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第六章 因縁
餞別
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カタカタと、アランの持つ剣が震える。
あと一押し、たった一押しするだけで良い。この剣を押し込むことができれば、目の前の男の命を奪える。
そう思うのに、何故かその一押しがままならない。
剣はびくともしないどころか、ミルドの胸の前で動きを止められたまま小刻みに震え、その刀身に纏う黒い靄を、徐々に引き剥がされていく。
「うぅっ……」
このままではまずい、と思い、アランは一旦後ろに引こうとするも、足が地面に縫い付けられたかのように動かない。
否、寧ろミルドへと引き寄せられているかのように、前方へと引っ張られるような錯覚さえ覚える。
「う……あ……や、やめ……」
身体全体に満ちていた力が奪われるかのような感覚にまで襲われ、堪らずアランは口を開く。
全身を黒い靄に覆われてからというもの、唸ることしかできなくなっていた筈なのに、まともな言葉を発することができた──しかしアランは、そのことにすら気が付かない。
何故だ? どういうことだ? 俺は力を得た。強くなった。なのにどうして隊長の胸を貫けない?
追い詰めた筈だった。ミルドの胸を貫き、自分を見捨てたことを最大限に後悔させて、死んでもらうつもりだった。
なのに何故、剣がぴくりとも動かない?
「ぐっ……ぐぅぅぅぅ」
後ろへと退がれないのなら、前へ行くしかない。アランは渾身の力をこめて、足を一歩前へ踏み出す。
だが、ミルドの前にはまるで見えない壁があるかのように、剣の切先はそれ以上先へと進まず、同時にアランの足も前へと踏み出せず、空をかいた。
そうしている間にも、剣の切先から黒い靄がミルドの胸へと吸い込まれ、アランの力は奪い取られていく。
「やめ……ろ、やめろ……うわぁぁぁ!」
力を奪われることに恐怖を覚え、アランはミルドの胸へと突きつけた剣の柄から手を離す。しかし──。
「今更手を離したところで、お前の身体と剣は繋がっているだろう?」
冷静な声に、そう言われた。
「へ……?」
言われて己の身体を見やると、全身に纏った靄が、手を離した剣の元へと集まっていくのが目に入る。
最早アランが剣の柄を握っている、いないに関わらず、黒い靄はアランと剣を問答無用で繋げていた。
そのため、剣を介してアランの身に纏わりついている靄は見る間に薄くなり、その質量を失っていく。
なんだこれは、なんだこれは、なんだこれは。
自分は力を手に入れた。自分を見捨てたミルドを見返して余りある大きな力を。
なのにこの状態は一体なんだ? どうして隊長に力を吸い取られている?
剣を鞘に戻そうと慌てて柄に手を掛けるが、剣は何故か空中に固定されているかのように動かない。
ミルドの胸の前で止まったまま、アランの身体から黒い靄を吸い上げる媒介のように、ミルドへ向かって靄を流し続けている。
「やめろ……やめろぉぉぉぉ!」
アランは堪らずミルド自身への体当たりを試みるが、それは突如現れた氷壁によって阻まれてしまう。
「何をしたところで無駄だ。貴様はもう何もできぬ」
告げられた声の主へと視線を向ければ、青い髪の女魔性が艶然と微笑んでいた。
こいつもか。こいつも、自分の邪魔をするのか。
「なんで……?」
どうしてこうも邪魔をされなければならない?
悪いのは、自分の腕を斬り落とした少女だ。自分はほんの少し命令に背いただけに過ぎない。
なのに何故、こんな目に遭わされる?
