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第三章

アランの怒り

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 神殿内の小部屋でマシューと二人きりになると、マシューは当たり障りのない世間話とも言うべき話をし出し、一向に内密に話したい内容に至らない。

 講堂で待たせているヨハンナが心配だ。

 腕の立つ護衛をつけているから大丈夫だろうが、あまり長く一人にしたくはない。
 
 アランはマシューの世間話の方向を変えるべく、別の話題を差し向けた。
 
「マシュー殿は今日は参拝ですか?」

 アランがそう尋ねると、マシューは話していた続きを断ち切り「ええ」と頷く。

「月に一度は必ずこうして参拝することにしています。ここには白龍の化身がいらっしゃいますからね。ご利益もひとしおでしょう」

 何かに対する信仰心というものを持ち合わせた事のないアランは、あいまいに頷いてみせる。

――やはりマシューの世間話は、どうでもいい話だったようだ。

 そうなるとマシューの時間稼ぎの意図が気になる。アランは「失礼」と席を立つと、足早に講堂へと向かった。

「アラン殿下!」

 後ろからマシューが追いかけてくる。
 アランはその呼びかけには応じず、講堂へと入った。

 が、そこにヨハンナの姿はなく、残した護衛の一人がいて、アランの姿を見つけると敬礼してきた。

「ヨハンナはどうした?」

「はっ。信者の一人に誘われ、外へお出になられました」

 アランは急ぎ外へと飛び出した。瞬間、白砂が目を射る。広場では炊き出しが行われていて、子供達が大鍋の周りに集まっていた。

「ヨハンナ?」

 アランは広場をざっと見渡した。ヨハンナの輝くように美しいエメラルドの髪が見当たらない。

 嫌な予感がする。

 アランは後ろからついてきていた護衛兵へ、ヨハンナを探すように指示を出し、自らもヨハンナの捜索に乗り出す。

 ふと足元を見ると麻袋が落ちていた。拾い上げ、中身を確認すると、広場に敷き詰められた白砂を詰めたものらしい。

 なんでこんなものがと思ったが、よく見ると広場に集まった人々はみな白砂を、持参した袋へ詰めているようだ。

「その袋、私があげたんだよ」

 アランが麻袋を持ったまま辺りへ視線を飛ばしていると、一人の女性が話しかけてきた。日頃から畑仕事をしているのだろう。よく日に焼けている。女性はアランの持つ麻袋を指差した。

「エメラルドのそれはきれいな髪と瞳をした女の子でね。つい白砂を詰めて持って帰ったらいいってあげちゃったんだよ」

 ヨハンナだ。アランは女性に詰め寄った。

「その子はどこに行った?」

 女性はアランの剣幕に驚きながらも答えをくれる。

「さっきニクラス様ともう一人の神官様と一緒にそっちの建物に入っていったよ。麻袋はそん時に落としちまったみたいだね。なんだか急いでいるようだったから。あんたあの子の知り合いなら、それ渡しといてやってよ」

 アランは女性に礼を言い、女性の指差した方へと向きを変えた。そこへ後から駆けてきたマシューが追いつき、アランをおしとどめた。

「お待ちくださいアラン殿下。白龍様の思し召しを邪魔してはいけません」

「何のまねだ? マシュー」
 
 アランは琥珀の瞳を眇め、マシューを睨んだ。殺気を漲らせたアランの様相に、マシューはひっと喉を引きつらせた。

「その、ニクラス様はさきほどのお方にご用がおありのようで。私にアラン殿下を引きとめておいてほしいとおっしゃられて……」

「なんだと?」

 アランは怒気の孕んだ声を放った。瞬間、マシューは再び喉の奥を鳴らし、アランを掴んでいた手を離した。

「ニクラスはどこへ行った?」

「わ、私は存じ上げません。ですが、ニクラス様は、神官のレイモン様と一緒にあのお方にご用があるからと――」

「レイモン、だと?」

 アランは剣呑な殺気を漲らせ、マシューを睨んだ。

 レイモン――。

 レイモンといえば、セヴェリが集めた神子の一人にそんな名の者がいた。ヨハンナは、彼はテンドウ族で、セヴェリに協力している一人だと言っていた、

 セヴェリ――。
 
 ニクラスとレイモンの後ろにはっきりと奴の影を見、アランはぎりっと奥歯をかみ締めた。

 やはりセヴェリはヨハンナを諦めてはいなかった。

「くそっ」

 アランは罵りの言葉を唾棄し、懸命にアランを行かすまいと縋りつくマシューを突き飛ばした。

「おまえが何を信じようが俺は構わない。だがな、信仰心を持つことと、神官の言いなりになることとは全く別のことだ。わきまえろ、マシュー。言い訳は後でたっぷりと聞いてやる」

