52 / 99
第三章
かいがいしく
しおりを挟む
朝食の用意が整ったのを見計らい、テッドは、今はヨハンナの滞在場所となっている部屋へと向かった。
軽くノックをし、入室するとすでにセキとコクがテーブルにつき、主であるアランが寝室へと続くドアを開け、奥へと入っていくところだった。
アランが連れ帰った夜から、ヨハンナは一週間ほど目を覚まさず、熱の高い状態が続いた。アランは必要最低限の公務だけに絞り、あとはつきっきりでヨハンナの看病をした。
侍医ロニーの投薬、アランの献身的な看病のおかげで、一週間後に目を覚ましたヨハンナは、長い高熱のためやつれ、著しく体力を失っていた。
始めは起き上がることもままならなかったが、ここ二週間ほどで少しずつ食欲も戻り、自分で身を起こせるまでになった。
足の銃創はまだ癒えておらず、力を入れると痛いようでいまだ歩くことはできない。
主はそんなヨハンナを、毎朝朝食のテーブルへとベッドから運んでくる。
はじめは恥ずかしがってかなり抵抗していたヨハンナだが、なら食べさせてやると主が匙を向けた時点で青ざめ、それからは大人しく主が運ぶのを受け入れている。
主は役得とばかりに朝からご機嫌だ。
ヨハンナを壊れ物のように抱きかかえた主は、ヨハンナを足への負担が少ないゆったりとしたソファへと座らせると、自分もその隣に腰かける。
ヨハンナがここへ来てから、すっかり定着し、見慣れた朝の光景だ。
テッドはそんな主のカップへ紅茶を注ぎ、ついでヨハンナ、セキ、コクのカップにも紅茶を注ぐ。
「いつもありがとうございます。テッドさん」
ヨハンナは美しいエメラルドの瞳を細め、丁寧に頭を下げる。ずっと閉じられていた瞳が、髪と同じ鮮やかなエメラルドだと知ったとき、テッドはその透き通るような色に見ほれたものだ。
「いえいえ」
テッドは軽く会釈し、主へと本日の予定を伝える。
午前の軍の公務には軽く頷き、了承を示したアランだったが、午後からの予定に眉をしかめた。
「それは、必要なことか?」
その反応はテッドの予想していた通りのもので、それに対する答えはあらかじめ用意していた。
「グロリアーナ様からは再三のお手紙をいただいております。伯爵夫人からも、ご公務がお忙しいとは思いますがと断りの上、ぜひにとの文を頂戴いたしました。これ以上お断りするのは、伯爵夫人に失礼となってしまいます」
「しかし、その気がないのに期待を持たせるのもよくないだろう」
「ではありますが、セービン伯爵から縁談の正式な打診があったわけではありません。これはあくまで伯爵夫人の、皇弟殿下へのご機嫌伺い。無下に断るわけにはいきません。それに――」
テッドはちらりとヨハンナの方を見る。
ヨハンナは気づかず、前に座るセキの口元が汚れているのをナプキンで拭いてやっている。
「軍の名の下、保護をしたヨハンナ様がご滞在されている今、主であるアラン様が屋敷にこもられてはあらぬうわさをたてられます」
アランが女性を連れ帰ると宣言したあと、グロリアーナ嬢からのお茶会の招待状を受け取ったテッドは、煙が立つ前に火消しに走った。
身元もわからぬ女性を、アランがいきなり屋敷に引き取ったとなると、若い娘を持つ有力者が、どんな反応を示すか。
想像に難くない。
テッドは黄帝城へと馬車で駆けた。
本来なら皇族に謁見できる爵位を持たないテッドだが、軍総司令部長官であり、主の兄でもある皇弟のグラントリーは上下の身分に拘らない性格だ。
おそらく主の今回のツハン行きの詳しい経緯を知っているであろうグラントリーから、正確な情報を仕入れる必要がある。
テッドの赴きは、グラントリーも察したと思われる。すぐに謁見がかない、堅苦しい挨拶もすっ飛ばし、詳しい経緯を教えてもらった。
