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第四章

母の友人

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 少し街を歩いて帰ろう。

 セービン伯爵邸から出たアランは、いつものように馬車に乗り込まず、ヨハンナの手をとると石畳の街を歩き出した。 

 ランドルフはグロリアーナ嬢のもとへ置いたまま、まだお菓子に夢中だったセキとコクもそのままに、アランは慣れた足取りで街を行く。

 行き慣れた自分の庭のように複雑な路地も抜けていく。
 
 比較的高級な店が集まる区画は、何度かグロリアーナ嬢と共に来たことがある。でも今アランが歩いているのは、行き交う人の服装から、おそらく中級から下流層の者がよく出入りする区画なのだと思われる。

 市場に行ったときも思ったが、ヨハンナの感覚からすれば、皇弟殿下がナーバーでも下町にあたる場所を、迷うことなく進めるのが不思議だった。

「この辺りも詳しいの?」
「ああ、ランドルフとよく飲みに来るんだ」

 アランはヨハンナの質問の意図を察して、なんでもない事のように答える。

 お忍びで、ということなのだろう。

 公爵家の人間とは思えないランドルフと、アランがラフな格好をして、この街に溶け込む姿が目に浮かぶ。

 思わず笑いが漏れる。

「どうした?」
「ううん、なんだか楽しそうだなと思って」
「そうか? 野郎二人で飲む酒だぞ」
「それが楽しそうだなって」
「ああ、あの店だ。入ろう」

 アランは軒を連ねる中で一軒の店の扉を開いた。カランカランと乾いた鈴の音を響かせ、中に入った店内に、ヨハンナは思わず歓声を上げた。

「うわぁ。すごく素敵。こんなにたくさん……」

 そこは羊毛で編まれた絨毯を売る店だった。

 天井から吊るされた棒に、所狭しと絨毯がかけられている。はっと目を惹く鮮やかな色合いのものから、優しい色合いのものまで、大きさも様々な物が吊られている。

 扉の鈴の音に、店の奥から店主と思われる女性が現れた。くすんだエメラルドの瞳に髪。女性はヨハンナを見ると、驚いたように目を見開き、その目にみるみる涙を溜めた。

「え? あの……」

 何かしてしまったかと戸惑ってアランを見ると、アランは「大丈夫…」と優しく首を振る。

 女性はマリタと名乗った。

 マリタはテンドウ族で、ヨハンナの母、カリタと共に、里の解体に伴ってイクサカ地方へ流れたのだと言う。

「……母と?」

 ヨハンナは驚いてアランを見た。アランは静かに頷く。

「セヴェリがテンドウの里に入ったあと、軍が各地に内偵を放ったんだ。その過程で、マリタに行き着いた。聞きたいことがあれば聞くといい。マリタは君の母と友人だったらしいよ。とても親しくしていて、共にイクサカ地方へ向かったそうだ」

「母の……友人…」

 ヨハンナにとって母は、遠い存在だった。養父母も、母の出産に立ち会っただけで、母の人となりを知らない。知る前に、母は命を落とした。

 顔も知らない、その出自も知らなかった母。

 思い浮かべることもできず、懐かしく思い出せる記憶もない。

 そんな遠い存在の母を知る人がいる。

 くすぐったいような、うらやましいような、今すぐ質問攻めにしたいような、でも何も聞きたくないような。戸惑いだけがヨハンナを満たした。

 何も聞けないでいると、マリタがにっこりと微笑んだ。

「あなたの顔、カリタにそっくりよ。カリタは私と同じくすんだエメラルドの髪と瞳だったけれど、顔の造作はほんとそっくり。カリタが戻ってきたのかと思った……。泣いちゃってごめんなさいね、びっくりしたでしょう?」

「いえ……」

「カリタと私、名前が似てるでしょう? だからなんだか親近感が湧いちゃって、小さい頃から仲良しだったのよ。私たち二人とも両親が早くに亡くなっててね。里を出るとき、カリタと私は一緒にイクサカ地方を目指したの。カリタはあなたを身ごもったまま里を出たけれど、とっても元気だったのよ。赤ちゃんも順調で、体調もよくって。イクサカ地方についたら、生まれてくる赤ちゃんと一緒に三人でがんばって暮らしていこうねって、約束していたの。でも、イクサカ地方についたとたん、カリタは体調を崩して……」

 ヨハンナを出産すると同時に亡くなったのだという。

 マリタはヨハンナを育てるつもりだったが、テンドウの里から流れてきたばかりのマリタにはまだ生活の基盤がない。

 ヨハンナの養父母は、マリタのことを思い、ヨハンナを引き取ってくれたのだと言う。

「それにね」

 マリタはヨハンナの鮮やかなエメラルドの髪と瞳を見つめた。

「テンドウの里では、美しいエメラルドの髪と瞳の子は、神聖な神子として神殿にとられる決まりだった。里は解体されなくなったとはいえ、産まれてきたあなたの髪と瞳を見たとき、真っ先にそのことを思い浮かべたわ」

 今後もし、テンドウの里が再び帝国に許され、皆が里に戻ってくることがあったとき、ヨハンナは神子として神聖視され、意思に反し、担ぎ上げられるかもしれない。

 それならば、ヨハンナは自分がテンドウ族であることを知らないままでいたほうが幸せなのではないかとマリタは思ったそうだ。
 
 マリタはヨハンナの養父母にそのことを告げ、ヨハンナに母の出自を知らせないよう頼んだ。そして自らもヨハンナの前から姿を消す選択をした。

「でも、ずっとずっと心配していたの。私の考えは間違っていたんじゃないか。何をしてでもあなたの側にいてやるべきだったのではないかって、もう何度も何度も考えてきたの……」

――ごめんなさい…。

 マリタの呟きに、ヨハンナは首を振った。

「私、養父母と一緒に暮らせてとても幸せでした。母がいないことを忘れるくらい、毎日羊と戯れて、絨毯を織って、大好きなハララの花を眺めて。だから謝らないで下さい。こうやって、母の話を聞かせていただけただけで、とっても嬉しい……」

「ヨハンナ……」

 マリタはヨハンナの頭を抱きしめた。

「こんなに大きくなって……。産まれたばかりのあなたはほんとに小さくて、天使みたいだったのよ。カリタもあなたが産まれてくるのを心待ちにしていたわ……」

「あの……」

 ヨハンナは顔をあげ、マリタを見た。
 
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