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第二章
ヨハンナの行方 3
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その後も聞き込みに回ったが、新たな話は聞けなかった。宿を取り、一旦休息をし、再び深夜になってアランとランドルフは宿を出た。
まともに正面切ってコビット商会に乗り込んでも、ヨハンナには会えないだろう。暗闇に紛れて建物に忍び込み、奪還しようとランドルフと話し合い、夜陰に紛れて建物の裏口と思われる扉から忍び込んだ。
中は真っ暗だった。人のいる気配がまるでない。昼間も商会の建物を監視していて気がついていたが、人の出入りはなかった。
「おい、アラン」
ランドルフは持っていたランプに明かりを灯した。ランドルフの顔が暗闇に浮かび上がる。
「誰もいないんじゃないのか? 人の気配が全くない」
「ああそうだな」
誰もいないとわかるとアランとランドルフは痕跡を探して各階を手早くまわっていった。時折家具がそのまま残されている部屋もあるが、大半は使われた形跡のない部屋だ。
「おい、あの扉がそうじゃないか?」
一階の奥に、店主が言っていたと思われる重厚な鉄の扉がある。ノブを回して引いてみると、ギィと嫌な音を立てて開いた。
とたんに奥からは鼻をつく強烈な異臭がしてきた。このにおいの元を軍に所属しているアランもランドルフも知っていた。死体のにおいだ。
ランドルフとアランは慎重に地下への階段を下りた。地下には真っ直ぐな廊下が奥へと伸びており、突き当りを右へと折れる。とたんに飛び込んだ光景にアランとランドルフは思わず顔をしかめた。
「これはひどい……」
地下牢にはやせ細って骨と皮ばかりになった人が数人折り重なって倒れていた。
水と食料を絶たれ、ここへ放置されたのだろう。汚れているが、皆どこかにエメラルドの色を持つ者たちばかりだ。
「ちょっと待っててくれ」
「どうする気だ? アラン」
アランは一旦地上へと駆けると、さきほど見た保安室と思われる部屋を探り、鍵束を持って戻った。
いくつかの鍵を試し、合致した鍵で牢を開けると中に飛び込んだ。
「……ヨハンナ…」
アランは必死になってヨハンナの姿を探した。一人一人顔を見ていくも、捜し求めるヨハンナではない。よかったとほっとする一方、苦しんで亡くなっていっただろうこの者たちのことを思うと胸が張り裂けそうだ。
非道なやり口に心の底から嫌悪が沸き起こる。
「…うっ…」
最後の一人の顔を覗きこんだとき、その者はかすかにうめき声を漏らした。
うっすらと開いた瞳がエメラルドだ。まだ若い男だ。縋るように伸ばしてくる手をアランは握ってやり、腰に携帯していた皮袋の水を口元に持っていってやった。
少し水を流し込んでやると男は呻きながら喉を動かす。
「まだ息があるのか。他の人は?」
アランは首を振る。ヨハンナもいなかったと言うと、「そうか」と頷き、ランドルフはまだ息のある男をかつぎあげた。
「出よう、アラン。この人を医者に診せたほうがいい」
商会の建物を出、呑んだ帰りと思われる酔客をつかまえ診療所の場所を聞くと、アランとランドルフは男を運び込んだ。
助けた若い男はジャックと名乗った。
クシラ帝国の西、イクサカ地方出の者だという。山を降り、羊毛の絨毯を売りに街から街へと行商をしていたところ、高値で買い付けてくれる商会があるからと言葉巧みにここへ連れてこられ、監禁された。
一度、背の高い、くすんだエメラルドの髪と瞳をした男に引き合わされたが、すぐにまたあの地下牢へと戻された。
日に一度、パンが放り込まれる以外は食事らしい食事もなく、やがて一人の鮮やかなエメラルドの髪と瞳を持つ少女が連れてこられると、すぐにどこかへ連れて行かれ、戻ってこなかった。
もう一人、十歳くらいの男の子も連れて行かれ、いつの間にか見張りの者がいなくなり、日に一度あったパンも途絶えたのだという。
ジャックが話せるようになったのは二日後だった。