アランが連れ帰ると言った女性のことも、グラントリーの耳には入っており、テッドの危惧するところを敏感に捉えたグラントリーは、それならばその女性は、犯罪に巻き込まれ、軍が保護したことにすると約束してくれた。
そうして一時的に軍預かりである女性を、アランが屋敷にて保護をするという体裁を整え、テッドは主の帰りを出迎えた。
主の、ヨハンナに対する態度を見る限り、これはかなりヨハンナのことを主は好いておいでのようだ。テッドはかつてない主の執着ぶりにそう思ったが、いまはまだそれを堂々と世間に公表すべき段階ではない。
テンドウ族のことは何一つ解決していないし、肝心のヨハンナの気持ちもわからない。
そこは主もよくわかっておいでのようで、ヨハンナに対して、踏み込み過ぎない程よい距離間をきちんと保っておいでだ。
だが、そんな内情を知らない外の人間には、主が年頃の女性を屋敷に囲ったと見えないこともない。
テッドがいくら根回しをしても、防ぎきれないのが噂だ。人の嫉妬心ほど恐ろしいものはない。
グロリアーナ嬢が、他の年頃のご令嬢同様、軍の保護という名目があるとはいえ、アランの屋敷にヨハンナが滞在していることを完全に受け入れているとは思えない。
その父であるセービン伯爵は軍の参謀を務めたこともあり、軍に強力な影響力を持っている男だ。予想だにしない金棒を振り下ろしてくるかもしれない。
その火の粉はヨハンナへと降りかからないとも限らない。そうなった時の主の憂いを思えばこそ、ここは慎重に行動すべきところなのだ。
アランはそれ以上の説明をテッドに求めなかった。聡明な主は、テッドの言いたい事を、みなまで言わずとも察したはずだ。
自分の名前がテッドの口から出たことで、匙を持ったままきょとんとした顔で止まっているヨハンナを、安心させるように主は笑いかけ、テッドに向き直った。
「わかった。その予定でいってくれ」
おいしいといって匙を運ぶヨハンナを、主は優しい顔で見つめた。
軽くノックをし、入室するとすでにセキとコクがテーブルにつき、主であるアランが寝室へと続くドアを開け、奥へと入っていくところだった。
アランが連れ帰った夜から、ヨハンナは一週間ほど目を覚まさず、熱の高い状態が続いた。アランは必要最低限の公務だけに絞り、あとはつきっきりでヨハンナの看病をした。
侍医ロニーの投薬、アランの献身的な看病のおかげで、一週間後に目を覚ましたヨハンナは、長い高熱のためやつれ、著しく体力を失っていた。
始めは起き上がることもままならなかったが、ここ二週間ほどで少しずつ食欲も戻り、自分で身を起こせるまでになった。
足の銃創はまだ癒えておらず、力を入れると痛いようでいまだ歩くことはできない。
主はそんなヨハンナを、毎朝朝食のテーブルへとベッドから運んでくる。
はじめは恥ずかしがってかなり抵抗していたヨハンナだが、なら食べさせてやると主が匙を向けた時点で青ざめ、それからは大人しく主が運ぶのを受け入れている。
主は役得とばかりに朝からご機嫌だ。
ヨハンナを壊れ物のように抱きかかえた主は、ヨハンナを足への負担が少ないゆったりとしたソファへと座らせると、自分もその隣に腰かける。
ヨハンナがここへ来てから、すっかり定着し、見慣れた朝の光景だ。
テッドはそんな主のカップへ紅茶を注ぎ、ついでヨハンナ、セキ、コクのカップにも紅茶を注ぐ。
「いつもありがとうございます。テッドさん」
ヨハンナは美しいエメラルドの瞳を細め、丁寧に頭を下げる。ずっと閉じられていた瞳が、髪と同じ鮮やかなエメラルドだと知ったとき、テッドはその透き通るような色に見ほれたものだ。
「いえいえ」
テッドは軽く会釈し、主へと本日の予定を伝える。
午前の軍の公務には軽く頷き、了承を示したアランだったが、午後からの予定に眉をしかめた。
