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第四章

破竹の勢い

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 アラン――。

 そうヨハンナに呼ばれたような気がしてアランははっと目を開けた。
 首都ナーバーにある屋敷の執務室だ。
 窓の外は暗闇が広がっている。
 
 アランは机に広げた書類から顔を上げた。

 いつの間にか眠っていたらしい。机上の水差しへと手を伸ばすと、ちょうどタイミングよくノックと共に家令のテッドが入ってきた。

「お紅茶をお持ちしました」

 テッドは温かい茶器を机に並べ、ポットから褐色の紅茶を注いだ。

「あまり根をつめられますとお体を壊します。ほどほどになさいませ」
「ああ」

 アランは頷きながらも、書類へと手を伸ばす。そんな主をやれやれとテッドは見遣った。

「明日はいよいよご出陣でございますね。ご武運をお祈りいたしております。そしてヨハンナ様を無事、再び屋敷へと迎えられるよう、お祈りしております」

「祈るのはいいが、白の神殿にはすがるなよ」

 アランの冗談に、テッドは苦笑を漏らし、「失礼いたします」と頭を下げて退出していった。

 ヨハンナが奪われてからすでに三週間。

 白龍が飛び立ってのち、アランはすぐにセキとコクに後を追ってもらい、自身はすぐさま黄帝城に赴き、事の顛末を兄たちに報告した。

 そして海を渡った先の友好国、ハーネヤンに親書を送るよう文官のブライアンに依頼し、白の神殿から持ち帰った白い砂についても調べてもらえるよう手配をお願いした。

 用件だけを伝えると、アランは友のランドルフの協力を仰ぎ、再びコビット商会の本部と記されていた、あのぼろやへと足を運んだ。

 中から出てきたのは以前訪ねたときと同じ、眼光鋭い白髪の老人で、アランとランドルフの顔に一瞬目を見開いた。

「お偉さま方。また何か用ですかい」
「ああ、入らせてもらうぞ」

 アランは老人を押しのけ、部屋へ踏み入った。

 以前に中を覗いたときの部屋とは一変していた。そこは、外観のひどさからは想像もつかないほど豪奢な部屋となっていた。
 どれも一級品とわかる調度類が並び、食卓には珍しい南国の果物が載せられている。

 ランドルフが逃げられないよう戸口を塞ぎ、アランは老人に洗いざらい知っていることを吐かせた。

 老人はレイモンの祖父だった。

 ザカリーの立ち上げたコビット商会の本部として住所を使わせ、見返りとして多額の報酬をうけていた。

 自分はテンドウ族だと語り、孫のレイモンは元神子の子であるセヴェリに協力し、働いているという。

 そのレイモンはここ数日テンドウの里からナーバーへと戻ってきており、ヨハンナを取り戻すため、白の神殿のニクラスと共に行動していたらしい。

「待て。レイモンは里から来たといったな? いま道は塞がっているはずだ」

 アランが訊くと老人はその事に関しては口をつぐんだが、少々強引に聞き出すとぽろぽろとしゃべった。

 その話によると、半島の周りには、一箇所だけ潮の流れの弱い場所があり、そこから船で近づけるという。
 ただし入り組んだ岸であるため、大型船はつけられないとのこと。

 それ以外は老人から目ぼしい情報は得られなかった。

 兄のブライアンに頼んだ親書の返事はすぐにもたらされた。
 
 ハーネヤンは友好国、クシラ帝国の依頼を快く受けるとの返答を寄越した。
 
 ハーネヤンは海の民で、高い航海技術を持っている。

 荒波を超えるバランスのいい船を多数所有しており、里への侵攻に協力を仰いだのだ。

 テンドウの里が閉ざされてから、アランはハーネヤンへの協力要請をずっと考えていたのだが、国内のいざこざに隣国を頼ることを躊躇ってきた。

 けれどヨハンナを奪われたことでその躊躇いはなくなった。アランはエグバルトを説き伏せ、ブライアンに協力を頼み、その考えを実行に移した。

 白い砂の正体もわかった。

 神殿の広場から自由に持ち帰ることのできる砂。作物が豊富に実るという奇跡の砂。

 確かに砂を蒔いた直後は収穫高が飛躍的に伸びるらしい。けれどその効果は一時で、やがて土壌はやせ、作物の育たない土地となる。

 各地で広がっている荒地の正体は、白の神殿で配られる白砂だった。

 すぐさまブライアンは白の神殿の神官達を取り調べたが、広場の白砂が何であるのか、知る者はおらず、全てはニクラスの用意した者であるらしい。

 ブライアンはただちに広場の砂を撤去させた。

 そうしてハーネヤンの軍船が到着するのに合わせ、明日早朝からグラントリー率いる軍が、首都を発つことになった。

 アランはどこの部隊にも属さず、単騎、行軍に参加することにしている。
 
 ここまで三週間――。

 セヴェリがヨハンナの命を奪うとは思っていない。ただ、体を奪われているかもしれない。アランはぎりっと奥歯をかみ締めた。

 セキとコクの報告によると、ヨハンナは以前内陸部にいたときのような生活をしているという。

 アランの危惧した事態は起こっていないようだが、それもいつまでこのままなのかはわからない。そしてセヴェリ以上に、緑龍がヨハンナを離さず、救出は困難であること。

 テンドウ族は烏合の衆の集まりだ。帝国の軍が攻め入れば、あっという間に片がつくだろう。けれどヨハンナを取り戻すためには――。

 アランの戦う相手は緑龍だ。
 
 セキとコクは年老いて弱っていると言っていたが、それでも龍だ。剣はうろこを裂くことができるのだろうか。銃はその肢体を打ち抜くことができるのだろうか。

 それでもアランは負けるわけにはいかない。この手に再びヨハンナを取り戻すまで突き進む。




 
 出立の日はどこまでも青い空が広がる晴天だった。

 行軍は順調に進み、ハーネヤンの船団が到着する港へはその日の夕方についた。

 港にはすでにハーネヤンの軍船が数十隻到着しており、夜は船員たちと軍議を持った。

 野営のテントへ戻ると、セキとコクが毛布に包まってアランの帰りを出迎えた。

 心なしかいつもの元気がない。

「どうかしたのか?」

 アランが声をかけると、セキが顔を上げた。

「ヨハンナの元気がないんだ……」

「なんだか様子もおかしい。寝台に籠もって全然顔を見せてくれないんだ」とコク。

「さすがの母様も心配して、今はずっとヨハンナの側についてるよ」

 セキがしょんぼりして言う。

「でも母様にもどうしていいかわからないみたい。あんなに強気でヨハンナに側にいろって言ったくせにさ。ヨハンナを慰めることもできないんだから」

 コクが憤慨した。

 アランはふわりとした二人の頭に手を載せ、ぐしゃぐしゃとかき混ぜた。

「大丈夫。明日は必ずヨハンナを取り戻す。そうしたらきっと笑顔が戻るさ」

「でもアラン。どうやって母様からヨハンナを取り戻すつもり?」とセキ。

「それは……」

 言いかけてアランは躊躇った。アランは力ずくでもヨハンナを取り戻すつもりだ。もしかしたらそれはセキとコクの母親の命を奪うことになるかもしれない。

 アランは言い淀み口をつぐんだが、察しのいいコクが「いいんだよ」とどこか遠いところを見て頷く。

「母様はこれまでたくさんの子を側に置いて閉じ込めてきたんだ。自由を与えず、ただあの湖の見える部屋で共に過ごす日々だけを強要してきた。もう十分だよ。母様はこれからはきっと、誰かを束縛することなく、自分の老いと向き合って生きていかなきゃいけないんだ」

 だからね、とコクは続ける。

「もしアランに倒されたとしたら、それはきっと今までの報いなんだよ」

 セキも「そうだね」とコクの言に頷き、アランへ祈るような目を向けた。
 
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