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第七章 不可思議な力
二人の違い
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散り散りになった部下達を追い、ミルドがいなくなった後──氷依は独りその場へと残り、アランの亡骸を眺めていた。
つい先程まで若々しい生命力に満ち溢れていたその身体は、亡骸となった今、老人のそれと寸分違わぬものとなってしまっている。
原因はやはり、彼の身体に纏わりついていた黒い靄のせいなのだろう。
あれを纏っていた際のアランは驚異的な力を発し、且つ人間離れした動きを見せていた。あれだけのことを人間如きができる筈はなく、だからこそ身体に負荷がかかってこのような姿になってしまったのだと推測できる。
とはいえ、それはミルドが持っていた不可思議なお札のようなものに、黒い靄が全て吸い取られてしまったからだ。
あのままアランが靄の中へと取り込まれていたなら、現在の姿とは違ったものになっていた筈。
「あの靄の正体が分からぬうちは、取り込まれた後どうなったのか、見当もつかないが……」
間違いなく、何処ぞの魔性の仕業だろう。
しかし、この世界にいる魔性は数多く、氷依の知らない能力を有するものは数え切れないほどにいる。
故に、黒い靄を操る魔性自体を探し出すのは不可能。それが分かっていながら、しかし氷依は、その存在を放置することに戦慄を覚えずにはいられなかった。
靄に取り憑かれたアランを目にする前に感じた、異様な気配。
あれこそが間違いなく、黒い靄を操る魔性の気配だったのだろう。
その気配だけで氷依を怯えさせるほどの、魔人であることの矜持すら捨てて逃げ出してしまおうかと考えてしまった程の、魔性の気配。
「あんな気配を感じたのは初めてだった……」
なのに目の前にいた赤い髪の魔性は、それに何ら頓着する様子はなく。
彼が気にするのは傍にいる人間の少女だけであると、それ以外のものはどうでも良いのだと、分かりすぎるほどに分かる態度で。氷依の攻撃をあっさり往なすと、即座にその場からいなくなったのだ。
面倒なことには関わらない。
自分の興味あるもの以外はどうでも良い──魔性の典型ともいえる行動を貫いた男。
でもせめてもう少しぐらい、彼が興味を持ってくれていたら。
あの時人間の娘を連れて去ることなく、靄を纏ったアランと戦ってくれていたなら、もう少し分かることもあったかもしれないのに。
「今となっては手遅れだが……」
考えたところで詮無いことだとは分かっている。
今更どうしようもないことも。
だが考えずにはいられないのだ。あの時ああしたら、こうであったら、と。
氷依はミルドによって捕えられる直前まで、自分には強い力があると自負していた。
なのに現実はたった一枚の札のせいで簡単に捕えられ、隷属することを余儀なくされてしまった。
「誇り高い魔性であるわたくしが、人間如きに従うわけがないでしょう!?」
そう言って人間達の要求を突っぱねるも、一人だけ……たった一人だけ、どう足掻いても逆らえない人間がいたことに、氷依は愕然としたのだ。
その人間の命令は、氷依がどんなに嫌がろうとも、拒否しようとも、突っぱねることができなかった。
口や態度では拒否できても、彼に見つめられると言うことを聞きたくなってしまう。彼の望む通りにしたいと思ってしまう。
そんな魅力を身体全体から放っていて。
今のように離れていても逃げ出そうと思えないのは、どうしようもなく彼に惹かれているせいだ。
自分には、他にちゃんとした主がいるのに。
氷依に配下である証たる名前と、氷の能力を授けてくれた、尊いお方がいるというのに。
それが分かっていながら、どうしても逃げ出せない。逃げようと思うことができない。
逃げて──あの黄金の瞳に二度と見つめられなくなると思ったら、全身が恐怖で竦み上がってしまうほどには焦がれている自覚がある。
だから、逃げ出せない。
本来の主の元へは戻れない。
「こんなわたくしを見たら、あの御方はどう思うのかしらね……」
自嘲の笑みを浮かべ、氷依は微笑む。
せめてもの償いとして、不可思議な札の情報だけでも元の主へともたらしたかった。
魔性にとって脅威となるそれは、今後確実に魔性と人間との関係を変えていくに違いないから。
けれど、その札の一番近くと言っても過言ではない所にいながら、氷依には未だ札の情報が殆ど掴めてはいない。
分かったことといえば、魔性の生命の源ともいえる魔力を際限なく吸収することができる──ということぐらいだ。
氷依がその札をミルドによって身体に貼りつけられ捕まった時には、幸いにも命までは奪われなかった。
魔力をほぼほぼ吸い取られ、動くこともままならぬほどの状態に陥りはしたが、それでも死ぬことはなかった。
だが、アランの場合は違ったのだ。
彼が身に纏った黒い靄は、搾り滓すら残らぬほど完全に吸い尽くされ、そのせいで人間の命の源である生気さえも吸い取られたかのように思えた。
実際のところ、アランの生命力は札によって吸い取られたのか、黒い靄を身に纏った弊害なのか、ハッキリとはしないが、それでも氷依には札が無関係だとは思えなかった。
それからもう一つ……氷依には分からないことがある。
それは、何故ミルドは何ともなかったのか──ということだ。
アランの身体に纏わりついていた靄は、ミルドも共に呑み込もうとしていた。
実際ミルドは、胸の内側に隠し持っていた札の周囲を残して、ほぼ全身を靄に覆われかけていたのだ。
なのにミルドの身体からは靄だけが札に吸収され、ミルド自身には何一つ害がなかった。
同じような状況であったアランは生命力さえも奪い取られたというのに。
二人の違いが、氷依には分からなかった。