骨と皮ばかりになった痛々しい体で、それでも寝具に横になり、点滴を受けるとジャックはみるみる回復に向かった。
その間、ランドルフはツハンの領主と連絡を取り、治安部隊を動かしてコビット商会の建物で亡くなった人々を弔い、建物内を詳しく捜索した。
手がかりとなるものは一切出てこなかった。
そちらの指揮はランドルフに任せ、ジャックの回復する合間を使い、アランはここから北にあるオシ街へと馬を駆けさせていた。
オシ街は、一人の少女がいなくなったことなどそ知らぬふりで、いつもの賑わいを見せていた。クシラ帝国中からあらゆる物品が集まり、また、海を渡った珍しい舶来品が店頭に並ぶ。
そんな通りを抜け、アランは宿屋「山の裾」に入っていった。
ちょうど昼時だったが、宿の食堂は朝と夜だけの営業なので、今は閑散としている。食堂奥のカウンターに近づくと、宿のおかみが宿帳を出して「一名様ですか」と聞いてくる。
けれどアランの顔を見て、以前ヨハンナを訪ねてきた男だと気がついたようだ。
「前にも言いましたけど、ヨハンナなら辞めましたよ」
「辞めたわけじゃないだろう。突然いなくなった。そうだろう?」
するとおかみはごくりとつばを飲み込む。
アランの全身を上から下まで眺め、うそをつくのが得策ではないと判断したのだろう。急に手のひらを返したように認めた。
「そう、そうなんです。お客様、よくご存知ですね。こちらも突然いなくなられて困ったんですよ、はい」
「そうならそうと、なぜこの間言わなかったんだ?」
「それは、その……。なんていうか、」
「探さなかったのか?」
声に批難を込めるとおかみは明らかにうろたえた。
「もちろん、探そうとしましたとも。でもここで働いている子たちはたまに黙って逃げ出すことがあるんです。だからヨハンナもきっとそうだと」
「それで探さなかったと?」
「お客様、いやですよ。そんなふうに私を責めないでくださいな。こちらとしてもどうしようもないことなんですから。――あっ! いらっしゃいませ!」
新たな客が入ってきた。天の助けとばかりに愛想のよい声を上げる。
おかみは話はこれで終わりだとアランを追いやると、入ってきた客の応対に向かった。
まともに正面切ってコビット商会に乗り込んでも、ヨハンナには会えないだろう。暗闇に紛れて建物に忍び込み、奪還しようとランドルフと話し合い、夜陰に紛れて建物の裏口と思われる扉から忍び込んだ。
中は真っ暗だった。人のいる気配がまるでない。昼間も商会の建物を監視していて気がついていたが、人の出入りはなかった。
「おい、アラン」
ランドルフは持っていたランプに明かりを灯した。ランドルフの顔が暗闇に浮かび上がる。
「誰もいないんじゃないのか? 人の気配が全くない」
「ああそうだな」
誰もいないとわかるとアランとランドルフは痕跡を探して各階を手早くまわっていった。時折家具がそのまま残されている部屋もあるが、大半は使われた形跡のない部屋だ。
「おい、あの扉がそうじゃないか?」
一階の奥に、店主が言っていたと思われる重厚な鉄の扉がある。ノブを回して引いてみると、ギィと嫌な音を立てて開いた。
とたんに奥からは鼻をつく強烈な異臭がしてきた。このにおいの元を軍に所属しているアランもランドルフも知っていた。死体のにおいだ。
ランドルフとアランは慎重に地下への階段を下りた。地下には真っ直ぐな廊下が奥へと伸びており、突き当りを右へと折れる。とたんに飛び込んだ光景にアランとランドルフは思わず顔をしかめた。
「これはひどい……」
地下牢にはやせ細って骨と皮ばかりになった人が数人折り重なって倒れていた。
水と食料を絶たれ、ここへ放置されたのだろう。汚れているが、皆どこかにエメラルドの色を持つ者たちばかりだ。
「ちょっと待っててくれ」
「どうする気だ? アラン」
アランは一旦地上へと駆けると、さきほど見た保安室と思われる部屋を探り、鍵束を持って戻った。
いくつかの鍵を試し、合致した鍵で牢を開けると中に飛び込んだ。
「……ヨハンナ…」
