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第四章 再出発
職務怠慢
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一体何が起こったのか。
右肘から先を失い、痛みのせいで暴れるアランを見つめながら、ラズリはただ呆然としていた。
彼女の身体からは、既に黒い靄は出ていない。完全に消え去っている。
だが、黒い靄に呑み込まれたアランの腕は、戻っていない。失われた部分は、そのままだ。
どのような原理で切り離されたのか、腕が無くなった部位は出血こそしていないものの、未だぼんやりと黒い靄のようなものに覆われている。
痛むのであれば、普通はその部分だけである筈なのに、アランの痛がり方は尋常ではなく、全身の至る所が痛みを訴えているかのようだ。
「ぐあああああああああっ!!」
「副隊長、しっかりして下さい!」
「誰か応急処置を!」
一緒にいた騎士達は慌てふためき、治療道具を広げるが、痛みによって暴れ回るアランを押さえ付けるのは至難の業のようで、周囲を取り囲み四苦八苦している。
それを見ながら、ラズリは一歩後ずさった。
今のうちに逃げた方が良いわよね?
絶対そうした方が良い。今が好機だと分かっているのに、自分のせいでアランが苦しんでいるのかと思うと、無責任に放り出して良いものかと良心が訴えてくる。
自分がいたところで、出来る事は何も無い。分かっていても、原因は間違いなく自分にあるのだし、たとえ何もできなくとも、この場にいる義務があるのではないか? アランがこの後どうなってしまうのか、見定める義務があるのではないか? と思えて。
しかし、その時。
「副隊長をこんな風にしたのは、お前だよな?」
一人の騎士がラズリの方を向き、徐に剣を抜いた。
「お前がやったんだから、お前が副隊長を元に戻せ。出来るんだろ?」
激しく暴れ回るアランの手当ては諦めたのか、騎士達は皆一様にラズリへと剣を向けてくる。
そんな事を言われても、ラズリとて心当たりがないのだから、どうにもできはしない。なのに彼等は、ラズリであれば治せると思い込んでいるようだ。
「私は……申し訳ないけど、どうしたら良いか分からない……」
だから、頭を横に振り、正直に無理だと伝えた。
瞬間、騎士達の顔色が明らかに変わる。
「嘘を吐くな!」
「お前がやったんだから、できる筈だ。お前の身体から黒い靄が出るのを見たんだぞ!」
「さっさと腕を戻せ!」
今にも斬りかかってきそうな剣幕で騎士達が怒鳴ってくるが、何をされようとも、できないものはできないのだから仕方がない。
「私だって、なんでこんな事になったのか分からないの。だから悪いけど、本当にどうしようもできないのよ」
或いは奏であれば、どうにか出来るかもしれないが。
……そうだ、奏。
そこでふと奏の存在を思い出し、ラズリは空を見上げた。
次いで周囲を見回すも、目当ての赤い魔性の姿は、残念ながらどこにも見当たらない。だけど──。
「奏! 助けて!」
大きな声で叫ぶ。
「貴様、何をいきなり──」
慌てた騎士の一人が、突然叫び声を上げたラズリの口を塞ごうとして動く。
だが、ラズリはそれを器用に躱して奏の名をもう一度呼んだ。
「奏!!」
アランに襲われた時は、あまりの恐怖に助けを呼ぶ事すら忘れていた。その後は抑え切れない怒りによって、それ以外の感情が塗り潰されてしまったから、結局そのまま奏を呼ぶ事はなかった。
だけど、今は違う。困っているのなら、助けが必要であるのなら、迷わず奏を呼べば良いんだと思った。
斯くして──。
「ラズリどうした? なんかあったのか?」
大勢の騎士達に剣を突きつけられたラズリの前に現れた奏は、音もなく空から降り立った。
「なんだこれ。こいつらいつの間に……もっと早く呼んでくれれば良かったのに」
騎士達からもの凄い殺気を受けているのにも関わらず、奏は全く意に介する様子もなく。
激しい痛みに大声をあげて暴れ回るアランを見て取ると、不快気に眉を寄せた。
「ああ、そうか……そういうことか」
「見ただけで分かるの?」
尋ねたラズリに、奏は何やら複雑な顔をする。
「ちょっと……うん、あれは良くない。俺の職務怠慢。悪かったな」
これって、また闇に怒られるやつじゃねぇか……。
ふざけたように言うも、奏の顔は少しも笑ってはいない。こんな風に真面目な顔をする奏を見たのは、出逢って以来初めてのことで。
だからこそ、あの黒い靄はそれ程まずいものなのかと、ラズリは固唾を飲んで奏の行動を見守った。
右肘から先を失い、痛みのせいで暴れるアランを見つめながら、ラズリはただ呆然としていた。
彼女の身体からは、既に黒い靄は出ていない。完全に消え去っている。
だが、黒い靄に呑み込まれたアランの腕は、戻っていない。失われた部分は、そのままだ。
どのような原理で切り離されたのか、腕が無くなった部位は出血こそしていないものの、未だぼんやりと黒い靄のようなものに覆われている。
痛むのであれば、普通はその部分だけである筈なのに、アランの痛がり方は尋常ではなく、全身の至る所が痛みを訴えているかのようだ。
「ぐあああああああああっ!!」
「副隊長、しっかりして下さい!」
「誰か応急処置を!」
一緒にいた騎士達は慌てふためき、治療道具を広げるが、痛みによって暴れ回るアランを押さえ付けるのは至難の業のようで、周囲を取り囲み四苦八苦している。
それを見ながら、ラズリは一歩後ずさった。
今のうちに逃げた方が良いわよね?
