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第四章
父
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「私の父のこと、聞いてもいいですか?」
マリタは虚をつかれたようにはっとした顔をしたが、すぐに「そうよね、気になるわよね」とヨハンナの髪を梳いた。
「あなたのお父さんは、神殿の統治一族の一人よ。帝国の侵攻の際、捕らえられ幽閉されたけれど、その後すぐに病で亡くなったそうよ」
期待はしていなかったが、亡くなったと聞くと心に大きな穴があいたような気がした。
「あなたのお父さんは統治一族と言っても、里に降り、牧羊を営むような穏やかな人だったわ。神殿の運営には関わっていなかったのだけれど、統治一族として名を連ねていたために、帝国に捕らわれたの。今回捕まったラッセ、知っているでしょう?」
ヨハンナは頷いた。いつもセヴェリに、影のように付き従っていた黒髪黒目の男だ。
「彼ね、ラッセと仲がよかったのよ。ラッセはあんな見た目でしょう? エメラルドの色彩を持つテンドウ族の中では浮いた存在でね。みんな気味悪がっていたの。でも彼はラッセとよくつるんでたわよ。ラッセは同じ神子の子のセヴェリと仲がよくてね。仲がいいっていうか、あれはちょっと異常だったわね。セヴェリセヴェリって、それは気持ち悪いくらい、いっつもくっついてた。セヴェリと彼だけが、ラッセを分け隔てのない友達として接していたの。帝国が侵攻したとき、ラッセは神殿の使いで里を出ていた。その使いはもともと彼の仕事だったらしいのだけれど、身重のカリタを置いて里を離れるのを嫌がった彼の代わりに、ラッセが使いに出た。ラッセは、あなたのお父さんのおかげで、難を逃れたのよ」
「その話は初めて聞いたな……」
アランが言うと、「あら、話してなかったかしら?」とマリタが首を傾げる。
「アラン殿下とは色々なお話をさせてもらったので、もう全部話した気になってたわ」
ヨハンナに会おうとしないマリタを説得するため、アランが何度もこの店に足を運んでいたことをマリタは話した。
「それはもう、熱心に恐れ多くも通い詰めていただいたわ」
マリタは片目をつむる。
「アラン……」
ありがとうという言葉はかすれて声にならなかった。アランは照れたように「気にするな」と言う。
「ほんと、ラッセは馬鹿よね。あんなに親しくしていた彼の子が、ヨハンナだってことにも気づかずに、あなたをこんな目に遭わせるなんて。辛かったでしょう?」
ヨハンナは首を振った。
カリタの話を聞いて、すとんと落ち着くものがある。
ラッセは、ヨハンナが自分の友人の子だと知っていたのではないだろうか。
セヴェリを裏切ることはなかったけれど、手を差し伸べようとしていた。そんな気がする。
「なるほど、そういうことか……」
アランは懐から何か小さなものを取り出した。
それをヨハンナの手のひらに載せた。
「これって……」
ラッセの腰でいつも揺れていた根付だった。
「どうして…?」
「ラッセが、ヨハンナに渡してくれって」
「その根付……」
横からヨハンナの手のひらの根付をマリタが覗き込んだ。
「あなたのお父さんのよ」
「父の?」
「ええ、その組紐はカリタが編んだものなの。彼の代わりに使いに出るとき、ラッセが彼から預かったものよ」
「これが……」
ヨハンナは手のひらの根付をぎゅっと握り締めた。
ラッセの腰でいつも目にしていたこの根付が、両親に繋がるものだったなんて……。
ヨハンナの目から涙が溢れ出した。
あとからあとからいつまでも途切れることなく、こぼれ続けた。
「落ち着いたかしら?」
マリタは店の奥へとアランとヨハンナを通し、簡素だが実用的で座り心地の良い椅子をすすめた。
温かい紅茶をヨハンナに手渡した。
「これからの商売の話を少ししましょうか」
「商売?」
ヨハンナはきょとんとしてマリタを見返した。
「私は見ての通り、ここで絨毯を売っているの。この店に並ぶ絨毯はどれもイクサカ地方の羊毛で織られたものなの」
「え……」
ヨハンナは開いた扉の向こう、店に並ぶうつくしい絨毯にじっくりと目を向けた。言われてみればどれもイクサカ地方で使われる織機の、独特な編み模様をしている。
「アラン殿下から、ヨハンナはイクサカ地方で羊を育てる予定だと聞いたわ。もちろん、織機はするつもりよね? 毛を刈って、そのまま売ってもいいけれど、絨毯に仕立てた方が良い収入になるものね」
「アラン……?」
アランがそんな話をマリタにしていたというのは驚きだった。まだ、ヨハンナはイクサカ地方へ帰るとは一言も言っていない。
それに、アランは自分にここに留まってほしくてセービン伯爵のもとへ行かせているのではなかったのか。
話が見えないながらもマリタの話は進んでいく。
「それでね、アラン殿下がぜひヨハンナの絨毯を仕入れて店で売ってくれと頼まれてね。もちろん、出来によって値段は相応につけさせてもらうつもりよ。イクサカ地方に、ジャックっていう絨毯の行商をしている子がいるんだけど、その子も紹介するから、商品は彼に預けてくれたらいいわ。それとね――…」