アランは必死になってヨハンナの姿を探した。一人一人顔を見ていくも、捜し求めるヨハンナではない。よかったとほっとする一方、苦しんで亡くなっていっただろうこの者たちのことを思うと胸が張り裂けそうだ。
非道なやり口に心の底から嫌悪が沸き起こる。
「…うっ…」
最後の一人の顔を覗きこんだとき、その者はかすかにうめき声を漏らした。
うっすらと開いた瞳がエメラルドだ。まだ若い男だ。縋るように伸ばしてくる手をアランは握ってやり、腰に携帯していた皮袋の水を口元に持っていってやった。
少し水を流し込んでやると男は呻きながら喉を動かす。
「まだ息があるのか。他の人は?」
アランは首を振る。ヨハンナもいなかったと言うと、「そうか」と頷き、ランドルフはまだ息のある男をかつぎあげた。
「出よう、アラン。この人を医者に診せたほうがいい」
商会の建物を出、呑んだ帰りと思われる酔客をつかまえ診療所の場所を聞くと、アランとランドルフは男を運び込んだ。
助けた若い男はジャックと名乗った。
クシラ帝国の西、イクサカ地方出の者だという。山を降り、羊毛の絨毯を売りに街から街へと行商をしていたところ、高値で買い付けてくれる商会があるからと言葉巧みにここへ連れてこられ、監禁された。
一度、背の高い、くすんだエメラルドの髪と瞳をした男に引き合わされたが、すぐにまたあの地下牢へと戻された。
日に一度、パンが放り込まれる以外は食事らしい食事もなく、やがて一人の鮮やかなエメラルドの髪と瞳を持つ少女が連れてこられると、すぐにどこかへ連れて行かれ、戻ってこなかった。
もう一人、十歳くらいの男の子も連れて行かれ、いつの間にか見張りの者がいなくなり、日に一度あったパンも途絶えたのだという。
ジャックが話せるようになったのは二日後だった。
骨と皮ばかりになった痛々しい体で、それでも寝具に横になり、点滴を受けるとジャックはみるみる回復に向かった。
その間、ランドルフはツハンの領主と連絡を取り、治安部隊を動かしてコビット商会の建物で亡くなった人々を弔い、建物内を詳しく捜索した。
手がかりとなるものは一切出てこなかった。
そちらの指揮はランドルフに任せ、ジャックの回復する合間を使い、アランはここから北にあるオシ街へと馬を駆けさせていた。
オシ街は、一人の少女がいなくなったことなどそ知らぬふりで、いつもの賑わいを見せていた。クシラ帝国中からあらゆる物品が集まり、また、海を渡った珍しい舶来品が店頭に並ぶ。
そんな通りを抜け、アランは宿屋「山の裾」に入っていった。
ちょうど昼時だったが、宿の食堂は朝と夜だけの営業なので、今は閑散としている。食堂奥のカウンターに近づくと、宿のおかみが宿帳を出して「一名様ですか」と聞いてくる。
けれどアランの顔を見て、以前ヨハンナを訪ねてきた男だと気がついたようだ。
「前にも言いましたけど、ヨハンナなら辞めましたよ」
「辞めたわけじゃないだろう。突然いなくなった。そうだろう?」
するとおかみはごくりとつばを飲み込む。
アランの全身を上から下まで眺め、うそをつくのが得策ではないと判断したのだろう。急に手のひらを返したように認めた。
「そう、そうなんです。お客様、よくご存知ですね。こちらも突然いなくなられて困ったんですよ、はい」
「そうならそうと、なぜこの間言わなかったんだ?」
「それは、その……。なんていうか、」
「探さなかったのか?」
声に批難を込めるとおかみは明らかにうろたえた。
「もちろん、探そうとしましたとも。でもここで働いている子たちはたまに黙って逃げ出すことがあるんです。だからヨハンナもきっとそうだと」
「それで探さなかったと?」
「お客様、いやですよ。そんなふうに私を責めないでくださいな。こちらとしてもどうしようもないことなんですから。――あっ! いらっしゃいませ!」
新たな客が入ってきた。天の助けとばかりに愛想のよい声を上げる。
おかみは話はこれで終わりだとアランを追いやると、入ってきた客の応対に向かった。
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