魔の森の奥深く

咲木乃律

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第六章 本の世界と現実との違いは

けしかけられる

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 屋敷の前庭にロザリアがお菓子を持って出ると、カンガルーによく似た魔獣キャングロが一斉に集まってきた。
 
「わっ、……きゃ…。待って慌てないで、たくさんあるんだから」

 我先にとロザリアに飛びついてきて、菓子の包みをかわいい前足でかりかりとかく。姿かたちはかわいいけれど、その前足には鋭い爪がついている。とたんに菓子を包んでいたナフキンは裂け、ばらばらと芝生の上に菓子が散らばった。

「もう。だめだって言ったのに……」

 散らばった菓子にキャングロがわっと群がる。ラーラお手製の焼き菓子だ。ロザリアのため、というよりキャングロのためにラーラは日々菓子を焼いてくれる。
 チーロと一度庭でキャングロに菓子を与えてから、ロザリアが前庭に出るたびキャングロたちが集まってくるようになった。チーロは無視しておけというのだけれど、濡れた瞳で見つめられるとつい何かあげたくなる。
 ラーラは、ロザリアは何も言わないのに、次の日から明らかにロザリア一人では食べきれない量の菓子を用意してくれるようになった。お菓子作りは大変だ。さすがに毎日は申し訳なく、ラーラに自分で作ると言うと次の日にはキッチに材料が用意されていた。
 けれど……。

 自分で作るといった手前、今更言い出しにくいがロザリアは前世から料理が壊滅的に苦手だ。
 焼き菓子なんて作ったこともない。大量の材料を前に呆然と立ち尽くしていると、どこからともなくラーラが現れ、一から丁寧に教えてくれた。
 けれどこれを毎日となると、いくら時間を持て余しているとはいえ大変な作業だ。なのでつい今日くらいはとさぼって菓子を作らず気分転換に前庭に出ると、期待に満ちたうるうるとした瞳で見つめられ、屋敷に舞い戻るということを繰り返した。

 ある時手ぶらのときキャングロに囲まれ、慌ててキッチンに駆け込み焼き菓子を作っているとセストが帰ってきた。毎日よく飽きずにあいつらのために菓子ばかり作るなと言うので、これこれこういうことだと説明するともっと早く言えと怒られた。

「あいつらにはな、果てというものがないんだ。おまえが好きでやっているのかと思っていたが、負担になっているならやめておけ。何度か無視すればそのうち来なくなるさ」

 そうなのかもしれないが、それはそれでちょっと寂しい。セストはいつもいないし、チーロも毎日来てくれるわけではない。キャングロたちはロザリアのここでのよき遊び相手でもあるのだ。
 そう言うとセストは、

「ならラーラに作らせればいい。お前に作れとラーラが一度でも言ったか?」

「……言ってない。でもほら、毎日は大変だろうから。他に仕事もあるだろうし」

「何を言っているんだ。あいつにとっては焼き菓子なんぞものの一分もあれば出来上がるぞ。あいつは家事全般の魔法に長けているんだ。ラーラにとっては大量の菓子作りなんぞ何の負担でもない」

 ロザリアは思わず口をあんぐり開けた。魔法、その手があったのか。さすがは魔族だ。
 それからは素直にラーラに甘えることにしている。

 前庭に散らばった菓子があらかた食べ尽くされると、大半のキャングロは森へと帰っていくが、いつも数匹は残ってロザリアにじゃれついてくる。頬を指先で撫でてやると目を細めて気持ちよさそうな顔をするのがかわいい。肩に載って頬ずりしてくるキャングロもいる。
 そんななか、最後まで菓子を頬張っていた一匹が、残りの菓子を食べ終えると名残惜しそうにロザリア見上げ、指をぺろりと舐めてきた。菓子を包んだ時に香りとかすが移ったのだろう。それをぺろぺろと舐めている。と思ったらがりっと指先をかまれた。

「……いたっ…」

 思わず手を引っ込めると、急な動作にロザリアに引っ付いていたキャングロたちが一斉に飛び離れた。指をかんだキャングロは申し訳なさそうにこちらを見上げている。

「大丈夫。気にしないで。もうちょっと食べたかったんだよね。明日も持ってくるからね」

 かまれていないほうの指先で頭をつついてやると、キャングロはえへへとでもいうように首をちょこんと下げ森の中へ消えていった。
 すると突然背後から声をかけられた。

「ほらロザリアちゃん、指見せてみな」

「テオ……?」

 いつの間に来たのだろう。テオがすぐ後ろに立っていた。

「いつからそこに?」

「さぁいつからでしょう」

 テオはにやにや笑いながらもロザリアの指先を手に取ると傷口を子細に眺めた。

「まぁそう深くはないが念のため毒消しをしておくか」

 毒消しの言葉にえ?と驚いたように顔を上げると、テオは、

「かわいい見た目だけどキャングロも魔獣なんだ。黒妖犬ほど強くはないが、ごく弱い毒は持っているからね」

 そう言うといつもの斜めかけバッグから薬を取り出し、手際よくロザリアの指を消毒すると包帯を巻いた。

「あの、もしかしてずっと見てた?」

 こんなタイミングよく現れるわけがない。いぶかし気にテオを見ると、テオは肩をすくめた。

「ご明察。ていうかとっくに気が付いてるかと思ってたよ。セストがロザリアを一人で置いておくわけないだろう。ウバルドの手の者がここまで来るとは思わないけど何があるかわからないんだしね」