「おかしい……おかしいよな」
自分は絶対に間違っていない。間違っているのは、簡単に自分を見捨てたミルドの方だ。
諦めない。
この人を……ミルド隊長を見返すと決めた。自分を見捨てた罪を、死をもって償わせると。だから──。
「おい! 聞こえるか? 俺にもっと力を貸せ! 隊長を殺す力を俺に与えろ!」
懸命に辺りを見回しながら、アランは大声で叫んだ。
自分はまだ負けていない。あいつに力を貸して貰えれば、まだ挽回できる。
もう一度力を貸してもらって、そうしたら──と、考えていたのだが。
アランの必死の呼び声に、返事はされなかった。
何度も何度もアランは叫んだが、恩人と呼べるべき人の声は、二度と聞こえてはこなかったのだ。
その間にも、アランの身体からは確実に黒い靄が剥ぎ取られていき、とうとう全ての靄が消え失せたと思われた刹那──ゴトン、と音を立ててアランの右腕が地に落ちた。同時に、ミルドの胸の前で浮いていた剣もまた、支えを失くしたかのように地面へと落ち、転がる。
そして、アランも──。
「ミルド……隊長……」
地に倒れ伏したアランの姿は、まるで年老いた老人のようであった。
逞しかった体躯は急激に痩せ細り、髪も抜け、全身をガクガクと震わせている。
「これは……」
あまりの部下の変わりように、ミルドは目を見張った。
答えを求めるかのように氷依へと視線を向けると、冷静に告げられる。
「身に余る力を持つと、こういうことになる」
「そう……か」
それではアランは、もう助からないのだろう。
元より片腕を失くし、森の中程に放置された状態で、どれだけ生きながらえることができたかは不明であるが。
けれども妙な力に頼ることなどしなければ、恐らくここまで悲惨な最期にはならなかったに違いない。
「隊長……ミルド隊長……」
力無い声で、アランがミルドを呼び、震える手を伸ばしてくる。
そんな彼に冷たい瞳を向けると、ミルドは剣を一閃し、血を払って鞘に収めた。
「お前は裏切り者だが、これは部下として働いていたことへの餞別だ」
「ふ……甘いことよのぉ。このまま捨て置けば、最後まで絶望を味合わせてやれたというに……」
くすくすと笑う氷依の言葉は無視して、ミルドは馬に跨る。
部下達は何処まで行ったろう? 早く追いつかなければならない。
馬に鞭打ち駆け去ったミルドと氷依の後には、物言わぬ遺体となったアランが、ただ一人横たわっていた──。
あと一押し、たった一押しするだけで良い。この剣を押し込むことができれば、目の前の男の命を奪える。
そう思うのに、何故かその一押しがままならない。
剣はびくともしないどころか、ミルドの胸の前で動きを止められたまま小刻みに震え、その刀身に纏う黒い靄を、徐々に引き剥がされていく。
「うぅっ……」
このままではまずい、と思い、アランは一旦後ろに引こうとするも、足が地面に縫い付けられたかのように動かない。
否、寧ろミルドへと引き寄せられているかのように、前方へと引っ張られるような錯覚さえ覚える。
「う……あ……や、やめ……」
身体全体に満ちていた力が奪われるかのような感覚にまで襲われ、堪らずアランは口を開く。
全身を黒い靄に覆われてからというもの、唸ることしかできなくなっていた筈なのに、まともな言葉を発することができた──しかしアランは、そのことにすら気が付かない。
何故だ? どういうことだ? 俺は力を得た。強くなった。なのにどうして隊長の胸を貫けない?
追い詰めた筈だった。ミルドの胸を貫き、自分を見捨てたことを最大限に後悔させて、死んでもらうつもりだった。
なのに何故、剣がぴくりとも動かない?
