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第八章 黒い靄
灰色の髪の男
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面白いことを思い付いた。
この実験が上手くいけば、新たな魔性を創り出すことができるかもしれない。
弱い魔性を強く変異させることができるかもしれない── そんな期待に身を震わせながら、ルーチェは自室の扉を開く。
刹那、目に飛び込んできた光景に息を呑んだ。
そこには、初めて見る灰色の髪の男と、彼に喉を掴まれ、ギリギリと締め上げられている氷依の姿があった。
「な……何をしている? やめろっ!」
現状を理解するのに一秒を有し、その後ルーチェがすぐさま氷依へと近付くと、男は氷依から手を離した。
ドサリと床に落ちた氷依にルーチェが駆け寄ると同時に、出入り口を守っていた衛兵が室内へと駆け込んでくる。
「貴様……いつの間にっ!?」
衛兵が剣を抜くが、男は全く意に介さず、髪と同じ灰色の瞳をルーチェへと向けてきた。
この男は魔性に違いない。
そう判断したルーチェは、衛兵に声を掛けて持ち場へと戻らせる。
魔性相手であれば、人間の護衛など意味がない。
だから下がらせた。無駄に命を散らせない為、目の前の男を刺激しない為に。
「ふっ……流石にそこまで愚かではないか」
恐らくそれは、衛兵を下がらせた自分に対しての言葉だろう。
ただ人間と魔性という種族が違うだけで、ここまで下に見られるとは思わなかった。
このような扱いを受け入れねばならぬ程、自分とこの男には差があるのかと、ルーチェは内心で歯噛みする。
「……何の用で、此処へ?」
苛立つ気持ちを懸命に抑えながら、ルーチェは平静を装って男に尋ねた。
ここで男に喧嘩を売ったところで勝ち目はない。それを理解しているからこそだ。
幸いにもミルドから返却された札を何枚か持ってはいるが、どれも使用済みである為、あまり効果は期待できない。
もっと万全な状態で、真っ新な札をいくつか所持していたならば、こんな好機はなかっただろうに。
「何の用……ねぇ」
男は、ルーチェの問いに考えるかのような素振りを見せた。
特に用があったわけではなく、ただ何となく来た、とでも言いた気な様相で。
「これといった用もなく勝手に人の部屋を訪れておいて、そこにある物を勝手に壊すのはどうかと思うが?」
敬語など使わない。
たとえ自分と相手に明らかな力量差があるとしても、そこまで強要される覚えはないから。
もしそれについて何事かを言われたら、その時は考えなければならないが。
未だ苦し気に肩で息をする氷依の背を摩りながら文句を言えば、男は「悪気はなかった」と肩を竦めた。
「単に意思のない振りをしているだけか、本当に意思がないのかを確かめたかったものでな。つい勢い余って殺してしまうところだった。……生きていて良かったな」
何が「生きていて良かったな」だ。殺すつもりだったくせに。
目の前の男からは悪意しか感じられず、ルーチェは心の中で毒吐く。
自分がタイミング良く部屋に入って来なかったら、まず間違いなく氷依はこの男に殺されていただろう。
それは、氷依の首に残る男の指の跡が、如実に物語っている。
人間の手に落ちた魔性を始末しに来た……?
そう考えれば納得もいくが、ならば何故この男は、自分が来たタイミングで手を離したのだろう?
自分の存在など無視して、そのまま氷依を殺すこともできただろうに。
そんなルーチェの疑念が、表情に出ていたのだろうか。
男は面倒くさそうにため息を吐くと、長く伸びた前髪を掻き上げた。
「我はただ、興味があっただけだ」
「興味?」
おうむ返しに聞き返すも、男はそれ以上何も言わない。
ただ視線を氷依へと向けるだけだ。
何故急に無口になるんだ?
意味が分からないと思いつつ、ルーチェは仕方なく自分なりの考えを口にする。
「えーと……つまり貴方は氷依に興味があったと? それで此処を訪れた?」
ルーチェの問いに無言で頷く男。
だから、口ついてるだろ!? さっきまで喋ってただろうが!
と思うも、相手が魔性であるがゆえ、怒らせるようなことを口にするわけにもいかず、ぐっと堪える。
「……で、氷依を殺そうとした理由は──」
言うなり鋭い視線を向けられ、ルーチェはギクリとして口を噤んだ。
それについてはさっき答えただろう、と男の瞳が雄弁に物語っている。
これほどまでに瞳だけで語れる者も珍しい。
尤も、できれば口を使ってもらえると有り難いと思わなくもないが。
でも、待てよ──とルーチェは考えた。
こうも相手が瞳で会話するということは、もしかして今の状況は自分にとって途轍もなく有利なのではないか?
労せず相手と目を合わせられる、目を合わせなければいけない状況。これはルーチェにとって、願ってもない好機だ。
だができるなら……少しでも相手を弱らせておきたい。
自分の能力はまだ完璧ではないから、全ての魔性に効果があるなどという自惚れは決してできないが故に。
どうする……?