「知らなかった。いるならこっそり見てないで出てきてくれればいいのに」

 夜にはセストは帰ってくるけれど、昼間は誰もいなくて寂しいのだ。側にいるのなら出てきてくれれば話し相手ができる。その方がロザリアだって嬉しい。そう言うとテオは肩をすくめた。

「冗談。膝突き合わせて、そんなに俺と話すことあるのかい? 相手がセストでなし、場が持たないよ」

 さらりと鋭い指摘をしてテオはすぐに屋敷内へ戻っていった。

「……何もそんな言い方しなくっても…」

 ぽつりとつぶやくと、「なんか言った?」と玄関扉が開いてテオの顔が出てきた。

「……なんでもありません」

「あっそ」

 絶対からかわれているような気がする……。
 が、中に入りかけたテオを再び呼び止めた。

「あの!」

「なに?」

 テオは若干面倒そうにしながらも、一応無視することなくこちらに戻ってくる。テオの気が変わらない内にと、急いで先を続けた。

「ウバルド殿下と、王子の王位継承権はどうなったの?」

 ロザリアがここに身を隠してから早一月ほどが経つ。
 一角獣狩りの一行は王都に帰還しただろうし、狩りが終われば行われる予定だった王位継承権の儀式はどうなったのだろうか……。それに家族のことも、放り出している魔事室の仕事も気になる……。

 ウバルドの件は、セストに聞いても特に進展はないと教えてくれず、ラーラに聞いても「私は何も」と能面で返されるだけでやきもきしていた。
 ロザリアが勢いこんで身を乗り出すと、テオはぎょっとしたように反対に身を引いた。

「セストからは?」

「何も聞いてない」

「…あっそ」

「それで? 王子の儀式はどうなったの? 予定通り王位は継がれるの? 失明したといっても、その権利を失ったわけじゃないものね。あ、でもだとしたらウバルド殿下は黙ってはいないわよね。また何か良くないことが起こるんじゃあ……」

「はい、そこまで」

 テオはロザリアの言を途中で遮った。

「あいつが何も言わないなら俺から話すことは何もないよ。以上だ」

 逃げるようにさっさと屋敷に入ってしまった。








「あの、セスト」

 セストは昼間はたいてい屋敷を空けており、夕方になると戻って来てロザリアと一緒に食事を摂る。戻ってきたセストと食卓についたところでロザリアは早速切り出した。

「トリエスタは今どうなってるの? 昼間テオに聞いたんだけど全然教えてくれなくて。何かまたよくないことでも起こってるの?」

 セストは口に運びかけていたパンを皿に戻すと「そんなに知りたいのか?」と聞いてくる。

「それはもちろん。お父様は国王派だし、もしウバルド殿下が王位につくようなことになったらと思ったら……」

 王位のために国民を危険にさらし、乙女たちを襲い、王子の目を奪うような人物だ。もしウバルドが後を継ぐようなことがあれば、国王派の粛清が行われないとも限らない。ここに身を潜めてからもう何度もセストにそう言って聞いている。けれど、セストはなぜか現状を明確に説明してくれない。

「お前に言っても、今は国を離れているしどうすることもできないだろう?」

 いつもその一言で済まされる。けれど今日こそはと一歩も引かない姿勢を示すと、セストは腕を組んで椅子の背にもたれかかった。

「それで? 俺からトリエスタの現状を聞き出し、ロザリアはどうするつもりなんだ?」

「どうするってそれはもちろん……」

 言いかけて口をつぐむ。ウバルドがなにか仕掛けようと企んでいても、魔力のない非力な自分では何もできない……。ロザリアが言葉を継げずにいると、

「わかっているならここで大人しくしているんだな。―――食事の続きをしよう」
 
 セストは姿勢を正すと、いつの間に来たのか、ラーラがワインを運んできた。それを注ぐとセストは優雅な仕草で杯を傾けた。









 
 夕食と湯浴みを終え、セストと一緒のベッドに入るのが習慣になった。と言ってもまだ一線は超えていない。キスをして、夜着の上から胸を触られるくらいだ。

「好きだよ、ロザリア……」

「……んんっ…」

 舌を強く吸われ、ロザリアがくぐもった声を漏らすと、セストは顔を上げてロザリアに囁く。

「そろそろ俺の気持ち、信じてくれたか?」

「……たぶん…」

 夜ごと同じベッドに入ってキスをされ、好きだと言われ続ければロザリアの頑なな心も溶かされる。セストの熱で浮ついた気持ちで返事をすればセストは少し荒々しく夜着の上から胸の先端をつまんだ。

「―――いたっっ……」

 その刺激に眉をしかめると、セストはにやにやしてこちらを見ていた。

「いつまでもたぶん、なんて言葉で濁すなよ。これだけ好きだと言ってるんだ。いい加減、俺を焦らすのはやめにしてくれないか?」

「焦らしてるつもりはないんだけど……」

 本の世界でこの先のことは予習済みだ。だいたいの展開も読めている。あとはロザリアの覚悟だけ。ただ…。

「ディーナさんのことはもういいの?」

 肖像画は今も屋敷の部屋に飾られている。セストと向き合っているとどうしてもあの肖像画の女性の姿が脳裏にちらつく。

「わたしが、ちゃんと思い出せればいいんだけれど……」

 セストのためにはディーナだった時の記憶を思い出すのが一番なのだろう。そうわかっていても、ディーナの記憶を思い出した時、ロザリアは山本めぐでありロザリアである今の自分が崩壊するのではないかと恐ろしくもある。おぼつかないながらもここまで築き上げてきた自分というものが根底からひっくり返るのではないか―――。

「―――ディーナのことは、思い出さなくていい。あいつは死んだんだ……」

「でも……」

「今はロザリアが欲しい……。それではだめか?」

「だめっていうか……」

 セストはそれで本当にいいのだろうか。答えを求めてセストの緑の瞳を見れば、穏やかな色のみがある。

「セストのことは信じてる」

 その目を見ていればわかる。思いのこもった言葉はちゃんと心の奥まで響いてくる。以前のような軽薄さは感じない。

「だてに四十二年生きてきたわけじゃないものね」

 これだけ生きていても、変えられない自分もいるし、一方で心の内を見抜く力は鍛えられてきた。
 ロザリアがそう言うと、セストはまたにやにやと笑ってロザリアを見下ろした。

「ならさ、その見た目よりも長い経験値で今の俺が考えてることわかる?」

 答えるより先に顔に朱がのぼる。それはこれだけ毎日こんなことをしていればロザリア自身考えないわけにはいかない。長い経験値なんて必要ない。でも一方でこんなことをしている場合ではないという焦りもある。今まさにトリエスタにいる家族に危害が加えられようとしているかもしれないのだ。
 ロザリアが顔を曇らせるとセストは大きく息を吐きだした。

「お前の家族のことは心配するな。ちゃんと部下に見張らせている。何かあれば俺が助けに行くさ」

「ほんとにほんと?」

「ああ。誓って」

 だからな、とセストはロザリアの内股に手を滑らせると大腿を押し広げた。

「いいだろう?」

「―――よくはない……」

 なおも逡巡するとセストは更に深く口づけてきた。

「―――んんんっぅ……」

 息も絶え絶えになるほどの強引な口づけにセストの背を叩いて抗議すると、セストは一旦口づけを解いてロザリアの目を見つめた。

「なぁ、いいだろう? 俺もそろそろ我慢の限界なんだ」

 切なげに言われると、いいのかもと思わせられるから厄介だ。でももうこれ以上は拒む理由もない気がして―――。

「わたし、うまくできないかもしれない、よ?」

 本で読んだだけで実践となるとさっぱりで、とてもセストを満足させられる自信はない。

「リードは俺にまかせろ。ロザリアは何もしなくていい」

「でも、ほら……。その、きょ、今日はやっぱりやめとこうかなぁ、なんて。明日に、とか?」

「……ロザリア…」

 セストは目を眇めてロザリアを見下ろすと、にやっと笑った。

「案外臆病なんだな。おまえの言う明日は永遠に来ないんじゃないのか?」

「そ、そんなことないわよ」

 怖気づいた下手な言い逃れはすぐに看破される。見透かされたようで悔しいやら恥ずかしいやらで思わず口から本音が飛び出す。

「それはわたしだってできればちゃんとセストに抱かれたいと思ってるし……、って、あっ」

 慌てて口を抑えるもセストの耳にはしっかり届いていた。セストはその言葉に満足げに目を細めるとロザリアの膝裏を持ち上げ、足を開かせた。

「なんだ、俺と同じ気持ちじゃないか。そういうことなら話は簡単だ。足、もっと広げて」

 有無を言わさずロザリアの足を大きく開かせた。






 
 


 
 
 
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