「ぐっ……ぐぅぅぅぅ」
後ろへと退がれないのなら、前へ行くしかない。アランは渾身の力をこめて、足を一歩前へ踏み出す。
だが、ミルドの前にはまるで見えない壁があるかのように、剣の切先はそれ以上先へと進まず、同時にアランの足も前へと踏み出せず、空をかいた。
そうしている間にも、剣の切先から黒い靄がミルドの胸へと吸い込まれ、アランの力は奪い取られていく。
「やめ……ろ、やめろ……うわぁぁぁ!」
力を奪われることに恐怖を覚え、アランはミルドの胸へと突きつけた剣の柄から手を離す。しかし──。
「今更手を離したところで、お前の身体と剣は繋がっているだろう?」
冷静な声に、そう言われた。
「へ……?」
言われて己の身体を見やると、全身に纏った靄が、手を離した剣の元へと集まっていくのが目に入る。
最早アランが剣の柄を握っている、いないに関わらず、黒い靄はアランと剣を問答無用で繋げていた。
そのため、剣を介してアランの身に纏わりついている靄は見る間に薄くなり、その質量を失っていく。
なんだこれは、なんだこれは、なんだこれは。
自分は力を手に入れた。自分を見捨てたミルドを見返して余りある大きな力を。
なのにこの状態は一体なんだ? どうして隊長に力を吸い取られている?
剣を鞘に戻そうと慌てて柄に手を掛けるが、剣は何故か空中に固定されているかのように動かない。
ミルドの胸の前で止まったまま、アランの身体から黒い靄を吸い上げる媒介のように、ミルドへ向かって靄を流し続けている。
「やめろ……やめろぉぉぉぉ!」
アランは堪らずミルド自身への体当たりを試みるが、それは突如現れた氷壁によって阻まれてしまう。
「何をしたところで無駄だ。貴様はもう何もできぬ」
告げられた声の主へと視線を向ければ、青い髪の女魔性が艶然と微笑んでいた。
こいつもか。こいつも、自分の邪魔をするのか。
「なんで……?」
どうしてこうも邪魔をされなければならない?
悪いのは、自分の腕を斬り落とした少女だ。自分はほんの少し命令に背いただけに過ぎない。
なのに何故、こんな目に遭わされる?
「おかしい……おかしいよな」
自分は絶対に間違っていない。間違っているのは、簡単に自分を見捨てたミルドの方だ。
諦めない。
この人を……ミルド隊長を見返すと決めた。自分を見捨てた罪を、死をもって償わせると。だから──。
「おい! 聞こえるか? 俺にもっと力を貸せ! 隊長を殺す力を俺に与えろ!」
懸命に辺りを見回しながら、アランは大声で叫んだ。
自分はまだ負けていない。あいつに力を貸して貰えれば、まだ挽回できる。
もう一度力を貸してもらって、そうしたら──と、考えていたのだが。
アランの必死の呼び声に、返事はされなかった。
何度も何度もアランは叫んだが、恩人と呼べるべき人の声は、二度と聞こえてはこなかったのだ。
その間にも、アランの身体からは確実に黒い靄が剥ぎ取られていき、とうとう全ての靄が消え失せたと思われた刹那──ゴトン、と音を立ててアランの右腕が地に落ちた。同時に、ミルドの胸の前で浮いていた剣もまた、支えを失くしたかのように地面へと落ち、転がる。
そして、アランも──。
「ミルド……隊長……」
地に倒れ伏したアランの姿は、まるで年老いた老人のようであった。
逞しかった体躯は急激に痩せ細り、髪も抜け、全身をガクガクと震わせている。
「これは……」
あまりの部下の変わりように、ミルドは目を見張った。
答えを求めるかのように氷依へと視線を向けると、冷静に告げられる。
「身に余る力を持つと、こういうことになる」
「そう……か」
それではアランは、もう助からないのだろう。
元より片腕を失くし、森の中程に放置された状態で、どれだけ生きながらえることができたかは不明であるが。
けれども妙な力に頼ることなどしなければ、恐らくここまで悲惨な最期にはならなかったに違いない。
「隊長……ミルド隊長……」
力無い声で、アランがミルドを呼び、震える手を伸ばしてくる。
そんな彼に冷たい瞳を向けると、ミルドは剣を一閃し、血を払って鞘に収めた。
「お前は裏切り者だが、これは部下として働いていたことへの餞別だ」
「ふ……甘いことよのぉ。このまま捨て置けば、最後まで絶望を味合わせてやれたというに……」
くすくすと笑う氷依の言葉は無視して、ミルドは馬に跨る。
部下達は何処まで行ったろう? 早く追いつかなければならない。
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