手の中にある札を握りしめ、ルーチェは懸命に思考を巡らせる。
こんな使い古しの札が、目の前の男に効果があるなどとは到底思えない。
しかし今の自分には、それしか頼る物がなく。
氷依はまだ壊されるわけにはいかない。
彼女には、これからもっと働いてもらわなければならないのだから。
「氷依に興味を抱いたのであれば……」
氷依から手を離し、立ち上がったルーチェは一歩、男に近付く。
「いっそ貴方も同じ立場になれば良いのでは?」
言うが早いか、彼は男に向かい、手に持つ全ての札を投げ付けた。
この実験が上手くいけば、新たな魔性を創り出すことができるかもしれない。
弱い魔性を強く変異させることができるかもしれない── そんな期待に身を震わせながら、ルーチェは自室の扉を開く。
刹那、目に飛び込んできた光景に息を呑んだ。
そこには、初めて見る灰色の髪の男と、彼に喉を掴まれ、ギリギリと締め上げられている氷依の姿があった。
「な……何をしている? やめろっ!」
現状を理解するのに一秒を有し、その後ルーチェがすぐさま氷依へと近付くと、男は氷依から手を離した。
ドサリと床に落ちた氷依にルーチェが駆け寄ると同時に、出入り口を守っていた衛兵が室内へと駆け込んでくる。
「貴様……いつの間にっ!?」
衛兵が剣を抜くが、男は全く意に介さず、髪と同じ灰色の瞳をルーチェへと向けてきた。
この男は魔性に違いない。
そう判断したルーチェは、衛兵に声を掛けて持ち場へと戻らせる。
魔性相手であれば、人間の護衛など意味がない。
だから下がらせた。無駄に命を散らせない為、目の前の男を刺激しない為に。
「ふっ……流石にそこまで愚かではないか」
恐らくそれは、衛兵を下がらせた自分に対しての言葉だろう。
ただ人間と魔性という種族が違うだけで、ここまで下に見られるとは思わなかった。
このような扱いを受け入れねばならぬ程、自分とこの男には差があるのかと、ルーチェは内心で歯噛みする。
「……何の用で、此処へ?」
苛立つ気持ちを懸命に抑えながら、ルーチェは平静を装って男に尋ねた。
ここで男に喧嘩を売ったところで勝ち目はない。それを理解しているからこそだ。
幸いにもミルドから返却された札を何枚か持ってはいるが、どれも使用済みである為、あまり効果は期待できない。
もっと万全な状態で、真っ新な札をいくつか所持していたならば、こんな好機はなかっただろうに。
「何の用……ねぇ」
男は、ルーチェの問いに考えるかのような素振りを見せた。
特に用があったわけではなく、ただ何となく来た、とでも言いた気な様相で。
「これといった用もなく勝手に人の部屋を訪れておいて、そこにある物を勝手に壊すのはどうかと思うが?」
敬語など使わない。
たとえ自分と相手に明らかな力量差があるとしても、そこまで強要される覚えはないから。
もしそれについて何事かを言われたら、その時は考えなければならないが。
未だ苦し気に肩で息をする氷依の背を摩りながら文句を言えば、男は「悪気はなかった」と肩を竦めた。
「単に意思のない振りをしているだけか、本当に意思がないのかを確かめたかったものでな。つい勢い余って殺してしまうところだった。……生きていて良かったな」
何が「生きていて良かったな」だ。殺すつもりだったくせに。
目の前の男からは悪意しか感じられず、ルーチェは心の中で毒吐く。
自分がタイミング良く部屋に入って来なかったら、まず間違いなく氷依はこの男に殺されていただろう。
それは、氷依の首に残る男の指の跡が、如実に物語っている。
人間の手に落ちた魔性を始末しに来た……?
そう考えれば納得もいくが、ならば何故この男は、自分が来たタイミングで手を離したのだろう?
自分の存在など無視して、そのまま氷依を殺すこともできただろうに。
そんなルーチェの疑念が、表情に出ていたのだろうか。
男は面倒くさそうにため息を吐くと、長く伸びた前髪を掻き上げた。
「我はただ、興味があっただけだ」
「興味?」
おうむ返しに聞き返すも、男はそれ以上何も言わない。
ただ視線を氷依へと向けるだけだ。
何故急に無口になるんだ?
意味が分からないと思いつつ、ルーチェは仕方なく自分なりの考えを口にする。
「えーと……つまり貴方は氷依に興味があったと? それで此処を訪れた?」
ルーチェの問いに無言で頷く男。
だから、口ついてるだろ!? さっきまで喋ってただろうが!
と思うも、相手が魔性であるがゆえ、怒らせるようなことを口にするわけにもいかず、ぐっと堪える。
「……で、氷依を殺そうとした理由は──」
言うなり鋭い視線を向けられ、ルーチェはギクリとして口を噤んだ。
それについてはさっき答えただろう、と男の瞳が雄弁に物語っている。
これほどまでに瞳だけで語れる者も珍しい。
尤も、できれば口を使ってもらえると有り難いと思わなくもないが。
でも、待てよ──とルーチェは考えた。
こうも相手が瞳で会話するということは、もしかして今の状況は自分にとって途轍もなく有利なのではないか?
労せず相手と目を合わせられる、目を合わせなければいけない状況。これはルーチェにとって、願ってもない好機だ。
だができるなら……少しでも相手を弱らせておきたい。
自分の能力はまだ完璧ではないから、全ての魔性に効果があるなどという自惚れは決してできないが故に。
どうする……?
手の中にある札を握りしめ、ルーチェは懸命に思考を巡らせる。
こんな使い古しの札が、目の前の男に効果があるなどとは到底思えない。
しかし今の自分には、それしか頼る物がなく。
氷依はまだ壊されるわけにはいかない。
彼女には、これからもっと働いてもらわなければならないのだから。
「氷依に興味を抱いたのであれば……」
氷依から手を離し、立ち上がったルーチェは一歩、男に近付く。
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