絶対そうした方が良い。今が好機だと分かっているのに、自分のせいでアランが苦しんでいるのかと思うと、無責任に放り出して良いものかと良心が訴えてくる。
自分がいたところで、出来る事は何も無い。分かっていても、原因は間違いなく自分にあるのだし、たとえ何もできなくとも、この場にいる義務があるのではないか? アランがこの後どうなってしまうのか、見定める義務があるのではないか? と思えて。
しかし、その時。
「副隊長をこんな風にしたのは、お前だよな?」
一人の騎士がラズリの方を向き、徐に剣を抜いた。
「お前がやったんだから、お前が副隊長を元に戻せ。出来るんだろ?」
激しく暴れ回るアランの手当ては諦めたのか、騎士達は皆一様にラズリへと剣を向けてくる。
そんな事を言われても、ラズリとて心当たりがないのだから、どうにもできはしない。なのに彼等は、ラズリであれば治せると思い込んでいるようだ。
「私は……申し訳ないけど、どうしたら良いか分からない……」
だから、頭を横に振り、正直に無理だと伝えた。
瞬間、騎士達の顔色が明らかに変わる。
「嘘を吐くな!」
「お前がやったんだから、できる筈だ。お前の身体から黒い靄が出るのを見たんだぞ!」
「さっさと腕を戻せ!」
今にも斬りかかってきそうな剣幕で騎士達が怒鳴ってくるが、何をされようとも、できないものはできないのだから仕方がない。
「私だって、なんでこんな事になったのか分からないの。だから悪いけど、本当にどうしようもできないのよ」
或いは奏であれば、どうにか出来るかもしれないが。
……そうだ、奏。
そこでふと奏の存在を思い出し、ラズリは空を見上げた。
次いで周囲を見回すも、目当ての赤い魔性の姿は、残念ながらどこにも見当たらない。だけど──。
「奏! 助けて!」
大きな声で叫ぶ。
「貴様、何をいきなり──」
慌てた騎士の一人が、突然叫び声を上げたラズリの口を塞ごうとして動く。
だが、ラズリはそれを器用に躱して奏の名をもう一度呼んだ。
「奏!!」
アランに襲われた時は、あまりの恐怖に助けを呼ぶ事すら忘れていた。その後は抑え切れない怒りによって、それ以外の感情が塗り潰されてしまったから、結局そのまま奏を呼ぶ事はなかった。
だけど、今は違う。困っているのなら、助けが必要であるのなら、迷わず奏を呼べば良いんだと思った。
斯くして──。
「ラズリどうした? なんかあったのか?」
大勢の騎士達に剣を突きつけられたラズリの前に現れた奏は、音もなく空から降り立った。
「なんだこれ。こいつらいつの間に……もっと早く呼んでくれれば良かったのに」
騎士達からもの凄い殺気を受けているのにも関わらず、奏は全く意に介する様子もなく。
激しい痛みに大声をあげて暴れ回るアランを見て取ると、不快気に眉を寄せた。
「ああ、そうか……そういうことか」
「見ただけで分かるの?」
尋ねたラズリに、奏は何やら複雑な顔をする。
「ちょっと……うん、あれは良くない。俺の職務怠慢。悪かったな」
これって、また闇に怒られるやつじゃねぇか……。
ふざけたように言うも、奏の顔は少しも笑ってはいない。こんな風に真面目な顔をする奏を見たのは、出逢って以来初めてのことで。
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