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第六章 因縁
頻発する頭痛
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「ぐっ……あ……!」
自身の身体を這い上がって来る黒い靄と、激しい頭痛に苛まれ、ミルドはその場に膝をつく。
瞬間、頭上ギリギリのところをアランの剣が掠めていったが、ミルドはそれに気付かなかった。
こめかみが自分でも分かるほどにドクドクと脈打ち、少しでも痛みを抑えるため、ミルドは強く脈打つ部分を指で押さえつける。
今までにも、何度か似たような頭痛を経験したことはあった。だが、痛むといっても長時間痛んだりするわけではなく、いつも一瞬で消えるため、気に留めてはいなかったのだ。
なのにここ最近になって、急激に痛む回数が増えてきたような気がする。
しかも、主君であるルーチェのことを考えた時に限って、だ。
「……いや、まさか。考えすぎだ」
頭を振って、馬鹿げた考えを思考から追い出す。
特定の人物のことを考えた時にする頭痛があるなど、聞いたことがない。
こんなものはただの偶然……或いは、単に自分の中にある、ルーチェに対する拒否症状のせいなのだと、ミルドは自らを納得させた。主君に対して拒否感情を抱くなど、臣下としてあるまじきこと。
頭ではそう理解しているのに、しかしミルドはどうしても、彼の土色の瞳が苦手だった。あれを見るたび、胸がざわつくような気がして。
「そういえばラズリ殿も、同じ色の瞳をしていたな……」
初めて彼女を見た時の、第一印象がそれだった。
さすがに、ルーチェと対峙した時のように胸がざわつくということはなかったが。
あれが何か、ルーチェ様が彼女を求める理由に、関係しているのだろうか?
ミルドの中で、そんな考えがふと脳裏をよぎった。けれどすぐに、まさか……と独りごちて首を振る。
土色の瞳なんて、特に珍しい色というわけではない。探すまでもなく、その辺にごろごろと転がっている、極普通のありふれた色彩だ。
それをこんな風に疑うなんて、自分はどうかしてしまったのか、と。
自嘲の笑みが、口元に浮かぶ。
「私としたことが、なんというくだらない考えを。疲れているとしか思えないな……」
このところ任務続きで、休暇らしい休暇をとった覚えは、もう何ヶ月もない。
だからだろうか? おかしなことを考えてしまったのは。
自分でも気付かぬうちに疲労がたまり、そのせいで思考回路に異常をきたしているのかもしれない。
あながち嘘ともいえぬ思いつきに、ミルドはため息を一つ吐いた。
「この件が、なんとか片付けば良いのだが……」
自分の思考が、これ以上支障をきたす前に。
もちろん原因不明の頭痛もまた、彼の心配の種ではあったのだが。
今はそれよりも、先に片付けねばならないことがある。
「隊長ぉぉぉ! なんで、なんでぇぇぇぇ!」
黒い靄に纏わりつかれているせいで、自由に動かない身体を何とか動かし、ミルドはアランからの攻撃をいなす。
だが、そうする間にも靄はミルドを完全に取り込もうと、見る間に上へと這い上ってくる。
「もう……ダメか……」
とうとう剣を持つ腕が上へと上げられなくなり、ミルドが唇を噛んだ瞬間──。
「すまぬ、遅くなった!」
そこで漸く氷依が姿を現したが、時既に遅く、ミルドは希望を失いかけていた。
今更来て、この女魔性にどれ程のことができるというんだ……。
そんな気持ちと。
私の身体はもう満足に動かせない。このまま靄に呑まれるのが先か、アランに斬られるのが先か、そのどちらかだ。
そんな気持ちとで。
「う……うう、ううぅぅぅぅぅ!」
既に全身が黒い靄に呑み込まれ、ただの黒い塊と化したアランは唸り声のみを発し、そんな状態となってもミルドのみを執拗に攻撃してくる。
もう……良い。もう疲れた……。
靄に抗おうとしていた感情が、アランに対する闘争心が、まるで風船が萎むかのように失われていくのをミルドは感じる。
胸の奥底に感じた熱も、それと共に消えてしまったのか、もはや何も感じることはできなかった。
だが──何故かアランの動きが、何の前触れもなく突然ピタリと止まった。
「う、うう……うう……う」
苦し気な声がすぐ側で聞こえ、ミルドは閉じかけていた目を開く。
見ると、アランの剣はミルドの左胸を貫く寸前のところで止まっていた。そして何故か、ミルドの身体に纏わり付く靄も、左胸の周囲には見当たらない。
アランがそこを狙ったのは、単純にその部分が靄に覆われておらず、狙いやすかったせいだと分かるが、逆に考えると、靄がそこだけを避けるかのように広がっているのも不可解だ。
身体の右側は既に首まで靄に呑み込まれつつあるのに、左側だけ胸周辺から上部がまったく侵食されていないなど。
「どういう……ことだ?」
不自由な身体を何とか動かし、ミルドは左胸に手を当てる。
刹那、ハッと一つのことを思い出し、慌てて胸当ての内側へと手を入れた。
「これは……」
内側から引き出したそれを、目の前に翳す。
それを持った腕から、靄が見る間に撤退するかのように下へと滑り落ちていく。
「貴様、それは……!」
驚愕に見開かれた氷依の瞳と目が合う。
ゆっくりと瞬きすることで肯定の返事をすると、ミルドは自分の身体にそれを貼り付けた。
自身の身体を這い上がって来る黒い靄と、激しい頭痛に苛まれ、ミルドはその場に膝をつく。
瞬間、頭上ギリギリのところをアランの剣が掠めていったが、ミルドはそれに気付かなかった。
こめかみが自分でも分かるほどにドクドクと脈打ち、少しでも痛みを抑えるため、ミルドは強く脈打つ部分を指で押さえつける。
今までにも、何度か似たような頭痛を経験したことはあった。だが、痛むといっても長時間痛んだりするわけではなく、いつも一瞬で消えるため、気に留めてはいなかったのだ。
なのにここ最近になって、急激に痛む回数が増えてきたような気がする。
しかも、主君であるルーチェのことを考えた時に限って、だ。
「……いや、まさか。考えすぎだ」
頭を振って、馬鹿げた考えを思考から追い出す。
特定の人物のことを考えた時にする頭痛があるなど、聞いたことがない。
こんなものはただの偶然……或いは、単に自分の中にある、ルーチェに対する拒否症状のせいなのだと、ミルドは自らを納得させた。主君に対して拒否感情を抱くなど、臣下としてあるまじきこと。
頭ではそう理解しているのに、しかしミルドはどうしても、彼の土色の瞳が苦手だった。あれを見るたび、胸がざわつくような気がして。
「そういえばラズリ殿も、同じ色の瞳をしていたな……」
初めて彼女を見た時の、第一印象がそれだった。
さすがに、ルーチェと対峙した時のように胸がざわつくということはなかったが。
あれが何か、ルーチェ様が彼女を求める理由に、関係しているのだろうか?
ミルドの中で、そんな考えがふと脳裏をよぎった。けれどすぐに、まさか……と独りごちて首を振る。
土色の瞳なんて、特に珍しい色というわけではない。探すまでもなく、その辺にごろごろと転がっている、極普通のありふれた色彩だ。
それをこんな風に疑うなんて、自分はどうかしてしまったのか、と。
自嘲の笑みが、口元に浮かぶ。
「私としたことが、なんというくだらない考えを。疲れているとしか思えないな……」
このところ任務続きで、休暇らしい休暇をとった覚えは、もう何ヶ月もない。
だからだろうか? おかしなことを考えてしまったのは。
自分でも気付かぬうちに疲労がたまり、そのせいで思考回路に異常をきたしているのかもしれない。
あながち嘘ともいえぬ思いつきに、ミルドはため息を一つ吐いた。
「この件が、なんとか片付けば良いのだが……」
自分の思考が、これ以上支障をきたす前に。
もちろん原因不明の頭痛もまた、彼の心配の種ではあったのだが。
今はそれよりも、先に片付けねばならないことがある。
「隊長ぉぉぉ! なんで、なんでぇぇぇぇ!」
黒い靄に纏わりつかれているせいで、自由に動かない身体を何とか動かし、ミルドはアランからの攻撃をいなす。
だが、そうする間にも靄はミルドを完全に取り込もうと、見る間に上へと這い上ってくる。
「もう……ダメか……」
とうとう剣を持つ腕が上へと上げられなくなり、ミルドが唇を噛んだ瞬間──。
「すまぬ、遅くなった!」
そこで漸く氷依が姿を現したが、時既に遅く、ミルドは希望を失いかけていた。
今更来て、この女魔性にどれ程のことができるというんだ……。
そんな気持ちと。
私の身体はもう満足に動かせない。このまま靄に呑まれるのが先か、アランに斬られるのが先か、そのどちらかだ。
そんな気持ちとで。
「う……うう、ううぅぅぅぅぅ!」
既に全身が黒い靄に呑み込まれ、ただの黒い塊と化したアランは唸り声のみを発し、そんな状態となってもミルドのみを執拗に攻撃してくる。
もう……良い。もう疲れた……。
靄に抗おうとしていた感情が、アランに対する闘争心が、まるで風船が萎むかのように失われていくのをミルドは感じる。
胸の奥底に感じた熱も、それと共に消えてしまったのか、もはや何も感じることはできなかった。
だが──何故かアランの動きが、何の前触れもなく突然ピタリと止まった。
「う、うう……うう……う」
苦し気な声がすぐ側で聞こえ、ミルドは閉じかけていた目を開く。
見ると、アランの剣はミルドの左胸を貫く寸前のところで止まっていた。そして何故か、ミルドの身体に纏わり付く靄も、左胸の周囲には見当たらない。
アランがそこを狙ったのは、単純にその部分が靄に覆われておらず、狙いやすかったせいだと分かるが、逆に考えると、靄がそこだけを避けるかのように広がっているのも不可解だ。
身体の右側は既に首まで靄に呑み込まれつつあるのに、左側だけ胸周辺から上部がまったく侵食されていないなど。
「どういう……ことだ?」
不自由な身体を何とか動かし、ミルドは左胸に手を当てる。
刹那、ハッと一つのことを思い出し、慌てて胸当ての内側へと手を入れた。
「これは……」
内側から引き出したそれを、目の前に翳す。
それを持った腕から、靄が見る間に撤退するかのように下へと滑り落ちていく。
「貴様、それは……!」
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