「それは、必要なことか?」
その反応はテッドの予想していた通りのもので、それに対する答えはあらかじめ用意していた。
「グロリアーナ様からは再三のお手紙をいただいております。伯爵夫人からも、ご公務がお忙しいとは思いますがと断りの上、ぜひにとの文を頂戴いたしました。これ以上お断りするのは、伯爵夫人に失礼となってしまいます」
「しかし、その気がないのに期待を持たせるのもよくないだろう」
「ではありますが、セービン伯爵から縁談の正式な打診があったわけではありません。これはあくまで伯爵夫人の、皇弟殿下へのご機嫌伺い。無下に断るわけにはいきません。それに――」
テッドはちらりとヨハンナの方を見る。
ヨハンナは気づかず、前に座るセキの口元が汚れているのをナプキンで拭いてやっている。
「軍の名の下、保護をしたヨハンナ様がご滞在されている今、主であるアラン様が屋敷にこもられてはあらぬうわさをたてられます」
アランが女性を連れ帰ると宣言したあと、グロリアーナ嬢からのお茶会の招待状を受け取ったテッドは、煙が立つ前に火消しに走った。
身元もわからぬ女性を、アランがいきなり屋敷に引き取ったとなると、若い娘を持つ有力者が、どんな反応を示すか。
想像に難くない。
テッドは黄帝城へと馬車で駆けた。
本来なら皇族に謁見できる爵位を持たないテッドだが、軍総司令部長官であり、主の兄でもある皇弟のグラントリーは上下の身分に拘らない性格だ。
おそらく主の今回のツハン行きの詳しい経緯を知っているであろうグラントリーから、正確な情報を仕入れる必要がある。
テッドの赴きは、グラントリーも察したと思われる。すぐに謁見がかない、堅苦しい挨拶もすっ飛ばし、詳しい経緯を教えてもらった。
アランが連れ帰ると言った女性のことも、グラントリーの耳には入っており、テッドの危惧するところを敏感に捉えたグラントリーは、それならばその女性は、犯罪に巻き込まれ、軍が保護したことにすると約束してくれた。
そうして一時的に軍預かりである女性を、アランが屋敷にて保護をするという体裁を整え、テッドは主の帰りを出迎えた。
主の、ヨハンナに対する態度を見る限り、これはかなりヨハンナのことを主は好いておいでのようだ。テッドはかつてない主の執着ぶりにそう思ったが、いまはまだそれを堂々と世間に公表すべき段階ではない。
テンドウ族のことは何一つ解決していないし、肝心のヨハンナの気持ちもわからない。
そこは主もよくわかっておいでのようで、ヨハンナに対して、踏み込み過ぎない程よい距離間をきちんと保っておいでだ。
だが、そんな内情を知らない外の人間には、主が年頃の女性を屋敷に囲ったと見えないこともない。
テッドがいくら根回しをしても、防ぎきれないのが噂だ。人の嫉妬心ほど恐ろしいものはない。
グロリアーナ嬢が、他の年頃のご令嬢同様、軍の保護という名目があるとはいえ、アランの屋敷にヨハンナが滞在していることを完全に受け入れているとは思えない。
その父であるセービン伯爵は軍の参謀を務めたこともあり、軍に強力な影響力を持っている男だ。予想だにしない金棒を振り下ろしてくるかもしれない。
その火の粉はヨハンナへと降りかからないとも限らない。そうなった時の主の憂いを思えばこそ、ここは慎重に行動すべきところなのだ。
アランはそれ以上の説明をテッドに求めなかった。聡明な主は、テッドの言いたい事を、みなまで言わずとも察したはずだ。
自分の名前がテッドの口から出たことで、匙を持ったままきょとんとした顔で止まっているヨハンナを、安心させるように主は笑いかけ、テッドに向き直った。
「わかった。その予定でいってくれ」
おいしいといって匙を運ぶヨハンナを、主は優しい顔で見つめた。
0
お気に入りに追加
60
あなたにおすすめの小説