 ここまで怒りを露わにされ、さすがに何か失態を犯したのだとマシューは悟る。

 アランはそんな真っ青な顔のマシューを残し、神殿内へと足を踏み入れた。

 石造りの床で靴音はよく反響した。

 細い通路が続き、いくつも扉があり、ぐるぐると同じところを回っているような錯覚に陥る。

 少し行くと、ヨハンナにつけていた護衛兵が途方にくれた様子で立ち尽くしているのに行き会った。

「何をしている? ヨハンナはどうした」

 アランの声に、護衛兵は「申し訳ございません」と頭を下げた。

「ニクラス様ともう一人の神官様が、ヨハンナ様をお連れしようとするのでとめたのですが……」

 ニクラスの目を見た途端、頭がぼうっとしたと言う。

「それでも後を追っていたのですが、ある扉を抜けたところで姿を見失いました。気がついたらヨハンナ様のお姿がなく……」

 最初はニクラス、次にヨハンナを担いだレイモンを見失ったと言う。その見失った扉へ護衛兵に案内させる。

 何の変哲もないただの押し扉だ。扉を通った先は一本の通路が続く。

 アランは何度かその扉を出たり入ったりし、そのうちに扉を入ってすぐ左の壁に違和感を覚えた。仔細に調べるとただの通路の壁と見える石壁に、小さな突起がある。

 そこを押すと壁がずれ、奥に新たな通路が現れた。

 隠し扉を通った先の通路は石の床に赤い絨毯を敷き詰めた廊下となっていた。

 さきほどの通路とは明らかに違う、意匠の凝った扉が並んでいる。

 その一つ一つをしらみつぶしに開けていく。
 どの部屋にも贅を凝らした調度品が置かれている。けれどどこにもヨハンナの姿はない。

 突き当たりに螺旋階段がある。

 尖塔の一つを登る階段なのだろう。アランはそこを駆け上がった。階段の途切れる先には、一際豪華な両開きの扉があった。

 アランはその部屋に飛び込むようにして駆け込んだ。

 開け放したテラスに一人の男が佇んでいた。

 くすんだエメラルドの髪と瞳をし、男にしてはほっそりとした体躯をしている。

 男は空を見上げていたが、入ってきたアランに目を丸くし、「あらら」とおどけた声をあげた。

 アランが一気に距離をつめようとすると、男は手でそれを制し、優雅にお辞儀をした。

「お初にお目にかかります。アラン殿下。レイモンです。セヴェリ様の命により、ヨハンナを迎えに来ました。ヨハンナは我々テンドウ族の大切な神子。返していただきます」

「ヨハンナはお前たちの神子ではない。ただ緑龍の涙を受けたというだけのこと。おまえたちにヨハンナの自由を奪う権利はない」

「うひゃぁ」

 アランの正論に、レイモンはおどけた声をあげる。何もかもふざけた態度が癪に障る。

 部屋にヨハンナの姿は見当たらない。

 とりあえずこの男を締め上げてヨハンナの居場所を吐かそう。アランはレイモンとの距離をつめるべく、前へと踏み出した。が、それより早くレイモンはひらりとテラスの外へと身を躍らせた。

 ここは地上何メートルだろうか。

 長い螺旋階段を登った先だ。そびえる尖塔の一つであることは間違いない。だとしたら相当な高さだ。ここから落ちたらひとたまりもない。

 アランはしかし、そんなことなどどうでもよくなる巨体をテラスの向こうに見つけ、唖然として空を見上げた。

 巨大な白い龍が、とぐろを巻いてこちらを睨んでいた。セキとコクが小さく思えるほどの、立派な体躯の堂々たる龍だ。

 鋭い鉤爪のついた前足に、レイモンが載っている。そのレイモンの反対側の鉤爪に、見慣れたエメラルドの髪を見つけ、アランは叫んだ。

「ヨハンナ!」
 
 しかしヨハンナは気絶しているのか、アランの呼びかけに応じない。ぐったりと瞳を閉じ、白龍の鉤爪に捕らえられている。

「じゃあね、アラン殿下。また、って言いたいとこだけど、僕はもう二度とあなたに会いたくはないかな。ああ、そうそう祖父が、あなたが家に来たことを、とてもおもしろがっていましたよ。あっさりだまされて、案外皇弟殿下も御しやすい、なんて言ってました。では!」

 白龍が一声嘶いた。

 空気を震わすほどの振動がびりびりと肌に伝わる。その白い瞳で白龍はアランを睨みつけ、巨体をくねらせると一気に空高く舞い上がった。
 
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