どうしてそうなったのか、二人の何が違ったのか、氷依にはどうしても分からず。
だからこそミルドについて行かず、残ってアランの身体をよくよく観察してみたのだが、分かることは一つもなかった。
つい先程まで若々しい生命力に満ち溢れていたその身体は、亡骸となった今、老人のそれと寸分違わぬものとなってしまっている。
原因はやはり、彼の身体に纏わりついていた黒い靄のせいなのだろう。
あれを纏っていた際のアランは驚異的な力を発し、且つ人間離れした動きを見せていた。あれだけのことを人間如きができる筈はなく、だからこそ身体に負荷がかかってこのような姿になってしまったのだと推測できる。
とはいえ、それはミルドが持っていた不可思議なお札のようなものに、黒い靄が全て吸い取られてしまったからだ。
あのままアランが靄の中へと取り込まれていたなら、現在の姿とは違ったものになっていた筈。
「あの靄の正体が分からぬうちは、取り込まれた後どうなったのか、見当もつかないが……」
間違いなく、何処ぞの魔性の仕業だろう。
しかし、この世界にいる魔性は数多く、氷依の知らない能力を有するものは数え切れないほどにいる。
故に、黒い靄を操る魔性自体を探し出すのは不可能。それが分かっていながら、しかし氷依は、その存在を放置することに戦慄を覚えずにはいられなかった。
靄に取り憑かれたアランを目にする前に感じた、異様な気配。
あれこそが間違いなく、黒い靄を操る魔性の気配だったのだろう。
その気配だけで氷依を怯えさせるほどの、魔人であることの矜持すら捨てて逃げ出してしまおうかと考えてしまった程の、魔性の気配。
「あんな気配を感じたのは初めてだった……」
なのに目の前にいた赤い髪の魔性は、それに何ら頓着する様子はなく。
彼が気にするのは傍にいる人間の少女だけであると、それ以外のものはどうでも良いのだと、分かりすぎるほどに分かる態度で。氷依の攻撃をあっさり往なすと、即座にその場からいなくなったのだ。
面倒なことには関わらない。
自分の興味あるもの以外はどうでも良い──魔性の典型ともいえる行動を貫いた男。
でもせめてもう少しぐらい、彼が興味を持ってくれていたら。
あの時人間の娘を連れて去ることなく、靄を纏ったアランと戦ってくれていたなら、もう少し分かることもあったかもしれないのに。
「今となっては手遅れだが……」
考えたところで詮無いことだとは分かっている。
今更どうしようもないことも。
だが考えずにはいられないのだ。あの時ああしたら、こうであったら、と。
氷依はミルドによって捕えられる直前まで、自分には強い力があると自負していた。
なのに現実はたった一枚の札のせいで簡単に捕えられ、隷属することを余儀なくされてしまった。
「誇り高い魔性であるわたくしが、人間如きに従うわけがないでしょう!?」
そう言って人間達の要求を突っぱねるも、一人だけ……たった一人だけ、どう足掻いても逆らえない人間がいたことに、氷依は愕然としたのだ。
その人間の命令は、氷依がどんなに嫌がろうとも、拒否しようとも、突っぱねることができなかった。
口や態度では拒否できても、彼に見つめられると言うことを聞きたくなってしまう。彼の望む通りにしたいと思ってしまう。
そんな魅力を身体全体から放っていて。
今のように離れていても逃げ出そうと思えないのは、どうしようもなく彼に惹かれているせいだ。
自分には、他にちゃんとした主がいるのに。
氷依に配下である証たる名前と、氷の能力を授けてくれた、尊いお方がいるというのに。
それが分かっていながら、どうしても逃げ出せない。逃げようと思うことができない。
逃げて──あの黄金の瞳に二度と見つめられなくなると思ったら、全身が恐怖で竦み上がってしまうほどには焦がれている自覚がある。
だから、逃げ出せない。
本来の主の元へは戻れない。
「こんなわたくしを見たら、あの御方はどう思うのかしらね……」
自嘲の笑みを浮かべ、氷依は微笑む。
せめてもの償いとして、不可思議な札の情報だけでも元の主へともたらしたかった。
魔性にとって脅威となるそれは、今後確実に魔性と人間との関係を変えていくに違いないから。
けれど、その札の一番近くと言っても過言ではない所にいながら、氷依には未だ札の情報が殆ど掴めてはいない。
分かったことといえば、魔性の生命の源ともいえる魔力を際限なく吸収することができる──ということぐらいだ。
氷依がその札をミルドによって身体に貼りつけられ捕まった時には、幸いにも命までは奪われなかった。
魔力をほぼほぼ吸い取られ、動くこともままならぬほどの状態に陥りはしたが、それでも死ぬことはなかった。
だが、アランの場合は違ったのだ。
彼が身に纏った黒い靄は、搾り滓すら残らぬほど完全に吸い尽くされ、そのせいで人間の命の源である生気さえも吸い取られたかのように思えた。
実際のところ、アランの生命力は札によって吸い取られたのか、黒い靄を身に纏った弊害なのか、ハッキリとはしないが、それでも氷依には札が無関係だとは思えなかった。
それからもう一つ……氷依には分からないことがある。
それは、何故ミルドは何ともなかったのか──ということだ。
アランの身体に纏わりついていた靄は、ミルドも共に呑み込もうとしていた。
実際ミルドは、胸の内側に隠し持っていた札の周囲を残して、ほぼ全身を靄に覆われかけていたのだ。
なのにミルドの身体からは靄だけが札に吸収され、ミルド自身には何一つ害がなかった。
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二人の違いが、氷依には分からなかった。
どうしてそうなったのか、二人の何が違ったのか、氷依にはどうしても分からず。
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