騎士団長の欲望に今日も犯される
シェルビビ
恋愛
ロレッタは小さい時から前世の記憶がある。元々伯爵令嬢だったが両親が投資話で大失敗し、没落してしまったため今は平民。前世の知識を使ってお金持ちになった結果、一家離散してしまったため前世の知識を使うことをしないと決意した。
就職先は騎士団内の治癒師でいい環境だったが、ルキウスが男に襲われそうになっている時に助けた結果纏わりつかれてうんざりする日々。
ある日、お地蔵様にお願いをした結果ルキウスが全裸に見えてしまった。
しかし、二日目にルキウスが分身して周囲から見えない分身にエッチな事をされる日々が始まった。
無視すればいつかは収まると思っていたが、分身は見えていないと分かると行動が大胆になっていく。
文章を付け足しています。すいません
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
【R18】義弟ディルドで処女喪失したらブチギレた義弟に襲われました
春瀬湖子
恋愛
伯爵令嬢でありながら魔法研究室の研究員として日々魔道具を作っていたフラヴィの集大成。
大きく反り返り、凶悪なサイズと浮き出る血管。全てが想像以上だったその魔道具、名付けて『大好き義弟パトリスの魔道ディルド』を作り上げたフラヴィは、早速その魔道具でうきうきと処女を散らした。
――ことがディルドの大元、義弟のパトリスにバレちゃった!?
「その男のどこがいいんですか」
「どこって……おちんちん、かしら」
(だって貴方のモノだもの)
そんな会話をした晩、フラヴィの寝室へパトリスが夜這いにやってきて――!?
拗らせ義弟と魔道具で義弟のディルドを作って楽しんでいた義姉の両片想いラブコメです。
※他サイト様でも公開しております。
前世変態学生が転生し美麗令嬢に~4人の王族兄弟に淫乱メス化させられる
KUMA
恋愛
変態学生の立花律は交通事故にあい気付くと幼女になっていた。
城からは逃げ出せず次々と自分の事が好きだと言う王太子と王子達の4人兄弟に襲われ続け次第に男だった律は女の子の快感にはまる。
【完結】お義父様と義弟の溺愛が凄すぎる件
百合蝶
恋愛
お母様の再婚でロバーニ・サクチュアリ伯爵の義娘になったアリサ(8歳)。
そこには2歳年下のアレク(6歳)がいた。
いつもツンツンしていて、愛想が悪いが(実話・・・アリサをーーー。)
それに引き替え、ロバーニ義父様はとても、いや異常にアリサに構いたがる!
いいんだけど触りすぎ。
お母様も呆れからの憎しみも・・・
溺愛義父様とツンツンアレクに愛されるアリサ。
デビュタントからアリサを気になる、アイザック殿下が現れーーーーー。
アリサはの気持ちは・・・。
完結 R18 媚薬を飲んだ好きな人に名前も告げずに性的に介抱して処女を捧げて逃げたら、権力使って見つけられ甘やかされて迫ってくる
シェルビビ
恋愛
ランキング32位ありがとうございます!!!
遠くから王国騎士団を見ていた平民サラは、第3騎士団のユリウス・バルナムに伯爵令息に惚れていた。平民が騎士団に近づくことも近づく機会もないので話したことがない。
ある日帰り道で倒れているユリウスを助けたサラは、ユリウスを彼の屋敷に連れて行くと自室に連れて行かれてセックスをする。
ユリウスが目覚める前に使用人に事情を話して、屋敷の裏口から出て行ってなかったことに彼女はした。
この日で全てが終わるはずなのだが、ユリウスの様子が何故かおかしい。
「やっと見つけた、俺の女神」
隠れながら生活しているのに何故か見つかって迫られる。
サラはどうやらユリウスを幸福にしているらしい
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる