50 / 99
第三章
家令テッドの奔走 2
しおりを挟む
アランがヨハンナを連れ帰ったのは、テッドが王宮へと馬車を走らせた次の日の明朝。まだ夜も明けきらぬ時間帯のことだった。
家令テッドの朝は早い。
使用人たちもすでに動き出している。それでも朝もやの中、まだ眠っている静かな空気を裂いて、肩から血を滲ませた凄惨な姿の主が駆け込んできたのには驚いた。
テッドは急ぎ侍医を連れてくるよう指示を出し、自らも主の傷の具合を確かめる。
「ランドルフ様は?」
共に出かけたはずの主の友人の安否を問うと、「あいつは無事だ」とすでに自分の屋敷へと戻ったことを告げる。
アランは一人の少女を腕に抱いていた。
少女は輝くばかりのエメラルドの髪をしており、夜着姿のままだった。瞳は閉じられており、浅く呼吸をしている。苦しそうだ。濡れた額に髪が張り付いている。熱があるのかもしれない。
「そのお方が?」
「ああ」
連れ帰る予定だった方のようだ。
夜着からのぞく少女の両足には包帯があつく巻かれている。そこからうっすらと血が滲み出している。こちらの方も急ぎ手当てが必要のようだ。
「私がお預かりしても?」
テッドはアランに手を差し出した。
いくら軽そうな女性とはいえ、負傷した肩で抱いているのはつらいだろう。傷にも障る。
けれどアランはテッドの申し出を首を振って断った。
「いや、いい。部屋はどこだ?」
「こちらです」
他人の手に任せる気はないらしい。それならばとテッドは素早く主人を部屋へと案内する。
アランはベッドに少女を下ろすと、その場に跪いた。
「アラン様」
テッドはすぐさま主人を支え、「どうぞお手当てを」と促す。
アランはああと頷いたものの、少女の側を離れることが気がかりらしい。
部屋に急ぎ呼ばれた侍医のロニーが入ってきた。
初老の域を迎えた者だが、長く黄帝城で医師を務めてきたロニーだ。腕は確かだ。
入ってくるなり、すばやく主人の肩の具合と少女の状態とを見比べ、先に主人の肩の手当てへと取り掛かる。
「ヨハンナを先に見てやってくれ」
アランはそう言ってロニーを押しやったが、ロニーは断固として首を振った。
「こちらのお方は大方の手当てはされているようです。アラン様はただ包帯をきつく巻いただけ。こちらが先にございます。――テッド殿。あちらの方に氷水をお願いします」
ロニーは素早くアランの衣服を剥ぎ取り、肩の包帯を解きながら指示を出す。
テッドは使用人へ氷水の準備を指示し、ロニーとともに主人の肩の具合を確かめる。
アランの傷は、肩というより肩と上腕との境目辺りに大きく走っていた。一部の肉をえぐるほどの深い傷だ。
血はすでに止まっていたが、ロニーが消毒をし、手早く包帯を巻きなおす間にも再び血が滲み出す。
「よくぞご無事で……」
私用だ。犯罪の取り締まりだと言っていた主。
軍の任務についている以上、どうしても危険は伴う。それでも今まで深手を負って主人が帰宅したことはかつてなかった。
テッドが思わず声を詰まらせると、アランはいつものからかうような笑みを見せた。
「老けたな、テッド。この程度で涙ぐむとはな」
こちらの緊張を解こうと軽口をたたいてみせる主。
「涙ぐんではおりません。ただ、その、少々驚きはしましたが……」
「心配かけた。すまなかった」
アランはテッドを安心させるように笑顔を見せる。
アランの手当てを終え、さっそくヨハンナの手当てへと取り掛かったロニーが息をのむのが聞こえた。
「これは……」
ヨハンナの両足の包帯を解いたロニーの手が止まった。ほっそりとした華奢な二本の白い足。その大腿のどちらにも明らかに銃創とわかる穴があいている。
テッドも我知らず息をのんだ。こんないとけない少女の両足に銃弾を打ち込むとは何と言う所業。
アランは、氷水で絞った布で、少女の額に浮いた汗を拭った。
「途中まで走っていたんだが、急に倒れたんだ」
「走っていた、ですと?」
アランの言葉にロニーが目を丸くする。
「走っていたとおっしゃられますか。まさか。とても信じられませんな。これだけの傷を受けていて走れたなど」
「そうだな。ありえないな……」
主人は何か思うところがあるのか。それ以上言及はせず傷の具合をロニーへと確かめる。
ロニーは傷を仔細に確かめ、銃弾は抜けている。処置も施されている。とアランに告げ、再びてきぱきと少女の両足に包帯を巻いた。
「処置は的確に施されております。医術に心得のある腕のいい者が手当てをしたのでしょう。しばらくは熱が続きましょうが、投薬にて様子を見ましょう」
ロニーが去ると、アランはテッドに向き直った。
他の使用人の人払いはすでに済ませてある。
テッドは主人の口から語られる経緯に、静かに耳を傾けた。
家令テッドの朝は早い。
使用人たちもすでに動き出している。それでも朝もやの中、まだ眠っている静かな空気を裂いて、肩から血を滲ませた凄惨な姿の主が駆け込んできたのには驚いた。
テッドは急ぎ侍医を連れてくるよう指示を出し、自らも主の傷の具合を確かめる。
「ランドルフ様は?」
共に出かけたはずの主の友人の安否を問うと、「あいつは無事だ」とすでに自分の屋敷へと戻ったことを告げる。
アランは一人の少女を腕に抱いていた。
少女は輝くばかりのエメラルドの髪をしており、夜着姿のままだった。瞳は閉じられており、浅く呼吸をしている。苦しそうだ。濡れた額に髪が張り付いている。熱があるのかもしれない。
「そのお方が?」
「ああ」
連れ帰る予定だった方のようだ。
夜着からのぞく少女の両足には包帯があつく巻かれている。そこからうっすらと血が滲み出している。こちらの方も急ぎ手当てが必要のようだ。
「私がお預かりしても?」
テッドはアランに手を差し出した。
いくら軽そうな女性とはいえ、負傷した肩で抱いているのはつらいだろう。傷にも障る。
けれどアランはテッドの申し出を首を振って断った。
「いや、いい。部屋はどこだ?」
「こちらです」
他人の手に任せる気はないらしい。それならばとテッドは素早く主人を部屋へと案内する。
アランはベッドに少女を下ろすと、その場に跪いた。
「アラン様」
テッドはすぐさま主人を支え、「どうぞお手当てを」と促す。
アランはああと頷いたものの、少女の側を離れることが気がかりらしい。
部屋に急ぎ呼ばれた侍医のロニーが入ってきた。
初老の域を迎えた者だが、長く黄帝城で医師を務めてきたロニーだ。腕は確かだ。
入ってくるなり、すばやく主人の肩の具合と少女の状態とを見比べ、先に主人の肩の手当てへと取り掛かる。
「ヨハンナを先に見てやってくれ」
アランはそう言ってロニーを押しやったが、ロニーは断固として首を振った。
「こちらのお方は大方の手当てはされているようです。アラン様はただ包帯をきつく巻いただけ。こちらが先にございます。――テッド殿。あちらの方に氷水をお願いします」
ロニーは素早くアランの衣服を剥ぎ取り、肩の包帯を解きながら指示を出す。
テッドは使用人へ氷水の準備を指示し、ロニーとともに主人の肩の具合を確かめる。
アランの傷は、肩というより肩と上腕との境目辺りに大きく走っていた。一部の肉をえぐるほどの深い傷だ。
血はすでに止まっていたが、ロニーが消毒をし、手早く包帯を巻きなおす間にも再び血が滲み出す。
「よくぞご無事で……」
私用だ。犯罪の取り締まりだと言っていた主。
軍の任務についている以上、どうしても危険は伴う。それでも今まで深手を負って主人が帰宅したことはかつてなかった。
テッドが思わず声を詰まらせると、アランはいつものからかうような笑みを見せた。
「老けたな、テッド。この程度で涙ぐむとはな」
こちらの緊張を解こうと軽口をたたいてみせる主。
「涙ぐんではおりません。ただ、その、少々驚きはしましたが……」
「心配かけた。すまなかった」
アランはテッドを安心させるように笑顔を見せる。
アランの手当てを終え、さっそくヨハンナの手当てへと取り掛かったロニーが息をのむのが聞こえた。
「これは……」
ヨハンナの両足の包帯を解いたロニーの手が止まった。ほっそりとした華奢な二本の白い足。その大腿のどちらにも明らかに銃創とわかる穴があいている。
テッドも我知らず息をのんだ。こんないとけない少女の両足に銃弾を打ち込むとは何と言う所業。
アランは、氷水で絞った布で、少女の額に浮いた汗を拭った。
「途中まで走っていたんだが、急に倒れたんだ」
「走っていた、ですと?」
アランの言葉にロニーが目を丸くする。
「走っていたとおっしゃられますか。まさか。とても信じられませんな。これだけの傷を受けていて走れたなど」
「そうだな。ありえないな……」
主人は何か思うところがあるのか。それ以上言及はせず傷の具合をロニーへと確かめる。
ロニーは傷を仔細に確かめ、銃弾は抜けている。処置も施されている。とアランに告げ、再びてきぱきと少女の両足に包帯を巻いた。
「処置は的確に施されております。医術に心得のある腕のいい者が手当てをしたのでしょう。しばらくは熱が続きましょうが、投薬にて様子を見ましょう」
ロニーが去ると、アランはテッドに向き直った。
他の使用人の人払いはすでに済ませてある。
テッドは主人の口から語られる経緯に、静かに耳を傾けた。
0
お気に入りに追加
60
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
続・上司に恋していいですか?
茜色
恋愛
営業課長、成瀬省吾(なるせ しょうご)が部下の椎名澪(しいな みお)と恋人同士になって早や半年。
会社ではコンビを組んで仕事に励み、休日はふたりきりで甘いひとときを過ごす。そんな充実した日々を送っているのだが、近ごろ澪の様子が少しおかしい。何も話そうとしない恋人の様子が気にかかる省吾だったが、そんな彼にも仕事上で大きな転機が訪れようとしていて・・・。
☆『上司に恋していいですか?』の続編です。全6話です。前作ラストから半年後を描いた後日談となります。今回は男性側、省吾の視点となっています。
「ムーンライトノベルズ」様にも投稿しています。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる