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第五章 闇に堕ちた騎士
襲いかかる不安
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「ミルド……隊……長……」
その声には、聞き覚えがあった。
自分の側近くで、幾度も耳にしたことのある、耳に馴染んだ声。
好きではなかった。寧ろ嫌いだとさえ感じていた。もう二度と聞かなくて済むと思っていた男の声。
しかし、そんな筈はないと、ミルドは頭に浮かんだ姿を打ち消す。これは、幻聴だ。
「隊……長、ミルド……隊長……」
そう思うのに、その声は消えることなく、徐々に大きく、ハッキリと聞こえてくる。
違う、この声は違う。気のせいだ。アイツの声が聞こえる筈はない。
まるで、自分自身に言い聞かせるかのように、ミルドは内心で呟き続ける。
アイツは森の中に置いて来た。片腕を失くし、そのせいで馬に乗ることもできず、ただ地面に這いつくばっていた。
自力で立ち上がることはできるだろうが、腕を失くしたばかりだ。まともに歩くことはできないに違いない。
そんな状態で、かなり離れた場所に置いて来たのだ。どうしたって、此処へ辿り着くのは不可能だろう。
だというのに、この気持ちはなんなのか。
漠然とした不安のようなものが、ミルドへと襲いかかって来る。
「隊長……どうしてですか、隊長……」
耳を打つ……というより直接脳に響いてくるかのようなその声は、少しずつ、本当に少しずつではあるが、ミルドを追い詰めてくるかのようだ。
耳を塞いだところで無駄なのだろう。だが、自分を責めるかのような響きを帯びたその声に、ミルドは耳を塞がずにはいられない。
しかもその声の主は、少しずつ、だが確実に近づいて来ているのだ。
幻聴などではない。これは──アイツだ。
確信した瞬間、ゾクリ、とミルドは全身に寒気を感じた。
何故? どうして? そんな筈はない。何故ならアイツは、アイツは──!
「あれは一体……どこの仕業かしら」
その時不意に氷依がそう言った。
「どこ……とは?」
意味が分からず、ミルドは眉間に皺を寄せる。
彼女は何を言っているんだ? 誰? と言うのであればともかく、どこ? とはどういう意味なのだろう? もしや、所属のことを言っているのか?
そんな風に考えたが、そこで氷依はまるでミルドの考えを読んだかのように、首を横に振った。
「あのように奇妙な気配、魔性に干渉されたと考えて当然でしょう。だからわたくしは『どこ』の配下の仕業かしらと思っただけよ」
「ああ……なるほど」
どうやら氷依の言う『どこ』というのは、近付いて来る気配の所属ではなく、干渉したと思われる魔性の所属を問うものだったらしい。
なんだ、そうかと納得しかけて──ミルドは重要な事実に気付き、思わず大声を上げた。
「はあっ!? 魔性に干渉されただって!?」
まさか、そんなことが……。
いやでもそうでなければ、姿さえ見えないこの状況で声が聞こえる筈はない。片腕を失くし、立ち上がるだけでも苦労していた男が、此処までの距離を歩いて来ることも不可能だ。
それらのことが全て、魔性に干渉された結果だったとしたら──。
恐ろしい現実に、ミルドは知らずゴクリと音を立てて唾を飲み込む。
確かに自分があの場に駆けつけた時、部下達は既に魔性と相まみえた後だった。気を失い、片腕を失くしたアランと、部下から聞いた一部始終。
だが、部下の言った話が本当であるなら、あの黒い靄の正体は魔性によるものではない。では何か? と聞かれたところで、答えられはしないが。
「違う……あれは、魔性ではない」
「何か心当たりでもあるのか?」
鋭い眼差しで周囲を警戒しながら、氷依が意外そうに尋ねて来る。
心当たりがあると言えばそうであるが、ミルドはそれを直接見たわけではない。ただ、部下から話を聞いただけだ。
故に、氷依に対する返答が、なんとも頼りないものとなってしまう。
「心当たりが……あるといえばある。だが、確証はない」
アランの片腕を最も容易く奪ったという黒い靄。今遠くに見えているそれが恐らくそうであろうとは思うが、自分で見たものではないだけに、断じることはできない。
それにしても、何故アランにあれが取り憑いたのだ? 腕を奪われた時にでも、してやられたのか?
あれをアランに取り憑かせることにより、娘に何か利益でもあるのか?
考えても分からないが、それにより自分が追い詰められていることだけは確かだ。
もしかしたら、これが彼女の狙いだったのかもしれない。
「来るぞ!」
刹那、氷依が鋭い声を放った。
間髪入れずミルドの周囲に張り巡らされた氷壁に驚く間も無く、視界が真っ黒に染め上げられる。
「なん……だ、これは……」
驚きのあまり身体を硬直させていると、視界の端から光が差し込んだ。
どうやら、闇に呑み込まれたわけではないらしい。徐々に視界が元通りになっていき、それと共に黒い靄がズルズルと後退していくのが見える。
間近で見たそれは、靄というより細かな砂粒のようにも見えて。
「あのような能力……見たことがない」
呟いたのは、氷依だ。
苦虫を噛み潰したかのような表情で、黒い靄の退いた先を見ている。
釣られたように同じ方向を見たミルドの視線の先には──切り捨てた筈の部下、アランがいた。
その声には、聞き覚えがあった。
自分の側近くで、幾度も耳にしたことのある、耳に馴染んだ声。
好きではなかった。寧ろ嫌いだとさえ感じていた。もう二度と聞かなくて済むと思っていた男の声。
しかし、そんな筈はないと、ミルドは頭に浮かんだ姿を打ち消す。これは、幻聴だ。
「隊……長、ミルド……隊長……」
そう思うのに、その声は消えることなく、徐々に大きく、ハッキリと聞こえてくる。
違う、この声は違う。気のせいだ。アイツの声が聞こえる筈はない。
まるで、自分自身に言い聞かせるかのように、ミルドは内心で呟き続ける。
アイツは森の中に置いて来た。片腕を失くし、そのせいで馬に乗ることもできず、ただ地面に這いつくばっていた。
自力で立ち上がることはできるだろうが、腕を失くしたばかりだ。まともに歩くことはできないに違いない。
そんな状態で、かなり離れた場所に置いて来たのだ。どうしたって、此処へ辿り着くのは不可能だろう。
だというのに、この気持ちはなんなのか。
漠然とした不安のようなものが、ミルドへと襲いかかって来る。
「隊長……どうしてですか、隊長……」
耳を打つ……というより直接脳に響いてくるかのようなその声は、少しずつ、本当に少しずつではあるが、ミルドを追い詰めてくるかのようだ。
耳を塞いだところで無駄なのだろう。だが、自分を責めるかのような響きを帯びたその声に、ミルドは耳を塞がずにはいられない。
しかもその声の主は、少しずつ、だが確実に近づいて来ているのだ。
幻聴などではない。これは──アイツだ。
確信した瞬間、ゾクリ、とミルドは全身に寒気を感じた。
何故? どうして? そんな筈はない。何故ならアイツは、アイツは──!
「あれは一体……どこの仕業かしら」
その時不意に氷依がそう言った。
「どこ……とは?」
意味が分からず、ミルドは眉間に皺を寄せる。
彼女は何を言っているんだ? 誰? と言うのであればともかく、どこ? とはどういう意味なのだろう? もしや、所属のことを言っているのか?
そんな風に考えたが、そこで氷依はまるでミルドの考えを読んだかのように、首を横に振った。
「あのように奇妙な気配、魔性に干渉されたと考えて当然でしょう。だからわたくしは『どこ』の配下の仕業かしらと思っただけよ」
「ああ……なるほど」
どうやら氷依の言う『どこ』というのは、近付いて来る気配の所属ではなく、干渉したと思われる魔性の所属を問うものだったらしい。
なんだ、そうかと納得しかけて──ミルドは重要な事実に気付き、思わず大声を上げた。
「はあっ!? 魔性に干渉されただって!?」
まさか、そんなことが……。
いやでもそうでなければ、姿さえ見えないこの状況で声が聞こえる筈はない。片腕を失くし、立ち上がるだけでも苦労していた男が、此処までの距離を歩いて来ることも不可能だ。
それらのことが全て、魔性に干渉された結果だったとしたら──。
恐ろしい現実に、ミルドは知らずゴクリと音を立てて唾を飲み込む。
確かに自分があの場に駆けつけた時、部下達は既に魔性と相まみえた後だった。気を失い、片腕を失くしたアランと、部下から聞いた一部始終。
だが、部下の言った話が本当であるなら、あの黒い靄の正体は魔性によるものではない。では何か? と聞かれたところで、答えられはしないが。
「違う……あれは、魔性ではない」
「何か心当たりでもあるのか?」
鋭い眼差しで周囲を警戒しながら、氷依が意外そうに尋ねて来る。
心当たりがあると言えばそうであるが、ミルドはそれを直接見たわけではない。ただ、部下から話を聞いただけだ。
故に、氷依に対する返答が、なんとも頼りないものとなってしまう。
「心当たりが……あるといえばある。だが、確証はない」
アランの片腕を最も容易く奪ったという黒い靄。今遠くに見えているそれが恐らくそうであろうとは思うが、自分で見たものではないだけに、断じることはできない。
それにしても、何故アランにあれが取り憑いたのだ? 腕を奪われた時にでも、してやられたのか?
あれをアランに取り憑かせることにより、娘に何か利益でもあるのか?
考えても分からないが、それにより自分が追い詰められていることだけは確かだ。
もしかしたら、これが彼女の狙いだったのかもしれない。
「来るぞ!」
刹那、氷依が鋭い声を放った。
間髪入れずミルドの周囲に張り巡らされた氷壁に驚く間も無く、視界が真っ黒に染め上げられる。
「なん……だ、これは……」
驚きのあまり身体を硬直させていると、視界の端から光が差し込んだ。
どうやら、闇に呑み込まれたわけではないらしい。徐々に視界が元通りになっていき、それと共に黒い靄がズルズルと後退していくのが見える。
間近で見たそれは、靄というより細かな砂粒のようにも見えて。
「あのような能力……見たことがない」
呟いたのは、氷依だ。
苦虫を噛み潰したかのような表情で、黒い靄の退いた先を見ている。
釣られたように同じ方向を見たミルドの視線の先には──切り捨てた筈の部下、アランがいた。
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