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第二章

ヨハンナの行方 4

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 何の手がかりもないまま宿を出ると、アランは宿の向かいにあったカフェテラスに入った。

 メインストリートに面してテラスが設けられ、色とりどりの花が溢れるカフェだ。

 そういえばヨハンナはハララの花の香りがする果実水をとても喜んでいたなと思い出す。おすすめだとメニューにある果実の炭酸水を頼み、運んできた給仕係にアランは声をかけた。

「やぁ。ちょっと聞いていいかな」

 下働きだろうその青年は「何でしょうか」と足を止めるとアランに向かって小首を傾げた。

「通りの前の、山の裾で働いていたヨハンナを知っているかい?」
「ええ、向かいですのでたまに顔を合わせることもありました。話したことはほとんどないですが」
「行方不明になったことは?」
「行方不明……」

 青年は辺りをきょろきょろ見回し、声をひそめた。

「行方不明というか、山の裾のおかみさんがヨハンナを売ったんじゃないかってもっぱらのうわさなんです」
「売った?」
「はい。僕が言ったなんて誰にも言わないでくださいね。ヨハンナがいなくなってすぐ、おかみさん、宿の部屋を全室改装して、厨房も広げたんです。もちろん、あの宿屋は儲かってはいるって話ですけど、けちなおかみさんが大枚はたいて改装したものだから、そんなうわさがたってるんです」
「ほんとなのかい?」
「わかりません。僕が聞いたのはうわさですから。でもほら、ヨハンナはあの通りきれいな子だったから。おかみさん、酒の席で冗談であの子を売ったらお金になるって言ってたらしいです」
「ありがと」

 アランは懐から紙幣を出すと、青年に握らせた。
 青年は嬉しそうに対価をポケットにねじ込むと仕事に戻っていった。





 ヨハンナを攫ったのがあの男であることは間違いないので、おかみがヨハンナを売ったというのは正しくない。

 けれどさきほどのおかみの様子を思い浮かべると、ヨハンナの話に過剰に反応していた。何か知っているに違いない。
 アランは一気に炭酸水を飲み干すと、再び山の裾にとって返した。

 再び現れたアランに、明らかにおかみは狼狽した。その態度に確信を得たアランはおかみに詰め寄った。

「ヨハンナを金で売ったんだろう。帝国内での人身売買は禁止されている。知らないはずはないよな」

 軍の徽章を見せて迫ると、おかみは「ひっ」と悲鳴を上げた。

「わ、わたしは何も。売ってなどいやしません。ただ、ちょっとお金を受け取っただけで……」

「どういうことだ?」

「前髪で目元を隠した陰気な男がやってきて、ヨハンナはこちらで引き取るからといきなりそう言ってきて金を渡されたんです。こっちは朝からヨハンナの姿が見えないってんで、人出が足りなくててんやわんやで。もう何がなんだか」

「金を受け取ったんだな?」

「その男が勝手に置いていったのさ。なんでもヨハンナはずっと探していた娘だったとかで、今までの礼だと言ってお金を置いていったのさ。そしてこのことは他言無用だと言われた。勝手に置いていった謝礼を受け取ったら、罪になるのかい?」

「だったら初めからそう言えばいいだろう」

 おかみは言い訳がましく目線を泳がせた。

「他言無用だと言われたと言ったでしょう。お金を受け取った以上、私だってそりゃぺらぺらしゃべるわけにはいきませんよ」

「しかし見ようによっては、金でヨハンナをその男に売ったとみえるぞ」

 おかみはぶるぶると首を精一杯振った。

「とんでもない! 勘弁してくださいませ。本人の同意もなしにそんなことしやしませんよ。私だって何がなんだかわからないんだよ。突然いなくなったと思ったら、えらい大金積まれて、このことは他言無用だと言われたんです。こっちだって怖い思いをしてるんですよ!」

 おかみの震える相貌をアランは冷静に見つめた。

 おびえたその目にはうそをついている様子はない。今おかみが語っていることは真実なのだろう。アランは判断し、金を渡しにきたという男のことを詳しく聞いた。

 黒髪黒目、前髪で目元を覆い隠した陰気な男。中肉中背で年は四十代。

 おかみの見立てでは物腰から労働者ではないだろうとのことだった。

 宿屋の経営で多くの者と接してきただろうおかみは、一度会っただけの男の特徴をよく覚えていた。
 
 宿の前に馬を繋いでいたので、馬でどこからか移動してきたのだろうとも。

 男は身分を明かすようなことは一切言わなかったが、腰のベルトに根付をつけていた。不思議な光彩を放つ緑のガラスを組紐で編みこんだ根付だ。

「あの根付、何処かで昔同じものを見たことがあるとずっと気になっていたんですよ」

 おかみはそう言い、それが何処だったかをついこの間ふとした瞬間に思いだしたのだという。

「テンドウ族ですよ。この宿を開いてすぐの頃に、一度だけ来られたことがあるんですよ。そのテンドウ族の客の一人が同じ根付を腰のベルトに付けられていて」
 
 ずいぶん昔のことなので思い出すのに時間がかかったのだとおかみは言う。

「確かあのときは五六人で来られて、みんなくすんだエメラルドの髪と瞳をされてましてね。その中のお一人がその根付を付けておられたんです」

「……テンドウ族…」

 思わぬ単語にアランは聞き返した。

 テンドウ族は十八年前に帝国の滅ぼした民族だ。

 テンドウ族は、メータ大陸の東端にある海に突き出た半島で暮らしていた。半島と大陸とを結ぶ道は海抜が低く、満潮の時には海に沈み、干潮のときにだけ道が現れる、極めて閉鎖された場所にあった。

 テンドウ族は特殊な一族だった。

 どこにも属さず、巨大なカルデラ湖をいただく霊峰に囲まれた半島で密やかに住まい、今までどこの国の侵略も受けず、独自の文化を育んでいた。

 テンドウ族の暮らす半島は神の里と呼ばれ、古来より、ここが潤っていると大地が潤うとの言い伝えもあり、この土地を侵略することを他の国々は避けてきた。テンドウ族へ手をかけてはならない。不可侵は当たり前とされてきた。

 そこを急襲したクシラ帝国は極悪非道との、ののしりを周辺国から受けたが、勢いのあるクシラに抵抗できる他国はなく、今では大陸全土がクシラの勢力圏内となった。

 侵略した他国は属国としてクシラの支配下に置き、自治を認めるが、このテンドウだけは別で、統治一族は首都ナーバーにて処刑、あるいは幽閉。他のテンドウ族は各地に散らばらせた。

 十八年前、当時まだ八歳だったアランは、帝国のテンドウ族急襲や、統治一族の処刑に至った経緯を知らない。

 ただ繰り返し一般に言われていることは、武器も持たず抵抗できなかったテンドウ族を解体させ、統治一族を処刑したのは、帝国の汚点。恥ずべき行為だったという酷評だ。

 その後もオシ街で聞き込みに回ったが、目ぼしい情報は手に入らなかった。

 港町であるオシ街は、物も人も入れ替わりが激しく、次々に新しい商店が入っては消えていく。

 つい三ヶ月前に、一軒の宿屋でいなくなった少女のことや、おかみの言う黒髪の男のことなど、誰も知らなかった。
 
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