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第九章 魔力を吸う札
泣き真似
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漆黒の城から氷依が転移した場所は、ルーチェの元ではなかった。
否、氷依自身はルーチェの元へ転移したつもりであったのだが、転移してすぐ目に入ったものは、見慣れないベッドであり。
「…………?」
一体ここは何処なのかと、氷依は無言で首を傾げた。
感情のない操り人形と化した氷依は、既に思考能力がなくなってしまっている。
故に現状を不思議に思う気持ちはあるが、何故今のような状況になっているのか、自分で考える事はできない。
ただひたすらに、自分が思い描いた所とは違う場所にいる現実に、首を傾げるのみだ。
そこへ──ガチャリと扉の開く音がして、何者かが氷依のいる部屋へと入って来た。というより、部屋へ入ろうとした所で氷依がいることに気付き、動きを止めたという方が正しいだろう。
ともかく、足を止めた人物は氷依の姿を見て目を見張った。
「どうしてあなたが此処にいるの?」
「ラズリ、そいつに近付くな!」
驚いた勢いのまま、無警戒に氷依へ近付こうとしたラズリは、しかし奏によって止められた。
けれど、氷依の異常さに気が付いていたラズリは止まらず、目の前に立ち塞がる奏の身体の横をすり抜け、氷依へと近付き、そのすぐ側にしゃがみ込む。
「おい、ラズリ!」
怒った声で奏に名を呼ばれるも、それには華麗に無視を決め込み、ラズリは真剣な瞳で女魔性の姿を見つめた。
だってこの人、絶対何かおかしいもの……。
出会ったのは一度だけ。
だが、あまりにも強烈な印象を持った彼女のことを、ラズリはしっかりと記憶に留めていた。
自分や奏を見て、この人がこんな風に無言でいるなんてあり得ない。だってあの時のこの人は、とても饒舌だった。
それに、彼女自身の主のために、自分達を殺そうとしていた筈だ。
だというのに力なく床へ倒れ込み、指一本動かす様子が見受けられないのは、どう考えてもおかしいだろう。
瞳にも光が宿っていないように見えるし、まるで心だけを何処かに置き去りにしてきたような……。
と、そこまで考えた時、ラズリの身体は不意に無理矢理氷依から引き離された。
「いい加減離れろって!」
辛抱堪らなくなったらしい奏が、ラズリの身体をベッドに乗せ、女魔性に近付かないよう結界を張る。
それは果たして、ラズリが近付かないようにしたものなのか、ラズリに近付かないようにしたものなのかは分からないけれど。
「別にそこまでしなくても……」
現に今の今まで大丈夫だったではないか、という思いを込めてジトっとした目を奏に向けるも、フイっと目を逸らされた。
「何が目的で俺達の元へ来たのか分からない。油断させてラズリを攫うつもりかもしれないし……用心しておくに越した事はないだろ」
どうやら彼は、部屋へ入った際の忠告を無視した事を怒っているらしい。
確かに魔性相手に危機感が欠けていたとは思うが、何故だか危険な感じはしなかったし、根拠のない安心感もあったから近付いてしまっただけで、危ないと思えば自分だって近付いたりしなかった。
と言っても、きっと奏には理解してもらえないと思うと、許しを乞うことすらできなくて。
奏とて至極真面目に言っているのは分かるから、出来れば言う通りにしてあげたいが、ラズリにはどうしても今の氷依が危険だとは思えないのだ。
だってこの人、さっきから一言も喋ってないのよね……。
敢えて喋らないようにしているのか、若しくは喋る事ができないのか判断がつかないものの、何となく後者のような気がする。
以前彼女に会ってから、そこまで時間が経過しているようには思えないが、この短期間で彼女の身に一体何が起こったというのか。
「それさえ分かれば……ううん、分かった所でどうにもならないか……」
独り言を呟けば、何を思ったのか、奏が突然ラズリの口元に耳を寄せてきた。
「ひゃあっ!」
驚いた拍子に奏の耳元でつい大声を出してしまい、「うおぉ……」と耳を押さえて呻く奏に、謝るより先ラズリは文句を言ってしまう。
「い、今のは奏が悪いんだからね! いきなり耳を近付けてきたらビックリするでしょ!」
何が目的でそんな事したのよ、と頬を膨らませれば、片手で顔を掴まれ、強制的に頬の空気を抜かれた。
何だか子供扱いされてるみたいで、腹が立つわ……。
再度頬を膨らませれば、それを見た奏はふっと微笑みを浮かべ、ラズリの頭にポンと手をのせてくる。
「なんか一人でブツブツ言ってるから、何言ってんのかなぁ? と思って耳を近付けてみただけ」
「はぁぁぁぁ!?」
そんな事をしなくても、聞こうと思えば何処にいたって奏はラズリの独り言を聞く事ができるのに。
ラズリが恥ずかしがる事を知りつつ耳を近付けて来るなんて、ハッキリ言って嫌がらせだ。自分は奏に揶揄われたのだ。
「酷い……」
その事が悔しくて泣き真似をしたら、目に見えて奏が慌てた。
「ご、ごめん! そんなに驚くとは思わなくて、俺はただ、驚いたラズリも可愛いと思うから、その……とにかくごめん! 泣かせるつもりはなかったんだって! ラズリ~……」
懸命に言い訳する奏の姿を指の隙間から眺めつつ、どうしてやろうか……と考えていたラズリは、ふと名案を思い付いて密やかに口の端を上げた。
「奏……悪いと思ってるなら、私のお願い聞いてくれる……?」
必死に声を震わせ、如何にも『泣いてます』感を漂わせつつ、ラズリは奏に尋ねる。
「聞く聞く! 何でも聞く! ラズリが泣き止んでくれるなら、何だって聞いてやる! さ、お願いってなんだ!?」
自分の顔を覗き込むようにして願いを聞いてくる奏に、ラズリは内心(言質は取ったわよ)とほくそ笑んでいた。
否、氷依自身はルーチェの元へ転移したつもりであったのだが、転移してすぐ目に入ったものは、見慣れないベッドであり。
「…………?」
一体ここは何処なのかと、氷依は無言で首を傾げた。
感情のない操り人形と化した氷依は、既に思考能力がなくなってしまっている。
故に現状を不思議に思う気持ちはあるが、何故今のような状況になっているのか、自分で考える事はできない。
ただひたすらに、自分が思い描いた所とは違う場所にいる現実に、首を傾げるのみだ。
そこへ──ガチャリと扉の開く音がして、何者かが氷依のいる部屋へと入って来た。というより、部屋へ入ろうとした所で氷依がいることに気付き、動きを止めたという方が正しいだろう。
ともかく、足を止めた人物は氷依の姿を見て目を見張った。
「どうしてあなたが此処にいるの?」
「ラズリ、そいつに近付くな!」
驚いた勢いのまま、無警戒に氷依へ近付こうとしたラズリは、しかし奏によって止められた。
けれど、氷依の異常さに気が付いていたラズリは止まらず、目の前に立ち塞がる奏の身体の横をすり抜け、氷依へと近付き、そのすぐ側にしゃがみ込む。
「おい、ラズリ!」
怒った声で奏に名を呼ばれるも、それには華麗に無視を決め込み、ラズリは真剣な瞳で女魔性の姿を見つめた。
だってこの人、絶対何かおかしいもの……。
出会ったのは一度だけ。
だが、あまりにも強烈な印象を持った彼女のことを、ラズリはしっかりと記憶に留めていた。
自分や奏を見て、この人がこんな風に無言でいるなんてあり得ない。だってあの時のこの人は、とても饒舌だった。
それに、彼女自身の主のために、自分達を殺そうとしていた筈だ。
だというのに力なく床へ倒れ込み、指一本動かす様子が見受けられないのは、どう考えてもおかしいだろう。
瞳にも光が宿っていないように見えるし、まるで心だけを何処かに置き去りにしてきたような……。
と、そこまで考えた時、ラズリの身体は不意に無理矢理氷依から引き離された。
「いい加減離れろって!」
辛抱堪らなくなったらしい奏が、ラズリの身体をベッドに乗せ、女魔性に近付かないよう結界を張る。
それは果たして、ラズリが近付かないようにしたものなのか、ラズリに近付かないようにしたものなのかは分からないけれど。
「別にそこまでしなくても……」
現に今の今まで大丈夫だったではないか、という思いを込めてジトっとした目を奏に向けるも、フイっと目を逸らされた。
「何が目的で俺達の元へ来たのか分からない。油断させてラズリを攫うつもりかもしれないし……用心しておくに越した事はないだろ」
どうやら彼は、部屋へ入った際の忠告を無視した事を怒っているらしい。
確かに魔性相手に危機感が欠けていたとは思うが、何故だか危険な感じはしなかったし、根拠のない安心感もあったから近付いてしまっただけで、危ないと思えば自分だって近付いたりしなかった。
と言っても、きっと奏には理解してもらえないと思うと、許しを乞うことすらできなくて。
奏とて至極真面目に言っているのは分かるから、出来れば言う通りにしてあげたいが、ラズリにはどうしても今の氷依が危険だとは思えないのだ。
だってこの人、さっきから一言も喋ってないのよね……。
敢えて喋らないようにしているのか、若しくは喋る事ができないのか判断がつかないものの、何となく後者のような気がする。
以前彼女に会ってから、そこまで時間が経過しているようには思えないが、この短期間で彼女の身に一体何が起こったというのか。
「それさえ分かれば……ううん、分かった所でどうにもならないか……」
独り言を呟けば、何を思ったのか、奏が突然ラズリの口元に耳を寄せてきた。
「ひゃあっ!」
驚いた拍子に奏の耳元でつい大声を出してしまい、「うおぉ……」と耳を押さえて呻く奏に、謝るより先ラズリは文句を言ってしまう。
「い、今のは奏が悪いんだからね! いきなり耳を近付けてきたらビックリするでしょ!」
何が目的でそんな事したのよ、と頬を膨らませれば、片手で顔を掴まれ、強制的に頬の空気を抜かれた。
何だか子供扱いされてるみたいで、腹が立つわ……。
再度頬を膨らませれば、それを見た奏はふっと微笑みを浮かべ、ラズリの頭にポンと手をのせてくる。
「なんか一人でブツブツ言ってるから、何言ってんのかなぁ? と思って耳を近付けてみただけ」
「はぁぁぁぁ!?」
そんな事をしなくても、聞こうと思えば何処にいたって奏はラズリの独り言を聞く事ができるのに。
ラズリが恥ずかしがる事を知りつつ耳を近付けて来るなんて、ハッキリ言って嫌がらせだ。自分は奏に揶揄われたのだ。
「酷い……」
その事が悔しくて泣き真似をしたら、目に見えて奏が慌てた。
「ご、ごめん! そんなに驚くとは思わなくて、俺はただ、驚いたラズリも可愛いと思うから、その……とにかくごめん! 泣かせるつもりはなかったんだって! ラズリ~……」
懸命に言い訳する奏の姿を指の隙間から眺めつつ、どうしてやろうか……と考えていたラズリは、ふと名案を思い付いて密やかに口の端を上げた。
「奏……悪いと思ってるなら、私のお願い聞いてくれる……?」
必死に声を震わせ、如何にも『泣いてます』感を漂わせつつ、ラズリは奏に尋ねる。
「聞く聞く! 何でも聞く! ラズリが泣き止んでくれるなら、何だって聞いてやる! さ、お願いってなんだ!?」
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