬鹿げているが、こうも邪魔ばかりされると、どうしてもそのような考えが頭に浮かんで離れない。
迷信……なんてもの自分は絶対に信じないが、思わず信じそうになってしまうぐらいには、今の状況はルーチェにとって絶望的なものであった。
「……ん?」
ふと、ルーチェはそこで、黒い靄が扉の隙間から廊下へと漏れ出している事に気が付いた。
ルーチェの手の中で握り潰された三枚の札から漏れ出した靄が、扉の前で一つに固まり、一筋の線となって廊下へと流れ出ている。
まるで、目的を持って何処かへ向かっているかのように。
「……どういうことだ?」
立ち上がり扉を開けると、そこで待ってましたとばかりに立ち尽くしていた男から、ミルドからという言伝を受け取ったが、それには適当に頷いて、ルーチェは黒い靄の向かう先へと足を向けた。
氷依と灰色の魔性は既に城内から消え去っている。
ならば黒い靄が向かう先には何があるのか。
新たな魔性が城内に現れた?
であれば、こんなにも静まり返っているのはおかしい。もっと大きな騒ぎとなっているはず。
だったら……?
廊下を曲がった途端、ルーチェの目に、謁見の間の扉のすぐ側で倒れ伏すミルドの姿が飛び込んで来た。
「おい、どうした?」
声を掛けるも、ミルドは頭を抱えて苦し気に呻くだけで、ルーチェの声に答えない。
「何があった? まさか、何者かに襲われたのか?」
言いながら、ミルドの肩に手を掛けようとして──刹那、ルーチェはビクリとして手を止めた。
「これは……」
ミルドの周囲を囲むように、黒い靄が渦を巻き始めていた。
黒い靄の出処は、ルーチェの握っている札と──ミルドの顔? のようだ。
でもどうして、ミルドの顔から……?
「うう……うぅぅぅ……」
ミルドは床に突っ伏した状態で頭を抱え呻いている為、その顔を窺い見ることはできない。
故に、彼の顔が今どうなっているのか、どうしてミルドの顔の辺りから黒い靄が発生しているのかを知る事はできず。
「おい、ミルド!」
仕方なく無理矢理顔を上げさせようとするも、激しい抵抗を受けた。
これまで彼がルーチェに反抗することなど、ただの一度もなかったというのに。
「どうなってる……?」
徐々に増えていく靄を見つめながら、ルーチェは手の中の札を試しに握りしめてみる。
だが、どんな握り方をしようとも、小さく折り畳んで札の表面が僅かなりとも表に出ないようにしようとも、隙間から漏れ出す靄は止められず。
ならばとミルドの肩に手を掛けようとするが、手を伸ばそうとするたびミルドに直前で察知され、此方を攻撃する勢いで腕を振り回す為、流石に手を出すことができなかった。
このままじゃ、まずい……。
どうまずい事になるのかは分からないが、このまま放置するのは危険だと頭の中で警鐘が鳴っていた。
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