その後もマリタは細かな値段設定の話や、どのような商品が売れ筋なのかといったことをヨハンナに教えてくれた。
マリタは虚をつかれたようにはっとした顔をしたが、すぐに「そうよね、気になるわよね」とヨハンナの髪を梳いた。
「あなたのお父さんは、神殿の統治一族の一人よ。帝国の侵攻の際、捕らえられ幽閉されたけれど、その後すぐに病で亡くなったそうよ」
期待はしていなかったが、亡くなったと聞くと心に大きな穴があいたような気がした。
「あなたのお父さんは統治一族と言っても、里に降り、牧羊を営むような穏やかな人だったわ。神殿の運営には関わっていなかったのだけれど、統治一族として名を連ねていたために、帝国に捕らわれたの。今回捕まったラッセ、知っているでしょう?」
ヨハンナは頷いた。いつもセヴェリに、影のように付き従っていた黒髪黒目の男だ。
「彼ね、ラッセと仲がよかったのよ。ラッセはあんな見た目でしょう? エメラルドの色彩を持つテンドウ族の中では浮いた存在でね。みんな気味悪がっていたの。でも彼はラッセとよくつるんでたわよ。ラッセは同じ神子の子のセヴェリと仲がよくてね。仲がいいっていうか、あれはちょっと異常だったわね。セヴェリセヴェリって、それは気持ち悪いくらい、いっつもくっついてた。セヴェリと彼だけが、ラッセを分け隔てのない友達として接していたの。帝国が侵攻したとき、ラッセは神殿の使いで里を出ていた。その使いはもともと彼の仕事だったらしいのだけれど、身重のカリタを置いて里を離れるのを嫌がった彼の代わりに、ラッセが使いに出た。ラッセは、あなたのお父さんのおかげで、難を逃れたのよ」
「その話は初めて聞いたな……」
アランが言うと、「あら、話してなかったかしら?」とマリタが首を傾げる。
「アラン殿下とは色々なお話をさせてもらったので、もう全部話した気になってたわ」
ヨハンナに会おうとしないマリタを説得するため、アランが何度もこの店に足を運んでいたことをマリタは話した。
「それはもう、熱心に恐れ多くも通い詰めていただいたわ」
マリタは片目をつむる。
「アラン……」
ありがとうという言葉はかすれて声にならなかった。アランは照れたように「気にするな」と言う。
「ほんと、ラッセは馬鹿よね。あんなに親しくしていた彼の子が、ヨハンナだってことにも気づかずに、あなたをこんな目に遭わせるなんて。辛かったでしょう?」
ヨハンナは首を振った。
カリタの話を聞いて、すとんと落ち着くものがある。
ラッセは、ヨハンナが自分の友人の子だと知っていたのではないだろうか。
セヴェリを裏切ることはなかったけれど、手を差し伸べようとしていた。そんな気がする。
「なるほど、そういうことか……」
アランは懐から何か小さなものを取り出した。
それをヨハンナの手のひらに載せた。
「これって……」
ラッセの腰でいつも揺れていた根付だった。
「どうして…?」
「ラッセが、ヨハンナに渡してくれって」
「その根付……」
横からヨハンナの手のひらの根付をマリタが覗き込んだ。
「あなたのお父さんのよ」
「父の?」
「ええ、その組紐はカリタが編んだものなの。彼の代わりに使いに出るとき、ラッセが彼から預かったものよ」
「これが……」
ヨハンナは手のひらの根付をぎゅっと握り締めた。
ラッセの腰でいつも目にしていたこの根付が、両親に繋がるものだったなんて……。
ヨハンナの目から涙が溢れ出した。
あとからあとからいつまでも途切れることなく、こぼれ続けた。
「落ち着いたかしら?」
マリタは店の奥へとアランとヨハンナを通し、簡素だが実用的で座り心地の良い椅子をすすめた。
温かい紅茶をヨハンナに手渡した。
「これからの商売の話を少ししましょうか」
「商売?」
ヨハンナはきょとんとしてマリタを見返した。
「私は見ての通り、ここで絨毯を売っているの。この店に並ぶ絨毯はどれもイクサカ地方の羊毛で織られたものなの」
「え……」
ヨハンナは開いた扉の向こう、店に並ぶうつくしい絨毯にじっくりと目を向けた。言われてみればどれもイクサカ地方で使われる織機の、独特な編み模様をしている。
「アラン殿下から、ヨハンナはイクサカ地方で羊を育てる予定だと聞いたわ。もちろん、織機はするつもりよね? 毛を刈って、そのまま売ってもいいけれど、絨毯に仕立てた方が良い収入になるものね」
「アラン……?」
アランがそんな話をマリタにしていたというのは驚きだった。まだ、ヨハンナはイクサカ地方へ帰るとは一言も言っていない。
それに、アランは自分にここに留まってほしくてセービン伯爵のもとへ行かせているのではなかったのか。
話が見えないながらもマリタの話は進んでいく。
「それでね、アラン殿下がぜひヨハンナの絨毯を仕入れて店で売ってくれと頼まれてね。もちろん、出来によって値段は相応につけさせてもらうつもりよ。イクサカ地方に、ジャックっていう絨毯の行商をしている子がいるんだけど、その子も紹介するから、商品は彼に預けてくれたらいいわ。それとね――…」
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